第9話「反撃」
「……つうっ。いたた……。何回落ちればいいのよ……」
アンリは森に墜落していた。
直近で何度も落下していたが、今回もどうやら助かったようだ。これに関しては、女神の存在を信じたくもなる。
「あれ……?」
アンリの前には魔神がいた。
木々を押しつぶし、巨大な魔物が仰向けに倒れている。
アンリの思考が停止する。
「えっと……私が魔神で? これが魔神で? ……私は誰?」
アンリ自身が魔神だったはずである。川でその姿を見たし、自分の手足のように魔神は動いていた。
しかし、目の前に魔神がいるということは、また違う事態が起きている。
今の体は元の自分の体だった。若い女性の体。ちゃんと人間だ。
ボリスに空けられたはずの穴は、胸になかった。その痛みもない。まさに死ぬような激痛を感じたはずだった。
顔を触っても、ゴツゴツしてなかった。汗まみれで、ぬめっとしてはいたけれど。
「元に戻った?」
一番納得いく答えはそれであった。
今度は魔神を調べてみる。
魔神は相変わらず大きい。自分の三倍以上ある。重量で言えば何倍か、分かったものじゃない。
恐る恐る触ってみたが、動き出しそうな気配はなかった。完全に停止している。
大剣は近くに転がっていた。緑の血が付着していて、それはこの魔神の血だ。胸に刺さっていたはずだが、抜け落ちたようである。
魔神の胸はやはり、剣で貫かれた大穴が空いていた。
「これって……」
穴から中をのぞき見ると、魔神の体内にぽっかりとした空間が空いていた。
アンリは直感的に悟る。
「私、この中にいたの……?」
中は人一人が十分入れる大きさだ。この中にいて、魔物の一部になっていたのではないだろうか。そこを胸に大穴を空けられ、転落した衝撃で投げ出されたと考えれば、納得がいく。
一方で、どうして自分が魔物の中にいたのかという疑問も湧いてくる。しかし、この魔神と遭遇したあとの記憶がないため、喰われたのではないだろうかと想像することしかできなかった。
「あのときは体がズタボロだったから……。って、待てよ」
体の痛みがなかった。銃で撃たれたのに、左足はキレイなままだ。崖から落ちた打撲のような跡もない。そして、血まみれだったはずなのに、血もなくなっていた。
「こんなことあるの……?」
人知を超えることがいくつも起きていて、理解がまったく追いつかなかった。
そのとき、近くで爆発音がする。
ボリスが地面に向かって魔法を放ったのだ。続いて、また爆発が起きる。
「私を探してる……?」
アンリが落ちた森は高い木々が群集していて、魔神を覆い隠していた。ボリスはアンリを見失い、魔法をめちゃくちゃに放って、あぶり出そうとしているようだった。
この人間の体で、あんな魔法を受けたら間違いなく死んでしまう。
どうすべきか、いくつか考えて見たが、ただの人間が羽の生えた5メートルを超す魔物から逃げられるはずがなかった。
そこで奇策に思い至る。
「魔神なら……」
再び魔神になることだった。
さきほどまで魔神として戦っていたときは、正直嫌だった。それは戦うのが怖いというのもあるし、自分が魔神となってしまった憎悪や恐怖があった。
しかし、今は自分の体に戻っている。つまり、魔神になったわけではないのだ。
おそらく、この魔神の中に入ることで魔神を動かせる。それなら、恐怖の感じ方は全然違う。やはり、人間である以上、自分が魔神になった、という事実は非常に重く、受け入れることはできない。
アンリは空けられた胸の穴から中をのぞく。
魔物の体内だからといって、内臓がうごめいている感じではない。木にぽっかり空いた、うつほのようになっている。
アンリは意を決して、穴から内部へと体を滑り込ませた。
魔物の体の中に入るのは気色悪い、気持ち悪いと思ったが、案外そうでもなかった。どこか心地よさもある。優しく包み込まれている、という温かさのようなものだろうか。
「ここに座れってこと?」
中は人が座れるように形取られていた。
実際に座ってみると、ロッキングチェアのように背をゆったり預けることができた。
どうして椅子があるだろうか。これでは人が座るのを前提で作られていることではないか。
「問題はどうやって動かすかだけど……」
さっきまでは、自分の手足のように動かすことができた。今は自分と魔神はまったくの別物だ。
そこには、車のようなハンドルやボタンがない。当然、飛行機のようにたくさんのスイッチ、計器類があるわけでもなかった。
これは機械ではないということだ。
「魔物を動かす方法? ……魔法ってことだよね」
魔物は物理法則に反した空想の生物。それを実現するために魔法が用いられている。ならば、魔物を動かすのは魔法しかない。しかし、人は魔法を使えないと、ドロテアが言っていた。
「さっきまで動かせたんだ。動かせないわけがない!」
魔神の体が揺れる。地面からの振動からだ。
ボリスの絨毯爆撃が近づいているようだった。
「イメージ……。魔神を自分の手足として動かすイメージ……」
翼を動かすイメージをすることで、空を飛ぶことができた。それと同じように、この魔神を自分の体の一部、延長、いや同じものとしてイメージすれば、動かせるのではないか。
爆撃がすぐ近くに迫る。
「くっ……」
爆風が魔神内部までに吹き込んでくる。
(ジタバタしない! 人事を尽くして天命を待つだけっ!)
焦る気持ちを抑えて、集中する。
私は魔神だ。魔神は私だ。手足は自分のように動く。私には翼がある。
「飛べっ!!」
魔神が静かに立ち上がり、翼が大きく広がる。そして、地面の叩きつけるように扇ぎつけた。
「飛んだ!」
魔神は地面に別れを告げ、大空に羽ばたいた。
大穴からは強風が吹き付けてくる。
(気持ちいい。これが空を飛ぶということなんだ!)
「のこのこと出てきたな」
飛び出した先に、ボリスが待ち受けていた。
胸に空いた穴から、ボリスの赤い巨体が見える。
「貴様……あのときの女神!? なぜそのようなものに乗っている!!」
見えるのはボリスも同じだ。穴の隙間から、アンリの姿を確認する。
「先手必勝っ!」
翼をはためかせ、一気に加速する。そしてパンチ。
「ぐはっ!?」
ボリスの顔を殴りつける。不意打ちにボリスはなすすべがない。
さらに近づいてもう一撃を入れ、ボリスは吹き飛んでいく。
「よし、いける!」
魔神の体は思った通りに動いた。攻撃もできている。これなら、相手が歴戦の魔将であっても勝機がある。
「くっ……! 人間の分際で……!!」
ボリスは翼を広げ、空中で姿勢制御する。
「それが女神の力か? 魔物ではないか! 人間ごときが触れていいものではないぞ!!」
まさに激昂。
自分を上回る力を持っていた存在が人間であった。そんなこと、魔物であり、その長である魔将であるボリスに許せるわけがない。
ボリスは両腕にエネルギーを溜め始める。魔法だ。
「まずい!」
それがこれまで以上にとんでもないパワーの魔法であることは、アンリにも想像できた。ボリスに急接近する。
「素人がっ!」
ボリスはアンリの猪突をひらりとかわす。
「吹き飛べぇぇぇーっ!!!」
間髪入れず、巨大なエネルギーの塊を投げつけた。
「くうっ!」
攻撃に気づいてかわそうとするが、加速がつき過ぎている。体をひねることができなかった。
そして、大爆発。背中に魔法を受けて、魔神は弾き飛ばされる。
「やったか」
魔神は力なくうなだれ、地面に向けて落下していた。
加速度で、どんどんその落下速度は上がっていく。
「うっ……」
アンリは気を失っていた。
風を感じる。重力を感じる。
上下が逆転してよく分からなかったが、真っ逆さまに落下していることが感覚的に把握できた。
「これくらい……。まだまだっ!」
アンリはたたまれていた翼を最大限まで広げる。
翼は風を受けて、魔神は急上昇する。そしてボリスの高度を一気に抜いた。
「なにっ!?」
「お返しだぁぁぁーっ!!」
今度は急降下。重力に加えて、翼で加速し、ボリスめがけてキックを放つ。
「ぐおおおおっ!」
強烈な蹴りを受けて、今度はボリスが真っ逆さまに落下していく。そして激突。轟音とともに、土埃が高々と舞い上がった。
「これでどうよ!」
ボリスの魔法による爆撃にも劣らない様子に、アンリは腕を上げてガッツポーズをする。
ボリスは起き上がってこない。すぐに飛び上がってくるかと思ったが、静かなままである。かなりのダメージを与えられたのだろうか。
しかし、土煙の向こうにボリスの影が見えた。
巨大な何かを持っている。
「魔神の剣!?」
ボリスは、魔神が落としたままにしていた大剣を持っていた。
自分の魔法が効かないならば、魔神の胸を貫いた剣を使うしかないと考えたのだ。
「それはヤバイよ……」
アンリは本能で、ボリスとの距離を離していく。
しかし離れたところで、相手を倒すことはできない。魔神の翼であれば逃げることはできるかもしれないが、怒り狂った相手が見逃してくれるだろうか。
考えている間にも、ボリスは接近してくる。
「こうなったらやるしかない……」
アンリは覚悟を決めて、相手と向き合う。
アンリは陸上競技をやっていたが、空手や柔道などの武術はやっていない。相手とどうやって対峙すれば有利に戦えるかは分からない。
剣と素手では自分のほうが明らかに不利だ。なんとかあの剣を防がなければと、相手の動きを注視する。
「同盟を組むと言えば、すぐに逆らってくる。所詮、偽りの女神と思っていたが……」
ボリスは剣を構えながらも、静かに語りかけてきた。
「逆らう?」
アンリは人間たちが連合して魔物と戦っているのを知らなかった。
「こんな隠し球を持っていたとはな。貴様、何者だ?」
「何者って人間……いえ、女神よ」
女神として魔物と交渉したのだ。ウソでも女神を名乗らなくてはいけない。
「その女神がなにゆえ魔物を操っている」
それには答えられない。アンリ自身も知りたかった。
ボリスはアンリの困った顔を眺めていたが、解答が得られないことを悟る。
「まあいい。……ここで死んでもらう」
急にぞくりとした殺気を感じる。
ボリスの目が怪しく光っている。
「おびえるな。自分を信じろ……」
それは、おまじないのようなものだった。競技前、自分の震える心を落ち着かせるために、自分自身に言い聞かせる文句。
この世に自分だけを助けてくれる、都合のいい神様なんていない。皆が勝てるよう神に祈れば、神は誰を勝たせればいいのだろう。頼れるのは今日まで鍛えてきた自分の体のみ。全身全霊で目前のことに向かい、勝利をつかみ取るしかない。
ボリスは一気に距離を詰めてくる。
(来る……! よく見るんだ!)
魔神の体は自分のもの。自分の道具であり、手足。自分自身だ。それなら、目だって魔神のはず。
ボリスは剣をまっすぐに構えてつっこんでくる。
(突き? いや……)
視界が開ける。これまで胸に空いた穴から見ていたが、映像が直接頭の中に送られてくるようだった。周囲が明るくなり、ボリスもはっきり見える。
構えが変わるのが見えた。わずかに剣を横に倒している。
「右だ!」
アンリは右に踏み込んだ。
ボリスは剣をまっすぐに突くのではなく、左に向かって薙いだ。
アンリは剣の切っ先をかろうじてかわし、ボリスの顔面に拳を打ち込む。
ボリスがよろめく。その隙を逃してはいけない。アンリは連続でパンチを放った。
巨大な腕が何度もボリスに炸裂する。
「ぐほおっ……」
たまらずボリスの姿勢が崩れ、剣を取り落とす。
それを見るやいなや、アンリは急下降して大剣を拾い上げた。
「食らえっ!!」
ボリスを倒すチャンスは今しかない。
これまでやられた痛み、返してやる。
アンリは上昇しつつ、全力で大剣を下から上へと切り上げた。
「ぎゃあああーーっ!!!」
断末魔のような、まさに悪魔の叫び声。
ボリスの血が飛び散り、魔神の黒い外殻にかかる。
無骨でまったく切れなそうに見える大剣だが、ボリスの右腕を跳ね飛ばしていた。想像以上に軽く、切れ味が鋭い。
「こ、この野郎……! 人間風情が……!」
ボリスは斬られた腕を押さえ、苦痛を怒りで上書きするように、悪態をつく。
そんなボリスに、アンリはゆっくり大剣をボリスに向ける。
完全に形勢逆転であった。
「これで私の力は分かったでしょ。手を組むと言ったのに、どうして攻めてきたの?」
「何を言っている? 貴様らが先に仕掛けてきたのだろう」
「え?」
アンリは崖から落ちて、長い時間、意識を失っていた。その間に人間たちは近隣の村に呼びかけ、ボリスを倒そうと立ち上がっていたのである。
「村の人が?」
「そうだ。それに応じて、軍を出したのみ」
そう言われると罪悪感がある。自分たち人間側が約束を破ったのだ。
あのときは、村の人たちに「その場限りのことだから、ほんとは悪魔に従う気ないから」などと話していたが、それが実行されてしまっている。
アンリが勝手に決めた約束を村人たちは許せなかったので、これをなかったことにするために、すぐ攻撃をしかけたのである。
自分の不在時とはいえ、申し訳ない気持ちになる。
「それはごめんなさい……」
「なぜ謝る? 貴様の指示ではないのか?」
ボリスは正直、アンリが女神だとは思っていなかった。しかし、人間を束ねる立場として、君臨していることは承知していた。
「えっと、私は……」
裏切られて殺されそうになった、とは言えない。話が複雑すぎて、どう説明していいか分からなかった。
「はっ。分かってはいたが、変な奴め」
明らかに人間なのに、女神を名乗って悪魔に同盟を呼びかける。そして、今は戦った相手に謝罪をしている。
悪魔だってあきれてしまう。さきほどの怒り、闘志はどこかへ行ってしまった。
「貴様」
「は、はいっ」
「改めて聞こう。まだ同盟を組む気はあるか?」
そう言われても困ってしまう。アンリとしては、ボリスと手を組むことが村のためになると思っていたが、村の人々は拒否した。今さら同盟を結ぶことなんてできるのだろうか。
「時間をやろう。人間と話し合って決めろ」
アンリが答えられないで言うと、ボリスに先に口を開いた。
「貴様、名を何という?」
「名前?」
悪魔に名前を聞かれるのはちょっと意外だった。
「杏里。松田杏里よ」
「マズダー・アンリ?」
「アンリでいい」
「ふむ。女神アンリよ、この戦い、一時預ける」
ボリスは振り返ると翼を広げ、どこか彼方へと飛んでいってしまう。
アンリはぼうっと見送ることしかできなかった。
「女神かぁ……」
初めて会ったときは、ボリスは「偽りの女神」と呼んだ。この戦いで力を認めてくれたのだと思う。しかし、自分が乗る悪魔を見ると、女神には到底思えなかった。
「どう見ても魔神だよね……」
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