第7話 マーガレットの授業風景2



「はい、次のステップ。エドマンド、その調子ですよ。殿下、もう少し上を向いて。美しいお顔を見せてくださいませ」


 ダンスの講師ミス・クラランスが手をたたく。

 クラランスは驚くほどの長身で、細くつりあがった瞳でマーガレットの一挙手一投足を監視している。

 それでもマーガレットはこっそりと、エドマンドに耳打ちをする。


「この間の授業はどうだったの?」

「殿下の質問にはお答えを頂戴しました。ケネス国王の治世で問題となった三つの改革の件です」


 ターンをして、一度荒くを息を吐く。


「人頭税の問題。鉱山夫の手当問題。それから奴隷制度の撤廃について」

「そう。そのあたり、もっと詳しく知りたいのに資料があまり良いのがなくて」

「いやになるくらい分厚い資料を持ってきてくださるそうですよ。貸していただく約束をしたので、ゆっくりお読みになってください」

「ありがとう、エドマンド」

「優等生扱いされて反吐が出ますよ」

「おしゃべりのしすぎですよ!」


 ミス・クラランスがかなきり声をあげる。


「ごめんなさい、ミス・クラランス」


 曲が終わる。マーガレットはエドマンドから体を離した。

 彼は恭しく頭を下げる。


 ミス・クラランスは細い目をさらに細めて、糸のようにした。


「おふたりとも勘がよろしい。このままでしたら大陸式のダンスも問題はないでしょう。マーガレット殿下はシラナ国の舞踏会でもきっと注目のまとですわ」

「それ本当に言っているの?」


 ミス・クラランスはときおり嫌みで褒めちぎることがあるので、油断がならない。


「まあ、正真正銘、そう申しております」


 彼女の口から正真正銘という言葉が出たときは本当の評価である。マーガレットは安堵した。


「舞踏会に出席されたさいに、流行の曲くらいは踊れないと恥ですからね。私は大陸で幾人ものご令嬢に完璧なダンスマナーをたたき込んで参りましたわ。マーガレット殿下はとても筋がよろしい。しかしなまけてしまうとステップを忘れてしまうもの。二週間に一度は私とのレッスンを続けましょう」

「お願いするわ、ミス・クラランス」


 ミス・クラランスは満足そうにうなずくと、優雅に一礼してみせる。

 それを見計らうようにして、マーガレットの侍女頭であるマチルダが声をあげた。


「王女殿下。次はお着替えの後に、お茶の時間でございます。ゆっくりとお休みになられますよう」

「ええ、ありがとう」


 ダンスの相手の役目を終え、うんざりしたようにホールを抜けるエドマンドを横目に、マーガレットはマチルダにたずねてみた。


「私のスケジュールを心配して父に進言してくれたそうね」

「出過ぎたまねでございました。申し訳ございません」


 マチルダは素直に謝った。か細い声で、肩もふるえている。


「私は殿下のご体調が心配でございました。それを父に漏らしたところ、自分は摂政たちの中でも遅れをとっているのではないかと、あらぬ方向に気を揉み出して……」

「まあ、そうだったのね」

「私も、父にはくれぐれも余計なことを口にしないようにと念を押したのでございます。ですが、この間国王陛下との晩餐で、ついワインが過ぎたようでして……殿下の授業にあまり携われないことを嘆いてしまったようなのです。誓って、殿下の学習の時間を妨げるつもりはなかったのでございます」


 そう言いながらも声は震え、鼻の頭を赤くするマチルダ。

 とうとうハンカチを取り出し、こぼれだす涙をぬぐっている。


(泣かせるつもりなどなかったのに!)


 マーガレットはあわててなぐさめた。


「わかっているわよ、マチルダ。行儀作法の授業ではいつも根気良く私に付き合ってくれるあなただもの。邪魔されただなんて、これっぽっちも思っていないわ」

「夫にもさんざんしかられました。父の立場を気にして殿下の予定に口を出すなどと……自分の立場もなかったと……エドマンドにまで恥をかかせて、私は……」

「いいえ。あなたのおかげで、視野を広くもつことができたわ。あなたのお父さまのように、私を助けてくれる方は幾人もいるのだもの。そちらにもきちんと目を向けないとね」

「殿下、なんとお優しい」


 マチルダの涙は感涙に変わった。

 やれやれと思いながらも彼女に他意がなかったことをたしかめると、マーガレットは「くれぐれもエドマンドと仲良くね。私のせいで夫婦喧嘩なんてしたらだめよ」と言い含めた。


「ダンスで少し疲れてしまったみたいなの。お茶は結構なので、少しひとりにさせてくれない? 部屋でゆっくり休みたいの」

「かしこまりました」


 マーガレットをゆるやかなドレスに着替えさせ、カーテンをしめると、マチルダは言いつけ通りに出て行った。


 彼女の足音が遠ざかると、マーガレットはすぐさまドレスを脱ぎ捨て、着慣れた修道服に袖を通し、続き部屋からこっそりと抜け出す。

 控えていたエドマンドがマーガレットの手を取り、本棚から一冊の本を引きぬいた。そこに現れた金色の取っ手をつかむと、薄暗い道があらわれる。


 王宮のそこかしこに存在する隠し通路である。


「ここまでやってやることが勉強なんて、どうかしてますよ。普通は遊びに行くもんでしょうが」

「仕方ないでしょ。誰に教わっても文句を言われるんだから」


 アリスと市場を抜け出していたころがなつかしい。

 今の相棒はエドマンドだが、マザー・グレイスに見つからないように市場へ走ったころを思い出す。


 目当ては色々あった。イチゴのケーキ、からくり箱、しましま模様の大道芸人。

 あくまでアリスに付き合って……と心の内で言い訳をしていたが、なんだかんだといって、自分は大人しく言うことを聞いていられない性分なのかもしれない。

 禁じられれば禁じられるほど、やりたくなってしまうらしい。


(私って本当に、あまのじゃくな女ね)


 エドマンドはポケットから取り出したメモを確認する。


「今日の講師は王都の大学で天文学を教えているレジナルド博士です。裏通りに馬を待たせているから急いで」


 マーガレットの名で呼び立てると、教師はヴィア家の家臣や彼らの息のかかった学者にかためられてしまう。

 このさい「公式の」学習の時間は削り、自分で選んだ講師から学ぶことにしたのだ。偽名を使い、ただの勤勉なひとりの修道女として、マーガレットは大学に通った。

 教師が摂政たちより優秀でなくとも、それはそれで良い経験になるはずだ。

 少なくとも、「抜けだし講習」を繰り返すうちに、乗馬の技術はすっかり上がった。


「殿下のおかげで私までガリ勉野郎になる、マチルダの思うつぼだ」

 

 ぶつくさ文句を言うエドマンドを無視して、マーガレットは馬の腹を蹴った。





「国王陛下」


 マチルダは恭しく頭を下げる。シーガンの許しを経ると、一歩進み出た。


「お忙しい中、失礼いたします。マーガレット殿下の教育についてですが――」

「マチルダ。お前はよくやってくれている。摂政たちとの関係性について苦言をていしてくれたことにも感謝する」

「もったいないお言葉でございます」


 マチルダはごく小さな声で言った。

 シーガンが顔をしかめたので、もう一度口をひらく。


「申し訳ございません、陛下。私幼い頃から大きな声で話すことが、苦手でございまして。先ほどは「もったいないお言葉でございます」と」

「よい、よい。お前のことは幼い頃から知っている。マーガレットと違い、女の子らしくおしとやかで、娘とはこういうものだったのかと気づかせてくれたのだった」

「そのような。王女殿下は聡明で行動的で、いらっしゃいますから」


 いつもよりほんの少し声を張ると、言葉がつかえてしまったが、シーガンは満足そうにうなずいた。


「あの子の教育についてだがね。マチルダ、お前の言うことももっともなのだが、しばらくは好きにさせようと思う」

「……と、おっしゃられますと……」

「禁じても無駄なのだ。エドマンドに教科書を横流しさせ、私に内緒で市井の教師を頼っておる。本人はばれていないと思っているがね。王宮の隠し通路を知っているのは自分だけだと思っていたら大間違いだ。もともとエドマンドに通路のことを教えたのは私なのだからな。お前の夫だからこんなことを言うのは気が進まないが」

「おっしゃってくださいませ」

「エドマンドが進んで学習を望むとは思えん。もとの性格はたいそう享楽的だ。戦場では勘もよく、胆力もあって役に立つ部下であったがな。見た目も良いから近衛兵におあつらえむき。だがエドマンドは王宮での出世よりも、もう一度戦場に出ることを望んでいる。熱心に授業を受けているのはよくとらえてマーガレットの影響、もしくはマーガレットに使われているだけだ」

「我が夫ながら、まことにはずかしいことでございます」


 マチルダはうっすらとにじんだ汗を、ハンカチでぬぐう。


 エドマンドはなにを考えているのやら。市井の教師など、王女の教育者としてふさわしくない。

 今いる摂政たちはリカー王国の歴史を共にした者たちだ。

 シーガンのお眼鏡にかなった学者たち、大陸でも名を馳せた紳士淑女の家庭教師ばかりだというのに。

 王女がわがままを言ったなら、止めるべき立場であるものを……。


 この不真面目な夫を、マチルダはおおいに苦手にしている。

 顔ばかり美しいくせに所作は醜く、めまいがしそうだ。

 小さな声でしゃべる自分をばかにしているのか、注意をしても鼻を鳴らして無視をするか、にやにやしているかのどちらかなのである。


「私から、王女殿下に申し上げます。市井の教師など……出自怪しい者が王女殿下に近づいては大変ですもの」

「まあ、そばにはエドマンドもついているし、心配はあるまい。摂政たちの軋轢に考慮してのことだろうから、そこまで目くじらをたてることもないだろう。また禁じたら禁じたで、他の手を打ってくるだろうしな」


 シーガンは娘に甘い。

 ご自身の娘がどのように思われているか、ご存じないのかしら。


 マチルダは目を細めた。

 ここは自分の腕しだいである。


「国王陛下。恐れながら申し上げます」

「なんだ。申してみよ」

「王女殿下のご結婚についてです。王女殿下は……いずれ女王になる身として一生懸命励んでおいでですわ。けれどシーガンさまの後に立つのが女王とあっては、不安に思う民も大勢いるとは思うのです」


 思い切った発言にシーガンは渋面であったが、「……そうであろうな」とぽそりと言った。


「それは私も気にしていたところだ。なにしろリカー王国を建国したのは男王だし、その後も男が国を継ぐのが慣例であった」


 それだけでなく、ヴィア家の女王はアナベラ・ヴィアを彷彿とさせるのでまずいのよ、とマチルダは心の内でとなえる。


「マーガレット殿下はヴィア家のお世継ぎをお生みになることが大事なお役目でございます。その子が育つまでは、夫の支えは必要不可欠……マーガレット殿下はもう十六歳、十分に適齢期でありましょう。

 戴冠までの準備に必要なのは学だけではございませんわ。マーガレット殿下の夫が決まれば、国民たちも安心できるというもの」


 このままでは、マーガレットは道を踏み外してしまう。

 軌道修正するのは侍女の役目だ。



 私にすべてお任せを――マチルダはか細い声で、だがしっかりと、そう言った。



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