第6話 マーガレットの授業風景1

 王宮、東の棟。


 マーガレットのための書斎には、かわるがわる教師がやってきた。

 史学、地理学、語学、医学。

 そして指導者たるべくふるまいや話術を身につけるための、帝王学が主だったものである。


 国民を守り、良き統治をするため――マーガレットはひとつひとつに、真剣にとりくんだ。

 もとより集中するのは好きだった。

 マザー・グレイスも、全員で同じ作業をさせれば一番の成果を上げていたのはマーガレットだったと言ったくらいである。


 しかし、今回は石けんやチーズを作ることとはわけがちがう。


「よろしいですか、マーガレット殿下。国民に語りかける際はまず背筋を伸ばし、笑みは上品に。手の角度はもう少し上で。そうです、よろしいですよ」


「海峡を挟めばそこはシラナ国。我が国とは複雑な関係がございます。七十年前、グレイ家出身の姫アン・グレイが輿入れした際には――」


「発音が違います、殿下。舌を丸めて、空気を含んで」


「医学は特にけっこうですね、殿下。さすが修道院にいらしただけある。現在このような病気には瀉血がもっとも有効だと言われておりますが、東洋では別のやり方がございます。もっとも、異端だとそしりを受ける可能性もあるわけでしてー……」


 マーガレットは、寝台に身を投げ出しぽつりと言った。


「疲れたわ」


 陽がのぼる前から机に座り、月が空に姿を現すまで講義は続く。

 マーガレットがつかの間体を伸ばせるのは、こまぎれの休憩だけ。

 食事もゆっくりと取る暇はなく、一日に三度、パンやチーズや果物が乗った大皿と紅茶が運ばれてくるだけだ。

 果物は苺になったりさくらんぼになったりと多少レパートリーを変えてくるのが、料理長の涙ぐましい努力の結果なのかもしれない。


「自分でこのスケジュールを組んだのですから、文句言わないでくださいよ。食事だって、こんなに質素にする必要はなかったでしょう。私、王宮にあがったらさぞかし良いものが食べられるのだと思って楽しみにしてたんですけどね」


 エドマンドは文句をたれている。


「そうは言っても、修道院の食事よりずっと豪華よ。肉だって、お勤めを果たさなくても乗ってるわ」

「うすーくカットされたやつがね」


 彼の不満はもっともなのである。

 マーガレットの護衛係としてそのまま役目を果たすことになったエドマンドは、彼女の勉強の間中もつきっきりでお付きあいをするはめになったのだ。


 もとより学がないことを妻のマチルダが気にしていたこともあり、「それならばエドマンドも授業を聞いたらいかが」と静かな圧をかけられたのである。

 体を動かすことがすきなエドマンドからしたら、拷問のようであった。


「授業は退屈だが、マチルダのおかげで今こうして貴族ぶっていられるんですから彼女には逆らうことなどできない。でも少しくらい私に気遣ってくださっても良いでしょう。私は肉が好きなんですよ。三度の飯より肉が好きなんです。毎日毎日果物って、猿じゃあるまいし」


 食事の時間を節約したくてそうしたのだが、使用人たちもマーガレットの手前彼女より良いものを食べることが許されておらず、だんだんと申し訳なくなってしまった。


 貴族たちは毎食テーブルに載りきらないほどのごちそうを食べるが、すべてを口にするわけではない。

 彼らの食べ残しは侍女や側使えに渡り、裏方の使用人に渡り、まだ残るようであったら食事に困った市民たちに分け与えられるのである。

 修道院生活が長かったおかげで、こういった常識を忘れてしまっていたのだ。


 エドマンドは大げさに手をひろげて訴える。


「そうだ。次の武術の授業は狩りにしましょう。そうしましょう。なにも腕っぷしだけ強くなればいいわけじゃない。いつかマーガレット殿下がライオネルのアホに王宮を追われて、着の身着のままみじめったらしく出て行くことになったとき、お金がなくても食べ物を手に入れる手段をおぼえておいたほうが良いでしょう。なにより肉が食べられる」

「あなた、私のスケジュールに相当頭にきているのね。でも、大丈夫。明日からきちんとした食事を出してもらいますから。武術の時間は、予定通り受け身のとりかたで結構よ」


 武術はエドマンドに教わることになっている。

 女なのだから武術は必要ないと父は言ったが、身をまもるすべは身につけておきたい。


「武術で疲れ果てて、マチルダの礼儀作法の座学で居眠りしないでくださいよ。私がどやされるんですからね」

「それは約束できないわ。あなた手加減してくれないし」

「マーガレット殿下。国王陛下がいらっしゃいました」


 エドマンドはだらしなくゆがめていた顔をひきしめ、壁に背をつけた。

 マーガレットは寝台から飛び上がる。


 召使いが扉を開ける。ゆっくりと入ってきたシーガンは、マーガレットに目をやった。

 疲れのあまりつい横になってしまったせいで、ドレスに皺ができているのに気づかれているかもしれない。


「お父さま、ごきげんよう。あの……これは少し休憩していただけで」

「わかっている。お前は熱心でよくやっているとムーアもほめていたぞ」

「そう? ならいいのだけれど」

「お前の予定表を確認したが、少し根をつめすぎではないかね」


 シーガンは言いづらそうに口をひらく。長年離れて暮らしてきた娘にどう接してよいかわからず、なぜか遠慮がちに物を言うのがこの父の特徴であった。


「大丈夫よ。これくらいやっておかないと、私が即位したときに心配だし……」

「そのことなんだがね。私が言ったことをおぼえているだろう」

「ああ、慈愛の女王になれという?」


 父は咳払いをひとつ挟んでから、「そうだ」と続けた。


「一般教養や語学などはもちろん続けてもらいたいのだがね。今後……お前には摂政がつくのだから、あまり彼らの役目を奪うようなことがあっては後々の政治にも影響するのではないか……と、マチルダから話があってだな」

「妻がですか?」


 エドマンドは不思議そうにたずねる。


「そのようなこと、私にはひとことも言いませんでしたが」

「いや……マチルダとて、悩みに悩んで自分の父親に打ち明けたのだよ。マチルダの父から私の方に話があってだな……」


 そのマチルダの父は、マーガレットの摂政のひとりである。

 ただし筆頭教育者のルイ・ムーアやハリー・ターナーに比べれば出番は少なく(戦いに身を投じて二十年を過ごした戦士であり、あまり学者向きの人財ではなかった)、マーガレットのもとへ顔を出すのも週に一度、あるかないかであった。


「つまり、ラドクリフ伯のためにも私に勉強の手をゆるめろと?」

「マーガレット。そうではない。ラドクリフ家は安泰だ、娘婿がお前の騎士ではないか。だが私は……」


 シーガンはなにかを言いつのっている。


(当たり前のようにもぎとれた王冠じゃない。家臣の動向にも注意を払わなくてはいけない。親しい家臣が不満をためて、グレイ家派になってはいけないから……)


 父の意図を察し、マーガレットは彼に同情の視線を送った。

 エドマンドはすらすらと言う。


「私に妻から話をいたします。殿下はお父上のつくられるすばらしい国を継ぐにふさわしい王になろうと努力しておいでです。たしかにお疲れのご様子ですので心配ではありましたが、家臣のことを気にしてやめてしまうなどもったいない」


 肉が食べたいだの退屈だの言っていたのはどの口よ、と思ったがマーガレットは黙っておいた。


「妻も殿下の体調を慮ってのこと、少し婉曲して陛下の元へ伝わってしまったようですな」

「――そうか? そうだとはいいんだが……」


 エドマンドは迫力のある笑みを浮かべた。たとえ相手が男であっても、その美しさですべてをなぎ倒すのはお得意であった。


「お父さま。たしかに私、少し無理をしていたみたい。予定を組み直すわ」


 エドマンドに視線をおくり、マーガレットは父の手をにぎる。


「最近お祈りの時間もろくにとれないのよ。王女になったから、お父さまに恥をかかせてはいけないと思ってあせってしまっていたようね」

「マーガレット。理解してもらえたようでなによりだ」


 シーガンは満足そうにうなずくと、「しっかり休みなさい」と言い残し、出て行った。

 マーガレットはベッドに腰をおろす。


「せっかく加勢してさしあげたのに。それにしてもマチルダはなにを考えてるんだ」


 エドマンドが不満そうに言う。


「ここで意地をはっても、せっかくの教師を取り上げられてしまうだけよ。たしかに今後の関係性を考えれば摂政たちに序列ができるのはのぞましくないのよね」

「どうするおつもりですか?」

「そうね……。王女に教えることで家臣が争うならば、生徒は王女でなければいいのよ」

「……というと」

「あなたが、私の代わりに授業を受けるの。ノートは全部私に見せるのよ。質問事項はまとめておくから、次回の授業のさいに質問すること」


 エドマンドにちらりと視線を向けると、彼はこわごわ口をひらく。


「……私ですか?」

「そう。役割分担しましょう。あなたに学が必要なのは、変わりがないんですから」

「気が進まないのですが」

「誰の奥さんのおかげでこうなったと思ってるの? あなたが家庭できっちり話し合っておかないからでしょう。それでも足りないところは、なにか方法を考えます」


 彼女がほほえむと、エドマンドは観念したようなうなり声をあげたのだった。

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