三.世界政府(一)

「ご報告があります」

 サミュエル・ブッシュ副大臣の、いつになく緊張したおももちに、環境大臣のエリス・ヤングは怪訝な顔になった。

「どうした」

「さきほど、紫外線管理課から報告がありまして、クラウディのシステムに修正が必要だ、と」

 エリスは、ますます怪訝な顔になった。ここは設計会社ではない。技術的なことは民間に任せておけばいいことだ。

「修正をすればいいだろう」

「それが」

 サミュエルは、どこからどう説明すればいいか、とつぶやいた。

「テロの可能性がある、と」

「テロだと」

 エリスは目を丸くして身を乗り出した。

「クラウディに危害が加えられたということか」

「簡単に言えばそうなのですが」

 エリスの剣幕に押されるように、サミュエルが一歩下がった。

「大臣は、昨年の環境サミットで、オゾン層が再生しつつあるという報告があったことはご存じですか」

「聞いている」

「それが、どうやらそのせいではないか、と」

 さっぱりわからん、とエリスは音を立てて椅子の背にもたれかかった。

「最初から順序だてて話したまえ」

 サミュエルは、ポケットから恐竜柄のハンカチを取り出し、禿げあがった額の汗を拭いた。トリケラトプスだ、とエリスは思った。子供のハンカチを間違って持ってきたのだろうか。それとも副大臣自身の趣味だろうか。この男の話はいつも要領を得ない。官僚のトップだというのに。

「そのですね、さきほどクラウディ管理の責任者が私のところに来まして、クラウディのプログラムに、何者かが勝手に改変を加えている、と」

 サミュエルは、ハンカチをポケットにしまった。

「今のところ紫外線の遮断に不具合は出ていませんが、搭載されたプログラムを、おそらく長い年月をかけて少しずつ改変していったのだろう、と。それで、運用業者が基準書とプログラムが違うことに気づいて修正のための予算申請をしてきまして、それで、専門官が気づいた、と」


 エリスは腕組みして考えこんだ。あまりにも突拍子のない話を要領悪く説明されて、話の肝がつかめない。

「つまり、クラウディの運用に支障はないが、何者かが勝手にシステムを改変していて、そのためにオゾン層が再生しているということなのか」

「そう、そうです」

「それが、テロだというのかね」

「管理者の目を盗んで、おそらくは、集団で、その、スーリア党あたりがやったのではないか、と」

エリスの顔が上がった。

「スーリア党の仕業だと言うのか」

「他に、そんなことをできる集団は考えられない、と」

「本当にそうであれば、これは公安案件だ。担当官を呼んでくれ。詳細を聞きたい」

「ええと、担当課長でよろしいですか」

「一番詳しい者を連れてきたまえ」

「それは、技官でして、その、大臣が直接話すような役職では——」

「そんなことは、どうでもいい」

 エリスは思わず頭をかきむしった。

「いいから、技官でも研修生でもなんでもいいから、状況のわかる者の話を聞かせてくれ」


 一時間後、環境大臣は、大臣執務室の横にあるミーティングルームに入った。席についていた副大臣と、ほかに二人が立ち上がり、大臣を迎えた。

「クラウディ管理課のビル・ホワイト課長と、それと、ええと、キム・テヤン技官です」

 副大臣が二人を大臣に紹介した。

「忙しいところをよく来てくれた。さっそくだが、詳細を聞かせてくれ」

「承知しました」

 ビルが概要を説明すると、エリスは初めて険しい顔になった。

「システム改竄には、どの程度の時間がかかったと思う」

 大臣の質問に、技官のテヤンが答えた。

「はっきりとは言えませんが、周囲に知られず5000個のクラウディのシステムを書き換えるには、年単位の時間が必要だと考えます」

「管理会社はそれを見抜けなかったのか」

「いままでそういった報告は一切ありませんでした。監査以降の七年間で二社が管理を受託していますが、どちらもそんなことはあり得ない、と。ただ」

 テヤンは深刻な顔になった。

「どちらの企業も、当時の責任者がすでに退職して詳細がわからないことを調査不能の理由にしています。偶然かどうかはわかりません。正直、こういう言い訳はよくある話なので」

 エリスは腕組みして長いこと考えこんだ。サミュエルが口を開きかけて閉じる、それが二回ほど繰り返されたころ、ようやくエリスは低い声でつぶやいた。

「やはり、これは公安に報告しないわけにはいかないな」

 三人がうなずく。

「君たちの調査と報告に感謝する。しかし環境省としては複雑だな。この改竄でオゾン層が再生されているとすれば、地球にしたらもってこいだ」

「それはその通りです」

 ビルがうなずいた。

「正直、こんなやり方があったか、と舌を巻く思いですが。民意に依らず地球の安全装置に手をつけるのを、行政官として見過ごすわけにはいきません」

 話しながら、ビルはエリスの言葉を意外に思った。大臣はすべからくクラウド党の党員。であれば、スーリア党が国家の安全装置に無断で手を加えたと聞けば烈火のごとく怒るかと思っていたが、エリスの言葉にはどこか違う思いが滲んでいる。

「オゾン層再生のニュースは、環境大臣の席にあるものとして非常に嬉しかったから、複雑だね。地球と人類を守りたい、という思いは、政敵といえども同じということだ。正直、我々のやりかたはかなりアンフェアだから、連中もこういう手段に出ざるを得なかったのかもしれないな」

 エリスの言葉に、ビルは同僚のタイジを思った。タイジはあの翌日、ビルの知る限りはじめて病欠した。それ以来ずっと元気がない。タイジも、同じ思いなのだろう。

「大臣は、紫外線から安全に地上を保全できるのであれば、クラウディにはこだわらないというお考えですか」

 ビルの質問に、サミュエルが慌てて腰を浮かせたが、エリスは、

「それを聞かれると困るなぁ。俺だって立場があるからね」

 と言ってにやりと笑う。失礼しました、と、ビルも笑った。

「報告をまとめてくれ。できあがったら、副大臣から公安に通報してほしい。これは、我々の問題ではなさそうだ」

「承知しました」

エリスの言葉に、副大臣が応じた。

「我々としては、オゾン層の再生状況を注視したいところだ。クラウディの運用権限は環境省にある。改竄されたプログラムを、いつ、どうやって修正するかは我々次第だ」

 なるほど、とビルもうなずいた。犯罪は犯罪。オゾンはオゾン。それはそれだ。これを聞いたら、タイジも元気が出るかもしれない。

「オゾン層の状況をこまめに観察するよう、気象チームに伝えます」

「そうしてくれ」

 ビルの言葉に、エリスはにこりと笑った。


 大臣室を出たビルは、執務室に戻るとタイジに声をかけた。

「話があるから、ちょっと来てくれないか」

 タイジは、びくんとちいさく飛び上がり、それでもタオルハンカチを片手に黙ってビルの後をついてきた。

 ちいさなミーティングルームに入ると、ビルは大臣の意図を伝えた。

「オゾン層の再生を注視して見守るっていう話だ。プログラム修正のタイミングは、こちらに一任されたと思っていい」

「ほ、本当ですか」

 タイジの夢見るような声に、ビルがうなずく。

「大臣も、オゾン層の再生に興味を持っていたらしい。もちろん公安の調査は入ることになるだろうが、タイジが言った、人類にとって何がいいかの決定権は、我々にも——おい、タイジ」

 タイジが、ぼろぼろと涙を流したのを見て、ビルは驚いて言葉を切った。

「僕は、僕は」

 タイジはしゃくりあげながら、ポケットから折りたたんだ書類を取り出した。

「もう、どうしたらいいかわからなくて」

 タオルハンカチで両目を抑えながら、タイジは泣きに泣いた。

「あの申請を承認するのは、どうしてもできないと思って。オゾン層の再生を止められてしまうなら、それを見るくらいなら、ここを辞めてスーリア党に入ろうと思って」

 机の上に置かれた書類をビルが取り上げる。署名された退職届。

「そこまで思い詰めていたのか」

 ビルは半ば呆れ、半ば感動した。

「ここに勤めながら党員になったっていいだろう。一応思想信条の自由は我々にだってあるんだから」

「僕がサインしなくたって、かわりの誰かがするんです。ここはそういう組織ですから。そうやって、目の前で再生されたオゾン層がまた壊されるのを見るのは、とても耐えられないと思ったんです」

 でも、とタイジは泣きぬれた顔を上げた。

「信じていいんですね。オゾン層の再生を待てるって」

「とりあえずはな」

 ビルは苦笑した。

「もし阻止されたら、その時はみんなで暴れるさ」

「はい」

 よかった、とビルは書類をタイジに戻しながらつぶやいた。

「早く話してよかったよ。タイジに辞められたら困る」

「僕も、お話しが聞けてよかったです」

 タイジは、ハンカチで盛大に鼻をかんだ。

「だいたい、もうすぐ子供が産まれるってのに、無職になったら困るだろう」

「妻にも言われました」

 タイジはようやく笑った。

「そんな大胆なことをするとは思わなかった、って」

 でも、とタイジは頬を赤らめる。

「不本意な仕事をするくらいなら、自分が復職するから辞めていい、って言ってくれて。妻がそう言ってくれたことは、本当に嬉しかったです」

「はいはい、ご馳走様」

 ビルは肩をすくめた。

「うちの妻だったら、俺はシールドなしに家をたたき出されてるぜ」

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