第2話「異世界」

「まさかいらっしゃるとは」

「しかし眠ったままだ」

「いつお目覚めになるのだ」

「もしや、このままではあるまいな」


 近くで、ひそひそと誰かが話しているのが聞こえる。

 アンリの視界は真っ暗、どうやらこれまで眠っていたようだった。

 少し前の記憶が思い出される。自殺しようとしているアスカを引き留めようとしたが、突然引っ張られ、校舎の屋上から二人一緒に転落してしまった。


(生きてるの? 私……)


 5階の高さから落ちたら、ただでは済まないはず。横に寝かされているようだが、体に痛みはなかった。これなら問題なく起き上がれそうだ。

 アンリはゆっくり体を起こした。

 転落して救急車で運ばれたなら、目覚める場所は病院だと思ったけれど、その予想は大いに間違っていた。そして、一番に目に入る人物は、医者や看護師、そうでなければ両親のはずだが、それもまた違った。

 病院どころか屋外だ。だだっぴろい街の広場に寝かされている。なぜこんなところにベッドが置かれているのだろう。いや、ベッドというには豪華すぎる。緻密な装飾が施され、王様の調度品のようだ。

 そして辺りには大勢の人がいたが、みんな知らない人だった。それにどこか古くさい格好をしている。背広やワイシャツを着ているが、今では着ないレトロなものだった。

 自分は落ちたときと同じ制服を着ている。これもおかしなことで、血や泥などの汚れがない。

 

「ここは……?」

「おお! お目覚めになったぞ!」


 歓喜の声があちこちで上がる。人々はアンリが目を覚ましたことにとても喜んでいるようだった。ガッツポーズを取る者もいれば、手を取り合って涙を流している者もいる。


(え……? どんな状況……?)


 命が助かったことで喜んでくれるのは嬉しいけれど、こんなに喜ぶものかとびっくりしてしまう。


「わしから話そう」


 そう言って、シルクハットをかぶった老人が近づいてくる。そして帽子を取り、深々と頭を下げた。


「村長のラモンです」

「ど、どうも……」


 変わった名だと思いつつも、頭を下げられては、このまま寝そべってもいられない。アンリはベッドの上に正座して、村長と名乗る老人に頭を下げ返した。


「あの、どうやら助けていただいたみたいで……」

「我々が? とんでもない。感謝をするのは我々のほうにございます」

「え?」


 どうして村長たちが感謝するのだろう。アンリにはまるで見当がつかなかった。


「どうか我らをお救いくだされ、女神様……」


 村長は膝をつき、手を組んで祈るように頭を地面に擦り付けた。


「はへっ? ……なに? ……もしかして私?」


 村長が神様に祈り始めたと思ったけれど、祈っている対象は空や地ではなく、アンリのほうだった。

 村長以外の人々もアンリに向けて頭を下げていた。


「ちょ、ちょっと待って! 何の冗談ですか? 私が女神? ただの女子高生ですよ」

「混乱されるのも無理はありません。世界創造から一万年、人間の住む地へ久方ぶりに降り立ちなさったのですから」


 村長は壮大な話を至極当然のように語る。

 人をだまそうとか、ふざけてしゃべっているようには思えなかった。


「いやいや何かの間違いですよ。私はただの人間です。皆さんと同じです」

「神は人と同じ姿で、この地の世界に降り立つと言います。それは我々と同じ目線に立ち、共に歩まれるために」


 村長の言葉に呼応して、歓声が上がる。

 神様が人間の姿をして現れたのは、世界を救ってくれる証だというのだから、女神に助けを求める彼らにとって僥倖というわけだ。

 アンリはなんと答えれば、自分の置かれた立場を分かってくれるのか考えたが、思いつかなかった。


「村長、女神降臨の儀は成ったということですな!」

「ああ。皆がこの日のために耐えてきたおかげだ」


(女神降臨……? なにそれ?)


 改めて周りをよく見てみると、何やら怪しい雰囲気が漂っていた。煌々と火が焚かれ、果物や貴金属など貢ぎ物と思われるものが積まれていた。謎の仮面をつけ、原始的な格好をしている人たちもいる。


(儀式? もしかして……召喚されたって奴? 女神を呼ぼうとしたら、私が来ちゃった?)


 なんてことだ。頭がくらっとして倒れそうになる。

 彼らは何か困っていることがあり、女神を呼ぼうと大変な労力や資財を使って儀式を行ったが、女神が来ることはなく、ただの女子高生であるアンリが現れたという顛末のようだった。


「あの、すみません。私と同じような姿をした少女も、この世界に来ていませんか?」


 アスカのことが心配だった。ここが病院ならば、近くの部屋にいるはずだったろう。しかしここは異世界。もしかしたら、自分と同じように召喚されているかもしれなかった。


「いや? 降臨された女神様はお一人ですが……」

「そう、ですか……」


 一緒に校舎から転落して、自分はかろうじて生きている。それは召喚されたから無傷なのだろうが、アスカはどうなっているのか。元の世界で病院に運び込まれたのか、もしくは同じくこの世界のいるのだろうか……。


「その……ごめんなさい。なんかの間違いだと思うんですけど、私ハズレです。女神じゃなくて普通の人間なんです。だから、もう一回儀式して、本物の女神様に来てもらってください」


 命が助かったのは嬉しいことだが、自分はこの世界にいるべき人間ではないように思う。苦労して呼び出してもらったのに非常に申し訳ない。頭をぺこぺこしながら、村長らに弁明する。


「なんと……。女神様、我々をお捨てになるのか……」


 村長は驚愕してのけぞり、そのまま尻から倒れ込んでしまった。

 それなら仕方がない、ぐらいの反応が返ってくるつもりで言ったのだが、アンリは人が驚いて倒れる様子を初めて目撃することになった。

 村長はアンリが女神であると信じて疑っておらず、アンリに申し出を断られたのがこの上なくショックだった。

 彼らは神が現れるのをどれだけ待ち望んでいたのだろう。神がいれば救われる、逆に神がいなければ絶望しなければいけない状況だったのがアンリにも分かった。

 そして、村長の言葉に胸がずきっと痛んだ。

 ちょっと前に同じことを言われている。そう、アスカだ。


(アンリもあたしを見放すのね)


 見放すつもりなんてまったくない。でも、自分はただの人間。女神のように人を救うことはできない。

 アンリは痛む胸をさする。


「あの……。私に何ができるか分かりません。話だけでも聞かせてもらえませんか?」


(私はアスカを助けられなかった。今もたぶん……何もしてあげられない。でも、困っている人を見て、何もせず見放すことなんてできないから……)


 青ざめていた村長の顔に血の気が戻る。


「おお、女神様。よくぞ聞いてくださいました。どうか我らをお救いください」

「力になれるかは分かりませんが……」


 アスカに対しても同じような言葉を使った。しかし、力になるとは言い切れない。話を聞いたところで、アスカを助けられなかったように、この村の助けにはならないかもしれない。

 けれど、現在の何も知らない、分からない状況をなんとかしなくてはならなかった。自分のことを解決できないようでは、人を救うも何もないのだ。


「魔王が復活を遂げ、魔物たちの活動が盛んになってから一年。世界各地で、配下の七将が魔物の大軍を束ね、人間の領土に侵攻していることはご存じでしょうか。王都は陥落してからは、押される一方。この辺鄙な地にも魔の手が迫り、先日大敗を喫しました……」

「魔王……がいるんですね……」


 これが友達との会話であれば、笑い飛ばしていたところだろう。魔王って何? ゲームじゃあるまいしと。しかし、村長のラモンはごく真面目に話し、周りにいる人たちも真剣にこの様子をうかがっている。

 もしやとは思っていたが、剣と魔法のファンタジー世界に召喚されてしまったことをアンリは確信した。


「左様です。魔王は200年前、勇者によって封印されましたが、再び活動を開始したのです。お恥ずかしいことに、魔物が息を潜めている間、人は人同士で争うばかりだったため、魔王軍の侵攻を食い止めるすべがありませんでした……」

「魔物はどれぐらい強いんですか?」


 これはとても気になることだった。ゲームであれば、レベル1の主人公でもスライムぐらいは倒せる。しかし、アンリはゲームキャラでも、女神でもない。魔物に対して何かできるのか、知っておく必要がある。


「ピンからキリまでおります。ゴブリンのように人間より弱い者もいれば、オークのように怪力を持った怪物もいます。それに……一人で人間100人を相手にする者も……」

「100人?」

「ええ……」


 村長の顔が再び青ざめていくのが分かる。できれば話したくないことがあるようだった。

 村長は深呼吸をして話を続ける。


「魔王配下、七将の一人、ボリス。先日、奴は突然この村に現れ、100人の精鋭を出せと言ってきました。部下には手出しをさせないと宣言し、1対100で勝負することになったのです」

「もしかして……」

「左様です。奴は一人で一瞬にして100人を殺しました……」

「そんな……」

「こちらには、王国十本指に入る剛の者もおりました。そこらの魔物であれば、一人で何十匹も蹴散らせる凄腕。相手が七将といえど、100人でかかれば決して勝てぬ勝負ではない……そう思っていたのですが、奴はそれ以上の魔将だったということです……」


 この村がどれだけ窮地にあるかは、それで分かった。精鋭100人を失い、精鋭100人でも勝てない魔物ににらまれている。次戦ったところで勝ち目はなく、いつ滅ぼされもおかしくない状況にあり、頼れる女神だけだったのだ。


「私が女神だったとして……私は何をすればいいですか?」

「え?」


 村長はひどく戸惑った顔をする。女神がどうしてそのようなことを聞くのか分からないようだ。


「魔物、そして魔王を打ち払ってくだされ」

「打ち払う? それってどういうことですか?」


 純粋にただの疑問だった。

 しかし、それは村長にとって返答に窮する質問であった。


「ああ……ええ……。女神様の力でその存在を消し去ったり……」


 村長はしどろもどろに答える。


「そんな魔法みたいなものがあるんですか?」

「さ、さあ……。我らにはありませんが、女神様にはあるのでしょう?」


 村長は答えを知らない。

 村の人々は、女神に救いを求めていたが、具体的に女神がどのように助けてくれるかは考えていなかったのだ。漠然と女神ならものすごい力で、自分たちの窮地を救ってくれると思っていた。


(なにそれ……。龍神だって聖杯だって、助ける方法が分からなければ、願いは叶えてくれないだろうに)


 村人が困っているのは分かるが、女神も無理な要求をされたもので、可哀想に感じてしまう。

 村長に方法が分からないなら、なおさらアンリもどうしていいのか分かるはずがない。


「とりあえず、ボリスを倒してくれりゃいい」


 アンリを囲む人混みの後ろからだった。

 勇ましく、大雑把な男性の声。


「俺はスタファン。村の守備を任されてるもんだ」


 筋骨隆々の男で、周りの村人とは一線を画した風体をしていた。まさに戦士という感じで、まだ魔物は見たことはないが、この男ならば魔物と互角にやり合えるのではないかと思える。


「七将と呼ばれる魔物ですか?」


 スタファンは女神への捧げ物であるリンゴを手に取ってかじる。


「悔しいが、残った戦力じゃ奴は倒せねえ。だが、奴以外はザコだ。数は多いが、周りの村に声をかけて総力で当たれば戦える」


 話が具体化され、女神がボリスを倒せば、あとは人間たちでなんとかなるという、分かりやすく状況になった。

 しかし問題は当然、アンリが女神ではないことだ。


「ごめんなさい、同じこと言うけど、私は女神じゃ……」

「ああん?」


 スタファンの不機嫌そうな声と共に、手にあったリンゴがはじけ飛んだ。握力で握りつぶしたのだ。


「俺たちはお前を降臨させるのにどれだけ苦労したと思ってんだ! 歴史書だかに書いてある儀式通りにやったんだぞ! 貢ぎ物も出したし、人柱も立てた! 女神でなければ、お前は何なんだよっ!!」


 鬼気迫る怒号に辺りは静まりかえる。

 距離があったとはいえ、その迫力にアンリは泣き出しそうだった。あまりの恐怖に涙がじわじわと湧き出てくる。


「これ、スタファン。女神様に失礼であろう」


 それを見かねた村長がフォローに回る。


「女神じゃねえつったろうが。気をつかう必要はねえ」


 そう言うとスタファンは村人をかき分けて近づいてくる。村人もスタファンを避けるので自然と道ができる。


「おい、偽女神!」

「ひっ」


 スタファンはアンリの襟元をつかみ上げる。

 アンリはその腕を振りほどこうとするが、びくともしない。


「なんでもいいから、ボリスを倒せ。それ以上は要求しねえ」


 できる限りの譲歩なのだろうが、戦士100人で倒せない相手に女子高生が敵うはずもない。

 スタファンはアンリを突き飛ばし、アンリは地面に尻餅をついた。

 そしてスタファンはそのまま民衆をかき分け、どこかへ消えていく。

 アンリに期待していないのだ。アンリがスタファンに手も足も出なかったのを見て、女神でないと確信した。ならばこれ以上、偽女神に時間を費やせないと思ったわけである。


「女神様、とんだ失礼を……」


 村長は地面に頭をつけて謝罪をしてくれる。


「だ、大丈夫です……」


 そうは言うが、大丈夫ではない。急に異世界に呼び出され、どうしてこんなことをされなければいけないのか、納得がいかなかった。この世界の人は身勝手すぎる。


「おそらく、降り立ったばかりで本調子ではないのでしょう。しばらくお休みください」


 困った顔をして村長が言う。


「いつもの私なんだけど……」


 アンリは誰にも聞こえない声でつぶやいた。

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