第22話「月下の誓い」

 ダークエルフ姉弟から得られた情報は多くなかった。

 二人はただの重要なポジジョンでなかったため、軍事的な情報は持っておらず、どのぐらい戦力が集結しているか、どの魔将が味方についたかなどは知ることはできなかった。

 王都の市民は魔物に支配され、恐怖におびえながらもなんとか暮らしているようだった。スティーグによると、取引に使える王族や、労働力になる市民はすぐに殺されないだろうが、その以外はすぐに切り捨てられる可能性があるという。

 連合軍としては、王都に攻め込むことで人質がある程度殺されるのは仕方ないと判断していた。攻め込まなくても市民は殺されるし、魔物に武器や労働力が供給される分だけグィード軍は強化されてしまう。これはやむを得ない犠牲、ということになる。少しでも早く解放して、犠牲者を減らすのが唯一の道だった。

 降伏勧告を拒絶した以上、あまり時間は引き延ばせない。できるだけ早く王都に侵攻する必要がある。

 歯には歯を目には目を。相手が使者を使ってきたならば、連合軍も同様の策を考案する。スティーグを戻させ、それに乗じて奇襲をしかけようというものだった。

 アンリはこれに強く反対したが、使者が戻らなかったことで、グィードを刺激したくないと作戦指令部に言われ、引き下がるしかなかった。これで猶予期間は、使者をもてなし、王都に返すまでの間ということになる。

 自分たちが攻め込めば市民が殺されてしまうという状況を、アンリは素直に消化することができなかった。人質に取られている人のことを思うと、罪悪感で胸を締め付けられる。


「気にするな。魔物に負け占拠された時点で、奴らの命運は尽きているんだ。それが少しでも救えると思えば、この戦争にも意味がある」


 メリエルの言うことはもっともだ。戦争の時代を長く生きていることもあって、この言葉には説得力がある。

 しかし、もう一つ考え方があって、アンリは煮えきらなかった。

 ボリスでなく、グィードに味方したほうが多くの人間を救えるのではないか?

 グィードが人間を尊重してくれるのかは分からないが、数字の面でいえばグィードについたほうがいい。勝機もある。

 けれど、ここで会った人々を切り捨てることになってしまう。親交のある人たちを助けるのか、それよりも数を助けたほうがいいのか。この世界においては、どちらが有益なのだろう。知り合いを助けたいというのは、異世界人であるアンリだけのワガママなんだろうか。アンリには分からなかった。


「どうしたらいいんだろう……」


 ある夜、アンリは外にメリエルを呼び出して相談していた。この内容はメリエル以外には話せないと思ったからだ。


「好きにしたらいいだろう。どちらにしろ、お前ではない誰かが死ぬ話だ」

「止めないの? 私が向こうについたら、メリエルは負けるかもしれないのに」

「グィードが勧誘してくるなら向こうにつくさ。あたしがここにいる理由なんてほとんどない」


 こういう感じで話せるのが、この世界からするとよそ者であるアンリにとって嬉しい。


「お前は女神か?」

「え? もちろん、そんなはずないけど……」

「ならば気負いすぎだ。すべて救うなど、ただの人間にはできないさ」

「そうだね……」


 魔神という力を得て、他の人よりできることが多いから、欲張ってしまっている。だから苦しい思いをする。


「スタファンは割り切っているぞ。王都50万人の命を鼻から救う気がない。まともに考えていたら、人殺しをする軍の指揮などできないからな」


 これはメリエルのジョークだ。

 スタファンはそのようにヒドイ人間ではない。王都攻めの作戦を聞いたときは、冷酷な人だと思ったが、その判断を下すにはどれだけ自分の心を痛めつけたことだろう。そこまで考えが至らなかった自分を恥じる。


「……そっか。自分のやれることをやるしかないんだね」

「そういうことだ。王都の市民も、ただ殺されるだけではないだろう。死にたくないなら何をするはずだ」

「ありがと、少し楽になったよ」

「それはよかった」


 メリエルが微笑む。

 あまりこういう笑顔を見せないが、本当に美人な顔だと、アンリは改めて思う。


「ここにいる理由はないって言ったけど、ボリスに従わされてるわけではないの?」

「そうとも言えるが、そこまで強い拘束力があるわけじゃない。一族の集落をボリスに襲われて敗れた。だから従っているんだ」

「ええっ!? さらっとすごいこと言わなかった!?」

「うん? 一族皆殺しにされて、あたしだけ生き残ったことか?」

「そうだよ、それ! ……って、ボリスに家族を殺されたの!?」

「別に驚くことじゃない。戦で死んだ、それだけのことだ」

「え、でも……」


 ボリスが一族の仇ということになる。敗れたから従うというのは道理だが、恨みはないのだろうか。


「弱いから死んだ。仕方のないことだ……。戦に巻き込まれないよう、一族でひっそり暮らしてたが、結局、見つかって殺されたんだ。死にたくなけりゃはじめから魔将についておけばよかったな……」


 珍しくメリエルのトーンが下がる。


「別に奴を恨んではいない。偶然、あたしらを見つけたのがボリスだっただけ。いつかは誰かに壊される運命だったんだろう」


 ダークエルフにはこのように、どこか運命を受け入れ、心を冷たくしているところがある。アンリはそこが気になっていた。だから、ダークエルフを救いたいと思うのだ。


「戦争って嫌だね……」

「まったくな……」


 それはメリエルの本心のように思えた。戦に身を投じる戦士だが、本当は戦争を嫌っている。


「メリエル、私に力を貸してくれない?」

「ん? むろん、そういう役目だからな」

「できるか分からないけど、私、戦がなくなるよう頑張ってみる。ちょっとでもこの世界から不幸がなくなるよう、やってみる。……だから、手伝ってほしい」


 アンリはメリエルに手を差し出す。

 メリエルはボリスの配下。今は伝令役としてアンリのそばにいる。アンリが言っているのは、そういう役割を超えての話だ。

 メリエルは己の手を見て、どう応えるべきか思案していた。


「あたしにそのような価値はないと思うが?」

「そんなのどうだっていい。私がメリエルに助けてほしいだけ」


 メリエルはふっと笑う。


「嫌われ者のダークエルフを欲するとは変わり者だな。いいだろう。この手は、お前に預ける」


 メリエルはアンリをつかんだ。

 メリエルはアンリのことが正直気に入っていた。何事もドライに済ませる傾向にあったが、アンリのためならばと思って行動することも増えている。賢い選択はしないが、ひたむきな様子は胸を打つ。

 アンリもまたメリエルの手を力強くつかみ返す。


「よろしくね、メリエル」

「こちらこそ、アンリ」


 メリエルがとっさに手を放して、ナイフを引き抜く。誰かが接近している気配を感じたのだ。

 暗闇から現れたのは、ドロテアだった。


「なんだ、お前か」


 メリエルは気が抜けて、ナイフを腰のホルダーに戻す。


「どうしたの?」

「二人がいないから様子を見に来たんです。また襲撃があったら大変ですから」


 ドロテアは寝間着姿だったが、ライフル銃を持っている。


「話は聞かせてもらいました。女神様、私も誓わせてください」

「誓うって何を?」

「女神様のために戦うことをです」


 ドロテアの助力は嬉しいし期待もしていたが、誓うと言われると重い気がした。


「そんな堅苦しいのはいいよ」

「こういうのはしっかりやりましょう」


 アンリがメリエルを見やると、メリエルは肩をすくめてみせる。

 アンリはため息をつく。


「軍とは違う方針で動くことになるかもしれない。それでもいいの?」

「構いません。私は女神様のなさることが正しいと思っていますから」


 こう言われるのはちょっと困る。自分に賛同してくれるのは嬉しいが、自分のやっていることが必ず正しいとは思えないからだ。結果、誰かを不幸にしてしまうこともあるだろう。


「女神様の通った道が正しい道となります。だから、思うようにお進みください」


 ドロテアの言うことは一理あるように思う。

 何かの方針に従って何かをしたとしても、それが正しいという保証はないのだ。アンリがこのまま連合軍として戦おうが、グィードにつこうが、どっちが正しいということはない。どっちかの魔物、人間が多く死ぬかの違いでしかないからだ。


「分かった。正しい女神にはなれないけど、この世界でやれることをやってみるよ」


 アンリは制服の上からつけたホルスターから拳銃を引き抜き、高く掲げる。


「アンリ」


 ドロテアがライフルを拳銃に接するに掲げる。


「ドロテア」


 やれやれとメリエルはナイフを抜く。


「メリエル」


 三人のそれぞれの得物が合わさる。


「天に誓う。我ら生まれたときは違えども、同じときに死せんことを願わん!」


 月明かりが三人を優しく包み込み、まるで天が祝福しているようだった。

 三人は照れ笑いをし、誇りをもって笑い、頼もしく思って笑った。


「ところで、今のセリフなんですか?」

「三国志。知らない?」


 ドロテアとメリエルは首を振った。

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