第21話 朝のひととき


「女王陛下。おかしな男を拾われたとのことですが」


 マチルダが櫛を動かすたびに、髪がひきつれて痛みを伴う。

 マーガレットは鏡台の上のガラス小瓶に目をやった。


「香油は使わないの? マチルダ」

「大変。失礼いたしましたわ、陛下」


 マチルダは香油を手のひらに垂らし、マーガレットの髪や頭皮をもみこんだ。


「ライオネル・グレイは兵をあげたとか……。そんな時に出自不明な男と接触するなど、あまりにも危険すぎます。御身を大切になさってください」


 小さな声でささやくように、マチルダは注意をする。


「わかっているわ。でも怪我人を助けるのは当然のことでしょう」


 セシリオは王宮の医務官に頼み、離宮で休ませている。

 厳重な見張りつきで逃亡のしようもないことであきらめたのか、大人しいものらしい。

 セシリオが国際指名手配されている以上いずれは大陸に引き渡す必要があるだろうが、輸送中に死なれてもまずい。

 全快するまではリカーで身柄を預かることになるだろう。


 ――それに、彼とは取引を考えている。


「陛下。私は心配なのです。ご無礼を承知で申し上げます」


 マチルダは静かに続けた。


「……ライオネル・グレイに王冠を渡してしまうことはできないのでしょうか?」


 マーガレットは振り返った。

 マチルダは驚き、櫛を取り落とす。


 かつん、という音がやけに大きく響いた。


「申し訳ございません、ですが陛下に万が一のことがあったらと……降伏すれば、ライオネルも命をとるようなことはしないでしょう」


 マーガレットの怒りをまじえた視線を感じ取り、マチルダは涙をこぼした。

 肩をふるわせ、ひざまずくようにして謝罪する。


「大変な失言をいたしました、女王陛下。陛下の安全を思えばこそで、他意はなかったのでございます。美しい盛りの女王陛下が、戦場で命を落とすなどあまりにもむごいこと。私は耐えられそうにございません」

「王冠を渡すことはできないわ、マチルダ。――今度のことは、誰かに仕組まれたことよ」


 櫛を拾い上げようとする、マチルダの動きが止まった。


「誰か……とは?」

「おそらくライオネル……と考えるのが自然でしょうけど」


 どうも彼らしくないやり方である。

 しかし状況を考えるに、ライオネルが仕組んだ、あるいはライオネルの家臣が実行したと考えるのが自然だ。

 彼を拒絶したときの傷ついたような顔――今でもあざやかにうかびあがる。


 鏡にうつる自身の姿がゆがみ、青い瞳と白い肌を持つ、そっくり同じようなライオネルの顔に変わる。

 彼はマーガレットを責めるようにして、こちらを見ている。


 マーガレットは否定した。

 私が見ているのは鏡だ。ライオネルではない。

 しっかりしなくては。


「卑怯な手を使われて降参するなんてできないわ。お父さまは命がけで戦った。たしかに国王として在位できたのはほんのわずかな間、その実力を出し切る前に亡くなられてしまったけれど、娘の私が父の遺志を継ぐわ」

「……さようでございますか。陛下のお覚悟を聞いて、私も身を引き締めなければと思いましたわ。泣き言ばかり言って、申し訳ございません」


 マチルダはほほえんだ。


「ご立派なお心映えです」

「ありがとう」


 マチルダの、うっすらと開いたその瞳が、残酷なほど冷え切っていることにマーガレットは気がつかなかった。


「神のご加護がありますように」


 マチルダはそう言うと、マーガレットの髪をことさらきつく結い上げた。


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