ジギタリスの女王に忠誠を ~修道院の王位継承者~

仲村つばき/富士見L文庫

プロローグ



 彼と初めて会ったときのことを、今でもよくおぼえている。



 聞きしに及んでいたその存在が姿を現したとき、稲妻に打たれたような衝撃が走った。


 ライオネル・グレイと名乗った男は、水面に映った己のようだった。私たちはよく似ていたが、何もかもが違っていた。彼が触れればふたりの境界線はたちまち泡立ち、私の存在は朧げになってしまうに違いない。


 ――そう、本物は「彼」の方である。


 黒髪の隙間からのぞく、つり目がちの青い瞳。視線は突き放すように冷たく、こちらを軽蔑しているようでさえあった。


 彼の態度に、不満と尊大さがあらわになる。田舎者のくせにその椅子は生意気だとも言いたいのであろう。


 私とて望んでたいそうな場に身を置いているわけではない。叫んでやりたいが、くちびるを引き結ぶ。

 国王となった父の隣、王妃の代わりに座するのは娘の私の役割だ。


 謁見の間で、ライオネルは朗々と言った。


「ワースの地では、お助けすることが叶わず誠に申し訳ありません。ひどい嵐で船を進めることは不可能でした。国王陛下」

「そちらの勢力には期待していたのだがな。お父上は?」

「いまだ病に伏しており……」

「まことに残念なことだ」


 ライオネルは背を正す。

「非礼を心よりお詫びいたします。家督を継いだ私が父に代わり陛下に忠誠を誓います。恐れながら、ヴィア家の陣営はいまだ盤石とは言いがたい。お力になりたくはせ参じた所存です。我がグレイ家と同盟を」


 言葉にしながら、彼の頬が紅潮する。内心はどう思っているのだろう。ヴィア家を見下しているはずだ。嵐さえなければ――それが彼の言い分。嵐さえなければ、どちらが王冠を手にしていたと?

「同盟か。ワースの戦いで、遅刻してきたグレイ家と?」


 父の言葉は、ライオネルの誇りを傷つけたようである。

 ライオネルはしばし肩をふるわせ、ふりしぼるようにして言った。


「共にケネス国王の血を受け継いだ者同士、魂はひとつです。くどいようではありますが、嵐さえなければ、ワースの地で必ず我が陣営は活躍できたはず」


 そう、嵐さえなければ王冠はライオネルのもの、あるいはライオネルの父親のものであったのかもしれない。

 ヴィア家とグレイ家。共に建国の王の血を継ぐ家柄。どちらが王冠を手にしてもおかしくはない。運命のいたずらが、玉座をヴィア家の象徴、ジギタリスの紫に染め上げただけのこと。


「陛下の治世を盤石なものにするべく……。また国内の平和のためにも、マーガレット殿下」


 ライオネルは私に向き直った。


「俺を夫に」


 そうくると思っていた。彼がわざわざ……十年も前は「格下」と言って憚らなかったヴィア家にひざまずくのは、取りこぼした王冠を拾い上げるためだと。

 マーガレットは、きっぱりと言った。



「お断りいたします」



「マーガレット」

 早急すぎる、と言いたいのだろう。父のとがめるような物言いに、だがマーガレットは断固として言葉を重ねた。



「あなたと結婚するつもりはありません」



 ライオネルは片眉をあげる。その端正な顔に、不快の色があらわになる。


 この男は、本心を隠せない性質らしい。まだ十八歳、致し方のないと言われればそうなのであろうが、十六歳のマーガレットはすでに怒りをおしこめることができる。

 退屈な説教を耐えるときのように、マーガレットは目を細め、じっとライオネルの反応を待つ。


「さすがは修道女の王女殿下だ。神と結婚されているので、俺の求婚は受け入れられないと?」


「すでに還俗しました」


 マーガレットは、父の戴冠とほぼ時を同じくしてベールを取り、豊かな金髪をあらわにしている。彼と視線がぶつかりあう。そっくり同じ色の、青い瞳。そう、私たちには同じ祖先の血が流れている。互いにつり目がちの冷たい顔立ち。兄妹と説明しても、通じてしまうかもしれない――心のすみで、そう思った。


 ライオネルの魂胆はわかっている。国王である父の子は私ひとりしかいない。マーガレット・ヴィア・リカー。王位継承権第一位は、この私だ。


「偽王との戦いのとき、グレイ家はいつまで待ってもこちらにひとりの援軍も寄越しませんでした。嵐が去った後、ようやくあなたが現れたのが父の戴冠の後。宮廷の混乱をまとめるために、ひとりでも多くの人手が必要だったというのに。もっと早くに顔を見せるべきでした」

「お言葉はもっともですが、父の具合が悪く……」

「グレイ家は、信用なりません」


 周囲の家臣たちは安堵したようにため息をつき、ざわめき、それぞれにマーガレットを見つめた。ヴィア家がようやく王位を手にしたのだ。今更のこのこと現れたグレイ家に大きな顔をされてはたまらないのだろう。

 彼が夫になれば、マーガレットからすぐさま王冠を取り上げるはずだ。


「偽の国王を倒すため、ヴィア家とグレイ家が共に戦うことを、我々は望んでいたのだがな。ライオネル」


 内心とは裏腹に、父王は残念そうに言う。

 ライオネルを徹底的に邪険にすることは不可能なはず。王位の正当性において軍配があがるのは、血筋をたどればライオネルの方だからだ。戦いに不参加であったことにたいするわずかな責任を、一部の領地の没収というかたちでかたをつける。


 だが、この采配にも気を配らなければならない。マーガレットにとっての脅威は、ライオネルだけではないのだ。


(周囲は敵だらけ。父が王位を手にしたときから)


 彼女の運命はそのときに、徹底的に塗り替えられた。

 次期女王として側近たちの傀儡となるか、それともこのライオネルの妻になり、王位を明け渡してしまうか。


 ただの、つまらぬ修道女だった私が――。

 自分をにらみすえるライオネルを前に、マーガレットは過去の記憶に想いを馳せていた。



 まだまっさらであった、己の少女時代に。



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