七.雲と太陽(二)

 6月の末。テンシャン山脈の北側に添って移動していたサラディンの一行は、ウィグル行政区ウルムチの近くにキャンプを張っていた。二週間近く荒れ地をうろうろしていたから、ウルムチのような大きなコロニーは久しぶりだ。滞在二日目の夕食後、オマール夫妻は片付けをナランとナユタに任せ、食材や不足品の買い出しをしようと町に向かった。まだ灰色の空が大地の闇に溶ける前、オマールがいつものように車に乗ったままゲートを通過しようとすると、突然ブザーが鳴り、ライトが点いて遮断機がおりた。

「なんだ」

 オマールが怪訝な顔になる。検問所から係官が出てきて、運転席をのぞきこんだ。

「住民カードとタブレットを」

 オマールとスアードが住民カードを提示すると、係員が目視でうなずく。

「悪いな、タブレットは忘れてきたんだ」

 オマールが片手を上げて容赦を求めたが、係員は頑なだった。

「じゃあ通せません」

「ちょっと待てよ」

 オマールは訝しんだ。いままでウィグルのコロニーでこんな厳しい検問にあったことはない。

「いつからこんなに厳格になったんだい」

「規則ですから」

 見れば、隣のレーンでもキャラバンらしき男が係官に文句を言っている。

「冗談じゃないよ。急にこんなことされたら、俺たちは干からびちまう」

 その様子からごく最近の変化だと察したオマールは、

「仕方ない、いったん戻るよ」

 と係員に言って車をバックさせ、キャンプに戻った。

「どうもおかしい」

 オマールはキャンプに戻るとサラディンに状況を告げた。

「居心地が悪くなりそうだぞ」

 サラディンは、用心深い表情になった。

「何かあったな」

「カードを使うのは危険だと思う。とりあえず物資を調達しないとならないから、ここは裏の手を使うしかない」

 オマールの言葉に、サラディンもうなずく。

「明日、一緒に連れて行ってくれ」

「わかった」


 翌日の夕刻、オマール夫妻とサラディンはふたたびウルムチに向かった。タブレットもカードも持たずにゲートに入った三人は、ふたたび車を停められた。

「住民カードとタブレットを」

 と言った係官が、昨日とは別人であることを素早く確認したオマールは、

「そんなこと、今まで言われたことがないぜ」

 と食い下がる。

「今まではそうだったかもしれないが、本来はこれが規則だから」

 と答えた係官に、オマールはちいさな銀の粒を手渡した。

「急にそんなこと言われたら俺たちも困るよ。あなたたちも仕事だから仕方ないのはわかってるけどさ。ここはひとつ、頼むよ」

 係官は表情を緩ませると素早く周囲を確認し、

「仕方ないな」

 と、ゲートを開いた。

「この手は変わらず通用するんだな」

 サラディンが苦笑する。貴金属の粒は、砂漠の通貨だ。状況に応じた相場もあり、それをデビットカードの残高と交換する換金所が各所にある。もちろん非合法だが、市場によっては堂々と値札に「10個/銅1」などと、貴金属に換算した価格を書いているほど一般的だ。

 市場の近くに車を停めると、オマール夫妻は買い出しに出かけ、サラディンは二人と別れて人混みの中をしばらく歩いた。ウルムチに入るたびにサラディンがひそかに訪れる雑貨屋に行くと、ちょうど店主が客を送り出したところで、サラディンの顔を見るとああっ、と声を上げた。

「少し、話を聞きたいが大丈夫か」

「もちろんだ」

 店を妻に任せ、足早にサラディンを奥に案内すると、店主は、よかった、とほっとした表情でサラディンを見上げた。

「あんたは無事だったんだな。ノルマン先生も大丈夫かい」

「何事もない。なにかあったのか」

「グリアンが指名手配されてるんだ」

「なんだと」

 サラディンは初めてアン=ジョージ事件とグリアンの逃亡、そしてグオ党首の演説の話を知らされた。

「知らなかったのかい」

 店主が目を丸くする。

「4月から、世間はこれ一色だぜ」

「しばらくコロニーに立ち寄らなかったからな」

 昨年末、チュプのプロジェクトが順調に進んでいるとグリアンから聞かされて以降、サラディンはリスクを避けようと、極力コロニーに足を踏み入れることをやめていた。時折、グリアンとの連絡用に使っているタブレットの電源を入れて確認してはいたが、連絡が途絶えていたのもいつものことと気に留めていなかった。その間に、グリアンの身に異変があったとは。

「やられたな」

 サラディンは唇をかんだ。グリアンとの連絡が途絶えれば、グエンとノルマンのつなぎがつかなくなる。だが、こうなるとこちらからアクションを起こすのも危険極まる。

「俺たちが思うに、党首はしくじったよ」

 店主は肩をすくめる。

「アンとジョージが逮捕された時、党はすぐに声明を出すべきだった。それが2カ月もぐずぐずしている間に、公安がどんどん手を打ってきた」

「判断に迷ったんだろうな」

 何にせよ、この先どうするかを考えなくてはいけない。

「コロニーの検問が厳格になったのも、そのせいか」

「たぶんね」

 ここ最近のことだ、と店主は言った。

「キャラバンたちは相当苦労してると思うぜ。俺たちも、客足が減って痛い目に合ってる」

「他のコロニーもそうか」

「おそらくね」

 店主がうなずく。

「昨日来たキャラバンの客が、銀の粒が減って困ると嘆いていた。警察の連中はうまい副業を手に入れてほくほくだろうが、俺たちはたまったもんじゃないよ」

「まったくだな」

 苦笑して、サラディンは話題を変えた。

「紫外線量の様子はどうだ」

「かなり下がってるぜ」

「オゾン層の再生が順調ということだな」

「そうらしい。政府は躍起になって否定しているが、我々は太陽が姿を見せるのは秒読みだと信じている」

「わかった」

 サラディンは店主に告げた。

「仲間に伝えてくれ。もしもグリアンと連絡が取れたら、サラディンが8月はウランバートルに行くと言っていたと」

「わかった」

「それと、この近隣のコロニーの、仲間の居場所を聞いておきたい」

「ちょっと待て」

 店主はゲーム機を立ち上げると、チャットルームに入って仲間に声をかける。音声がオンになり、ウィグルやノースチャイナ、それにモンゴルの行政区に暮らす仲間が何人か住所を告げるのを、サラディンが隣で書きとった。

「気をつけろよ」

 モニターの向こうから、ノースチャイナ行政区のコロニーに住むと言う仲間が言った。

「こっちも検問が厳しくなってるぜ。自警団とキャラバンの衝突も増えてる」

「モンゴルはまだそれほどでもないな」

 別のアバターが話しかけてくる。

「モンゴルでそれをやったら、暴動が起きるだろうからね」

「情報に感謝する」

 仲間に礼を言ってチャットを抜けた店主に、サラディンが尋ねた。

「紫外線測定器のいい奴はないか」

「普通のならあるよ。精度は悪くないと思う」

「一台売ってくれ」

「あいよ」

 店主に礼を言って店を出ると、サラディンは速足に市場を通り抜け、車に戻った。ちょうどオマール夫妻が食材などを入れるケースを積み込んでいるところだった。

「あと一往復だ」

「スアード、俺が替わろう」

「お願いよ。もうくたくた」

 サラディンは、汗だくのスアードから台車を受けとり、オマールと二人で店に戻ると最後の荷物を車に積み込んだ。

「これから、コロニーに入りにくくなるからな、少し多めに買い足しておいた」

「それがいい」

 サラディンがうなずく。

「出入りのたびに警備員の小遣いを増やすのもしゃくだからな」

「まったくだ」



 同じころ、オキノトリシマの基地で、タバちゃんとグリアンは今後の連絡方法を検討していた。

「まずサラディンと連絡を取って、ノルマン氏との繋ぎをとり戻さないと」

「むこうも、あんたの連絡を待ってるんじゃないか」

「たぶんそうだと思うが」

 グリアンは天井を向く。

「この状況で俺が動くのはハイリスクだ。むこうで俺の代わりにサラディンやノルマン氏と連絡を取ってくれる仲間が見つかれば、それでもいいと思ってるんだが」

「いや、最後のプログラムを動かす前に、ダーシャと私が直接話をする必要がある」

 グエンが難しい顔になった。

「休眠中の通信衛星が、基地同士のやり取りに使えそうだ。そのための端末をダーシャに渡してほしいから、できればグリアンに行ってもらいたい」

「次にカニエラが来るのは7月末か」

 グリアンはカレンダーを眺めた。

「その時に、どこかユーラシアの港に連れて行ってもらうしかないな」

「基地はどのあたりにあるんですか」

「ゴビ砂漠だ」

 タバちゃんの問いかけに、グエン博士が言って、地図を示した。ウランバートルの南方600km、タバントルコイという古い鉱山から砂漠に入った、ちいさなオアシスだと言う。

「ダーシャは、太陽信仰の信徒に紛れ込んでいると聞いている。グリアンとサラディンが先に合流して、それからダーシャと落ち合うのがいいだろう」

「とりあえず、ウランバートルかな」

 地図を前に考え込んでいたグリアンがつぶやく。

「一度そこでサラディンと会ってるから、仲間の居場所もわかる。そこで聞けば何かわかるかもしれないしな」

「そうなると、どこで船を降ろしてもらうかだ」

 陸路で進むならテンシンが一般的だが、治安の状況がわからない。

「仲間が多いのはサウスチャイナだ」

 タバちゃんが言った。

「ホンコンは、状況が変わっていなければスーリア党への親和性が高い。誰かウランバートルまで飛行機を飛ばせる奴がいれば早い」

「たしかに、それができれば楽だな」

「ヨッピーに聞いてみるか」

 マーシーがつぶやく。

「モールス信号の機材は船だろう」

「あれ、わりと簡単に作れるんだ」

 そう言うと、マーシーは材料を探しに資材室へ向かった。

「すごいな」

 タバちゃんが後ろ姿を見送りながら感心する。

「古典的な技術のほうが、応用は効きやすい」

 栗色の髪のボフミルが笑った。

「ここにいるのは筋金入りの技術者ばかりだからね。なければ作る。それで結構通用するのさ」

 海洋調査船と洋上基地のクルーは、半分が元クラウディメンテナンサー。あとのメンバーも、長くグエンとノルマンを支えてきた技術者やプログラマーだ。

「役立たずは俺たちだけか」

「本当だな」

「俺なんてほんと、行きがかり上ついてきただけで、ここでは何の役にも立ちやしない。無駄飯食いに来たようなもんだからな。ゲームとタバスコが恋しいぜ」

 タバちゃんのぼやきに、グリアンが苦笑した。

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