第11話 悪いことのはじまり
修道服のすそをさばき、アリスはいまにもかけださんばかりであった。
(大変……大変……大変だわ!)
シスターが全力疾走していては目立つ。
しかもここは王宮なのだ。
立派なお仕着せに袖を通した使用人たちの前では歩幅をゆるめてやりすごし、彼らがいなくなるとはねるようにして謁見の間まで急いだ。
待合室ではすでの伯父のトマス・ブルクがそわそわとした様子で所在なげに立っており、アリスの姿を認めると弱々しく手をあげてみせた。
「伯父さま!」
「アリス、静かになさい。はしたないですよ」
「しかたないじゃない、ばかみたいに広いんだもの。王宮の人って、建物の中をこんなにぐるぐるまわらないと王様に会えないわけ? まどろっこしいったら。情報の鮮度だって落ちるわよ」
どこかから咳払いをされる。
どこから発されたものなのかがわからなかったため、とりあえずアリスは全方位をきっとにらみつけてやった。
(しかし……やっぱり王宮っていうところは、洗練されているのね)
修道服を着てきて、かえって正解だったわ。
立派な服装の貴人たちを前にしたら、アリスの着古しの修道服はみじめなものだったが、それでも修道服である。
手持ちの流行遅れのドレスなんかより、よほどしっかりとした人物に見える。ふるまいさえきちんとしていれば。
(マーガレットが手紙をすぐに読んでくれてよかった。そもそもマーガレットに届いていているのか、ずっと怪しかったのよね。忙しいのか返事もほとんどもらえなかったし)
マーガレットがファウル女子修道院を出て行ってもう二年になる。
アリスが結婚せずにいまだに修道服を着ているのは、かわいそうな年上の婚約者様が肝硬変で急死したからであり(どうぞ安らかに)両親はリカー王国の各地から、このじゃじゃ馬シスターをもらってくれる男を血眼になって探すはめになった。
またもや年かさの男と縁組みするはめになっては大変である。
アリスは先手を打って慈善活動の旅へ出た。
そうこうしているうちに、とある情報を耳にしたのだ。
すぐにでもマーガレットに伝えて、対策を打たねばならない。
「相変わらずのようだ、アリス・ブルク」
背後からもう一度、とがめるような咳払いが聞こえる。
アリスがゆっくりとふりむくと、迫力のある美丈夫――いつか修道院中のシスターをとりこにしてしまった、風紀を乱す悪魔の申し子、エドマンド・ラドクリフが立っていた。
「あんたね。私に嫌みったらしく咳払いなんてかましてくれたやつは。どこかのおじいの仕業かと思ったじゃないの」
「私じゃありません。あちらの殿方ですよ」
エドマンドはあごで、左側に立つ紳士をさした。
彼はぎょっとしたような顔をしている。
はげ上がった頭と、ぴんとはねたひげ。痩せた体を神経質そうに揺らしていた。
「よく見る顔ではありませんね。たしかにあなたの言うとおり、「どこかのおじい」のようだ」
紳士は何か言いたそうな顔をして、アリスとエドマンドをちらちらとにらんでくる。
アリスはばつが悪くなった。
「気まずくなるようなことしてくれてんじゃないわよ」
「シスターならもう少し淑女らしくなさったらどうです」
トマスはおろおろとしながらふたりの間に割って入る。
「申し訳ありません、ラドクリフ郷。姪にはよく言って聞かせますので」
「いえ。久方ぶりに王女殿下のご友人のお顔を拝見したのでついからかってしまっただけです。ついてきてください、王女殿下が特別に部屋を用意された」
エドマンドは声を落とした。
「急いでください。これ、僕の妻には非公式なものですから」
「あなたの奥さんと急がなければならないことには、なにか関係あるわけ?」
「恐妻・泣き落とし女なんですよ」
エドマンドは笑みを消し、めずらしく真剣な口ぶりである。
「なにそれ。王都に出る幽霊の通り名かなにか?」
「似たようなものです」
エドマンドはうんざりしたようにそう言うと、顎をしゃくった。
*
ノックの音をして、マーガレットは書物から顔を上げた。
談話室にすべるようにして入ってきたのは、アリスである。
「マーガレット!」
彼女は叫ぶようにして言ったが、大司教のトマスは「アリス」とたしなめた。
「マーガレット王女殿下だ。もうファウル女子修道院のお仲間ではないのだから」
「良いのよ、トマス。ここは礼儀にうるさい人たちもいないの。昔みたいにマーガレットと呼んでちょうだい。遠いところをご苦労様でした。お茶の用意がしてあるの。謁見の間じゃ、距離も遠くてゆっくり話せないでしょう?」
使用人すらも出払わせてしまうと、エドマンドがゆっくりと扉を閉じた。
人数をしぼって、慎重に話を聞くべき案件である。
アリスから気になる手紙を受け取ったとき、マーガレットはすぐに彼女に旅費を送り、王宮へ呼び寄せた。マチルダが不在で良かった。
彼女はいつもアリスからの手紙を「女子修道院の、例のシスターからでございます」と不機嫌そうに渡すのだ。勉強漬けでなかなか返事は書けなかったが、アリスと修道院の仲間たちが元気そうにしている様子が踊るような筆致で書き綴られており、安心していたのである。
彼女からの手紙を読むときは、忙しい毎日の中でつかの間の癒やしの時間であった。
ところが、先日受け取った手紙は様子が違っていた。
「今回の手紙のことだけれど」
マーガレットが切り出すと、アリスは焼き菓子をほおばっていた口をあわててもごもごとさせ、紅茶で流しこんだ。
「そうなの。最近……リカー王国中の教会で、ちょっとおかしな動きがあるのよ」
アリスが説明するには、こうである。
慈善活動の旅へ同行した彼女は、ふたつきに渡り、リカー王国西部の女子修道院を転々としていた。
慈善活動の内容はさまざまだが、主に食べ物を配り、畑の収穫を手伝い、神の教えを説くことにある。
滞在先の教会で説教を聞き、勉強するのも重要だ。
アリスは熱心にマザー・グレイスを説き伏せ、長期の奉仕活動へ乗り出したのだ。
「あなた、慈善活動の旅はいつも嫌がっていたじゃないの」
「手紙にも書いたでしょう。両親が次のおじさまを見つけにかかってるって」
「次もおじさまとは限らないんじゃないの……」
「可能性はあるわよ。リカー国中が、男不足なんですからね。下手するとじいさんかも」
私のことはいいのよ、とアリスは言った。
「西部の教会の一部で……説教の内容が妙なのよ」
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