第9話 暗雲立ちこめる議会
「マーガレット殿下は国外の男と婚約はしないとの噂ですぞ」
ライオネルにそう言った財務大臣は、含んだ笑みを浮かべている。
早く着きすぎたことを、ライオネルは後悔した。
議会のはじまりまで、まだずいぶんとある。
今回の税改革についてどう国王を説得しようかと頭の中仮想議会を繰り広げているときにそういった話を持ちかけられたものだから、ライオネルは思わず呆けてしまった。
「そうですか」
「おや、ご興味がおありかと思ったのですが……」
いやなやつである。
探りを入れるようにしているのが腹が立つ。
ライオネルがプロポーズを断られたところを目撃していたくせに。
王宮の議会の間には、まだぽつりぽつりとしか人が集まっていない。
場所を移動しても良いが、なんとなくこの話題から「逃げた」ことにされるのがしゃくだったため、ライオネルは涼しい顔をしてみせた。
「王女殿下が誰を選ぶかは、国王陛下がお決めになることだ」
「いやあ、それにしても国内の男から夫を選ぶとなると限られてまいりますよ。本来ならいつも殿下に付き従っているエドマンド殿になりましょうが、彼は妻帯者でしょう。そうなると次は、ヴィア家派の若者です。ふさわしい者はぐっと少なくなりましょう」
「さあ、俺にはそういったことはよくわからないもので」
エドマンド・ラドクリフはそもそも妻の家柄を名乗っているだけで、本来は鍛冶屋の息子である。
宮廷でも彼の品のないふるまいは有名で、マーガレットが彼を重宝しているのが不思議なくらいだ。
あの悪魔的な美しさは宮廷中の女を虜にしている。
グレイ家派のものたちは「王女殿下も年頃の娘でございますからな」と吹聴しているが、そういった陰口に加わると自分の格が落ちるので、ライオネルは関わっていない。
「グレイ家派の貴族からお選びになるかもしれませんよ」
あえてライオネルを、とは言わない。
「そういうこともあるでしょう」
「それにしても、マーガレット殿下は常々ライオネル殿をよくごらんになっておられますよね。私、気づいておったんですよ。王女殿下の熱視線を。そしてここに来て、
ご結婚の話が……延期になったわけでございましょう。なにか、マーガレット殿下のひめやかなご意志を感じませんかね」
「さあ、なにも」
マーガレットが自分をよく見ているのは、言われなくとも気がついている。
議会で発言をするたびに。
廊下ですれちがうときや、王宮での祝賀行事のときも。
じっ……と、のぞきこむように、ライオネルを見ているのである。
(はじめは俺に対し、怒っているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい)
そのまなざしに不思議と敵意を感じなかった。
とはいえ、自分と似たような顔をしている女に見られていると、なんともおさまりが悪いというか、落ち着かない気持ちになるのはたしかである。
もうひとりの自分に、なにかを問われているような。
ライオネルはつとめて視線には気づかないふりを通してきた。
彼女の行動に動揺していると思われては沽券にかかわる。
たとえあさはかにも父の作戦に乗り、失敗して王位を取り逃したとしても。
さらにはマーガレットに求婚を断られたとしても。
グレイ家の尊い血はライオネルをおとしめることなどできない。
自分は今や、彼女に継ぐ――というのはしゃくなのだが――王位継承者だ。
それに、マーガレットはライオネルを無視できないはずだ。
彼女は摂政や父親に甘やかされている。
家臣たちの多くはマーガレットを立てながらも、難しい議題があればライオネルに意見を求める。国王ですらそうなのだ。
……まあ、マーガレットが今しばらく結婚しないというなら、俺にとっては安心なのだが。
彼女に夫ができれば、宮廷の勢力を変えられてしまう。
それはライオネルにとって危惧すべきところである。
(しかし、父親が死んだらどうするつもりなんだ)
女王として戴冠し――その後は?
結婚しないで誰の子を生むというのだ。
そう遠い未来ではないはずだ。シーガンに持病があるのは有名である。
マーガレットがなにを考えているのか、いまいちつかみきれないので、ライオネルは身動きがとれないでいる。
「王女殿下のおなりでございます」
摂政やエドマンドを引き連れ、マーガレットがしずしずと進み出る。
ライオネルは彼女を盗み見た。
初めて出会ったときの自信のなさが、徐々に削ぎ落とされている。
マーガレットと視線がかちあう。ライオネルはじっと、鏡のようにうりふたつの顔を見つめたが、彼女の方が慌てて視線をそらした。
――なんなんだ、いったい。
国王が現れ、挨拶を済ませるとライオネルは憮然としながら席につく。
あの女を見ると、むしょうにいらだった。
*
盗み見ていることがばれたかしら。
マーガレットは内心ヒヤヒヤとしながら、羽根ペンを動かしていた。
婚約の話はうまく流してしまうことができた。国内から結婚相手を選ぶにしても、ヴィア家派の貴族たちのなかにふさわしい男はいない。
となると、しばらく結婚できないということだ。
マーガレットは決心を新たにした。
女王として認められなくてはならない。
知識をつめこみ、立ち居振る舞いを学んでも、なにかが決定的に自分に足りないのは自覚している。
――そのなにかが、ライオネルにはあるのである。
身のうちからわきあがるような自信。
ケネス国王の正当な後継者という自負。
戦場で積んだ経験や、長らく領地の統治に携わってきたものの考え方。
すべてマーガレットにはないものである。
父のオリヴァーよりも、ライオネルは家臣たちの信頼もあつい。
そこからなにか得るものはないかと思ったのだが……。
彼のしゃべり方や所作を観察しているのが、先ほどのライオネルの視線。
とうとうばれたのかもしれない。
(ねちねち見てくるやつみたいに思われていたら、いやね……)
ライオネルがどんな顔をしているのか気になるが、もう彼を盗み見ることはやめておこう。
「今こそ、税の徴収が必要なのです。破壊された建物、橋、堤防。これらを放っておくのは国民の安全にもかかわります」
「修復のために材料や人を使うことで雇用も生み出せる」
「これ以上の増税は国民をさらに苦しめるだけ。反乱でも起こったらどうする」
「各領主がしっかりと手綱を握り――」
議会は白熱していた。マーガレットは気を取り直し、集中する。
発言はしない。不慣れな自分が意見を発することで、議会の流れが乱れるのをふせぐためだ。
それよりも知識人の意見や考え方を一度頭にたたき込む方に集中する。
もとより勉強中の身、あとでどうしても意見したいときは、教育係の男たちや父親にこっそりと意思を伝える。
手元でメモをとるが、その内容すら父の側近に注視されている。
「殿下、そのくだりに控えは不要であるかと」などと、口うるさくささやいてくる。笑顔で流しているが、こういったとき、マーガレットは腹だたしい。
「失礼。発言をしても問題ないですか?」
手をあげたのは、ライオネル・グレイである。
彼の父のオリヴァーは病気を理由に、めったに王宮に姿を見せることはない。
仮病であるというもっぱらのうわさだ。
戴冠を逃し、家名に泥をぬられたと大層立腹しており、国王シーガンの顔を見るのもいやだとか。
噂の真偽は定かではないが、現状は仕事のすべてを息子のライオネルにたくし、古城で隠遁生活を送っている。
マーガレットは彼の方を見た。
青い瞳とまたしても視線がかちあい、あわてて視線をそらした。
「増税はリカー王国全体で行う予定ですか? 地域をしぼって段階的に行ったほうがよろしいのでは。損害がひどい地域ではその周辺の町や村々で手分けして」
シーガンは首を横にふった。
「それでは国民たちが税の徴収のない地域へと逃げ出すだけだ。人頭税を減らそうと、子どもや老人を隠すようになる。行方不明者が出れば治安も悪化する」
「ひとりにつきひとつ、畑を持たせてやったらどうです。相続税が払えず畑を手放す農民が続出している。いったん相続税の支払いを免除して、畑を与えてやれば良い。その後収穫物を納めさせるのです。元々文無しの農民たちならば、税を払わずにすむならと納得するでしょう」
「若い男手が足りない。ひとりにひとつでは畑を耕しきれない」
ライオネルとシーガンの意見は平行線である。
「マーガレット。どう思う」
めずらしくシーガンが自分に水を向けた。
マーガレットは少しためらってから口を開いた。
「若い男手が足りないのは事実です。多くの若者を徴兵し死なせてしまった。そもそも相続税が満足に払えないのも、働き盛りの男が消えてしまったことが大きな要因のひとつ」
みなが難しい顔をする。戦争で男では減り、広大な畑を女子どもだけで耕すのはもはや不可能となっていた。
ライオネルは小さく息をついた。
「王女殿下の言うことも、一理はあるでしょう」
もったいつけて続ける。
「しかし国王陛下の計画を実行にうつすには、抜本的な税改革は必要です。農業を推進しそこから地代を回収すれば食糧問題も解決し一挙両得かと思いましたが――それでは、これはいかがでしょう」
税のことは多くの家臣たちがはっきりと取り決めたいと思っていたものの、なかなか着手できない問題であった。国の荒れようを認識した上でさらに課税するとなれば、国民に嫌われるのは必至。誰もが言い出しっぺになりたくない、嫌われ者になりたくないのだ。
ライオネルのくちびるからこぼれでる策に、責任を負いたくない家臣たちは集中した。
「パン焼き釜に税金を払わせるのです。どこへ逃げだそうとパンを食べないわけにはいかない」
――思い切った策に出たわね。
マーガレットは、自信に満ちあふれるライオネルを見やる。
意気地のない年上の大臣たちをながめる彼は、なぜもっと早くこれに着手しないのだ、と言わんばかりだった。
「王女殿下は、どのようなお考えで?」
国王ではなくマーガレットにたずねる。
彼はあきらかにマーガレットを挑発していた。
大臣たちは息をのむ。
摂政のムーアがマーガレットの代わりに返答しようとしたのを、彼女はおさえた。
「パン焼き釜への課税は、国民への負担が大きいと思います」
リカー王国の主食はパン。
このパンを手に入れるためには、まず小麦粉を購入し各家庭でパンたねを作る必要がある。
そのパンたねを公共施設や教会の所持する釜へ持ち込み、各自で焼く。各家庭にパン焼き釜がないのだ。
「大陸の国々ではパン焼き釜に課税している地域もある。特段珍しいことでもない」
「しかし、それはある程度食糧事情が安定してからでもよいでしょう。パン焼き釜を使うたびに税を徴収されれば、国民の反感を買います」
「あくまで一度の利用につきわずかな使用料を徴収するだけ。地代をあげられるよりましでしょう。それよりも崩れかけの橋や建物を放置しておくほうが危険だ。国民もそのための徴税だといえば納得してくれる」
「……せめて、物を変えるわけにはいきませんか。葡萄の圧搾機などに」
パン焼き釜に税をかけるのは、最終手段にしたほうが良い。
ほんのわずかな税だって払えない人は大勢いるのだ。
修道院にいたときは、週に二度の炊き出しで命をつないでいる者もいたのである。パンが食べられなくなったらどうなるか……。
「葡萄の圧搾機でしたら、主に使用するのは収穫期のみ。比較的反発も起こりにくいですし、葡萄畑を持つ者は裕福な者たちです。まったく払えないということはないでしょう」
「甘すぎると思いますが」
ライオネルは、冷たい視線をおくってくる。
マーガレットは逃げ出したくなった。
彼のあの表情がとてつもなく苦手だ。他の人間に敵意をむきだしにされても、いやな気持ちにはなるが、逃げてしまいたいとは思わない。
求婚を断ったから、グレイ家は信用ならないから――。
言葉で説明しようとすると理由はさまざまではあるが、そのどれもがしっくりこない。
ただ、認めたくはないけれど――本能的に畏怖しているのかもしれない。
ライオネルは、いつもマーガレットをまっすぐに見つめてくる。それが好意であったことはもちろんない。彼はヴィア家をうらんでいるはずである。
(彼の視線は苦手……)
なのにライオネルを目で追ってしまう。
今も、糸で縫い止められたかのように彼のまなざしから逃れられなくなってしまう。
これはいったいなんなのだろう。
ライオネルはそんなマーガレットなどおかまいなしに、発言する。
「それでは税を取る期間が極端に短くなる。公共施設や橋の修繕にはもっと長期的な取り立てが必要で――」
「わかっています、グレイ公。だからこそ一度圧搾機でどの程度の税収入が見込めるのか、試してみては。初めての制度には必ず問題がつきまといます。圧搾機に税金をかけたときの徴収具合を見て、制度の不備を洗い出してみてはいかがでしょうか。パンは国民の生命線です。せめて最後の手段として残しておいた方が良いと思うのです。修道院では貧しいかたがたのために、週に何度かパンとエールを配りました。ですが、どこの修道院もぎりぎりの経営です。本当は葡萄酒をふるまいたいのに、それができないのです。パンすら与えられなくなったら国民たちは神をも信じられなくなってしまいます」
マーガレットの言葉に、固唾を呑んで見守っていた大臣たちはうなずいてみせた。
「さすが王女殿下。国民に寄り添うお優しいお心をお持ちだ」
「パン焼き釜はさすがにひどいと私も思っておりましたよ」
「制度の不備を洗い出しておくのは必要ですな」
家臣たちのあからさまな持ち上げかたに、辟易してしまう。
マーガレットはそれを顔に出さぬようにつとめる。
マーガレットがとりあえず無難な案を出したし、いずれ税金が足りなければライオネルの案に乗っかれば良い。
なによりマーガレットをたてておけば自分の立場は問題ないと思っているのだろう。
ライオネルの様子をこっそりとうかがうが、彼は憮然とした表情だ。
ライオネルはいつも、感情が顔に出やすい。
(他の大臣にももっと案を出してもらえないといけないのに……。私とライオネルだけでは……。それにこんな風に採用されてもちっともうれしくない……)
シーガンはうなずき、マーガレットの案を採用した。
「良いだろう。ちょうどひとつき後には収穫期だ。まずは葡萄の圧搾機から段階的に税を徴収しよう」
議案がまとまり、大臣たちは席を立つ。
このあとは昼餐もかねての、各地の現状報告会だ。ぞくぞくと家臣たちが食堂へ移動する。
マーガレットはいつも会議の後は議事録をまとめることにしているため、部屋に残る。
ライオネルはみなが出て行くのを辛抱強く待ってから、彼女のそばで立ち止まった。
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