第13話「ダークエルフ」

 アンリはいったんウルリカの村に戻ることになった。

 正確には、村の中には入れなかった。得体の知れない魔神を村に入れることはできないと断られたのだ。魔神を手放すことも考えたが、味方のいない、敵ばかりの世界で頼れるものは他になかった。

 アンリは村はずれの小屋を与えられた。前の屋敷に比べればかなり粗末なものだったが、食べ物はドロテアが持ってきてくれるので、飢え死にする心配はなかった。

 村長と自分の立場や状況を話して起きたかったが、スタファンが来てから話すと断られてしまった。スタファンは戦後処理に追われているようで、村にはいつ戻るかしれなかった。

 やはり待遇はやはりいいとは言えなかった。召喚されたときほどの待遇は求めていないが、普通に客人として扱って欲しかった。

 村人の大半はアンリを、恨むようににらみつけるか、恐怖するように避けるかのどちらかだ。多くの家族や仲間を魔物に殺されたのだから、魔神を操るアンリを警戒するのは仕方ないのかもしれない。とはいえ、アンリにはまったく関係のないことだ。


「女神様、すぐに来てください!」


 ドロテアはだいぶ取り乱した様子だ。全速力で駆けてきたのか、息が上がっている。

 女神ではなく、普通の人間であることは何度も話したが、ドロテアはまだ女神呼びだった。召喚されてからけっこう経つのに、あまり親しくなれず悲しいものだ。

 ドロテアに案内されて、村長の屋敷にやってくる。

 そこに見知らぬ人がいた。

 褐色の肌をした大人の女性。背が高く、すらりとした体型だが胸が大きい。そして、耳が長くとがっていた。


「エルフ?」

「ダークエルフだ」


 そう言うのはスタファンだった。

 「なんだいたのか」「なぜ言ってくれない」「相談させてくれ」とあれこれ言ってやりたかったが、今は場違いと思って我慢する。


「ダークエルフ?」

「裏切り者の種族。魔物に魂を売ったエルフだ」


 スタファンの言葉には、軽蔑の意味が強く含まれていた。


「もともとエルフの一派で、魔王が世界を侵略したとき、真っ先に魔王についた。魔物に殺されることはなくなったが、代わりにその証として、肌を黒くされたと言われている」


 村長が補足する。

 エルフは魔王と戦った末に敗れ、滅んでいる。わずかに生き残りがいると噂されているが、誰も確かめた者はいない。

 そんな自分の種族をおとしめる発言を意に介せず、ダークエルフの女性は頭を深々と下げる。


「メリエルと言う」

「どうも、アンリです」


 年齢は二十歳を超えているだろう。礼儀正しく、真面目な性格のようだった。しかし、どこか冷たいところがある。

 握手しようと手を差し出すが、メリエルは手を出さなかった。


「今日は何の用で?」

「魔将ボリス様の使いで来た」

「え? ボリスの……?」


 ボリスに様付けしていることから、このダークエルフの女性はボリスの配下であることが分かる。


「ああ。お前に言づてだ。約束を果たせ、と」


 約束とは、ボリスに同盟を組まないかと誘われ、アンリは人間と話し合いをするになっている。

 しかし、スタファンに面会を断られ続けていたため、あれから全く話していなかった。

 すると、スタファンが不機嫌なのは、このダークエルフが「ボリスと女神が取引をした」とすでに話しているのだろう。

 アンリにとって非常に具合の悪いことだった。

 勝手に悪魔と手を組んだ。別にアンリがボリスに同盟を組むと約束したわけではないが、大元はアンリが提案したことである。それにボリスが乗った形だから、やはりアンリにも少なからず責任があった。

 アンリには、同盟を組むのが正解か分からなかった。

 同盟を組めば、この村々に死者はでないし、魔物から人間の領土を取り戻せるかもしれない。もちろんボリスの領土を増やすことになるが。

 また、魔神の力を得た自分が人間と協力できれば、ボリスに対抗できるかもしれない。けれど、スタファンは自分を裏切り者だと思っているので、信じてもらえるかは定かではなかった。


「私は……」

「了承しよう」

「え?」


 アンリの言葉を遮ったのは村長だった。


「ボリス様によろしくお伝えくだされ」

「村長いいんですか!?」


 アンリの発案とはいえ、人間側が受け入れるとは思っていなかった。それは魔物に対して降伏を宣言したようにも聞こえたため、アンリは反論してしまう。


「いいもなにも……」


 村長は困惑する。


「もう俺たちに戦う力はねえんだよ……」


 スタファンが自嘲気味に答えた。


「どういうこと?」

「あの戦いで大勢が死んだ。メシアンの連中も全滅していた……」


 メシアン村の精鋭は別働隊を率いて、渓谷に入った魔物を挟撃する予定だった。しかし、他の魔物と遭遇し、そのまま全員やられてしまい、スタファンの本隊と合流することはなかったのである。


「一方で、ボリス様もだいぶ消耗されたはず。切り札として魔神を持つ我らと戦うには余力がない」


 村長のラモンが言う。

 ボリス側の使者であるメリエルの前で明け透けに言うのは、互いに了承していることのようだった。


「ここは手を組んで、他の魔将から領土を奪い取るのがよいと判断したのです」


 弱った者同士が手を組んで、強敵を倒す。理屈は通っているが、それは人間同士の話。

 今回は相手が魔物だ。そんな都合よく進むのだろうか。

 村長もスタファンも、心の底では納得してないのは分かる。しかし、同盟をしなければ立ちゆかないレベルになっているのだ。

 アンリは何も言えなかった。村の二人がそう言うならそれに従うしかない。自分に何か役に立つことがあるならば、魔神で戦おう。


「ボリス様もお喜びになることでしょう。それでは」


 メリエルは慇懃にお辞儀をする。


「あ、私送ってきます!」


 アンリはメリエルが退出にするのに続いて、村長の屋敷から出た。


「見送りなどよいものを」

「いえ。聞きたいことがあるだけなので」

「聞きたいこと?」

「はい。ちょっと歩きませんか? 私の家、ぼろいですけど向こうにあります」


 メリエルはうなずいた。

 メリエルもアンリに興味があるのだろう。


「メリエルさんはどうしてボリスに従うんですか?」


 人間がこうしてボリスと同盟を組むまで、様々な問題があった。ダークエルフのメリエルはどのようにしてボリスに従うと決めたのか、疑問だったのだ。ボリスは信用できる相手なのか。ダークエルフはそんなに追い込まれている状況なのか。


「一族が仕えていた。それだけのことだ」

「え? 確か、代々魔物に仕えているとか?」

「代々というよりも、親の代だ」

「親……?」


 魔王が世界征服を行い、勇者が封印したのは200年前のことだと聞いている。親が200年前に生きているはずがないので、計算が合わない。


「もしかして、すごい年齢だったりします……?」

「ああ。これでもエルフだからな。100年は生きている」

「すごい……」


 ファンタジーでよく聞くエルフだ。人間とは比べることのできないほど長命。このダークエルフのメリエルは100歳というが、20歳ぐらいにしか見えなかった。


「すごいものか。生きていても、何一つ良いことがない……」


 その言い方に、長い月日を生きた者の思いを感じさせるものがあった。


「聞かせてくれませんか?」

「は?」

「私、この世界に来たばかりで、よく分からないんです。ここで何があったか知りたいんです」

「人間によって地上に降ろされた女神、だったか」


 メリエルのその言い方は、アンリを女神だと信じていない。


「それは村の人たちが言ってるだけで、私は普通の人間……」


 100年も生きていれば、女神がこんなのでないことぐらい分かるだろう。アンリはすごく恥ずかしくなり、これまでの経緯を話した。


「そういうことか。ふむ……確かに普通の人間だな」


 メリエルはアンリの体をあちこち触って、体つきを確かめる。


「ちょっと、くすぐったいって。メリエルさん」

「魔物のように魔法で構成されているわけでもない。しかし、お前も災難だな。異世界のごたごたに巻き込まれるとは」

「ええ、まあ……」


 この世界に来てから波瀾万丈なのは間違いない。けれど、元の世界を思うと胸が苦しくなる。親友のアスカは今頃何をしているだろうか。あちらも戻れば大変な状態になっているはずだ。


「ダークエルフはその名の通り、エルフ族の汚名だ。魔王に味方した理由は簡単、滅ぼされたくなかったから。仲間を売ることで、自分たちだけは助けてくれと魔王に交渉したんだ」


 アンリは今の状況とちょっと似ている気がした。

 村長や村人は生き残るために、魔物と同盟を組んだ。これで自分たちがボリスに殺される心配はないが、いずれ人間と争うこともあるかもしれない。そうなれば、ダークエルフと同じ状況になる。そうでなくとも、他の人間からすれば、魔物と手を組むだけで、裏切り者に見えるかもしれない。


「しかし、魔王は勇者によって封印された。そうなれば、あとは人間の時代。魔物は次々に駆逐され、数を減らした。魔王に加担したダークエルフは、裏切り者として迫害されることになる。故郷を追われ、魔物すら住まぬ不毛の地に行き着いた」

「そんな……」


 人々の恨みは深く、戦いが終わったからといって、あのときは裏切っても仕方なかったと許してくれるわけではなかった。


「魔物が減り、人間たちの生活は豊かになるが、今度は人間同士で富の分配について揉める。ろくでもない戦争だったよ。魔物を倒すために一致団結したはずが、今度は自分たちで殺し合いをするのだからな。この200年、人間相手の武器だけはかなり進歩したが、他は何も変わっちゃいない。もっとも、生まれる前の話は詳しくないが」

「それで、最近魔王が復活したんですよね?」

「ああ。原因は何か分からない。そもそも、魔王がどうやって封印されていたかも分からない。だが、魔王は突如復活した。魔物を次々に生み出し、戦争している人間の街に送り込んだのだ。魔物対策をしてこなかった人間は敗北を続けることになる」


 そして今に至るわけだ。

 七人の魔将が魔物を束ねて、人間領を犯している。負けた街の人間は殺されるか、隷属するかしている。


「負けるべくして負けた。人間は魔王に勝てるのかな……。あ、ごめんなさい。メリエルさんはそっち側ですよね」


 素朴な疑問が口に出ただけだったが、相談する相手が間違っていた。


「気にしないでいい。私も好きでこっちにいるわけではない」

「どういうこと?」

「200年から裏切り者のダークエルフに行くところなんてない。世界を支配しようとする魔王軍に誘われたから味方している、それぐらいの理由だ」

「そうなんですか……」


 おそらく、人間からは助力を断られているのだろう。


「魔王に勝てるかどうかだが、人間では到底勝てぬだろう。人間は力も武器も貧弱だ。あれでは七将にも勝てるはずもない」

「そうですね……」


 ボリスの力は十分に味わった。魔神がなければ、ここらの村はすべて滅ぼされていたかもしれない。


「だが、魔将と組めば話は別だ。一気のパワーバランスが崩れる。他の魔将を倒せるだろうし、他の街と合流できれば人間も力を取り戻すかもしれない。お前のアイデアは間違っていないと思う」

「メリエルさん」


 この世界に来てはじめて肯定された気がして嬉しくなる。

 裏切り者の一族と言われていたが、アンリにとっては人間よりも信頼できると思えた。


「あ、でも……」

「どうした?」

「勇者はどうやって魔王を封印したんでしょうか? 200年、今と同じような状況だったんですよね? 魔王に侵略されて人間はピンチ。しかも武器は今よりも弱い。そんな状況で人間が勝てるはずが……」

「考えてもみなかったな……。200年前のことは、私からしても大昔の話だ。勇者が特別な力で魔王を倒したと聞いて、疑問を持たなかった」

「でも、人間は魔法とか使えないんですよね?」

「ああ。古代エルフは使えたという伝承はあるが、人間が使えた話は聞いたことがない」


 謎だった。

 昔話やおとぎ話で、人間が悪魔や鬼を倒したという話はよくある。しかし、人間を苦しめる悪魔たちをどうやって倒したのだろう。そこに神様の加護があった、という話もないことはないが。


「神というものが本当に存在するのか。もしくは、勇者が神のごとき力を持っていたか……」

「それか、魔物と手を組んでいたという可能性もあります」

「ほう、あり得るな」


 こうして人間と同盟を組もうとする魔将がいるのだ。当時も、勇者と組んだ魔物がいてもおかしくない。


「これが私の家です。ぼろいですけど」


 10分ほど歩いて、アンリが借りている小屋に到着する。

 しかし、メリエルは小屋を見ることなく、近くに置いてあった魔神に目を奪われていた。


「これが魔神か……」

「はい。何かよく分からないけど……」

「すごいものだな……」


 メリエルは近づいて魔物をしげしげと眺めている。

 人間は怖がって近づかないが、メリエルは魔物と取引をしているから慣れているのだろう。


「本当に魔物のようだ」

「どうやら魔法で動いているみたいです。怪我も勝手に治っちゃいますし」

「名は? この魔物は何という?」

「え?」


 名前は知らない。見た目から魔神と呼んでいたが、正体が分かるものはまるでなかった。


「アスカ……」

「ん? 魔神の名か?」


 名前と聞いて、親友の名前が一番に思いついた。


「……皮肉だよね。名前は明日香なのに、明日すらないんだから……」


 杉崎明日香。きっと両親が明るい明日を願ってつけた名前だ。しかし、校舎から飛び降りたアスカに明日はあるのだろうか。


「あ、あすすら……アスラです」


 アスカを魔神の名にするのはあんまりだ。アンリは言い換える。


「アスラ、良い名だ」


 明日すらない。それは自分に言えることかもしれないと、アンリは思う。この異世界で生き残り、元の世界に戻れる算段はまるで立たない。支えとなるのはこの魔神だけ。

 アスラ。アンリもよい名前のように思えてきた。

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