第15話 雨に濡れるジギタリス
その夜から、王宮は例を見ないほどの忙しさであった。
急いで国王の葬儀が執り行われた。
シーガンには持病があり、専属医師からはそう長生きできないと診断されていたため、ある程度の段取りは決められていたものの、まさかこれほど早くそのときがやってくるとは予想外であった。
国王の棺は大聖堂へと運ばれる。
マーガレットと騎士たちが棺に付き添い、リカー国中から国王を送り出すために貴族たちが招集された。
ライオネルもその中にいたが、国王の棺から遠く離れた最後尾につき、民のようすを監視するように注意深く葬列に続いた。
(どうして誰も頭を下げていないの)
馬上から確認する。
棺を見送る民の目に憎悪の光が宿っている。
独裁者を見るかのように。
民の服はすりきれ、子どもたちは痩せて靴も履いていない。
どうして。
こういった子どもたちが出ないように尽力してきたはずだ。
正しく決定されたはずの政治が、なぜ正しく履行されていない。
「女王陛下」
いまだに慣れない呼び方に、マーガレットは反応が遅れる。
「どうしたの、エドマンド」
「ライオネル・グレイの後ろに、多くの民がついてきています」
マーガレットは振り返った。
父親に抱かれた少女がライオネルに手をさしのべ、握手を求めている。
ライオネルに民はむらがり、彼の顔をひとめ見ようと声援をおくる。
ライオネルは困惑したような顔をしていたが、彼らの好意をむげにもできず、立ち往生しているようだ。
「私の父の葬儀よ」
「追い払いましょうか」
「……放っておきなさい。ここで問題を起こしたくはない。足を速めて、ライオネルから距離をとって」
「御意に」
――なんてこと。お父さまもどんなに無念か。
馬の手綱を強くにぎりしめる。
しとしとと雨がふりはじめ、やがて豪雨となった。
土砂降りのなかの葬儀はより陰鬱さを増した。
闇に溶けそうな喪服のドレスは水をすいこみ、マーガレットの肌にべったりと張りついた。
大聖堂の控え室に入ると、マチルダはけんめいにマーガレットのドレスを搾り、ハンカチで水滴をぬぐいとる。
他の侍女たちもマーガレットの靴や靴下を取り替え、乱れた髪を整えだした。
「ほどほどでいいわ」
「いいえ。女王陛下、お風邪をめされますわ」
「いいのよ」
もう十分みじめだもの。
マーガレットはでかかった言葉をのみこんだ。
マチルダが気遣わしげに顔をのぞきこんでくる。
「こんなに降るとは思いませんでした。きっと神がお嘆きなのです。偉大なる国王がリカー王国から奪われたのですから」
「……そうかしら」
無能な女王の誕生を、嘆いているのではなくて?
あたたかい手が、マーガレットの肩を乱暴につかんだ。エドマンドであった。
「エドマンド、陛下はお支度中ですよ。あなたは下がって――」
マチルダの小言にもかまわず、エドマンドは低く言った。
「しっかりしてください、女王陛下。みなが見ている。ぬれねずみの女王を」
「エドマンド! なんてことを――」
「こんなところでしおらしくなって陛下らしくもない。いつものひねくれた性格はどうしたんです」
マーガレットはくちびるをかみしめた。
弱気になっているときではない。
父はもういないのだ。
国民の命運は、私の肩にかかっている。
「ジギタリスは、雨のときにこそ美しく見えるものよ」
マーガレットの言葉に、エドマンドは濡れた髪をかきあげて、ほほえんだ。
*
トマス・ブルクが血相を変えてマーガレットのもとをたずねてきたのは、シーガンの葬儀が終わってしばらく経ってのことだった。
トマスは姪のアリスを伴っている。
アリスはファウル女子修道院には戻らず、しばらく王都の女子修道院で生活をすることにしたらしい。「王都にいたほうが、各教会の情報がいち早く入るから」だという。
そのアリスすらも人目も憚らず修道服のすそをさばいて、女王のもとへと急いでいた。
「女王陛下。すぐに人払いを」
正式の手続きをふまずにやってきたトマスを、マーガレットは追い出すようなまねはなかった。
エドマンドだけを連れて、談話室には使用人ひとり入れずに扉を閉じる。
トマスが舌をもつれさせながら言った。
「大聖堂より宝剣がなくなりました」
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