第30話「悪魔の所業」
「いったい何があった……?」
後詰めの魔物軍とともに王都入りしたボリスがつぶやく。
部隊を一人離れ、爆発の様子を見に来たが、惨憺たる有様だった。繁栄を誇った街が焼け野原になっている。
魔神かグィードが引き起こしたに違いないが、これほどのパワーを秘めた魔物がいるとは認めなくなかった。
「あれは……」
廃墟の中に魔神が膝をついて座っているのが見えた。そばにアンリが投げ出されたように倒れている。
「うっ……ううっ。くっ……これは……」
アンリは目を覚まし、はじめに目にしたものに絶句してしまう。
50万人住むという壮大な王都の町並みが消えていた。人々の住むマンション群はどこにいったのだろう。ついさっきまであったはずなのに。
「いったい誰が……」
「さすがは女神殿。俺の仕事を残してくれても、よかったのではないか?」
翼をたたみ、ボリスがアンリに近くにゆっくり降りてくる。
「私じゃない……。こんなことしてない……」
「これはこれはご謙遜を。グィードをこの手で仕留めてやりたかったが……前回はいいところをもらってしまったからな。まあ、よしとしよう」
グィードの気配が感じられない。ということは、魔神がグィードを撃破したのだろうと、ボリスは推測した。
ボリスは中盤戦以降で、グィードとの直接対決のために体力を温存していたが、もう出番はなさそうであった。
ボリスが人間と共闘し、魔物と敵対しているのは、人間相手では手応えがないからである。魔王やその支配体制に不満があるわけではなく、魔将と戦うこと、版図を広げることに興味があり、結果的に魔王に逆らっている状態だ。なので、このように魔将と戦えないのは非常に残念であった。
「違う……私はやってない……」
「では誰がこのようなことをできると?」
その通りだった。
グィードの魔法もかなりの破壊力を持っていたが、街をまるごと破壊するような力は持っていない。
「貴様、自覚がないのか。この惨状はなんだ? 何十年、何百年もかけて築き上げてきた街が焼け野原だぞ。住人はどこにいった? まとめて消したのか? 悪魔の俺でも言うぞ。魔神の所業に違いない、とな」
「…………」
アンリは何も返せない。
おぼろげに記憶があった。グィードと戦っている様子。それは自分で動かして戦っているのではない。もっと主体性がなく、映像を見ているだけの感じ。
絶対に認めたくないことだが、この魔神が街を破壊したのだと認めざるを得なかった。
街を壊してしまった。住民の避難は終わっていたのだろうか。巻き込まれた人はいたのか。人を殺してしまったのか……。
自分が手を下したわけではない。それが唯一、アンリの心を安らかにするものだ。しかし、自分に原因があることは分かりきっている。自分が気を失い、代わりにアスラが戦った。その結果がこれだ。
ことの重大さに言葉が出ない。アンリは茫然自失する。
大勢の人を殺してしまったかもしれない……。
「悪魔は……」
「ん?」
「悪魔は破壊することが好きなの?」
「好きに決まっていよう。敵を殺し、物を壊すことに喜びを感じる。これは悪魔の根源なのだろう。それがなぜかは分からん」
「……よかった。嬉しくない」
「うん?」
「ううん! なんでもないの」
自分は破壊することに喜びを感じてない。それは悪魔ではないということだ。当たり前のことだが、確認しておきたかった。そうでもしないと、自分の心を保てない。
人を助けるために戦っているのに、自分が街を壊し、人を殺してしまうなんて。なにが女神だ。
「俺は一度、本隊に戻るが、貴様はどうする?」
「私は……」
近くに敵はいない。戦っていたはずのグィードの姿もない。ならば、次にやることは。
「ドロテアたちを探してくる」
壊れたものは元に戻せない。それが罪ならば償おう。
しかしその前にやることがある。生きている者を助けなくてはならない。取り返しがつかないことになる前に。
アンリは魔神に乗り込み、羽ばたいた。
空からは被害の大きさがよりいっそうよく分かる。
「ごめんなさい……」
今は他にかけられる言葉が出てこなかった。
「なんて無力なんだ……」
親友のアスカを救えなかったことを思い出す。助けたいという思いだけでは、相手を救えないことがあるのだ。
自分は清らかで全知全能な女神ではない。だから救えない。
しかし、悪魔でもない。このようなことになれば、ひどく胸が痛む。
「それでも……私は前に進むよ。それしかできないから」
ドロテアが言った。アンリの進む道が正しいと。何が正しいかを決められる人なんていない。だから、自分の信じた道を進むしかないのだ。
立ち止まったとき、それがこれまで歩いた道が間違いになる瞬間なんだとアンリは思う。ならば絶対に止まらない。
「やりとげてみせる」
人を救いたいという気持ちは決して変わらない。戦争や暴力は嫌いだけど、それで命が救えるならば剣を振るう。戦って戦って戦って……この戦争を終わらせることが自分の道だ。
アンリは速度を上げて飛んでいく。
「悪魔の所業、か……」
ボリスは、破壊されてその場に転がっていた天使の像を踏み潰した。
ウェアウルフは人間のような体格をしている獣人で、2メートルぐらいの高さがある。150センチ程度しかないドロテアにとって、接近戦をやるには厳しい相手だった。
ウェアウルフは剣を繰り出してきた。
ドロテアは剣で受けるが、反動で足下がふらつき、落ちそうになる。
獣人は人間よりも身体能力が高く、平衡感覚もある。こういう足場の悪い場所での戦闘もいとわない。
今度はドロテアから仕掛けるが、ウェアウルフはジャンプしてかわし、器用に細い鉄骨に着地してみせる。
「くうっ……」
ドロテアは間合いを取るため後ろに下がろうとするが、後方からもウェアウルフが鉄塔をよじ登っているのが見えた。
「挟まれた……」
ドロテアは剣を突きつけ牽制しようとするが、有利な立場にあるウェアウルフは前進を続け、距離を詰めてくる。
自分でも血の気が引いていくのが分かる。自分の生きられる可能性がどんどん減っていっている。
「はあ、はあ、はあ……」
体の疲労はたいしたことないのに呼吸が浅くなっている。
メリエルは何をしているの?
頭上を見上げるがメリエルの姿は見えない。
メリエルが自分を置いていったからこんなことになってしまっている。自分一人で敵を抑えられるわけないのは、分かっていたはずじゃないか。
「ダメだ……」
ドロテアは首を激しく左右に振る。
こんなときに至って人を恨んでしまった。メリエルは女神アンリと一緒に戦うと誓った仲間なのだ。
メリエルが自分をここに残したのは、自分を信じてくれたからだ。
「私だってやってみせる」
ドロテアはわずかな可能性でもたぐり寄せようと、逃げられる場所を探して上下を見る。
上は高さがある。鉄骨に飛びついた瞬間に切りつけられてしまうだろう。下は……逃げられるが、飛び降りたところで鉄骨に着地できる保証がない。それに下方にはウェアウルフたちがたくさんいる。
「こうなったら……いちかばちか……」
ドロテアは剣を鞘に戻す。
この行動にウェアウルフは不審に思いつつも、ついに観念したのだと認識する。
「うあああああーっ!!!」
ドロテアは前のウェアウルフに向かって体当たりした。
剣をしまったのは、相手の腕を押さえつけるためだ。そして、ウェアウルフの長い顎に掌底を打ち込む。
たまらずウェアウルフは剣を取り落とす。だが、ウェアウルフを突き落とすには至らなかった。
その間に背後のウェアウルフが接近している。
速い、速すぎる。
振り返ったドロテアには、ウェアウルフが剣を振り下ろすところが見えた。
「あ……」
逃げるくらいなら立ち向かう。勇気をふりしぼって覚悟を決めて突っ込んでみたものの、数的不利も体格的不利も跳ね返すことができなかった。
私、死ぬんだ……。
ドロテアはそう感じた。女神アンリに死ぬときは一緒だと誓い合ったばかりなのに、自分はここで一人死んでしまう。
約束を破ってしまって申し訳ない。アンリの進む道を支えてあげられなくて悔しい。
メリエルならきっとアンリを導いてくれるだろう。弱くてみじめな私とは違う。私よりも強くて、勇敢で、冷静で、判断力が……。
「あって……」
ドロテアの視界になぜかメリエルがあった。そして、一瞬にして通り過ぎていく。
「え!?」
メリエルの消えた先を追うと、メリエルはウェアウルフに組み付き、ともに落下していた。
鉄塔の上からここまで飛び降りてきたのだ。
「メリエルっ!!」
落下していくメリエルにドロテアの言葉は届かない。
突然、頭に激しい衝撃が走る。
「ぐっ……」
目の前にいるウェアウルフに肘鉄をくらったのだ。
頭が揺さぶられ、体がふらつく。
一歩でも違う方向に踏み出せば、足場はない。しかし、視界と感覚がぐらついて、どこに鉄骨が伸びているのか分からない。足がどっちに向いているのかも分からない。
「あっ」
体が大きく傾く感覚があった。
足を踏み外していたのだ。
だが、火事場の馬鹿力というのだろう。とっさに伸ばした手が鉄骨をつかんでいて、ドロテアは突然の死を避けることができた。
といっても窮地にあることは変わらない。
メリエルはすでに落下してしまった。上にはウェアウルフが剣を構えて、にらみつけてくる。
「う……」
両手はふさがっていて、腰に剣があっても引き抜けない。
ここでドロテアに取れる選択肢は二つ。
一つはウェアウルフに剣で刺されて落ちる。もう一つは、鉄骨から手を放して落ちる。
ウェアウルフの剣が迫る。
(女神様ならどうするだろ……)
ドロテアは最期にアンリのことを考えていた。二つの選択肢、どちらだろうか。いや、どちらの選択肢も選びそうにない。消極的な死と積極的な死。アンリが死を選ぶはずないのだ。
ドロテアは片手を離して、腰の剣に手を伸ばす。
だが判断が遅かった。
ウェアウルフの剣がドロテアの髪を切り裂く。そして地面に向かって落ちていった。
「え?」
ウェアウルフの額にナイフが刺さっている。
ウェアウルフは背後にのけぞり、そのまま鉄骨から落ちた。
「危なかったな」
背後から声がする。
当然、知っている声だ。
「メリエル!」
メリエルが魔神の手に乗っていた。
「危機一髪だったね」
魔神の胸が開き、アンリが顔を出す。
アンリは発煙筒の赤い煙を見つけ、鉄塔に急行した。そしたらメリエルが転落していたので、魔神を急降下させて救出したのだった。
「女神様!」
メリエルが鉄骨に飛び乗り、ドロテアを引き上げる。
「発煙筒のところにスティーグがいる。なんとか生きているが、もう危ない。すぐ医者のところへ!」
「分かった!」
アンリはスティーグをピックアップして、ドロテアとメリエルも手に乗せて、本隊を目指した。
戦闘は小康状態になっている。攻撃を受けなければ、三人を連れて空を飛んでいられそうだった。
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