第16話 消えた宝剣
「なんですって?」
「大聖堂の……宝物庫から、消えていたのです。儀式に使う宝剣が」
マーガレットは耳を疑った。
「宝剣なしで、どうやって戴冠式をしろと言うの?」
リカー王国の戴冠式では、王冠、王笏、指輪などいくつもの道具が必要になるが、宝剣はその中でも最も重要な道具だとされていた。
王冠や指輪などは歴代の国王により新しく作り直されることがままあったが、宝剣だけは初代のケネス国王が建国当時に使っていたものをそのまま受け継いでいたのである。
マーガレットの戴冠をひかえ、画家たちは彼女の象徴となる絵を書き進めている。
きらびやかな王冠をかぶり、宝剣を手にする若き女王の絵だ。
ヴィア王朝のはじまりとなるシーガンと二代で対になるように描かれたその絵は、ずっしりと重たげな宝剣がひときわ象徴的に扱われている。
「犯人はわかっているのですか?」
エドマンドの問いに、トマスはぶるぶると震えながら首を横にふる。
「いいえ。わかっているのは昨晩宝物係が確認したときにはたしかに宝剣があったこと、そして夜が明けたときには宝剣がこつぜんと消えていたということだけです」
「……一連の反乱や教会内部の動きと関係があるのでは? 大聖堂の内部の者が宝剣を盗んだと考えるのが自然ですが」
「大聖堂で盗みを行うような輩は、ひとりとしておりません。大聖堂で働く者たちは神学校を卒業し、厳しい審査を合格して神にお仕えすることを許されているのです」
「宝物係は貴族や裕福な商人の息子がつとめているのがほとんどよね?」
「女王陛下はさすがによくご存じでいらっしゃいます。現在の宝物係は三名、どの者も実家が裕福です」
いくら修道士といえど、万が一財宝に目がくらむとも限らない。
人は魔が差す生き物だからだ。
そのため宝物係を務めるのは特に信頼厚く金銭的にも豊かな者たちであると相場が決まっていた。
貴族や大商人の家柄で、家督や財産を継げない次男や三男が多い。
「彼らに宝剣を盗む理由はないけれど、強引に鍵をこわしたような跡もなかったのよ」
アリスは口惜しそうに言う。
トマスは慎重な口ぶりになった。
「先ほど、念のために大聖堂で働くひとりひとりに事情を聞きました。宝物庫に入った者はいないか、昨晩なにか物音を聞かなかったか。誰ひとりとして変わったことはなかったし、宝物庫には入っていないと言う。大聖堂はもちろん修道士たちの住まいや共同施設、あちこち探し回りましたが、宝剣は見つかっておりません」
お手上げのようだ。だからこそマーガレットに報告にきたのだろう。
「どうしたらいい? マーガレット」
アリスは泣きそうだ。
これはトマスの大きな失態である。
「……宝剣なしに、戴冠式はできないわ。ただでさえ私が女王であることを疑問視する声があがってる」
「だが、戴冠式をしないわけにはいかない。それこそ反マーガレット派の思うつぼだ」
「あ、あの! もっといろんな人に協力してもらって宝剣を探さない? 人海戦術で出てくるかもしれないし」
「そんなことをしてみろ。グレイ派につけいる隙を与える」
エドマンドにすごまれ、アリスは口をつぐんだ。
「大々的に宝剣がなくなったと開示するのはまずいわ」
「……マーガレット」
アリスがマーガレットのドレスの袖を引く。
「なにか聞こえない?」
城門の方角が騒がしい。
エドマンドがくちびるにひとさしゆびをあて、そっと窓際に近づいた。
談話室は城門のそばに位置しており、カーテンをめくれば門の様子を確認することができた。
うずめく灰色の群像を確認すると、彼は顔色を変えた。
「民衆がおしかけている」
「なんですって?」
「正門です。ここからでは女王陛下では背伸びしなければ見られないかもしれませんが」
エドマンドは剣を手に取り、かたい表情で言った。
上背のあるトマスはカーテンをまくり、「なんということだ」とつぶやいた。
「様子を見て参ります」
「だめよ、エドマンド。私と伯父さまが行くわ。マーガレットにはあなたがついてないと」
アリスの言葉に、エドマンドはしばしの間逡巡していたが、やがてうなずいた。
人払いをしてしまったので兵を呼びつけるにしても時間がかかる。
「なにが起こっているの」
マーガレットは愕然とした。
父は死んだ。
宝剣は消えた。
そして民衆がおしかけ、声高に叫んでいる。
これは神罰なのか。ヴィア家の者が玉座に座るのは、許されないことなのか。
「マーガレットを引きずり下ろせ! 我らが王はライオネル!」
耳を澄ませば、怨嗟の声が聞こえてくる。
エドマンドは言い聞かせるような口調になった。
「聞かないでください。これは貴方に対する正当な評価ではありません」
「エドマンド」
「何者かが仕組んだことだ。私は複雑なことは嫌いだ。戦場に出てさえくれれば、愚かな人間は斬って殺せるものを」
口惜しそうに言い、くちびるをかむ。
エドマンドはいらだたしげに部屋を歩き回った。
そんな彼を見ていたら、マーガレットは少しばかり気持ちが落ち着いていた。
全員があわてふためいても仕方がない。
なにかが起こっているのはたしかだが、情報が出そろうまではじっとしていなくては。
「あなたがここまでくやしがってくれるなんて意外ね」
「私は女王陛下の騎兵大尉ですよ」
不服そうに言う。
「なにが我らが王はライオネル、だ。民衆になにがわかるっていうんですか。ライオネルは私よりも器用に馬を駆り、剣をふるいますが腕っぷしは圧倒的に私が上ですよ。奴のことは何度か殺しかけたんですからね。あと一歩のところで取り逃しましたが」
この期に及んで腕っぷしの話をしているので笑ってしまった。
少し、胸のつかえがとれた。
慎重にドアを叩く音がする。
アリスとトマスがドアの隙間から体をすべらせるようにして戻ってくる。
「どうだった?」
「情報がまわるのが早すぎるわ」
アリスがふるえる声で続ける。
「……あなたが宝剣を失ったことが知られている」
マーガレットは目を見張る。
宝剣の盗難を伝えられたのはつい先ほどだ。
「民衆たちが、もうそれを知っているというの?」
アリスが一枚のビラをよこす。
貧しい地域から搾取した多額の税金をシーガン国王の葬儀で使いこみ、宝剣はマーガレットに愛想をつかした――。
神は、魔女が玉座に就くことをお望みにならない。
マーガレットはあばずれ女の末裔、簒奪者の血を引く魔女である。
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