第8話「魔神」

 顔だけでなく、手も足も、そして体も、魔物そのものであった。


(なんで……。なんでこんなことに……)


 考えてみれば、記憶があいまいだった。村人に追われて、逃れるために崖から飛び降りた。なんとか大怪我をせずに済んだが、そこで5メートル以上ある魔物と遭遇したはずだ。

 魔物が巨大な剣を振り上げて、死を覚悟したことは覚えている。しかし、それからどうして野原を歩いていたのか、まるで記憶になかった。

 ずっと妙な違和感はあった。どうやらそれは、自分が魔物になったからのようだった。体が重く、動きづらく感じていたのは、怪我をしていたからではなく、慣れない魔物の体を動かしていたから。いきなり手足の長さが変わっても、うまく脳が順応できないのだ。

 途中、村人と出会ったが、小さく見えたのは、自分が大きくなっているからだろう。

 それに、草が生い茂っていると思っていたのは森だった。木々をかき分けながら歩いているのだから歩きにくいわけだ。顔を洗った小川も、まったく小さくない。人間なら渡るのに苦労しそうな大きな川だ。

 自分の見てきたものが、すべてウソだったようで愕然とする。

 認めたくはないが、認めるしかないようだ。改めて、自分の体をよく観察してみる。

 高さは5メートル以上、黒くまがまがしいボディ。体は金属のように硬質な外殻で覆われ、さながら鎧になっていた。

 頭には大きい角。長く伸びた尻尾。ドラゴンのような、大きく広がった翼を持つ。

 そして、背中には長さ3メートルはあるだろう、極厚の大剣を背負っている。


(魔神だ……)


 自分の姿を形容するには、魔神という言葉がぴったりだった。

 自分自身が化け物になっているのを、どう捉えていいのか分からなかった。それは嬉しいことなのか、悲しいことなのか。それとも、恥ずべきことなのか。

 こんな姿を他人に見られたら、恐れられるのは間違いない。現に人間たちはこの姿を見て逃げ出していた。当然、両親や友達に見せられるものではない。両親が与えてくれた体を失ってしまったのは、申し訳なくも思う。

 一方で、体はかなり自由に動くようになっていた。元々は足を撃ち抜かれ、全身を強打していた。いつ死んでもおかしくない状態だったのが、今ではすっかり良くなっている。そう考えれば、新しい体を手に入れたのは喜ぶべきことなのかもしれない。


(と言ってもな……)


 この世界に自分が呼ばれたのは、女神として魔王を倒してほしい、という話だった。それなのに、今では自分が魔神になっている。本末転倒にもほどがあろう。


「おや、見知らぬ魔物がいると報告を受けて来てみれば」


 上空から声。

 翼の生えた人間のよう。それには見覚えがあった。村を襲った七将ボリスであった。


「見慣れぬ顔だな。貴様、何者だ? 誰に仕えている?」


 冷静そうに見えて、強い怒気を込めている。


(ひっ……)


 アンリは思わず後ずさりする。


「ここは我の領域だ。出て行ってもらおう」


 そう言うとボリスはエネルギーの塊のようなものを、アンリに投げつけてきた。魔法だ。


(いきなり!?)


 「話せば分かる」と言う暇もなく、問答無用に攻撃を仕掛けてきた。

 アンリは思い切って横に飛ぶ。

 魔法は地面に衝突して爆発する。

 アンリは攻撃そのものを回避していたが、爆風に吹き飛ばされてしまう。


「ああっ……」


 地面はクレーターのように大きな穴が空いている。村の広場を吹き飛ばしたものと同じだった。


「これが魔法……」


 見上げると、ボリスが次の魔法を放とうとしているのが見える。


「逃げなきゃ」


 そう思うが、相手は上空から攻撃してきている。いったいどこに逃げればいいのか。

 再び魔法が放たれた。

 アンリは巨体を操って、全力で走って逃げる。かなり馴染んできているが、元の体より鈍重なのは間違いないようだ。

 アンリの動きは直線的過ぎた。逃げる方向を予測して放った魔法が直撃してしまう。


「きゃあああーっ!!」


 大爆発が起き、激しい衝撃に体が揺すぶられる。

 アンリは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。


「なんだ、他愛もない」


 勝利を確信したボリスは、次の魔法を撃つのをやめて、地上へと降りてくる。


「なんだとっ……」


 黒焦げになっていると思われたアンリの体は、まったくの無傷だった。


「くっ……ううっ……」


 頭がくらくらする。アンリは頭を振り、ゆっくり起き上がる。


「あれ……」


 眼下にボリスがいた。

 思ったよりも小さく見える。

 それもそのはず。ボリスは3メートル程度だが、魔神となったアンリは5メートルあるのだ。


「死ぬかと思ったけど……」


 アンリは肩や足を動かして、怪我していないかは確認する。まったく問題ない。本当に自分の手足のように可動する。

 この魔神は鎧を着ているような見た目通り、かなり耐久度があるようだった。


「こんな奴、知らぬぞ……。どこの手の者だ……。何をしにここに現れた……」


 アンリのそばでボリスが動揺している。

 自分より小さい者が慌てている姿は、とても滑稽に見えた。そして、なんだか弱そうで、全然怖くない。


「いける気がする……!」


 アンリは大きく振りかぶって、ボリスにパンチを叩き込む。

 あのときとは違う。パンチはボリスに直撃。ボリスは吹き飛ばされ、森の木々にぶつかる。木々は頑丈なボリスの体に当たって、次々にはじけ飛んでいく。


「へっ……」


 思っていたものと違う。いや、思った以上のとんでもない力でびっくりする。これが自分の力なのか。本当に魔神になってしまったのか……。


「ククク……。名無しの悪魔と思い、侮っていたようだ……」


 ボリスは翼を使って跳躍し、森から一気に飛び出してくる。

 そして、アンリの前に戻ってきた。

 アンリは身構える。


「何者か知らぬが、魔将クラスの実力と認めよう。はああああーっ!!」


 ボリスが気合いを込めると、体のあちこちが盛り上がっていく。筋肉が爆発するかのように膨張していく。

 華奢なボリスの体が筋肉で包まれていき、どんどん大きくなっていく。


「え、えええ……」


 体は5メートルを超え、アンリの背を追い越してしまった。

 巨体となったボリスは、悪魔というよりも、鬼だった。血のように赤い体がよりまがまがしく見える。

 これがこの世界の魔法の本質だ。物理法則では、物の質量は決して変わらないため、巨大化はあり得ない。しかし、魔法によって補うことで質量は膨れ上がり、巨大化を実現している。


「いくぞ」


 そう言うと、極太になった腕でアンリの腹を打った。


「うぐっ!!」


 にぶい衝撃が走る。

 堅い外殻を通り越して、振動が体全身に伝わっていく。

 アンリは思わず、膝をついた。


「これは返礼だ。さあ、剣を抜け。もはや手加減はせぬ。真剣勝負といこう」


 ボリスの初撃は、殴れたから、わざわざ殴り返したというものだった。

 戦いを戦いとして楽しんでいるのだ。わざわざ相手に時間を与え、正々堂々と強者同士の戦いを望む。


「剣……」


 そうだった。この魔神は大剣を背中に担いでいた。

 手を回して、大剣をつかむ。

 ものすごく重いかと、用心してつかんだが軽かった。3メートルほどの長さに、極厚で頑丈そうな大剣。見た目に反して、片手でも振るえそうな軽さだった。


「これなら」


 剣の素人であるアンリにも使えそうだった。重くて振り回せないようであれば、むしろ使わないほうがいい。

 先手必勝。アンリは大剣を振り上げ、ボリスに斬りかかった。

 しかし、ボリスはひらりと身をそらしてかわし、大剣は豪快に地面に激突する。地面が砕け、破片が舞い上がる。


「すごい……」


 剣の威力に驚くアンリ。

 ボリスがその隙を逃すはずもなかった。回避した動きからステップを踏んで、回し蹴りを放ってきたのだ。

 アンリの腹部に直撃、アンリは転倒する。

 そしてボリスは飛び上がって、増加した自重を使ってアンリを踏み潰そうとする。

 アンリは衝撃から回復しておらず、反応できなかった。ボリスの接近を見た瞬間には踏み潰されていた。

 巨大な足で地面に押しつけられる。


「ぐふっ……」


 直接殴りつけられている以上、どんなに厚い鎧を着たところで、ダメージをゼロにすることはできない。

 アンリは地面に沈み込む。

 ボリスはグロッキー状態のアンリを軽々と持ち上げると、ぽいっと放り投げた。

 アンリは受け身を取れず、そのまま地面に激突してしまう。頭から落ちたため、ひどい衝撃がアンリを襲う。

 同格のボディを持っていても、戦闘力は天と地の差があった。ボリスは戦闘を生業としているが、アンリはただの女子高生。当然の結果だ。


「……なんで……こんな目にばかり遭うのよ……」


 己の運命を呪って、アンリはその大きな手で土を握りしめる。

 人間であれば、とっくに死んでいた。この悪魔の体を手に入れたのは幸運かもしれない。けれど、殺される運命は変わっていなかった。

 突然、体が吹き飛ばされる。

 ボリスが魔法を放っていたのだ。アンリはされるがままに宙に浮かび上がり、無様に地面に投げ出される。

 痛い、痛い、痛い……。苦しい、苦しい、苦しい……。

 アンリは心の中でうめくが、無情にも魔法は続けざまに飛んでくる。

 爆発のたびにアンリの体は跳ね上がる。これはもう遊びだった。アンリが地面につく瞬間を狙って魔法を放ち、地面につかぬよう打ち上げている。

 もはやどっちが上か下かも分からない。腕や足がもげているのではないかと思うぐらいに痛い。連続攻撃に対してできることはなく、ただ耐えることしかできない。

 しばらくして攻撃がやみ、アンリは久しぶりに地面と再会した。

 周囲は魔法の爆発でボコボコになり、地形がさっきとはまるで違うものになっている。ミサイル爆撃か、戦車戦後の戦場のようだ。


「お、終わった……?」


 顔を上げると、ボリスが悠々と近づいてくるのが見えた。手には魔神の大剣を持っている。


「馬鹿な……」


 勝利の微笑みをしているかと思ったら、そうではなかった。ボリスは顔をゆがめている。


「傷一つないだと……。あり得ん!」


 驚いたのはアンリも同じである。アンリとしては満身創痍のつもりだった。しかし、ボリスの言うようにちゃんと手足はくっついていた。体にも傷がない。

 アンリはもうろうとする意識の中で、ふらふらしながらも体を起こす。


「貴様はいったい何者なのだ……」


 ボリスの顔は怒りで引きつっていた。自分の攻撃を受けて無事な魔物の存在が許せないのである。彼の高いプライドを傷つけている。

 ボリスは魔神の大剣を逆手に持ち、アンリに向けて突き入れる。


「ぐがああっー!!!」


 アンリは体をよじって剣をかわしたはずだった。しかし、左腕をかすっていた。

 左腕から青い血液が噴き出す。

 剣は魔神の堅い外殻を貫いたのである。


「はっ、はっ、はっ、はっ……」


 これまで感じたことのない激しい痛みに体が反応して、呼吸が荒くなる。

 アンリは傷口をふさぐように、左腕を押さえる。


(あの剣、どうなってるの……)


 ボリスの攻撃では傷つくことがないと分かったが、あの剣は違う。魔神の持っていた大剣はすさまじい威力を持っていた。

 このまま攻撃を受け続けるようなことがあれば死ぬ。


(逃げなきゃ。でも、どうやって……。あっちは空飛べるというのに……)


 そこでアンリは気づいた。

 自分にも大きな翼が生えているではないか。その事実は知っていても、なかなか自分の体の一部だとは認識できないものだ。

 ボリスは剣を振り下ろそうとしている。


「いやあああーっ!!!」


 アンリは気合いとともに、翼を羽ばたかせるイメージを意識する。すると、翼が大きく広がり、羽ばたき始めた。

 強風が巻き起こり、アンリは一瞬にして空に飛び上がっていた。


「飛べた!?」


 ボリスは強風によって吹き飛ばされていたが、空中で姿勢を立て直す。翼を羽ばたかせ、急接近してくる。


「逃がさんぞぉぉー!!」


 ボリスは怒りで我を忘れ、一直線につっこんでくる。


「動いて! 動いてってば!」


 空を移動しようとするが、思ったように動いてくれなかった。


「ダメ、来る……!!」


 次の瞬間には突き刺されていた。

 強固な外殻を突き破り、胸には大剣が刺さっている。

 声は出なかった。

 耐えきれないほどの痛みが発生している。それを察知した脳が信号をストップさせた。痛みとともに、アンリの意識もストップする。

 ブラックアウト。

 アンリは揚力を失い、地面へと落下していく。

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