第25話 アリス VS マチルダ
アリスは大聖堂の前で腰に手を当て、やるべきことを考えていた。
宝剣がひとりで歩いて消えるわけがない。
必ず盗んだ者がいる。
(まずは順を追って考えなくちゃ)
宝物係は三名。
全員が経済的に裕福な家の出だ。
わざわざ盗みを働き信用を失う理由はない。
今ですら、その三名は針のむしろ状態であり、容疑者扱いされているという。
修道院で泥棒扱いされることがどれほど辛いかは、想像に難くない。
トマスはすでに三人と面接している。
彼らはいたって大人しい男たちで、当然のことだが一度も帳簿をごまかしたり寄付をちょろまかしたりしたことはないという。
動機があるとしたら、金目当てではなく、ヴィア家の王が気に入らないから。
(それならシーガン国王の戴冠のときにやればよかったのよ)
ヴィア王朝はじめとなるシーガンが戴冠するときに宝剣がなくなれば、混乱は今の比ではなかったはず。
それを理由にグレイ家が王座についたことだろう。
――あのときは、ヴィア王朝に反対するものは、今ほど多くはなかったのだ。
ここ最近になって急に増え始めた。
マーガレットを拒絶しているかのよう。
いったいなぜ?
アリスはしずしずと大聖堂に入る。
厳しい顔つきをした頑固そうなシスターが、アリスの体のすみずみまで、手のひらを押しつけるようにして検査をほどこした。
宝剣がなくなってからというもの、厳戒態勢だ。
不快な検査を終え、大聖堂に入る。
ドーム型の見上げるほどの高い天井に、天使をかたどったステンドグラス。
光が差し込むと木彫りの椅子を鮮やかに染め上げる。
アリスは椅子に腰を下ろし、しばし目を閉じ、手を組んだ。
大聖堂の宝物庫から国宝を取り出すには、王の――今はマーガレットの許可がいる。
誰でもおいそれと取り出せるわけではない。
しかしほんの少し前はその許可が降りていた。
マーガレットが戴冠式をするためだ。
修道院の関係者に犯人はいない、と思いたい。
これはただの直感ではあるが、アリスはたいていそういうものはずばりと当ててきたのだ。
ファウルの女子修道院でパンが人数分足りなかったとき、犯人扱いされたシスターがいたが、アリスは絶対に違うとはじめからわかっていた。
結局あのときも野良犬の仕業だったではないか。
他にも修道院の壁の落書き事件や井戸破壊事件などさまざまな出来事があったが(詳しくは割愛させていただく)アリスは容疑者として名の上がった人物が犯人でないことを、直感で分かっていた。
この能力は理屈で説明できないので、もっともらしく神のお導きということにしておこう。
修道院の関係者以外で、宝物庫に出入りできる人物は原則でいえば存在しないのだが、戴冠式の時期に限定すれば、別である。
マーガレットは、リカー王国の歴史上久々の女王だ。
男王と同じようにするわけにはいかない。
ドレスを着せても、宝剣が似合うような装いにしたい。
女王に期待されるのは強さではなく、華やかさなのだから。
そう言い出しそうな人が、いるじゃないの。
一番前の席を陣取り、熱心に祈りを捧げるひとりの女に、アリスはじっと狙いを定めていた。
マーガレットの侍女頭、マチルダ・ラドクリフである。
これは直感でしかない。
実際にマチルダと話をしたことはない。
でも、ファウルの修道院にいたとき――マーガレットから送られてくる手紙の細かな箇所に修正の跡があった。
それに、マーガレットからの返事も五通出せばようやく一通届く程度。
はじめはマーガレットが忙しいから仕方がないのかと思っていた。
でも、ところどころ話がかみあわないのだ。
マーガレットに確認したところ、手紙は安全のために一度侍女が開封しているという。
アリスが出した手紙は、侍女に処分された可能性が高い。
マチルダの考えとマーガレットの考えが合わないようだと、王都に来てからは強く感じるようになった。
侍女が主人の味方になれずにどうするのだ。
エドマンドに聞けば、マチルダは執拗にマーガレットに政略結婚をするように迫り、ついにはライオネルに王冠を渡すように言ったとか……。
(不利な状況になるたびに涙で訴えてるそうだけど、このアリス様の目はごまかせないわよ)
ファウル女子修道院では、なにかあったとき泣いて許される女なんてひとりもいないんだから。
実際、女の武器を使ってもマザーに許されることがなかったアリスは、鼻息を荒くした。
「マチルダ様。ご機嫌よう」
マチルダの祈りが終わったときをみはからい、アリスは声をかける。
彼女はうろんな目でアリスを見上げている。
「とても熱心に祈られていましたのね」
「ええ。週に一度は大聖堂で祈りを捧げることにしているのです。女王陛下にお仕えしたときからね」
「教会にもずいぶんご友人が多いと聞いておりますわ」
「こちらの教区には、ラドクリフ家が多額の寄付をしております。神職を目指す苦学生が道をあきらめないようにするためですわ」
「苦学生を学校に入れてさしあげたのですね」
「そうするのが、貴族として当たり前のことです」
優しげにほほえむマチルダに悪意は感じない。
だが、アリスの次の一言でにわかに顔色が変わった。
「西側の教会にも人員を増やしてさしあげたとか。教区を超えて、ずいぶん熱心ですこと。マチルダ様は王都のご出身なのではありません? 西になにかゆかりを感じられたのでしょうか」
リカー王国の西側はライオネル・グレイの領地である。
反乱が始まったのは西から。
ライオネルが挙兵したのも西からだ。
反乱の勃発と宝剣の盗難、無関係とは思えない。
アリスはトマスと協力して、人事異動のあった教区を徹底的に調べ上げたのだ。
西に位置する教会の司祭たちがあちこちに飛ばされ、代わりに入ってきたのはシラナ国出身の聖職者だった。
突然よそからやってきた聖職者をそれなりの位置につけるのは、教会内で強い反発を生むはず。
それがいくつも強行されている。
何か強い力が働いたのである。
「少し歩きません? マチルダ様」
「いいえ。戦が終わって、女王陛下は凱旋なさるでしょう。真っ先にお迎えするのは私でなければなりません」
「あなたは女王陛下についていかなかったのですか?」
「戦場など、おそろしいところ……。女王陛下は王宮から離れるべきではなかったのでございます。我が夫、エドマンドがいれば十分です。女王陛下に万が一のことがあったらと、私はここひとつきも教会に通い詰めで……ああ、考えただけでめまいがしてまいりましたわ。失礼させていただきます」
ここで逃したら二度と顔を合わせることはないだろう。
彼女はアリスを徹底的に避けるはずだ。
自分の息のかかった司祭や神学生を西に送り、たくみに反マーガレット派になるよう誘導する。
その罪が全部ライオネルのものであるかのように見せかける。
ずいぶん手の込んだ仲間割れ作戦だ。
この女ひとりでそれができるとは思えない。
裏で糸を引いている者がいる。
「嘘をつくのはおやめなさい。女王のために祈る? ちゃんちゃらおかしいわね」
アリスは断定的に言った。
「嘘は感心できないわよ、マチルダ様」
アリスはそう言いながら、余裕の笑みを浮かべてみせた。
だが、実際には冷や汗をかいている。
(だいぶ証拠不十分なんだけど、ここまできたら引き下がれないわよ! ふっかけまくって黒幕を吐かせてやるんだから!)
マチルダは彫刻のような、感情の伴わない笑みを浮かべている。
「なにをおっしゃっているのか、わかりませんわ。シスター・アリス」
「とぼけるのもいい加減になさい。場所を変えるのがいやなら、ここでハッキリ言ってやってもいいのよ。あなたが歩きたくないと言うならね」
マチルダはあたりを見回した。
聖堂内は声が響く。
すでに何人かの修道士はマチルダとアリスを見てけげんな顔をしている。
「……よろしいでしょう。あなたの散策に付き合いますわ」
マチルダは観念したように言った。
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