第3話「ドロテア」

 村長は休憩できる家を提供してくれ、ドロテアという少女を案内役として提供してくれた。

 町並みは1、2世紀ぐらい前のヨーロッパのようだった。電気は通っていないようだが、建材はレンガに加えて、コンクリートが用いられている。

 案内された家も、現代と比較すればかなりレトロだが、こぎれいにまとまっていて、ちゃんと家として認められるレベル。掘っ立て小屋のようなものでなくて、アンリはほっとした。


「さっきは大変失礼をしました。申し訳ありません……」


 ドロテアは深々と頭を下げた。

 小さい体がさらに小さくなっている。


「いいのいいの。気にしないで」


 大男につかみ上げられる恐怖はかなりのものだったが、理解できるし、もはや過ぎたことだ。

 それより、ドロテアは同じ年頃だったので、村長やスタファンと違って、ちゃんと会話ができそうなのがうれしかった。


「ところで、元の世界に戻る方法とか、あったりするのかな?」

「元の世界? 天界ですか? どうなんでしょう。私には分かりません」


 何も言わず一人この世界に来てしまい、両親や友達のことが心配だが、この世界が自分のいた世界と地続きとは思えない。帰る方法を聞きたかったが、本当に知らないようだった。

 女神のいた天界に戻る方法を知らなければ、当然、アンリの世界に戻る方法なんて知るはずがない。


「だよね……」

「大丈夫ですよ。女神様が記憶を思い出されたときには戻れますって」


 にっこり満面の笑みで答えられ、アンリは困ってしまう。


(たぶん、そんな記憶ないと思うんだけどなぁ……)


 本当に記憶喪失で、実は本物の女神なのかもしれない……と思えるはずがなかった。


「そういえば、ここはどういうところなの? 王都がどうのって言ってたけど」

「王都からだいぶ離れた辺鄙な村です。人も多くないですし、あんまり発展してません。でも、この村は勇者が晩年過ごしたところなんですよ」

「勇者? 魔王を封印したっていう?」


 ドロテアの顔がぱっと明るくなる。


「はい! 勇者は魔王を倒したあと、王都に凱旋して王位を譲られることになったのですが、それを断り、この村で静かに暮らすことにしたんです!」

「へえ? 英雄なのに欲がないんだね」

「魔王の復活に備えたからだと言われています。このウルリカは、王都に比べればかなり小さいですが、武術や武芸が盛んで、良質な兵士を生み出す村として知られているんです!」


 勇者はこの村の誇りのようだ。


「さきほどのスタファンさんも、精鋭100人にも劣らない力を持っています。しかし、村の守備にも手を回さなければいけなかったので、魔物とは戦えませんでした……」


 ドロテアは一転して、しゅんとした感じで言う。

 本当ならスタファンも七将に挑む資格のある実力者だが、メンバーから外れてしまった。それが幸か不幸かスタファンは生き残ってしまった。きっと悔しいのだろう。仲間の仇を討ちたい思いから、あんな暴挙に出たのかもしれない。


「そっかぁ、すごい村なんだね」


 アンリは、部屋に運び込まれた大量の貢ぎ物のうち、リンゴをつかみとる。そして、力を込めてみたが、リンゴはまったく潰れなかった。


(異世界に来たら怪力になってる、とか都合よくないか……)


 魔王を倒した勇者の村。そこに召喚された女神。実は自分では気づいていないすごい力があるのではないかと思ったが、やはりそんなわけなかった。


「私もこれでも、銃使うのうまいんですよ」


 ドロテアがてへっと、いたずらっぽく笑う。

 年相応の女子学生らしい言い方だったので、一瞬気づかなかったが、すごいことを言われたのに気づく。


「銃? ドロテアも戦うの?」


 ドロテアは自分と年がほとんど変わらないように見える。女性兵士は現代でも存在するが、こんなに若くはないだろう。

 小柄のドロテアが魔物と戦う姿は想像できなかった。


「もちろんです。銃を持てば誰でも兵士になれますから」


 魔物との戦いは、子供を戦場に送り込むほど過酷のようだった。人間同士との戦いであれば、子供の命は見逃してくれることもあるだろうが、魔物は違う。まったく別の種族に対して、情けも慈しみもない。

 アンリには、写真で見た紛争地帯の子供が思い出される。体ほど大きい銃を抱えている少年、少女たち。戦わなければ生きていけないところに彼らは生きている。この世界の人たちもそれと同じなのだ。


「戦力は? それに魔物はどれくらいいるの?」

「今、この村でちゃんと訓練を積んだ者は30人ぐらいです。戦える者全員合わせれば300人ぐらい……」


 戦える者とは、女子供、そして老人のことだ。怪我人や病人、年端もいかない子供など戦えない者を除いた、この村の人口が300人なのだろう。


「七将ボリスの率いる魔物は1000だと言われています……」

「3倍……」


 数だけで3倍差がある。実際には、ボリスが精鋭100人以上の力があるということだから、戦力ではもっと開きがある。


「援軍は? 他のところから応援呼べないの?」

「呼べないことはないですが……」

「ですが……?」

「どこも苦しい状況で、勝ち目のない戦いに兵を出してくれるかどうか……」

「ああ……」


 さっきスタファンが言っていたことを思います。ボリスをなんとかすれば、他の村と協力することで戦える、と。しかし、問題はそう簡単ではない。

 魔物の大軍が押し寄せてきて、この村が最前線となっているが、まだ危険が差し迫っていない村にしてみれば、これはよそ事なのだ。ウルリカ独力で魔物を倒してくれればそれでよし、負けるにしても時間を稼いでくれれば、その間に戦う準備を整えられる。兵を貸さなくはないが、勝ち目のない戦に出しても無駄な消耗となってしまう。そういうところだろう。


「逃げることはできないの……?」

「できますが……逃げたところで状況は苦しくなるだけ……。少しずつ追い詰められ、戦力を削り取られてしまいます。……それに、みんな、この村に大切な人がいます。その人たちを守るために戦わなくちゃいけないんです。私も小さい弟たちがいて、あの子たちが安全に暮らせるようにって思ってます」


 アンリは痛感した。生きている世界が違い過ぎる。現代日本でそこまで切羽詰まった生活をしている人はいない。


(これが戦争なんだ……)


 戦争は軍隊の兵士たちがやってくれる。自分とは関係ない。そう思えるのは当事者ではないからだ。しかし、自分の村が戦争に巻き込まれたら一変する。村を守るには自分で戦うしかない。


「なんとかならないのかな? ミサイルとか魔法とかで、一発逆転できたりとか……」

「ミサイル? それはよく分からないですけど、人間が魔法を使えたって話は聞きません」

「魔法自体はあるの?」

「はい。魔物は皆、魔法を使うと言います」

「え? なにそれ、ずるいっ!」

「ははっ……ずるいですよね。魔物自体が魔法みたいなものなんですよ。存在するはずのない者が存在するために、魔法が機能してるんだそうです」

「どういうこと?」

「例えば、スケルトン、骨だけの魔物です。当然、動物は骨だけでは動くことはできず、形を保つこともできません。けれど、筋肉や血の代わりに魔法を使うことで、スケルトンは人型の形状を作り上げ、生物のように動くことができるんです」

「はぁ……なるほど……」


 考えたこともなかった。

 空想上の生き物は現実では生きられない、または実用的でない体をしているから、この世に存在しないのである。その構造的な欠陥を魔法が補えば、この世に存在できる、という話のようだ。


「口から火を吐く魔物もいますが、それも一種の魔法と言えますね」

「呪文唱えたりとかは?」

「呪文? ああ、自称魔法使いの人間が何かお題目みたいなの唱えてますね。たぶんインチキです」

「インチキなんだ……」


 どうやらこの世界の魔法は、自分の知っているものとは異なる大系のようだった。そもそも魔法なんてものは存在しない。


「でも、そんな魔法でできてる魔物とどうやって戦うの? やっぱ剣とか?」

「スタファンさんのように剣で戦う人もいますが、今ではわずかです。剣の扱いは一朝一夕には習得できないですし、優れた体格でないと魔物を倒すには至りません」

「そうなんだ……」


 剣でゴブリンを倒してレベル上げをする展開はなくなったなと、アンリは思った。


「今の主流は銃です」


 そう言うとドロテアは背負っていた筒状の袋から、銃を取り出した。

 すごいでしょ、という顔で見てくるが、アンリにはすごさが分からなかった。銃に詳しくないのもあるが、その銃が古くさいのである。

 アンリの知っている銃は、黒いカーボン製の最新銃である。映画でハリウッドスターが使っている。

 しかし、ドロテアの銃は木製。木製の銃を出されては、火縄銃? と言いたくなってしまう。もちろん木製と言っても、銃身や主要部分は金属になっている。


「最新式なんです。これまで一発ずつ、弾込めしなければいけなかったんですけど、クリップに弾を束ねたことで、一度に五発も装填できちゃうんですよ!」


 ドロテアは得意げに語る。


「そうなんだ。すごいねー」


 言っている意味は分からないが、とりあえず相づちを打つアンリ。


「ちょっと触ってもいい?」

「どうぞ。弾は入っていませんので」


 いざとなれば、これで戦うことになるはず。どんなものか知っておきたかった。


「簡単に撃てるの?」

「はい。基本は弾を込めて引き金を引くだけです」

「縄に火をつけたりしないよね?」

「縄? なんのことですか?」


 当然、火縄銃ではなかった。

 アンリは自分が知っているものより、新しい銃であることが分かってほっとする。火縄銃のように、弾と火薬を銃身に詰める操作が必要なら、戦場では緊張してうまくできない自信がある。

 アンリがドロテアに銃を返すと、ちょうどドアがノックされた。


「お食事の用意ができました」


 ドアが開くと料理の皿を抱えた子供たちが入ってきた。

 たくさんの皿を子供たちがテーブルに並べていく。パン、肉、スープ、サラダなど、普通の洋食のようだった。

 変なものが出てきたらどうしようかと思っていたので安心する。というより、普段食べている洋食よりも圧倒的に豪華だ。お店で食べたら、間違いなく5000円以上は取られる。


「こんなにいただいていいんですか?」

「ええ、女神様のためにご用意したものですから」


 お金を要求されたらどうしよう、という気持ちで言ったのだが、思ったよりも高い料金となりそうだった。豪勢な料理を用意したんだから、女神として魔物を倒してくれるんですよね、と暗に言われている。

 ここが現代なら遠慮しているところだが、ここのお金は持っていないので、お言葉に甘えるしかなかった。

 料理は非常においしかった。ちょっと味が薄い感じもするが全然気にならない。

 アンリはもてなされるがままに、豪華料理を堪能する。

 ぐうー。

 腹の音が聞こえた。

 音の方向を見ると、男の子が立っていて、アンリと視線が合うと、恥ずかしそうに目を背けた。

 子供たちはアンリが食事をしているのを、うらやましそうに見ていたようだった。


「君も食べる?」


 アンリは男の子を手招きする。


「いけません、女神様。それは女神様のものです」


 ドロテアが制止しようとする。


「お腹減ってるんでしょ? 私はもうお腹いっぱいだから、みんなで食べて」

「ダメです。そういうのは困るんです……」


 そのときタイミングよく、ドロテアの腹も鳴った。

 説得力がなくなり、ドロテアは赤面して黙ってしまう。


「ほらー。みんなで食べよう?」

「はい……」


 ドロテアが折れると、その場にいた子供たちが歓声を上げて、料理に飛びついた。

 みんなお腹が減っていたのだ。


「もしかして、戦いの影響?」


 アンリはパンをほおばるドロテアに尋ねた。


「はい。お恥ずかしいことに、流通が滞り、食料が満足に行き渡らないことがあるんです。……申し訳ありません、女神様のお食事をいただいてしまって」

「いいのいいの、気にしないでよ」

「こんなことが知られたら、怒られてしまいます」

「どうして? 私がいいって言ったと伝えてあげるよ」

「いえ……。ここにいた者だけが食べられたと知れたら、どう思われることか……」


 女神に対して失礼、という話だけではなかった。みんながひもじい思いをしているのに、一部の人が豪華な料理を食べられているのは不平等なのだ。それが妬みの原因になりかねない。

 やはり気が重い。女神として扱われることには、期待と責任が伴っているのだ。女神でないと認識されたら、自分も何をされるか分からない。

 突然、外から爆発音がした。

 次の瞬間、家が地震のように揺れ、食器が床に落ちてくだける。食べかけの料理も、無残に散らばっていく。


「何っ!?」

「みんな、外に出て!」


 ドロテアは冷静に、子供たちを家から出そうとする。

 それを見て、アンリも近くにいた小さい子供を抱えて、家から飛び出した。

 広場には人だかりが出来ていた。


「何が起きたんですか!?」


 ドロテアが近くの人に話しかけるが、口をあんぐりと開けるだけで返事はなかった。ただ一方向を眺めている。

 そこには巨大な黒い影。

 明らかに人間のものではない。


「なにあれ?」


 アンリはドロテアに問うが、ドロテアも口を開けたままになっている。


「……七将の一人ボリス……」


 少し遅れてドロテアはアンリに答える。


「ボリスってあの……」

「100人を殺したにっくき魔将です……」


 ドロテアの体が震えている。それは怒りであり、恐怖だった。

 精鋭100人でも倒せなかった凶悪な魔物が現れた。もっとも憎く、もっとも強い敵。仇討ちをしたいが、それ以上に己の死を覚悟させた。

 皆殺しにされる。

 広場に集まった人々は皆恐怖に支配され、ボリスを前に立っているのがやっとであった。

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