五.逃走(五)
二人が行方不明になったことで、取り調べはササヤマ家やヨウコに及んだ。
「やっぱりこういうことになるんだよ。素性のはっきりしない者を雇わなきゃいけない事情でもあったのかね」
刑事は、ササヤマ農場でタカシとアカリを問い詰めた。
「病院からの紹介だったし、勤務態度もまじめでしたよ。彼はなにも悪いことはしていないと思う。あんまり騒がれたから、迷惑をかけたくなかったんじゃないかな」
タカシはそう言ってハルトをかばった。
「のんきな事を言っていると、乗っ取られるよ」
居丈高な公安の態度に、ナツミはひどく腹を立てた。
「なんで言い返さないの」
「ああいうときは、黙っておくに限るのさ」
祖父はそう言って平然と日々の暮らしを続けた。しばらくの間、農場には取材と称して多くの人間が押し掛けたが、タカシは誰に対しても知らぬ存ぜぬを貫き通した。
そして登校日になると、ナツミは同級生に取り囲まれた。ササヤマ農場がニュース番組で取り上げられているのを見た子供たちは、取材の様子やハルトのことを知りたがった。
「悪い人だったんでしょ」
「ナツミ、怖くなかったの」
「ハルトは悪い人じゃないよ」
ナツミはハルトをかばう。
「きっと、巻き込まれただけだと思う」
「お前、そいつとできてたんじゃねぇの」
クラスの男子がからかう。
「お前もそいつも、変態野郎の仲間だな」
相手の言葉が終わらないうちに、ナツミが飛びかかった。あたしは何を言われてもいい。だが、ハルトが揶揄されるのは我慢ならない。ハルトの名誉はあたしが守る。ハルトは必ず帰るって約束した。あたしは、その時、ハルトに恥じないあたしでいるんだ。
教室が騒然とする。先生がかけつけて、男子に馬乗りになっているナツミを引き離した。男子は、鼻血を流して泣きべそをかいている。
「ササヤマ、なにをするんだ」
「ユウタくんが、先にあたしの悪口を言ったんです」
教師の叱責に、ナツミは髪を振り乱して反論したが、教師は首を振った。
「口で言われたことに手を出す奴があるか。残って反省文を書いていけ」
ヨウコも、刑事の訪問を受けた。ハルトについて聞かれたヨウコは、
「すごくまじめでいい人でしたよ。なにも怪しいことはなかったと思いますけど」
と言った。
「医者のほうはどうだい」
刑事がなおも問いかける。
「一緒に食事に行ったりしてたんだって」
「タバちゃん——その先生とはゲーム友達でした」
「ふうん」
タバちゃんとチャットをしていたゲームのタイトルや、ゲーム中の様子を聞き取った刑事は、胡散臭そうにヨウコの部屋を見回した。押し入れからモグの鳴き声がするのを聞きとがめて、刑事はへえ、とヨウコに視線を戻す。
「あんた、犬なんて飼ってるの」
あんた?とヨウコはかちんときたが、我慢した。
「はい」
「職業は」
「ええっと、映像編集とか、絵を売ったりとかしてます」
「それじゃあそんな稼ぎはないだろう。犬なんて高かっただろうに、どうしたんだい」
たしかにヨウコはその日暮らしだ。そして、ペットを飼っている家はそう多くない。
「この子は、おばあちゃんから預かってるんです」
祖父が逝去したあと一人暮らしをしていた祖母は、寂しさを紛らわせるために、たまたま知人のところで生まれた犬を一匹引き取った。モグと名付けて可愛がっていたが、ある日トイレで倒れた。モグは必死で鳴き続け、その声に気付いた管理人が部屋に入って祖母を見つけた。モグがいなかったら、祖母はいつまでも発見されなかったかもしれない。祖母はそのまま施設に行き、行き先のなかったモグをヨウコが引き取った。
ヨウコの話をつまらなそうに聞いていた刑事は、次にイーゼルに乗った描きかけの絵を目にとめた。青い空につつまれた農場の絵を見て、なんだいこりゃ、と声をあげる。
「これ、あんたの絵」
「そうです」
「変な色だなぁ」
刑事は苦笑した。
「はぁ」
「いやいや失礼」
右手を振って、刑事は
「もしゲームとかでヤマダ先生から連絡があったら、こちらに知らせて。ああ、あと、あんたの連絡先と、ヤマダ先生とやり取りしてたゲームのIDを教えて」
と言った。ふくれっ面をしたヨウコが、それでも差し出された端末に、タブレットの連絡番号とゲームの名前、IDを書き込むと、どうも、と刑事は立ち去った。
「すっごい失礼な奴」
文句を言いながら、押し入れに閉じ込めていたモグを外に出したとたん、チャイムが鳴った。ドアを開けると取材者が複数立っている。
「ここにいた、記憶喪失の彼はどんな人でしたか」
「穏やかで、とてもいい人でしたよ」
マイクを向けられたヨウコが答える。
「こんな事件に巻き込まれて、どのようなお気持ちですか」
「怖いですよね。普通に暮らしてたところに刑事が来るとか。ハルト君も不安だったと思います」
夕方のニュースで、ヨウコのインタビューが紹介されていた。画像にはモザイクがかかっている。変換された機械的な自分の声が、
「ふつうの、いいひとでしたよ。怖いですよね」
と語り、コメンテーターが深刻な顔でうなずく。
「日常の中に、犯罪者が紛れ込む恐怖を、ご近所の方は訴えています」
唖然とした。
「あたし、こんなこと言ってない」
ヨウコは、今日の客人すべてに怒り心頭だった。これが治安維持なのか、これが報道なのか、と憤った。
ニュースは、続いて今年の12月に行われる予備選挙の話題になった。クラウド党の中で現職の大統領と財務大臣がライバルとして争っている、という。
「クラウド党もいいけど、他の政党の話もしないと不公平じゃない」
このころSNSなどでは、アン=ジョージ事件に対するスーリア党の関与が、当然の事実として語られるようになっていた。そしてスーリア党を支持する人々は、党首が早く真実を話すべきだと論じていた。さらにはオゾン層が復活しつつあるという科学ニュースについて、スーリア党がクラウディを改良した成果だ、と言うものもいた。
ヨウコは、以前タバちゃんが言っていたことを思い出した。
——クラウド党は、クラウディがないと財源がなくなるから、雲を作り続けてるんだ。クラウド党が政府を牛耳っている限り、他の方法を試すことすらできない。
本当にそうなのかもしれない、とヨウコは思った。青い空を馬鹿にする人たちは、今までと違う仕組みの中で生きていく方法があるなんて、考えもしないのだろう。
「あたしさ、政治とかぜんぜん興味なかったけど、こうやって巻き込まれてみると、がぜん興味でてくるわ」
ヨウコは、モグに語る。
「それでもって、雲と太陽とどっちか選べっていわれたら、断然太陽だわ」
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