第26話 王の器

「こちらです」


 エドマンドに連れられて、マーガレットは塔の地下へ降りた。


 王都のはずれ、巨大なはね橋をかけなければたどり着かないその場所は、罪人を閉じ込めるための古城であった。

 高く積み上げられた石の城壁。

 堅固な守りを築き、部外者がおいそれと近づくことはできない。

 昼となく夜となく見張りの兵が目を光らせている。


 ライオネルはこの古城の最深部、地下牢に入れられていた。

 牢とはいっても、一般の罪人ほどひどい扱いを受けるわけではない。

 食事はきちんと与えられるし、清潔なシーツを敷いたベッド、書き物机や暖房器具、鏡台なども完備されている。

 望むだけ書籍も手に入り、手紙を書くことも許されている。

 ただし、手紙には厳しい検閲が入るが。


「ライオネルはどうしている?」

「二日も食事を取っていないそうです」

「そう」


 エドマンドとの戦いで骨折や打撲などのけがを負ったライオネルは、治療を受けた後にこの監獄へうつされた。

 今までは医師たちが強引に食事をさせていたのだが、牢番はそこまでの面倒は見てくれない。


「食事をされないのは困るわ。彼は私に継ぐ王位継承者なのですもの」

「継承権を剥奪されないのですか?」


 エドマンドは不満そうだ。

 ライオネルは女王に反旗をひるがえしたのである。

 継承権の剥奪は当然の措置――と言いたいのであろう。


「今のところ、考えていない」


 ライオネルも、誰かにはめられたという可能性を否定できない。


 二度と、卑怯な手を使わないと決めた――。


 ライオネルはそう言った。

 弾を失い、兵士を失っても、彼は毅然としてこちらへ向かってきた。

 そんな男が裏で反乱を扇動し、宝剣を隠すだろうか。


(甘いと言われても……戦場で彼と相まみえたからこそ、ますます疑うことはできなくなった)


 カンテラの明かりが、牢の様子を浮かび上がらせる。

 ライオネルは壁に背をつけ、うつろな瞳でマーガレットを見ていた。

 まだわずかに、まなざしに生気が残っている。

 マーガレットはほっと胸をなでおろした。


「みじめな俺をあざ笑いに来たのか」


 自嘲するように彼は言った。

 ライオネルは無精ひげをはやし、力なく笑っている。

 王宮を、自分こそが王だと言わんばかりに闊歩していたあの頃が遠い昔のようだ。


 あのときの私はライオネルがおそろしかった。

 もしかしたら、今も。


 青い瞳の奥底に、焦げつくような感情がくすぶっている。

 こうなってもなお、彼は王の風格を失っていない。


「――いいえ。たしかめにきたのよ。あなたが挙兵した理由を」

「お前が王にふさわしくないと判断したまでのことだ。俺は王になりたかった」


 わかりきった回答である。

 マーガレットは続けた。


「私が求婚を断ったから、あなたは兵をあげるしかなかったということ?」

「そうだ」


 ライオネルむっつりと口をつぐんでしまった。

 温かいスープとパンが運ばれてくる。

 マーガレットが用意させたものだ。


「食べなさい」

「断る」

「女王の命令よ。きけないの?」

「なおさら食わん」


 牢番に指示し、牢の中へ食べ物を差し出させた。

 机に置かれたスープはまだ湯気をたてている。


「もうすぐ死ぬ男に食べ物をくれてやるくらいなら、町中で物乞いしている子どもに与えたらどうなんだ」


 彼は反乱のとがで処刑されると思っているのだ。

 食欲などわかないだろう。


「あなたには聞かなければならないことがあるの。答えは、私の中ではわかりきっているのだけれど。各地の反乱と宝剣の盗難、先導者は誰なの?」

「知らない」


 マーガレットは注意深くライオネルの表情を注視した。


「そんな風に見なくとも、俺が嘘をついていないことくらいわかるだろう」

「ええ。残念だけど宝剣を盗んだ犯人は別にいるということになる」

「残念そうにも見えないけどな」


 ライオネルは愉快そうに笑った。

 そして、やぶれかぶれになったように続けた。


「マーガレット。俺が盗人じゃなくてほっとしているのか?」


 ややあって、マーガレットは答えた。


「……ええ、そうよ。あなたの言うとおり、玉座に座るべきはグレイ家の人間だったのですもの。神に背くような行いはして欲しくないわ」

「女王陛下」


 エドマンドが口をさしはさむ。


「この男にそのような」

「いいのよ、エドマンド。私の好きにしゃべらせて」


 ライオネルは驚いたようにマーガレットを見上げていた。

 この男は、私の胸中がどのようなものであるか、想像したことは一度もないのだろう。

 マーガレットがどんな思いでグレイ家の跡取りを――ライオネルを見ていたかなど、興味も湧かなかったに違いない。


 彼の表情に、マーガレットはいままで胸の内にくすぶっていた思いを吐き出さずにはいられなくなった。


「運命はヴィア家を選んだ。なぜワースの戦いのとき、いつまでもぐずぐずと上陸しなかったの? ライオネル。おかげであのときからずっと、あなたを疑って生きていかなくてはならなくなった」

「それは……以前にも言ったはずだ」


 ライオネルは言葉に詰まった。



「私たちを背中からざっくりと斬り伏せるためよね。あなたの案らしくはないけれど、うまくいけば確実に王位をとれた。でも、うまくいかなかったのよ。神はヴィア家を選んだ。私はずっと修道女でよかったわ。あのときから私の人生は狂い始めた。父は戦争に夢中で、王冠を取りたがっていたけれど、私はそうじゃなかった。リカーが平和になって、日々の小さな幸せさえ守れればそれでよかったのに。摂政たちは利権を得るために私を傀儡にしようとした。そうでなければグレイ家が私を排除しようとしたわ。誰か民のことを考えた? 考えられる人がいたら、とっくに内乱なんて終わっていたじゃないのよ! 二十年も王がいない、政府がないなんて、そんなていたらく……あなたたちが神に選ばれたんじゃなかったの!?」



 マーガレットはカンテラを投げつけた。

 鉄格子にぶつかり、割れてしまった。

 火は地面にしたりおち、徐々に明るさをなくしていった。


 ライオネルの姿は、暗闇が包み込んでしまった。

 マーガレットは、息をあらげた。


「私がやるしかなかった。国民全員の命を、私は守らなくてはならないのよ。アナベラ・ヴィアの子孫がね。はじめから祝福されていたあなたには一生わかりっこないとは思うけれど」


「マーガレット」

 ライオネルは、かすれた声で言った。

 暗がりの中、彼の言葉は重々しく響く。


「俺はもうじき死ぬだろうから、言ってやる」


 彼は深く息を吐いた。

 重たく、暗く、毒のような吐息であった。


「……リカーの王は、おまえだ」

「ライオネル」

「俺はたいした器じゃない。本当はわかっていた。血筋だけが俺を正しいと証明することができる。ワースの地で父が卑怯な手を講じたときも、止めには入らなかった。それだけシーガン・ヴィアが脅威だった。兵の憂さ晴らしのために、略奪も見逃してきた。全部、王になれば取り返せると思っていた。それまでの罪は帳消しにできる。俺が良い世の中にしてみせるから――あれから三年が経ったが、なにも変わっていない。むしろ以前にも増して盲目になった。俺を追い詰めることができたのは、お前だ、マーガレット。お前に拒絶されたとき、俺にはなにかを失ったように感じた。だからこそ……必死だった」

「勝機がないのに私に向かってきたのは、そういうことなの?」 

「ああ。俺は負けた。はっきりしたじゃないか。お前は何も思い悩むことはない。俺を殺して、女王になるんだ」


 エドマンドが、蝋燭に火を付けた。

 再びライオネルの姿が浮かび上がった。


 彼は、うっすらと笑っているようだった。

 なにもかもふっきれたような笑みだ。


 彼女は差し出されたエドマンドの手をとった。


「また来るわ、ライオネル」

「二度と来るな。お前と話すと調子が狂う」


 ライオネルはこちらに一瞥もくれなかった。

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