第12話 さざなみ
「妙って……?」
「あの、言いづらいんだけど」
らしくもなくもじもじとするアリスを見かねて、トマスは深く息をついた。
「私からお話をさせていただきます、王女殿下」
アリスが宿を借りていたのはとある西部地域の、小さな女子修道院であった。女子修道院自体はファウルの修道院となんら変わったところはなく、マザーやシスターたちも気さくで、アリスを含めるファウル女子修道院の面々を温かく迎えてくれたのだと言う。
アリスたちは滞在した町の教会で説教をきくことになった。
アリスはふだん通りの不真面目さをいかんなく発揮し、目を閉じ司祭の言葉に聞き入るようなふりをしながら、居眠りをしかけていた。
「こういったおぞましい罪が! 時として、罪が罪であると知られていながらも、平然と受け入れられてしまうことがあるのです!」
司祭の声が高くなったので、アリスははっと目を覚ました。
「――アナベラ・ヴィアのことを……今各地の教会で悪し様に説教をしているようなの」
アナベラ・ヴィアには夫がいた。夫がいながら、生活のために娼婦をしていた。そしてそんな彼女を偶然にも国王が見初め――。
夫と別れた彼女は、国王の愛妾となった。あとは歴史通りの事実。
姦淫は禁じられている。
はるか昔、姦淫の罪を犯した者は死罪によってその罪をあがなったという。
現在では姦淫による死刑は行われていないが、大きな罪であるという意識は人々の根底に残っており、姦淫を犯した者は教会で懺悔し、悔い改め、二度と罪を繰り返さないように言い含められる。
「姦淫の罪について取り上げて説教をするのは、特別珍しいことではありません。マーガレット王女殿下も修道院にいらしたのでご存じでしょう。ですが、アリスが行く教会行く教会、どこもしめしあわせたように姦淫の罪をとりあげ、アナベラ・ヴィアの名を直接扱わないまでも、「ジギタリスの女」と、それとなくわかるように誘導しているのです」
トマスは深刻そうである。
ジギタリスはヴィア家の家紋だ。
ジギタリスの女といえば、ケネス国王の愛人であったアナベラ・ヴィア、もしくは現在の王女であるマーガレット・ヴィア、どちらかを連想するであろう。
「大きな罪を犯したジギタリスの女が、王の寵愛を受け、贅沢におぼれ、国民をまどわした。そのような……過去が我が国にはあると」
「たしかに、アナベラ・ヴィアはそうだったかもしれないけれど、今のヴィア家は贅沢におぼれてなんか――」
「わかってるわ、マーガレット。説教もこう、ずるい感じなのよ。昔こういう、ジギタリスの女って呼ばれた人がいて、姦淫して、贅沢して、いいような人生は送ったけど……けして尊敬されることはなかった。人として、神の子として我々がどうあるべきか~といったかんじの説教なの。聞いてて……悪意は感じるんだけど、やめさせなきゃいけないってほどでもないし……これをこの地区の人たちは黙って聞いてるのかしら……ってちらちら伺うことしかできなくて。まあ、ちょっとむかついたから、後でその司祭のローブに虫くっつけてやったんだけどね。こんなおっきいやつ。女の子みたいに悲鳴上げてておかしいったらなかったわよ」
アリスは得意げにクッキーをつまんで、これよりおっきかったんだから、と自慢げに言った。
あなたこそ小さな男の子じゃないんだからやめておきなさいよ、とマーガレットは思った。
「なるほどね……たしかにそれは気になるわね」
さんざんヴィア家の出自や父の戴冠に対して批判の声も聞いてきた。慣れてしまったわけではないが、ヴィア家が王位継承権を得たのはごく最近のことだったので、こういうものかと割り切ってはいた。
批判するのは政敵であるグレイ家派の家臣たちばかりだったからだ。
だが、これが市井で……多くの人々が集まり、精神的に、人によっては物質的にも頼りにしている教会で行われていることが、気になるのである。
表だってシーガンやマーガレットを批判しているのなら注意のしようもある。だが、アナベラ・ヴィアを例にあげて、ひとりひとりの民に自分の過ちを正すようにとうながしているだけとなると、説教をやめさせようと圧力をかければ余計に教会を刺激しかねない。
しかもアナベラ・ヴィアが国王の愛人で当時多くの財産や土地をもらい、息子たちを王の重臣にさせ、宮廷をひっかきまわしたことは事実なのだ。当時彼女の子どもに王位継承権はなかったし、リカー王国も財政的に安定していた。愛人が多少幅をきかせることくらいは大目に見られていたのである。
「これが一回限りの説教だったら、まあ、ヴィア家のことがちょっと嫌いないやな司祭なのね、と流したんだけど。その教会、日曜のミサで二週も同じ話をしやがったのよ。それで頭にきちゃって、みんなを説き伏せて別の女子修道院にお世話になることにしたの。そうしたらその次の教会でも、似たような説教をしていて――」
聞けば、西部地域ではどこもしめしあわせたように「姦淫の罪」について説教をしているのだとか。
アリスは伯父に手紙で問い合わせた。大司教である伯父トマスは、各地の説教の内容にも通じているのではないかと思ったからだ。
伯父の担当する教区のいくつかでもそのような説教をしているという報告があり、いつのまにか見知らぬ修道士が増えていた。
基本的に、説教の内容は各地域の教会に任されている。
よほど過激なものでなければ注意や報告が入ることもない。
「私は王都を含むいくつかの教区を担当しております。王宮にほど近い私の教区で、アナベラ・ヴィアの名や象徴をとりあげた説教をやめるようにと進言いたしました。ですがジギタリスの女の話はとどまることを知らず――まことに情けない限りではございますが……」
「このままでは、国民に悪感情を与えかねないわね」
マーガレットはくちびるをかんだ。
いったいなぜ、このような事態に陥ったのだろう。
父が戴冠したとき、大司教から王冠をさずかった。
そのさいにも非難の声はあがらなかったはずである。
扉をけたたましく叩く音がし、エドマンドが応対する。
「なんだ。今は王女殿下の個人的な時間だ。さわがしいぞ」
「申し訳ございません、大尉。ですが至急、王女殿下のお耳に入れたいことが――」
「入りなさい」
王宮の近衛兵のひとりであった。マーガレットの前で敬礼をする。
「ご報告いたします。リカー王国西部地域にて反乱が発生。国王陛下が鎮圧の命令をくだされました。王都より距離はございますが、万が一のため、マーガレット殿下には外出を控えていただくようにと――……」
「反乱?」
「先だっての税改革による反乱でございます。シーガン国王陛下に対し、反乱軍は王位の返上を要求しております」
「王位を返上して……どうせよと?」
父親をひきずり落として、そして次の王は誰になる?
マーガレットの問いに、近衛兵は口ごもった。
「言いなさい」
「……マーガレット王女殿下の王位継承権を剥奪、ライオネル・グレイ公爵を、次の王にと……」
予想できた返答に、マーガレットは静かにため息をついた。
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