第10話 魔女の世話係

「慈愛の王女か。国民からパンは奪えないと? お優しいことだ」


 こんな風に話しかけられるのは初めてだった。

 いつもライオネルはマーガレットなどいないもののように扱っていたのに。


 しかも、はじめの一言はひどい嫌味である。


 マーガレットは、彼の方を見なかった。

 否、視線を合わせたら押し負けるような気がして、わざと顔をそらしたのだ。


「あなたの案を少しだけ変えてみただけです」


 彼女の態度にライオネルはいらだったようだ。

 さらにとげとげしくなる。


「葡萄の圧搾機だけではお父上の計画すべてをまかなうことはできない。お前がしたことはただの問題の後回しだ。国民に媚びを売るだけでは国政はまわらないぞ」

「媚びなど売ってはいません。事実を伝えただけ」 

「国政はままごとではない。あれでは右にならえの大臣たちの言いようにおさまっただけだ」


 心配そうに、扉にひかえた衛兵が様子をうかがっている。

 マーガレットは彼を視線でいなした。

 こんなときにかぎって、エドマンドはラドクリフ伯につかまっている。

 さきほど明らかに退屈そうにあくびしていたので、とがめられているのだろう。


「次の王がこれでは先が思いやられる」

「まだ……ヴィア家には継承権はないとおっしゃりたいの? エリオット・ウッド国王が私たちに継承権を与えたのをお忘れかしら。あなたがワースの地に遅刻してきたことも」


 ワースのことをライオネルがひどく気にしているのを知っての言葉だ。

 やりかえしてやりたくなったのだ。

 もちろん、大人の対応をしなくてはいけないことは分かっているのだが――。


 ライオネルはかっとなる。語気に怒りがあらわになる。


「国王陛下は俺たちから土地や財を取り上げ、その問題に対する責任はとったはずだ」

「ならばあなたもエリオット・ウッド国王の命をもう一度考えるのね。あなたのお父上が前国王陛下の政治に非協力的だったから、わざわざヴィア家に王位継承権を与える口実を作ってしまったのよ」

「父は間違っていない。俺もシーガン国王陛下に仕える身だ。非協力的ではない」


 わかっているわ――。

 マーガレットは口をつぐむ。

 議会ではろくに発言しない家臣もいるし、国王やマーガレットのご機嫌をとってなんとかやりすごす者もいる。

 それに比べてライオネルは、国王との衝突もおそれずに発言する。


「いずれお前はだめになるぞ。誰もお前の案を否定しない。忠臣たちは長いものに巻かれているだけだ。王女殿下がなにかを口にすれば、孫のように猫かわいがりするだけ。今日の様子を見たか。ごますりだけが達者な奴ばかり。いいように扱われて名ばかりの王女になりたいか」

「あなただって、はじめはそのつもりだったんでしょう。私に求婚したではないの」

 我ながらいやな女だ――。あきれてくる。こんな口をきくつもりはなかったのに。


 ライオネルは、くちびるをひくひくとけいれんさせている。


「かわいげのない王女殿下だ」

「ご忠告感謝するわ」

「そういうときは、誰に向かって口をきいているのかと、叱咤するべきだ」


 ライオネルが生真面目に言うので、マーガレットは噴き出すのをこらえた。

 はじめて、彼とこんなに長いこと話した。

 一族が争うようなことがなければ――仲の良い親戚同士として、付き合っていけたかもしれないのに。


(もしもの話よ)


 事実、ライオネルは私を嫌っている。

 マーガレットがまだ笑いをこらえていたので、彼はますます機嫌をそこねたようである。


「これだけは言っておく。このまま女王になるつもりなら、いずれ大きなしっぺがえしをくらうことになる。誰にも良い顔をしていれば、真実がもやに包まれて、巣くう闇にも気がつかない。味方にこそ用心するべきだ」

「苦言をていするあなたを優遇しろということ?」

「冗談じゃない。俺はお前が嫌いなだけだ」


(はっきり言うじゃない)


 マーガレットはくちびるをとがらせる。


「誰に向かって口をきいているというの?」


 ふん、と腰に手を当てて言ってやった。

 ライオネルはしばし目を丸くしていたが、にやりと笑った。


「誠に申し訳ございません。王女殿下に、恐れながら申し上げた次第です」

「恐れてなどいないくせに。どこへ行くの? 昼餐の会場はそちらではないわ」


 ライオネルは鼻で笑った。


「帰らせていただく。領民たちに会う時間をもうけないといけない。王女殿下の言う通り、度重なる内乱で男手が減った。寡婦が多くて我が州の民も苦労しているんでね。昼餐で陛下に直接お伝えするようなこともない。御前を失礼いたします」

「――さようなら、グレイ公」


 マントを揺らし、さっそうと去る彼の背中を、マーガレットはいつまでも見つめていた。





 すみれ色のドレスに身を包んだマーガレットが、額縁の中でほほえんでいる。


 美しい姫君である。小さな絵だが、とある人物からこの肖像画を譲ってもらったときは喜んだものだ。

 すでに自分には国内の有力貴族から選んだ美しい妻がいる。

 もし愛妾を持つなら、妻以上に魅力的な女性が良い。

 自分が優れた男だと証明するために。


 マーガレットは箔をつけるに、十分な逸材である――。


「残念だな。マーガレット殿下にぜひともお会いしたかったのだが」


 青年は絵をなぞり、彼女のくちびるにふれた。

 額縁の中のマーガレットは愛をささやくことはない。


 喧騒が潮風にのり、あけはなたれた窓から流れ込んでくる。


 リカー王国のルスタージはにぎやかな港町である。

 さまざまな物資と人種が行き交う。船を操ればシラナ王国はすぐそばであり、シラナ王国とリカー王国、それぞれの自慢の品が輸出入される。

 市場では宝石から果物まで、のぞめばなんでも揃う。

 夜になっても明かりが消えることはなく、そこかしこのホテルや酒場でにぎやかな宴がもよおされている。

 騒がしいが、行き届いた街でもある。


 こうしてやんごとない身分の者がひっそりと逗留できるような、守秘義務をまっとうできる大きなホテルもある。


「第二妃では不満だったのかな、シーガン国王は」

「残念です。アシア王子は求婚者の中の誰よりも、一番の男映えでしたわ」

 蚊の鳴くようなか細い声が響く。

「君の夫には劣るんじゃないか?」


 探るような言葉に――マチルダは、落ち着き払ってこたえる。


「まさか、あのような知性のかけらもないような男」


 マーガレットの肖像画を融通した「とある人物」であるマチルダは、淡々とこたえる。アシア王子が気に入った女と戯れていても、目も背けない。

 自分は首までしっかりボタンをとめて、一片たりとも白い肌を見せるようなことはしなかった。


「父の集めた他の王配候補の条件が悪すぎたのです。あなた様が一番良い選択肢に見えるように設定したのですが、かえってそれが失敗でしたわ。もう少しマーガレット殿下のやり方を予想するべきでした」

「マーガレットを妻にするのが、正義をまっとうするためのもっとも平和的な方法だったのだが。このままではヴィア家がリカーの王家であり続けることとなる」


 マチルダは神経質そうに眉をよせる。


「そのようなことは、神が許しません。ケネス国王の血を正しくお継ぎになったあなた様なら、ご理解できるはずですわ」

「もちろん」


 アシア王子は女たちを下がらせると、ガウンを着込んだ。

 ベッドから蛇のようにするりとぬけだし、鏡台をのぞきこむ。

 青い瞳は薄まって水色のようになってはいたが、彼は間違いなくケネス国王の血を受け継いでいる。


「神の裁きは、正しくくだることになるだろう。二十年も玉座を空にしていたということは、今のヴィア家にもグレイ家にも、正しい王はひとりもいないということなのだから」


 リカー王国の貴族たちが全員不適格なら。

 よその国から、ふさわしい王が姿を現すのは当然の流れ。


「君も良い王に仕えたいだろう、マチルダ」


 マチルダはほほえみ、ささやくように言った。




「ええ。魔女の世話は、もうたくさんですの」



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