第20話「襲撃者」
襲撃者の登場に、ドロテアたちはそれぞれの武器を構える。
メリエルはオンオフ関係なく、大型ナイフを携帯している。平時とあって、ドロテアと隊長は護身用の拳銃しかない。アンリに至っては、珍しくドレスを着たものだから完全に丸腰だ。ないよりかはましと、食事に使っていたナイフを手に持つ。
おそらく隊長がつけられていたのだろう。狙いは間違いなく、魔神を操り、女神と言われているアンリ。アンリが一人になる瞬間を狙うこともできたろうに、このタイミングで仕掛けてきたのは、よっぽど腕に自信があるのだろう。
ドロテアたちはアンリを守るように立つ。
皆は軍服姿なので、ドレス姿のアンリを守るというのは分かりやすい構図だ。アンリにしてみれば、どうしてこんなときに動きにくい服を着ているのだろうと、運の悪さを呪うしかなかった。
襲撃者が仕掛けてくる。
取り回しのいい小型ナイフを一直線にドロテアの首に突きつけてくる。あまりの速さにドロテアはまったく反応できない。
接触する寸前、メリエルのナイフが弾いた。
ダークエルフの身体能力に敵うのは、ダークエルフのみのようだ。
メリエルに転ばされていた隊長も、体勢を立て直し、襲撃者に発砲する。
襲撃者は、こともなげに体を反らしてかわす。
ドロテアも気を取り直して追撃を加えるが、長い足から繰り出される蹴りに銃を飛ばされてしまう。
相手が次の行動に移る前に、メリエルがナイフで一閃。だが、これを腕で受ける。服の下に籠手を仕込んでいるようだ。
「強い……」
その場にいた誰もが思った。
相手は黒いスーツ姿。暗殺者のようであり、ただの正装のようにも見える。顔をスカーフで隠していて、男女どちらかは分からない。メリエルと同じような体格だから女の可能性もあるが、ダークエルフは男だからといって特別大きいことはない。
「女神様、逃げてください」
ドロテアが後方のアンリに言う。
ここはアンリが魔神を使って、丸太を積み木のようにして作った家。裏口はないが、出ようと思えば這い出せる隙間がある。
自分も戦う、と言いたかったが、丸腰である以上、従うしかなかった。
「お願い」
アンリは奥へと逃げる。
凄腕の襲撃者がその隙を逃すわけがなかった。
腰のベルトから投擲ナイフを引き抜きざまにスローイング。
「うぐっ……」
ナイフはメリエルの腕に突き刺さった。
とっさに腕を伸ばして、アンリをかばったのである。
「うおおおおっ!」
追撃を与えまいと、隊長がタックルを襲撃者にかます。
これは予想外だったのか、襲撃者は避けきれずバランスをくずした。
ドロテアが発砲。襲撃者は倒れるが、受け身を取ってすぐに立ち上がった。服の内側に鉄板を仕込んでいるようだ。ダメージは与えているが、致命傷にはならない。
メリエルは利き手を負傷してしまったので、左手でナイフを持ち、格闘をしかける。
ナイフを突き入れ、ナイフで弾かれ、ナイフで切り入れて、ナイフで受け流され。二人の戦いは高速で火花を散らした。
ドロテアと隊長も加勢しようとするが、メリエルに当たってしまいそうで撃てなかった。
一方、アンリは丸太と丸太の隙間を這いずっていた。
ドレスでなければもっと早く逃げられていただろう。
あとちょっとのところで、やはり服が木のささくれに引っかかってしまった。
アンリが「ああ……ドレスが……」と思った瞬間、顔の前で風が切られる。
「ひっ!?」
アンリの頭めがけて、剣が振り下ろされたのだった。
アンリはドレスを気にかける余裕なんてものは吹き飛び、強引に隙間から脱出した。
入り口に現れたのと同様、黒スーツのダークエルフだった。顔を隠していて性別は分からないが、こちらは細身の剣を構えている。
「用意周到ってわけか……」
アンリが別の出口から逃げてくるのは想定済みだったようだ。
食事用のナイフを握ってみるものの、これで相手の剣を受けようとしたら、間違いなく自分の手首を切られている。
相手は運動神経のいいダークエルフ。アンリも陸上で体を鍛えているが、今はドレス姿で靴には高いヒールがある。
万事休す。
こうなったら体裁は気にしていられない。アンリはロングスカートの中で靴を脱ぎ捨てる。
襲撃者が剣を振り下ろす。
アンリは横に飛んで回避する。スカートがひらひらとたなびく。
先んじて動くことで、なんとかかわすことができたが、何度もできることではない。
「あなた、何者? グィードの配下?」
アンリは時間稼ぎにと襲撃者に問いを投げかける。
襲撃者は当然答えない。
「私は女神。神を襲うというのは、どういうことか分かっているのかしら」
女神なわけないが、ここは恥ずかしさに耐えて、はったりをかます。
「ダークエルフよ、その呪われた一族にさらなる厄災が降りかかることになろうぞ」
襲撃者の足が止まった。
どうやら効果はあったみたいだ。
アンリは全力で疾走する。近くに魔神が置いてある。魔神に飛び込めば一気に形勢逆転だ。
ダークエルフはアンリの動きに反応し、追いかけてくる。
「早い……!?」
アンリはどこぞのおてんばお嬢様のように、スカートを持ち上げて走るが、こんな走り方で早く走れるわけがなく、すぐに追いつかれてしまう。
襲撃者が剣を逆手に持ち、突き立ててきた。
避けられない。
アンリの足に剣が突き刺さる。
そしてアンリは地面に転倒した。
「ぐっ……」
全身に痛みが走る。しかし、足は痛くなかった。
そう、剣は足に刺さっていなかった。運良く、ロングスカートを突き刺しただけだったのである。
しかし、剣がスカートと地面を固定して、アンリは動けなくなっていた。
まさに絶体絶命。
アンリはスカートを裂いて逃げようとするが、スカートが上質すぎてちぎれない。
「くうっ」
どうしてこう悪い方向に行ってしまうのだろう。ドレスを着たばかりに命を落とすことになってしまうなんて。
襲撃者は腰からナイフを抜く。これでアンリの首をかっきるつもりだ。
(神様、仏様、女神様……。なんでもいいから助けて……!)
アンリは心の中で叫ぶが、あいにくこの世界に神なんてものは存在しない。
……しかし、魔神はいるのである。
襲撃者がアンリをつかみ、首を切ろうとしたとき、突風が吹いた。
魔神がひとりでに動き出し、アンリの元に飛び込んできた。
「アスラ!?」
襲撃者は魔神の引き起こした突風にひるんでいたが、この好機を逃すわけにいかないと、アンリの首にナイフを突き立てる。
「させるかっ!」
アンリは高級なドレスに身を包む、か弱きお嬢様ではない。女神の名を利用して、魔将と取引をする女子高生である。
持っていた食事用のナイフをありったけの力で、襲撃者の肩に打ち込んだ。
「ぐおおおっ……!?」
ひるんだ隙にアンリは襲撃者の剣をつかみ、強引にロングスカートを引き裂く。アンリの陸上で鍛えた健康的な足が露出する。
「アスラ、こっち!」
飛翔する魔神がつっこんでくる。
すれ違いざまにアンリを手で拾い上げ、そのまま空高くまで飛び上がる。
胸が自動で開き、アンリは空中で魔神に搭乗する。
『世話が焼けるな』
「ありがと。動けるなんて知らなかったよ」
『お前に死んでもらっては困るからな』
「なにそれ」
こうなればこっちのものである。魔神に乗ったアンリを傷つけられる者は存在しない。
「懲らしめてやる!」
アンリは魔神を操り、地上へ降下する。ナイフを引き抜き、肩を押さえるダークエルフが見える。
襲撃者は黒い悪魔を見上げ、勝機を失ったと判断し逃走を開始する。
しかし、翼を持つ魔神から逃げられるはずがなかった。
アンリは先回りして目の前に着地する。わざと強引に降りて、地響きを起こした。ダークエルフは姿勢を崩し尻餅をついてしまった。
「投降して! 殺したりしないから!」
アンリは魔神の爪を巨大化させ、襲撃者に向ける。
魔神の爪は普通の人間なら少しでもかするだけで、両断できるほどの切れ味がある。アンリはできれば、振るいたくないと思う。
襲撃者は剣を投げ捨て、両手を挙げた。投降の合図である。
「よかった……」
思ったよりもあっさり降伏してくれた。魔神ににらまれては仕方ないことかもしれない。
「名前は? どこから来たの?」
「ブリタ。王都から来た」
女の声だった。
「王都? ってことはやっぱ、グィードの命令?」
「そうだ」
「私を殺せって?」
「ああ」
現代では殺害予告を受けてもたいてい虚偽であるが、この世界では本物だ。このように暗殺者がやって、本当に刃を振るってくる。
アンリは自分が思ったよりも、重要人物であることをようやく理解した。味方からはそんなに扱いはよくないが、敵からしてみたら最大の戦力なのだ。こうして暗殺できるなら、戦争の前に殺してしまいたいだろう。
「勘弁してほしいな……」
この世界に来て、敵に味方に命を狙われてばかりだった。
「悪いけど、拘束させてもらうよ」
アンリは魔神を降りて、ブリタの手を後ろに回させる。
「縛るものは……」
縄の代わりになるものを探して、周りを見渡す。
しかし、アンリの行動はうかつすぎた。
魔神という絶対的な安全圏を離れ、身体能力が圧倒的に高い者のそばに近づいてしまった。魔神の腕でつかんだら可哀想だ、という配慮は不要だったのだ。
ブリタは素早くアンリの背に回り、今度はアンリの腕を締め上げる。
「いたたた……痛い痛いっ!」
ブリタの手には小さなナイフ。袖の中に隠していたようだった。
ナイフがアンリの顔に迫る。
「ひっ……」
一発の銃声。
温かい液体が首と背にかかる。
血しぶきだ。アンリの真後ろでブリタが狙撃されていた。
音の方向には、ライフル銃を低く構えているドロテア。そして、メリエルと隊長の姿がある。
「えっ……」
ブリタは地面に倒れ、動かない。撃たれた胸から血がどくどくとあふれ出ている。
ドロテアたちが走って駆けつけてくる。
「女神様、危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」
「う、うん。大丈夫……」
アンリには、ドロテアはけろっとしている理由が分からなかった。「今、人を撃ったんだよ?」
ドロテアが何も悪くないのは分かっている。自分が拘束され、ナイフで刺されようとしているのを助けてくれたのだ。あの状況においては、誰もがドロテアの行動は正しかったと言うだろう。
アンリはナイフを拾い上げ、ボロボロになったスカートを引き裂く。そしてブリタの胸に強く押し当てる。
「この人を助けて! このままじゃ死んじゃう!」
ドロテアたちは、ぽかんとしている。なぜ女神は今まさに自分を殺そうとした者を助けようとしているのか。
すぐに動いたのは隊長だった。アンリを押しのけて、ブリタの傷口を押さえる。
「ドロテア、医者を呼んできてくれ!」
「え? でも……」
ドロテアは隊長の言葉に戸惑ってしまう。
自分が撃った相手を助けるというのが、飲み込めないのだ。
「早く!!」
隊長が怒鳴る。
「は、はい!」
ドロテアは走る。
しかし解せなかった。なぜ自分が怒られなければいけないのか。狙撃に成功して女神を助けたのは自分だ。これでは人を撃った自分が悪いみたいではないか。
隊長はジャケットのポケットから、粉末止血剤を取り出して傷口にかける。
「うっ……!?」
あまりの痛みにブリタの体がはねる。
「押さえてて」
「はい!」
アンリは隊長に言われて、傷口を押さえる。
隊長は今度は注射器を取り出して、ブリタに投与する。痛み止めとして使用されているモルヒネだ。
じゃっかん、ブリタの苦痛に満ちた顔が楽になったように感じる。
「助かりますか?」
「俺は医者じゃないが……。普通は助からない……」
隊長は、これまで戦争で多くの死を経験してきているのだろう。どれぐらいの傷を受ければ人が死ぬか、感覚的に分かる。
アンリは血が引いていく思いだった。
自分があんなうかつな行動に出たから、死ななくてもいい命を殺すことになってしまう。
アンリの目から涙がこぼれ落ちる。
自分は甘いんだろうかと、アンリは思う。自分を殺そうとした敵を助けるのはおかしいのか。敵だから死んでもしかなかったと割り切れず、ショックを受けているのはダメなことなのか。
アンリ自身、多くの魔物を殺してきたし、仲間の人間の死もたくさん見届けてきた。きれい事が言えるような立場ではない。それでもアンリは、この命を救えないのが悔しかった。
「しかし、普通ではないぞ」
メリエルだった。
負傷して腕に包帯を巻きながら、ブリタの様子を観察している。
「こいつはダークエルフだ。人間よりしぶとい」
「それじゃあ!」
希望が見えてきた。
「しかし、これは厳しいかもしれないな。さすがに出血が多い」
「そんな……」
「助かるか助からないかは、こいつ次第だ。アンリのすることじゃない」
「でも……」
「ダークエルフは伊達に長生きしてない。案外、生き残ってしまうもんだよ」
メリエルはアンリの頭を優しくなでる。
メリエルの気遣いが嬉しく、いっそうアンリの涙腺がゆるんだ。
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