七.雲と太陽(一)

 沈黙し続けていたスーリア党が声明を出したのは、アンとジョージが逮捕されてからまもなく二カ月になろうかという、NC474年5月29日のことだった。

「私は、支持者と世界の皆さんにお詫びしなくてはなりません」

 ビデオメッセージを使って、スーリア党党首のグオ・メイエは鎮痛な面持ちで謝罪し、クラウディシステムの改竄をしていたのはスーリア党であることを認めた。

「アンとジョージに罪はありません。そして、私たちのやり方は卑怯だったことを認めます。ですが、こうするよりほか、太陽をとり戻す方法が見つからなかった」

 度重なる政府からの研究妨害があったこと、それに対し、大勢の仲間が協力し、今回の改竄を行ったことを告白したグオ党首は、そのうえで太陽をとり戻すことに賛同してほしいと訴えた。

「人類は、もう一度太陽のもとで暮らすことができる。なのに政府は、クラウディ以外の紫外線防御システムを試す機会を人類から奪っている。私たちには、太陽をとり戻す準備があります。現在、オゾン層は少しずつ復活をしており、安全な空が広がりつつあります。みなさん、オゾン層の状況と、紫外線量を注視してください。私たちの主張が正しいことがわかるはずです」

 メッセージはSNSを通して世界中に広がり、そして、次々と政府に消去される。それを繰り返しながら拡散されていった。


 洋上基地では、クルーたちが船舶向け衛星電波を傍受してグオ党首のメッセージを聞いていた。

「遅い」

 タバちゃんとグリアンは声を揃えて時機を失したことを非難した。

「おかげで俺たちはこの有様だ」

「アンとジョージがかわいそうだ」

 皆が次々に文句を言うのを、まあまあ、とグエンがなだめた。

「こういう政治的判断は難しい。党首一人の失策ではないから、文句を言うよりこの先のことを考えるほうがいい」

「それはわかっていますけどね」

 タバちゃんはふん、と鼻息を荒くした。

「この程度の文句は言わずにいられませんよ。あと二か月早かったら、違う形で世論を喚起できたのに」

「たしかにな」

 怒りのおさまらないメンバーの背後で、ハルトはマーシーから描画ソフトの使い方を教わっていた。

「けっこう緻密な線が描けるんですね」

「慣れれば、もっと細かい線も描ける。色は、こっちのパレットを使って作るんだ」

 ディスプレイに接続されたペンタブレットを使い、ハルトは柔らかな木炭のタッチを選んで窓外に広がる水平線と岩山を描いていく。

「うまいもんだな」

 マーシーが感心して眺めている。

「このくらいしか、取り柄がなくて」

 子供のころから絵を描くのが好きで、水彩画を学びたいと思ったが、「それでは食べていけない」と反対した両親を説得しきれなかった。それで折衷案として、卒業したらきちんと就職することを前提に、芸術学部に進んで美術史を専攻した。

「そうか」

 描きながら、ハルトはつぶやいた。

「影がないんだ」

 この世界に来てからずっと感じていた違和感。平板な光と平板な色。目にするアートもデザインも、焦点や陰影がどこかぼんやりして、パースのつかみどころがない。そこにビビッドな色彩を使い、明るさと形を表現する。それが光に乏しい世界の表現手法なのだと気づき、ハルトは、これがNC時代の画風なんだな、と思った。

「でも、僕は」

 ハルトは、画面の上に太陽の位置を定め、木炭のタッチを少しずつ重ねて、五月の午後三時、南洋の孤島を照らす陽光の作る光と影を、画面に落としこんでいく。光が線を描き、影が形をつくる。

 僕は、光とともにありたい。光の作る影なら、それがどんなに暗くてもいい。喜びと悲しみの陰影も。茜を喪った悲しみを受容できたのは、茜とともにいた時の輝きがあればこそだった。

 僕は、光を、この世界で探していく。

 夢中で描き続けたハルトが、マーシーに色の付けかたを教わろうと顔をあげると、いつの間にかクルーたちが背後に集まって、ハルトの絵に見入っていた。

「あれっ」

 我に返ったハルトが、顔を赤らめる。

「ええっとマーシー、色を作りたいんですけど」

「いや」

 マーシーがため息をつく。

「色なんかなくても、充分だよ」

 そして、憧れの表情になった。

「太陽が照らす世界の光と影は、こんなふうなのかな」

 ハルトはくすぐったそうに首をすくめ、笑って首を振った。

「色も必要です。海と空の、青」



 スーリア党が声明を出した一か月後のNC474年6月、紫外線数値は急速に下がり始めた。環境省が毎日公示する各地のUVインデックスは、北緯35度以北で、それまでどんなに低い日でも危険域である12、高い日は外出禁止となる15を示していたが、やや注意、という8から9の日が増える。雨の強い日には、安全域に近い4から5を示すこともあった。SNSでは、このことが非常な話題になり、紫外線計測器が飛ぶように売れた。

「シールドなしで外に出てみました」

 大胆な行動を報告する人々が、次々に現れる。

「肌が焼けるように感じないのは、間違いなく紫外線量が下がっているからです」

 だが公共放送では、報道番組はおろかバラエティーでもこの事態を一切取り上げなかった。そして7月に入ると、何の説明もなく天気予報から紫外線量予報コーナーが消えた。このことは、かえって人々の不審を呼んだ。

「どういうことだ」

 SNSで、夜の街で、寄ると触るとこの話題が人々の口にのぼった。

「あれかな、去年、オゾン層が再生してるっていう話があったじゃないか」

「そういえば、あれもそれっきりだな」

「環境省のホームページでオゾン層の状況を公示してるぞ」

「見てみるか」

「やっぱりスーリア党が絡んでるのかね」

「たいした技術を持っていたんだな。だとしたら、あの宇宙飛行士もかわいそうだった」

 スーリア党員のSNSは、今ならクラウディ以外のシステムによって頭上に太陽を呼べると訴える。それに対し、クラウド党に親和性の高い企業のスポンサード番組や公共放送では、クラウディの完成度の高さと必要性を訴える。プロパガンダの応酬が繰り返される中、太陽待望論が少しずつ力をつけてきた。

 スーリア党による草の根運動の成果には、地域によってかなり差があった。当初からスーリア党支持者の多いカナダやノースアメリカでは、「シールドを脱いで外に出よう」というスローガンのもと、室内用の服を着て昼の町を練り歩くデモンストレーションが行われ、阻止する警察との間で騒動が頻発した。反対に、クラウド党の支持率が高いユーロでは、紫外線を恐れないスーリア党支持者の行動に、狂信者の妄言と眉をひそめる人が多かった。だが、そのような行政区にあっても、実際に紫外線量が下がってくると、次第にスーリア党を支持する声が高まっていった。

「ここまで力をつけてくるとは」

 クラウド党幹部の焦りが強くなる。ことに公安の政治犯担当であり、選対委員でもあるダイアナ・チェンの苛立ちは募る一方だった。

 どんなにスーリア党員の投稿を削除しても、次から次へと世界中で太陽への切望が語られる。淡々と自説を繰り返し伝えるスーリア党のグオ党首のサイト閲覧数が上がっていくのを止められない。クラウド党幹部たちはそのような状況の中、連日のように選挙対策会議を繰り返した。

「スーリア党と手を組むべきでは」

 という意見が、クラウド党内に少なからずあった。

「我々が、システムの改竄を容認する、そのかわりに政権を維持するという取引があってもいい」

 だが、党首であるマッカーシー大統領は、その意見に強い拒否感を示した。スーリア党が、現在のシステムと経済構造を狂わせる政敵であることはまぎれもない事実だ。なのにいきなり手を組めと言われても容認できない。理屈では、そういう戦略もあると理解できるが、心情が追いついていかなかった。

「いや」

 空調の行き届いた会議室で汗をぬぐいながら、マッカーシーは首を振った。

「奴らは国家の安全装置に手をつけたテロリストだ。我々は、テロに屈するわけにはいかない」

 そして、マッカーシーはダイアナに命じた。

「スーリア党の技術者たちを捉えろ。中心になっている技術者を一網打尽にすれば、スーリア党のマニフェストは実現できなくなる」

 そうすれば、その先はクラウド党が主導権を取れる。マッカーシーはそう考えた。

「最終的に太陽をどうするか、その決定権は我々になくてはならない。システムを変えるにしても、経済的に適切な時期というものがある。大衆の熱量に惑わされて経済が立ち行かなくなったらどうにもならない。ともかく、今はまず何としても我々が選挙に勝利しなくては」

「もちろんです」

 なんとしてもテロリストたちの息の根を止めてやる、とダイアナは決意した。

そして執務室に戻るとすぐ、ダイアナは環境大臣のエリス・ヤングを呼び出した。

「紫外線量の公示をすぐにやめてください。テロリストに利する情報を政府が出し続けるとは、どういうことですか」

 エリスは肩をすくめた。

「これは法律で決まっているので」

 世界主要拠点の紫外線量を公示するのは、紫外線曝露防止法に定められた、環境省の義務である。

「法律を変えていただかないと、私の一存ではどうにも」

「厚生省がUVインデックスの発表をやめたのは知ってるでしょう」

「承知しています。でもあちらは法律に縛られているわけではありませんから。今までは紫外線が危険だったから発表していたので、今は危険度が下がったから不要になったのだと聞いています。あちらはあちらで、国民の健康を守るために動いている。我々の役目は、地球環境の情報を公明正大に伝えることでして」

「法律の縛りがあることはわかったわ。でも、オゾン層の情報は不要でしょう」

 ダイアナは、エリスのとぼけた顔を睨んだ。

「何度言ったらわかるの。これは大統領の命令です。オゾン層の情報公開をやめてください。これを開示する義務はないはずよ」

「申し上げたとおり、地球環境を国民が正しく知ることは大切です」

「あなたそれでもクラウド党員なの」

 ダイアナの怒りが爆発する。

「次の選挙の資金分配のことも考えたらどうなの」

 おや、とエリスは眉を上げてみせた。

「恫喝ですか。公安部長らしからぬお言葉ですね。ですが、今の私は、クラウド党員ではなく、環境大臣としてあなたと話しています」

 そして、とエリスは言葉を続けた。

「役職以前に、私もあなたも、地球に生きる人間ですよ」

「もういいわ。あなたが党員の代表として大臣の席にあるのが相応しくないことは、よくわかった。大統領に報告します」

「そのご判断はお任せします。ともかく環境省の役目は、地球の環境保全です。人類にとって何が一番いいかを考えるのが、今の私の役目です。この役職にある間は、そのミッションに忠実でありたいと考えていますので」

 では、と一礼してエリスが退出すると、ダイアナは紅く染めた爪で小刻みにデスクを叩いた。味方ですら、太陽を望んでいる。これでは政敵の思惑のままだ。

 ダイアナは、少し冷静になろうと執務室の片隅にあるちいさなキッチンに向かった。冷たい水を一口含み、コップを持って席に戻ると、一連のクラウディ改竄事件の調査責任者であるジョセフ・ベッレの報告書を読み返した。

 今朝ダイアナの手元に届いた報告書によると、ニッポン行政区でグリアンの指名手配に関連して二人の逃走者が出ている。そのうちの一人は仮戸籍。現地公安が様々に出自を調査したが、仮戸籍を取得するまでの履歴がどこからも浮かんでこないという。

 その人物、カンナヅキ・ハルトのタブレット閲覧記録に、砂漠の写真家「BAT」が複数回残っていた。

 カンナヅキの数少ない閲覧歴のほとんどは美術やアートに関するもので、他者とのやり取りは一切なかった。調査班が念のため検索履歴のすべてを追いかけ、サウスチャイナ行政区のスーションに事務所を構えるBATのエージェントに連絡を取ったところ、BATの行動に不審な点があることが見えてきた。

 調査官がエージェントに、BATと連絡を取りたいと言うと、エージェント側から連絡を取る方法がないという。必要があればBATから連絡が入るが、連絡方法はその都度違う。写真の売上はエージェントが管理し、年に一度、代理人が代表者の口座に送金しているとのことだ。

 作風から、BATは一人ではなく、複数のグループと推測される。撮影された画像から行動記録を追っているが、なかなか行動歴が見えてこない。前回の報告は、そこまでだった。

 ダイアナはジョセフに連絡をした。少し長めのコールののち、デスク上のモニターに頬のこけたジョセフの顔が映し出された。

「調査の進捗はどう。博士たちの行方はわかったの」

「申し訳ありません。まだ調査中です」

 成果が出ないことを謝罪しつつ、ジョセフは調査の進捗について口頭で報告した。

「ですが、先日の報告書に記載した写真家のBATですが、カード利用歴がタサキ博士——グリアンの行動記録と重なる部分があることがわかってきました」

「BATとグリアンが関係してるということ」

「はっきりと二人が接触したかどうかまではわかっていません。まだ、可能性がある、という段階でしかありませんが、現在BATの情報を集めているところです」

 モニターの画面ごしにジョセフが答えた。

「まずは、ウィグル行政区の公安部隊に、コロニーの出入りを厳密に管理するよう命じました。あのあたりはコロニーゲートもほとんど開きっぱなしで、管理があってないような無法地帯ですから」

「確かに」

 ダイアナは首肯した。

「治安を維持するのは我々の大切な役目。法律通りにコロニーを管理するように、ウィグル行政区の公安に伝えて。それでグリアンが網にかかれば上々だわ」

「それと並行して、BATに関わる連中の中に、こちらの味方になれる者がいないかコンタクトを試みているところです。いずれにしても、成果や状況のご報告までに、あと少しお時間をいただくことになりそうです」

「予備選挙までに、なんとしても流れをとり戻すのよ」

 ダイアナの声に力がこもった。

「奴らの思う通りになんて、させないわ」

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