第12話「撤退」
恐怖は感じていなかった。
持っている武器を一振りする。そのイメージをすれば、次の瞬間には敵が真っ二つになっている。
敵の攻撃は豆鉄砲のようだった。ゴブリンたちが弓矢を射かけてきてくるが、厚い外殻に傷をつけることができない。
アンリはあっという間にゴーレムをすべて撃破してしまう。
「みんなは無事?」
振り返って、連合軍の様子をうかがう。
皆、アンリの登場に驚いているようで、戦う手を止めていた。
「大丈夫そうね」
連合軍は負傷している者も多いが、ゴーレムを倒して巨大な敵はいなくなり、残っているのはゴブリンなどの小型の魔物だ。
アンリはゴブリンに向き合う。ゴーレムがあっさりやられたのを目撃したゴブリンたちは、恐怖を感じて後ずさりを始める。
ゴブリンに向かって切りつけようとして踏み込んだところに、上空から甲高い叫び声が聞こえた。鋭く耳に不快な声だった。
見上げると赤い鳥が5羽、飛んでいる。かなり大きな鳥だ。いや、鳥ではなかった。悪魔だ。
レッサーデーモン。ボリスを何段階か小さくしたような悪魔で、華奢で小柄なボディに、角や尻尾をはやしている。
レッサーデーモンたちは上空から、赤い火炎弾を吐きかける。高熱の炎がアンリに迫る。
アンリが大剣で弾を受けると、炎が魔神を包むように広がっていく。
「あつっ!!」
炎で焼かれた気がして、思わず口にしていた。
しかし、実際には若干、魔神内部の温度が少し上がっただけで、魔神の外殻は焦げてもいない。
ボリスによって空けられた胸の穴は、いつの間にかなくなっていた。どうやら自然に修復されたようであった。これも魔法の力なのかもしれないと、アンリはびっくりしていた。
レッサーデーモンは続いて火炎弾で攻撃してくる。どうやら陸上よりも空が得意なのか、空中戦を誘っていた。
アンリもこのまま攻撃を受けているわけにはいかないので、魔神の翼を広げる。
まだ空での戦いには不慣れだが、感覚はつかんで来ている。地上と違い、踏ん張って剣を振ることができないので、そこはまだしっくりこない。
アンリが空に上がると、レッサーデーモンは囲むようにぐるぐると飛び回る。
「くっ……」
レッサーデーモンの動きがアンリを翻弄する。
どれかに斬りかかろうとするも、すぐに移動してしまって、なかなか踏み出せなかった。
アンリが動けないでいると、レッサーデーモンは火炎弾を一斉に放つ。
アンリは剣で防ぐが、集中砲火を受けて魔神は炎上する。
当然魔神は無傷だが、内部は蒸し焼きにされて灼熱地獄だった。
「あ、暑い……」
汗が滝のように流れる。アンリは全身汗だくになり、ブラウスのボタンを全部外す。ここは魔神の中だ。どうせ誰かに見られるわけではない。
しかし、このまま攻撃を受け続けると、暑いでは済まなくなる。
アンリは思い切って、一匹に狙いを定めて突進する。そのまま、剣を突きを入れる。
あまりの速さにレッサーデーモンは反応できなかった。剣がレッサーデーモンに振れると、体はバラバラになり、落ちていった。
「い、一匹……」
アンリは次の目標を決め、そして踏み込もうとするが……。
突然、背中を思いっきり強打された。
「なっ!?」
すぐ後ろには何もいなかったはずと思った瞬間、今度は爆発が起きる。
魔神は爆発の衝撃をもろに受けて、渓谷の壁に打ち付けられ、体がめり込んでしまう。
「ぐふっ……」
激しく揺さぶられ、頭がホワイトアウトする。
「いったい何が……」
翼をうまく使って壁から這い出ると、すぐに何の攻撃を受けたか分かった。
人間たちの大砲だった。
大砲の一つから煙が上がっている。
「誤射?」
上空には、レッサーデーモン4匹と魔神がいる。
大砲は精密射撃できないので、誤って当ててしまった可能性がある。しかし、当たりそうな場合は撃たなければいいだけの話だ。
そして、他の大砲が火を放つのが見えた。こちらを狙っている。
アンリは急いで高いところへ飛ぶ。
アンリがいた壁に命中し、壁が崩れて地面に落下する。
「私を狙ってる?」
大砲が撃ったとき、レッサーデーモンは離れた位置にいた。今の攻撃は明らかに魔神を狙っていた。
人間にまた裏切られたのか。銃で撃ちかけられながら、夜道を走ったことを思い出す。
魔神の力で治ったはずの左足が痛んだ気がした。
「どうして私ばっかり……」
村人たちのためにボリスと交渉した。そして今も村人たちのために戦っている。それなのに、人間は自分を責め、攻撃してくる。理不尽すぎる。
『復讐すればよいのではないか』
何か聞こえた気がした。
しかし、近くには誰もいない。レッサーデーモンの声とも違う。
「恨んでるわけじゃない!」
アンリは迷いを振り払うように首を振る。
考えて見れば、人間の兵士たちは魔神にアンリが乗っているのを知らない。もしかすると、強そうなほうを先に倒そうとしているのかもしれないと、アンリは考えた。
「困ったな……。でも、とりあえずこの悪魔を倒さないと」
そこでアンリは剣を落としていたことに気づく。初めの一発をくらったときに落としてしまったようだ。
アンリはやむを得ず、肉弾戦を仕掛ける。
リーチがある分、剣のほうが戦いやすいが、この体を使って敵を打ちのめす感覚も嫌いではなかった。
敵の火炎弾を避けながら飛行し、跳び蹴りを放つ。足の巨大な爪がレッサーデーモンの翼にかする。翼が切り離され、レッサーデーモンは揚力を失い、地面に落ちていった。
正直、当て損なったと思っていたのでびっくりする。悪魔の爪は伊達ではないようだった。
「それならっ!」
アンリは指をそろえて突き出し、貫手を放つ。
爪で相手を突き刺すイメージ。
魔神の爪が一気に伸び、硬質化する。レッサーデーモンの胴体に4つの穴が空く。
「よし! 思った通り!」
手の爪も武器になるのではないのかと思ったのだった。
ボリスは魔法で巨大化して見せた。魔神も胸に空いた穴を修復した。ならば、爪だって大きくすることができるはず。
続いてアンリは別のレッサーデーモンを爪で切り裂き、その返り血を浴びる。
「あと一匹!」
こうなればあとは簡単だ。
レッサーデーモンは形勢不利と見て、後退を始める。アンリはすぐに追いかけて、爪でその体を引き裂いた。
地上のゴブリンたちは大慌てであった。
レッサーデーモンが全滅したのを見て、勝機なしと武器を投げ捨て逃走していく。
魔物たちは渓谷から撤退した。人間たちの勝利だ。
ほっとしたのもつかの間、魔神に砲弾が接近していた。人間が撃ったのだ。
アンリはとっさに手刀で砲弾をはたく。すると、砲弾は爪で真っ二つにされ、アンリの後方で爆発する。
戦闘はこれでおしまいだ。早く誤解を解かなくてはいけない。
「攻撃をやめてください!」
アンリは地上に降りた。空にしては狙い撃ちされてしまうし、恐怖を与えるだけだ。
着地した魔神に、兵士たちは銃を向ける。
どうすれば、この魔神から出られるのだろうと思ったが、出たいと念じたときには、胸と腹がパカッと上下に割れ、外界が見えた。継ぎ目があったようには思えない。おそらく今、魔法によって二つのパーツに分かれたのだろう。
「私です。……女神です」
アンリはちょっと考えてから、女神と名乗った。
そういえば、一方的に女神と呼ばれていたので、名前を名乗っていなかった。
「貴様……本当にあのときの女神か……?」
その声には聞き覚えがあった。村にいたスタファンである。この戦いでは軍団長を務めている。
「そうです! こんなのに乗ってますが女神です。助けに来ました」
スタファンは沈黙する。
今起きている事態に理解が追いつかないのだ。
アンリはつばを飲み込む。兵士たちはまだ銃をこっちに向けている。攻撃命令が下れば、自分は確実に殺される。
「銃を下ろせ」
スタファンが命じ、兵士たちは銃を下ろした。
アンリは胸をなで下ろす。
「今は信じよう」
スタファンは苦々しい顔をしている。
本当は女神の助けられたことを認めたくないのだろう。そして、まがまがしい魔神に乗っていることもあって信用したくない。
しかし今は大戦が終わったばかりだ。スタファンにはやらなければいけないことがたくさんある。
「話はあとで聞く」
そう言うと、振り返って歩いていってしまう。
「ちょっと待ってください! 私、どうすれば?」
「皆、負傷者の救出に当たれ!」
スタファンは部下に命令し、そのまま後方の陣へ下がっていく。
勝利を祝わなかった。人間側が勝ったのに。
女神に助けられたのが気にくわないのと、人間の受けた損害があまりにも大きかったからだ。
兵士たちも勝ったからといって、大騒ぎする気になれなかった。皆、疲労困憊し、恐怖が去ったことで脱力している。
「あ、行っちゃった……」
助けたことが村人たちとの関係修復になればと思ったが、まだ話し合いはできそうになかった。
アンリは先ほどの火炎弾を受けて、体がほてっていた。
「はぁ……なんか飲みたいな」
喉も渇いている。
パタパタと手で扇ぐが、ブラウスがはだけたままになっているのに気づいて、すぐに閉じる。
とりあえず、敵ではないと認識してくれたようでよかった。アンリは魔神をひざまずかせ、魔神から降りた。
アンリは魔神を見上げる。
「これがあったから助かった……」
これは一体なんだろう。
出会ってからずっと助けられているが、得体が知れない。見た目はどう考えても魔物だ。
メカやロボットという無機質なものではなく、生物のように生きているような感じがする。
「女神様、これは……」
後ろから話しかけられる。
ドロテアだった。
足に包帯を巻いた兵士、ゲオルグに肩を貸している。
「ドロテア!? よかった、無事だったんだ!」
ドロテアは自分の案外係で、村人の襲撃から助けてくれた。唯一、この世界で自分に対して友好的な人物だ。
「これに女神様が?」
「うん、私が乗って戦ってた」
ただ事実を言っただけだったが、ドロテアににらまれて気がした。
「……そうですか。やはり女神様が私たちを助けてくだったのですね」
「う、うん……」
素直に喜んでいるようには思えなかった。
女神が魔神に乗っているのが受け入れられないのだろうと、アンリは思う。アンリだって、できるなら天使のような純白の格好で戦ってみたい。
「あの、飲み物をもらえるかな。喉かわいちゃって……」
人間たちの誤解を解く必要はあるが、今は何より水だった。このままでは熱中症になってしまう。
「はい、陣に戻れば……」
「手伝うよ」
アンリはゲオルグに肩を貸す。
ゲオルグはびくっとする。それは自然に生じた拒否反応だった。ゲオルグがやろうとして起きたものではない。
「あ……」
「す、すみません、女神様。気が痛んだもので」
「そ、そっか」
「ドロテア、俺は大丈夫だから。女神様をご案内して」
ゲオルグはドロテアから離れて、近くの木箱に腰を下ろした。
「はい……。あ、これを」
ドロテアは指輪をゲオルグに渡した。
ゲオルグが特攻の前に預けた結婚指輪だ。
「ありがとな」
ゲオルグは微笑む。
その顔は「恨んでないから」と言っていた。
ドロテアは申し訳なさそうに頭を下げる。
「それでは行きましょう、女神様」
アンリは久しぶりに水を飲んだ。
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