第4話「魔将ボリス」
「あれが魔物……?」
広場に現れたのは、七将の一人、ボリスであった。
外は日が暮れて真っ暗であった。しかし、広場は焼き払われ、暗闇の中に見るものを圧巻する、3メートルはあろうかという長身が照らし出される。
形状は人型であるため、それだけならば巨大な人間と思わなくもないが、明らかに人でないと思わせるのは、血のように真っ赤な肌、頭部に生えた長い角、手足の鋭い爪、そして背中に生えた大きな翼。
ファンタジーな世界に来てしまったのは分かっていたが、実際に空想の異物を見るとこれが現実に起きていることなのだと、信じざるを得なかった。
「怪しい儀式をしていると聞いていたが、貴様ら何をしていた」
悪魔がしゃべった。
凶悪そうな雄叫びを上げ、突然襲いかかってくるのではないかと思ったが、そうではなかった。
まず一撃、広場に魔法を放ったのだろう。アンリが寝かされていた祭壇が消滅し、クレーター状になっている。まるで爆弾を爆発させたかのようだった。魔物は簡単にそれぐらいのことをしてのける。
それで魔物の襲来を人間たちに知らしめ、恐怖させる。そして今は静かに人間たちを見下ろすことで、立場の違いを分からせようとしていた。
悪魔というのは凶悪そうな見た目以上に、知性が高く、理性的な存在に思えた。
「女神様……」
眼前で悪魔と対峙していた村長が振り向き、アンリを見た。
それに合わせるかのように、他の村人もアンリのほう向いたので、アンリは一同の注目を浴びることになった。
「え……」
言葉にしなくても、彼らが何を求めているのか分かる。
この悪魔を倒してくれ。
「そんなこと言われても……」
いきなり悪魔が来るなんて。心の準備ができていない。それより、ただの女子高生が魔物と戦えるわけがないのだ。
「見慣れぬ格好をしているな」
村人たちの視線に追い、ボリスはアンリの姿を認める。地味な色をした男たちの中、制服は目立ちすぎる。
ボリスは翼を羽ばたかせ、ふわりと宙を飛んだ。そして、村人たちの頭上を飛び越えてアンリの元へとやってくる。
「あ、あああああ……」
身長が二倍以上の化け物が目の前にいる。恐怖するにはそれだけで十分だった。
「おい、村長。こいつはなんだ?」
ボリスは村長に問いかける。
「め、女神様にございます。我らの願いを聞き届けるため降臨されたのです」
村長は恐ろしい悪魔と会話する怖さを感じつつも、どこか得意げに話す。
「女神とな? この世界に神がいたとは驚きだ」
ボリスはアンリに手を伸ばし、すらっとした長い指でアンリのあごをなでた。
ひんやりと冷たい。抵抗したら、そのまま殺されてしまうのだろう。アンリはされるがままになってしまう。
「それで女神とやらは何ができるのだ? もしや、この俺を殺せるとでも?」
ボリスは冗談まじりにニヤリと笑うが、アンリは顔が引きつり、言葉を返すことができなかった。
「倒せますとも!」
代わりに村長が叫んだ。
「倒せるぞ!」
「そうだそうだ!」
「女神様やってくれ!」
「悪魔を殺せ!」
続いて村人たちが叫ぶ。
シュプレヒコールが激しくなっていく一方、アンリの顔色はどんどん悪くなっていく。
(なんてこと言うのよ……)
ボリスの爪の角度が少し変われば、アンリの喉は貫かれてしまうだろう。この状況でボリスを挑発するなどあり得ない。
案の定、ボリスはこれまでに柔和な感じと打って変わって、アンリを鋭い目でにらみつける。
アンリはヘビににらまれたカエルのように動けない。足がガタガタと震える。呼吸がうまくできず苦しい。
「これが女神? ただの人間風情が女神を騙るな」
ボリスは長い腕を振り上げる。鋭くとがった爪が月夜にきらめく。
(こ、殺される……)
アンリは観念した。
(だから初めから言ってるじゃない、女神じゃないって! ただの女子高生が悪魔に勝てるわけがない。それなのに人の話を聞かないから私は死ぬんだ! 死んだら絶対呪ってやるから!)
アンリは心の中で悪態をつき、村長のほうをにらみつける。
アンリの表情が恐怖から怒りに変わったのを見たボリスは、急に口元を緩ませた。
「偽りの女神よ。命乞いをしろ」
「え?」
「貴様を殺すのはたやすい。しかし、ただ殺すのではつまらん。貴様を女神と信じる奴らの前で、命乞いをしてみせよ」
「どうしてそんなこと……」
「期待の女神が悪魔に命乞いをしたら、奴らはどう思う? どんな顔をする?」
まさに悪魔の顔だった。
ボリスはアンリを利用して人間の反応を楽しもうとしている。
「命乞い……」
いきなりこんな世界に召喚されて、こんな状況で死ぬのはごめんだ。しかし、命乞いをして許してくれるのだろうか?
いや、こんなゲスなことを言う悪魔が許すわけがない。命乞いをさせた上、惨めに殺すのだろう。
(なんかむかつく……)
アンリは拳を握りしめる。そして、できる限りの力を込めて、ボリスに殴りかかった。
しかし、ボリスはひらりと半身をひねり、その攻撃をかわす。
アンリは勢いのままにボリスの横をすり抜け、無様に頭から地面にダイブしてしまう。
緊張を一気に打ち壊す、こっけいなシーンだった。
その様子には、村人たちもあんぐりと口を開けるしかない。
「何のつもりだ」
ボリスさえもあきれている。
「……ふふ。ふはははは……! ただの準備運動よ。ただのウォーミングアップ!」
恥ずかしすぎて死にたい思いだった。アンリはやけくそになって叫ぶ。
「何を言っている……」
アンリの奇行にボリスも戸惑う。
(悪魔にもあきれられるとか……いっそ殺せ! ああもうっ!)
「私は女神。悪魔を超える力があります!」
何を言ってるんだ自分、と思いつつも、こうなってはやりきるしかなかった。生きていても恥ずかしいし、何かをしたところで死ぬのだ。なら、最後までやってやろうじゃないか!
「悪魔よ、提案があります」
「提案?」
「そう提案です。私と手を組みませんか? 私とあなたが手を組めば、世界だって手に入れることができましょう」
「はあ?」
ボリスは言っている意味が理解できない様子だ。
それはアンリも同じ。命が助かる方法を血の上った頭で考えた結果がそれだっただけだ。
「女神と悪魔の同盟です」
「ほう」
ボリスはその言葉に心を動かされたようだ。
しかし、これは人間側にとって、問題発言だった。
「何言ってんだ! 悪魔と手を組むってどういうことだよ!」
村人たちがそろって怒号を上げる。
どこの世界に悪魔と手を組んで、世界征服しようと言う女神いるだろうか。
人の道、いや、女神の道を外れたアンリは、人々の批判の的になって当然だ。
けれどボリスは人間ではない。
「ふはははは、面白いことを言う。その話、我にどういうメリットがある?」
(乗ってくれた!?)
ボリスが何を考えているのか分からないが、話を聞いてくれるようだった。こんなチャンスはないと、アンリは言葉を続ける。
「悪魔の侵攻により、人間はその数を大幅に減らしています。これは悪魔にとって領土を増やす結果をもたらしていますが、逆に利益を減らしています」
「ふむ?」
「人間が減れば、労働力が減ります。人間を使役できないようになれば、困るのではありませんか?」
「ほう」
ボリスが反応を示した。畳みかけるなら今だ。
「それに、勘違いされているようですが、人間はただ無力な存在ではありません。科学を用いることで、悪魔を倒す力を持っています。その人間と手を組めば、あなたは他の七将をも倒せるのではありませんか?」
これは完全に賭けだった。
悪魔がすべて魔王に忠誠を誓い、仲良く打倒人間で戦っているなら、アンリは憤怒をもって一撃で殺されてしまうだろう。しかし、悪魔も一枚岩でなければ……。
「貴様、それでも女神か?」
「へ?」
「クク、クハハハハ! 悪魔でも思いつかぬ企みだぞ。人間を我らに売ろうと言うのだな。俺に他の悪魔を討たせ、数を減らす。そして、人を餌として俺に提供し、帳尻を合わせる。貴様だけが得をして損をしない。よいアイデアだ、気に入ったぞ!」
(いやいやいや、言ってない言ってない! そんなこと全然言ってない!)
「人間の数が減っていて困っていたところだ。悪魔が増えた分、割り当てられる労働力も餌も足らん。弱い人間と戦うのもつまらんし、七将と戦うのも面白いな。人間の科学とやらを利用できるのも、楽しそうだ!」
何やらボリスの中では、アンリの提案に、理も利もあると思えたようだった。
「さすがは女神よ。その提案、受け入れるとしよう」
「え? いいんですか……? 悪魔と戦うことになるんですよ?」
ボリスは他の悪魔を倒すために、人間と組むことになる。つまり、悪魔にとっては裏切り者だ。
「構わぬ。いけ好かぬ連中も多い。それに七人も魔将がいるものか。我一人で十分よ」
アンリの言ったことはとんでもないことだったが、ボリスの言動もぶっ飛んでいた。裏切りであり、反逆であり、クーデターだ。それをこんなことで決めてしまうとは。
「ひ、一つ条件があります」
「言ってみろ」
「同盟中はこの村の人に手を出さないでください」
「ふむ、戦力が減ってはこちらも困る。よかろう、承諾する」
「あ、ありがとうございます」
悪魔と手を組むのがよいことだとは、もちろん思わない。でも、これで村人の安全は約束された。それにボリスと一緒に悪魔を倒すことができれば、人間全体にもメリットになるはずだ。
「詳細は後日詰めるとしよう」
そう言うとボリスは羽を大きく広げる。そして、顔を寄せ、アンリにつぶやいた。
「俺を失望させるな、魔物を超えし偽りの女神よ」
バサッと翼を羽ばたかせると、一気に飛び上がった。あっという間に空高く上昇し、見えなくなってしまう。
危機は去った。
「はああああぁぁぁぁ……」
ボリスが去ったのを見届けると、アンリは脱力してその場に座り込む。
アンリは敵と戦わず、人間側に損害を与えることなくして、魔物を追い払ったのであった。
しかし、ボリスはアンリを女神だと認めたわけではなかった。あくまでの女神と偽る人間として交渉に応じたことを見逃してはならない。
「女神様……」
思わぬ顛末に呆然と立ち尽くす村人をかき分けて、村長がやってくる
「やりましたね、村長。魔物は去りましたよ」
「なんてことをなさるのだっ!!」
この老人の血管が裂けるのではないかと思うほどの怒号だった。
アンリも鼓膜が裂けるかと思った。
「女神様が悪魔と交渉するとは何事ですか!?」
村長は火のように怒り狂っている。
その怒る気持ちは分かるが、そんなに怒るものだろうか。ここは喜びを分かち合うところだろう。こっちは悪魔を追い払った功労者。こうしてなければ、村人は皆殺しにされていたはずだ。
「でも、なんとかなったでしょ?」
「悪魔とは組むなどあり得ない! 奴らに協力しろというのですか!?」
「そうなりますね。でも、やられるよりかは」
「それに、あれはどういうことか……」
村長は怒りでわなわなと震えている。
このまま怒りを吐き出したら一線を越えてしまう、そのような感じであった。
「女神さんよ、あんたは俺たちを悪魔に売ったんだ」
村長の代わりに発言したのはスタファンだった。
怒鳴りはしていないが、その心の内はものすごく怒っている。こちらも怒りを出したらすべてが終わってしまうから、必死にこらえているのだ。
「そ、そんなことない! あんなのその場限りのことで」
「向こうはそう思ってるか? 奴は俺たちを利用して、ライバルの魔将を倒すつもりだ。そんですべて終わったら、俺たちを奴隷にするか、喰う気だぜ」
場の雰囲気が変わった。
エスパーでなくとも、村人たちが自分に憎悪を向けているのが分かる。
「仕方ないでしょ! あのままじゃ、みんな殺されていた! 今はああ言って時間を稼ぐしかないって!」
「時間を稼ぐ? あんたに都合のいいこと、言っただけじゃねえかよ。あんたは助かるさ、なんせ女神様だからな。だが、俺らは使い捨ての消耗品だ」
スタファンの言っていることはもっともだ。怒る気持ちも分かる。けれど、こっちの事情も理解してほしかった。いきなり女神だと祭り上げられ、悪魔と対峙することになったのだ。ただの女子高生にどうしてそんな敵意を向けられるのか。
言い返したところで、さらに言い返されることは分かっている。アンリは何も言わず、スタファンをにらみつける。スタファンも負けじと怒りを目で送り続ける。
「今日のところはこれくらいにしましょう」
そう言って間に入ってきたのは、冷静さを取り戻した村長だった。
「一時的にでも難を逃れたのは事実です。女神様も降臨されたばかりでお疲れでしょう。今日はひとまずお休みください」
助かった、とアンリは思った。
このままにらみ合っていても、自分には帰るところがない。結局は相手の好意に甘えるしかないのだ。しかし甘えれば、自分の立場はどんどん不利になっていく。悪魔と交渉した責任と取らされる。
「ちっ……」
スタファンはあからさまな舌打ちをする。
「こうなったからには、分かってんだろうな」
スタファンは、ボリスに破壊された石畳の瓦礫を蹴りつける。すると石は粉々になって、空に消えていった。
そして地面を叩きつけるよう踏みしめながら去っていく。
「女神様、今日のところはお休みください」
ドロテアが人だかりを開いて道を作ってくれる。
「ありがと……」
ドロテアの表情は読み取れなかった。怒っているような、失望しているような、もしくは、今起きていることをどう捉えていいのか分からない感じだ。案内役という立場上、なるべくアンリに生の感情を向けないようにしている。
それにはアンリも、期待を裏切ってしまったことに申し訳ないと思った。
(でも、どうしろって言うのよ……)
なぜこんな思いをしなければいけないの!? 自分が何か悪いことをした!? こっちだって被害者なんだよ! それでもちゃんとやったじゃない!
そう言ってやりたかったが、この世界にアンリの理不尽な状況を理解してくれる者はいなかった。言ったところでむなしく響くだけ。そして、余計に立場を悪くするだけなのだ。
やむを得ず、すべてを飲み込み、アンリは提供された家に戻った。
灯りを消してベッドに入る。イライラして眠れないかと思ったら、思いのほかあっさり眠りに落ちそうになる。
この一日でいろいろ起きすぎて、疲れていたのだ。
親友のアスカが家庭内暴力を受けていることを知ったこと。アスカが自分を道連れに死のうとしたこと。異世界に召喚されたこと。女神扱いされたこと。そして凶悪な魔物と大立ち回りを演じたこと。
どれも普通ではなかった。
(これが夢であればいいのに……)
アンリは夢を見ることなく、深い眠りについた。
……しかし、それは安眠とはならなかった。
「女神様、起きてください!」
枕元でドロテアの声が響く。
緊迫した声に異常事態だと分かる。あまり眠れていなかったが、アンリの頭もすぐに覚醒した。
まだ真っ暗だ。朝ではない。
「どうしたの?」
「すぐに逃げてください!」
「逃げる? また魔物?」
「いえ……」
ドロテアは言いよどむ。
「人です」
「へ?」
「一部の人が女神様を殺そうとしているのです」
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