六.洋上にて(二)
調査船は、小さな島々の列に添って海洋調査を行いながら、一週間かけてオキノトリシマに着岸した。
「お世話になりました」
「こちらこそだ」
カニエラは、ハルトの手をがっちりと握った。
「ヒモノ、ヤキザカナ、ムニエル、フライ。おかげで食卓が豊かになった」
「すみません、もっといろいろあると思うんですが、僕はよくわからなくて」
カニエラの隣で、ルスランが、とんでもない、と笑った。
「俺たちは塩ゆでしか知らなかったから、大変参考になったよ。今度港湾に寄ったら、調味料をもっと探してみることにする」
島の港には桟橋がひとつ。その隣にちいさな小屋がある。船が近づくと、小屋から二人の男性が出てきた。船は物資とハルトたち三人、それに船員のうちマーシーと、調査員のチャーリーの2人をおろした。かわりに島から二人が乗り込むと、船はすぐに立ち去った。
甲板で手を振るカニエラに手を振り返し、船の影が遠ざかると、5人は紫外線を避けて小屋の中に入り、船からおろした物資を整理した。それから、基地に運び込む荷物を分担して背負う。紫外線除けのフェイスシールドを被りなおすと、外に出てチャーリーの先導で崖を登った。
シールドを被っていても、厚い雲を通してじりじりと紫外線が肌を焼くのがわかる。遮るもののない岩山。このあたりはクラウディがあっても太陽に近いぶん紫外線量が多い。まして今は春分を過ぎて夏至に向かう、一年でもっとも紫外線量が多くなる時期である。
「なるほど、これでは人は住めませんね」
「そうさ。昼間は屋外にでられない」
最後尾からマーシーが笑った。
崖を登り切って十分ほど歩くと、ちいさな四角い建物が見えてきた。
「あれが、通信基地だよ」
チャーリーが言って、シールドの下で汗をぬぐった。
基地に着くと、マーシーが暗証番号をプッシュしてキーロックを解除する。屋内に入ると、一気に空気が軽やかになった。紫外線がないだけで、こんなに皮膚感覚が違うものかと改めて思う。三重のロックを解除すると細くて短い廊下があらわれた。廊下の右側にだけ小刻みにドアがある。あとから知ったが、ここがクルーの居住区。廊下の突き当りには厚い扉。マーシーがその隣にあるインターフォンを押した。
「交代要員と、ゲスト三名。到着しました」
ドアが開く。
「すごい」
中に入ったハルトは、思わず足を止めて中を見回した。
まるで映画で見る管制センターのように、ちいさなモニターや計器が壁面やデスク上に並んでいる。出迎えたのは三人の男性。
「ようこそ洋上基地へ」
三人の中では年若い、なめし皮のような黒い肌をした男が白い歯を見せて笑った。中央に立っていた白髪の男性が、前に進み出た。
「はじめまして。グエン・タイリといいます」
穏やかな口調で共通語を話す男性は、50代くらいに見える。
「お世話になります、博士。グリアンです」
「グリアンって、男だったのか」
博士の左隣に立っていた栗色の髪をした男が目を丸くした。
「すっかり騙されてたよ」
リョウは悪戯小僧のような表情で、それはどうも、と笑った。
「何年もやり取りをしているが、会うのは初めてだから、不思議な気持ちだね。ダーシャとの取り次ぎを、いつも感謝している」
博士も笑顔でグリアンの手を握る。その手を握り返して、グリアンは隣に立つ二人を紹介した。
「こちらがタバちゃん、彼はハルト。ハルトは、まあ巻き込まれたようなもので、ちょっと説明が難しいが、我々が実現しようとしている世界を助けてくれると思う」
「お役に立てるかはわかりません」
そう言いながら、ハルトもメンバーと握手をかわした。
「南の孤島に、よくこんな設備を作れましたね」
ハルトがつぶやくと、
「それだけ、支援の手が多いんだ」
とタバちゃんが答えた。
「支援があると言っても、簡単なことではないでしょう」
「まあな」
「我々の仲間には、技術者が多いんだ」
漆黒の肌のユッスーが言った。
「港湾建設の企業がひそかに協力してくれた。この規模の基地建設だったら、タンカーが一台あれば資材と重機を運べる。どちらかというと、政府の目を盗んでタンカーを動かすほうが大変だったらしいよ」
「それだけ、太陽を見たい奴が多いってことさ」
タバちゃんが笑った。
「決していいやり方ではないがね」
グエン博士が穏やかに言った。
「だが、やむを得ない、いや、それは言い訳だな。我々は、早く太陽を地上に降ろしたかった」
博士の口調に苦渋が滲む。
「技術者としての、国民としての倫理とのジレンマは今もある。だが、待っていてもチャンスは訪れそうにない。それで、乱暴な手段を取った。審判は後世に委ねたい。批判は甘んじて受けるつもりだ」
「人は、長年牢獄にいると、自由になっても獄舎に繋がれたがる」
グリアンが、静かに言った。
「どんなに太陽のある世界に憧れても、いざそれが手に入るかもしれないとなると、変化が不安になるものなのさ。この世界には、どこかで転機が必要だ。それは今だと俺は思う」
「僕は、そのために何か役に立てるんでしょうか」
ハルトの言葉に、グリアンはうなずいた。
「そう思ったから、来てもらったんだ」
「いったい何をすればいいんですか」
「ハルトの、青い空を教えてくれ」
「青い空」
「博士が、ハルトに聞きたいことがたくさんあるそうだ」
基地には、最初に会った三人のほかに二人のクルーがおり、調査船から交代要員としてやってきたマーシーとチャーリーを加えて七人が常駐している。そこにハルトたち三人が加わって、十人の所帯となった。ハルトとタバちゃんは今後の動きについて日々相談を重ね、ハルトはグエン博士からこの世界のことを教わったり、ハルトが生まれ育った世界のことを尋ねられたりした。博士と話すたびに、ハルトの目に世界の様子が明瞭になっていく。
「この時代に来て、違和感を覚えたのはどんなことかな」
その日の夕刻も、ハルトは管制室でグエンの問いかけに考えをめぐらせていた。
「一番は、青空がないことです。それから」
ハルトは、どう言おうかと言葉を探した。
「文化の、なんというかアンバランスというか」
うまく言えないのですが、とハルトは口ごもりながら説明する。
「その、たとえば車は自動運転ができて、地球を雲で覆う技術があるのに、娯楽が少なかったり、特に文化というか、芸術というか」
「民度が低いかな」
「いえ、決してそうではなくて」
笑いながらハルトの言葉を受け止めた博士は、だがそれは本当にそうなんだ、と首肯した。
「オゾン層が、おそらくは突然消失した時、多くの文明が失われた。その中で唯一残ったのが、軍事技術なんだ」
「軍事技術」
「軍事情報と技術の保全は、様々な攻撃に耐えられるよう想定して作られているからね」
グエン博士の言葉に、なるほど、とハルトもうなずく。
「現在、有史以降すべての記録が残っているのは軍事関連情報だけだ。それを見ていくと、AD2100年ころから、地球外移住の計画が具体化していった。特にターゲットとなっていたのが火星だ」
急に、未来に来た、という感じがした。
「クラウディは、もともと火星移住のための技術だった。火星には水がない。そこに雨を降らせて、天候をコントロールする技術だ。だが結局、火星に居住区を作る前に地球からオゾンがなくなって、移住どころではなくなった。だから、それを地球に応用したんだ」
ハルトは、スケールの大きな話を飲み込みかねる思いで大きく息を吐いた。自分たちの暮らしていた世界の文明は、地球外移住を試みるまでに進化した。そして、ある日突然、一気に滅びた。
「オゾン層がなくなった理由は、軍事史にも残っていないんですか」
「残っていない」
グエン博士はうなずいた。
「だから、おそらくは人為的な問題で消失したのではなく、何か地球規模での環境変化だろうということになっている。詳細はわからないがね」
「そうですか」
ハルトの脳裏に、茜を飲み込んだ大津波がよみがえった。自然は、何のためらいもなく奪っていく。惜しみなく与えると同時に。
「ハルトの感じるアンバランスは、そのせいかもしれないね。オゾン層が破壊されて以降、人類は紫外線を
巻き込まれた騒動を思い返し、ハルトがうなずく。
「政府も、それをうまく利用して民意を操作しているようなところがある。なによりも、太陽のない世界で、人は元気を発散しようもない。手持ちのエネルギーでは、息をして、食べて、寝るだけで精いっぱいというところかな」
「そうですよね」
文化は、異文化との接点で進化する。出会いがなければ気づきもない。オゾン層消失後の生活スタイルを考えると、文化が内にこもっていく背景は容易に理解できた。
ハルトは昨年末、リョウとのセッションで記憶がある程度鮮明になったのち、タブレットを使って美術の情報を探してみた。自分たちの時代から、アートがどのように進化したのか興味があったのだ。だが、タブレットから得られる情報は、古い作品の紹介か、なにかの二次創作のようなものばかりで、そこからは未来の匂いを感じることができなかった。唯一心ひかれたのは、ヨウコから教えてもらったBATの作品で、そうやって辿っていくとフォトグラフィーの分野は比較的勢いがあるように感じる。だが、それも平板な作品が多く、光に乏しい世界とはこのように表現を制限するものかと改めて感じた。
「総じて、特にコロニーに暮らす人たちは、無機質で無欲な印象なんです」
ハルトは、次第に忌憚なく語れるようになっていく自分を感じていた。
「それも、太陽がないせいでしょうか」
「それもあるだろうね」
グエン博士はうなずく。
「光が乏しければ影も乏しい。総じて平板な世界になりがちだろう。私は生まれたときからこの世界にいるから、こんなものかと思っているが、ひとの感情も、それに影響されているのかもしれないな」
グエンは、息を吐いた。
「ハルト、君に会えてよかった。我々のめざす世界がすこし、見えてきた気がするよ」
「こんなことで、お役に立てるんでしょうか」
「とても、役に立つ」
夕食の支度ができたことを告げるチャイムが、スピーカーから聞こえてくる。グエンに促されて、ハルトたちは当番のクルーを置いて食堂に向かった。
「そうだ、ハルト」
一緒に食堂に向かうグリアンが話しかけてきた。
「ハルトは、ロシア語を話せるのか」
「ロシア語ですか」
「ロシアに赴任する予定だったと言っていただろう」
「昔のロシア語ですか」
よく覚えているな、とハルトはグリアンの記憶力に感心した。
「うーん、覚えてるかな。商談は英語でしたから。ロシア語は文字が読めて、簡単な日常会話ができる程度ですね。それがなにか」
「それはいい」
首をかしげるハルトを追い越して、グリアンは嬉しそうに食堂に向かっていった。
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