二.アンカレジ(二)
数日後、ビルは先日の予算申請内容確認のため、企業側の担当者とミーティングを行った。
「タイジも出てくれよ」
「僕は、システムのことはわかりませんよ」
「タイジが気がついてくれたおかげで、俺は申請書の不可思議に気づけたんだ。意見がほしい。状況くらいわからないと、君も承認を出せないだろう」
ビルに言われて、タイジもビデオ会議に参加した。
環境省側の出席者は4名。ビルとタイジ、それにメンテナンスチームのリーダー、カルロスと、技官のキム・テヤンである。テヤンはコリア行政区の出身で、カナダ行政区の大学院でクラウディシステムを学んだのち、国家試験に合格して、二年前に環境省へ入省した。いずれ一足飛びに専門官になるだろうと言われている逸材である。タイジは二人とタオルハンカチで手を拭きながら握手をかわし、席に着いた。
開始時間ぴったりに、ミーティングルームのモニターへ映し出された担当者は、中年の、弱視用グラスをかけた男で、開口一番、お時間を取らせて申し訳ない、と陳謝した。
「謝罪はいいから、状況を教えてもらえないか」
ビルが促すと、担当者は神経質に眼鏡の位置をあわせながら、事が判明した経緯が記載された資料をモニターに映し出した。
「我々がこの仕事を前社から引き継いだのは一年前でして」
前の担当企業の受託期間満期に伴う入札によって、この会社がプログラム管理を受託した。
「前の企業がやっていた時は、大がかりな変更はなかったと聞いていましたし、急ぎ対応しなくてはいけないトラブルもなかったことから、とりあえず前社がやっていた管理をそのまま引き継ぎました」
管理をしながら、設計書とプログラムを照合していったところ、相違が見つかったのだという。驚いて前社に問い合わせたが、前の受託企業の担当者はすでに退職しており、詳細がわからないとのことだった。
「我々はプログラム設計までを任されたわけではないので、これを修正するには別途予算が必要です。それで、申請をあげた次第です」
「プログラムは設計と異なるが、不具合はないということなんだな」
「まあ、そうです」
今のところは、と資料からカメラに画面を戻して、担当者はうなずいた。
「何が、どう違っていたのか教えてもらえませんか」
テヤンが尋ねると、担当者は手元の資料を確認しながら説明した。
「ご承知のとおり、クラウディは相互交流によって対流圏に電気を発生させているんですが、その照射が設計より広くなっています。これはすぐに修正できるんですが、厄介なのが、5000個あまりのクラウディの間に、なにか目的と違う運用を狙ったとしか思えない修正が少しずつかかっていまして」
「目的と違う」
「それが、バッチ処理では修正できないんです。もともとクラウディは、それぞれ微妙なバランスで5000個の配置を作っているので、ひとつひとつプログラムが違うんです。それがおそらく全部、少しずつ違っている。これの解析に時間がかかるのと、実際のプログラム修正は宇宙ステーションに行かなくては不可能で。それで予算が——」
「となると」
テヤンの表情がけわしくなった。
「それは、ミスというより、意図的に変更された可能性が高くないですか」
「うーん、だがそれは」
考え難いです、と担当者は首を横に振った。
「宇宙ステーションで勝手に誰かが変更でもしないかぎり不可能です。最初から設計書のほうが違っていたか、途中で老朽化したクラウディを入れ替える際に、どこかの時代で設計書が入れ替わったか、それはわかりませんが」
担当者は職員の表情を伺うような様子になった。
「我々としては、問題がなければこのまま管理だけを続けてもいいのですが、いずれにしてもご報告が必要だと思ったのと、そもそも我々は預かった設計書通りにシステムを運用するのが仕事なので、それに相違があるとなれば仕事が変わってきますから」
「もっともだ」
ビルがうなずいた。
「状況はわかった。丁寧な仕事と説明に感謝する。少し我々のほうで協議をしたいから、プログラムの相違点がわかる資料を送ってもらえると助かる」
「それはすぐ出せます」
「再度検討して連絡する。少し時間をもらいたい」
「もちろんです」
カルロスが退出ボタンを押して、ミーティングが終了した。
「どう思う、テヤン?」
ビルがテヤンに問いかける。
「プログラムを見てみないとなんとも言えませんが」
テヤンは真剣な表情になった。
「もし人為的に変更が加えられたのだとしたら、大変なことになると思います」
数日後、再度四人はちいさな会議室で顔をあわせた。
「間違いありません」
テヤンは顔を紅潮させて三人の上席者に訴えた。
「これは、意図的な変更が現地で加えられたものだと思います」
「宇宙ステーションで、何者かが変更を加えたということか」
「それ以外に考えられないです」
いつからプログラムが入れ替えられていたのかははっきりしないが、7年前に大規模な監査が入った時に異常は見られなかったことがはっきりしている。
「それで、そのプログラムが入れ替わることで、何が起きるんだ」
カルロスが、まだ信じかねる、という顔でテヤンに問うた。
「目的は、なんだ」
テヤンは、少し黙った。
「おそらくですが」
声が低くなる。
「現在のプログラムと設計書を比較すると、クラウディが発生させる電気の交流位置が二か所になります。ひとつは対流圏、もうひとつが成層圏です」
どきん、とタイジの心臓がはねあがった。
「もしかして」
タイジの、遠慮がちに発言した声が震えた。
「オゾン?」
ビルとカルロスは、何のことかとタイジを見たが、テヤンは真剣な顔でうなずいた。
「たぶん、そうです。これは、対流圏と同時に成層圏へ電気を発生させて、オゾンを発生させる仕組みかと」
タイジの心臓が激しく鼓動した。昨年からの微細なオゾン層復活。タイジの向かいで、テヤンは冷静に言葉を続けた。
「もし、いえ、おそらく確実に、これは意図された変更です。それを設計し、計画し、長い時間をかけて実行した者たちがいるということです。しかも一人二人ではない。それができるのは」
「スーリア党か」
カルロスが目を見開いた。
「公安案件だな」
ビルがつぶやいて、ぎゅっと口を引き結んだ。
「副大臣から大臣に報告してもらわないといけない」
「ちょ、ちょっと待ってください」
タイジは顔をあげた。
「この変更で、地上に不具合はないんですよね」
「今のところはな」
「しかも、オゾン層が増えてる。これは、いいことだと思うんです」
タイジは、いままでスーリア党に対してなんの感情も抱いたことがない。今回の大胆な計画と実行力には心の底から驚かされた、というより、まだ信じがたい思いが強かった。だが、その活動によってオゾン層が増えた可能性があるなら、それはタイジにとって非常に重要な事柄だった。
「僕は、僕は、設計書と運用があっているかということよりも、地球にとってなにが大切かのほうがよほど重要な気がするんですけど。このプログラムをもっと研究して、地球のために活かす方法はないんでしょうか」
「それは、行政が決めることだ」
ビルは、なだめるような表情でタイジを見た。
「タイジ、君がオゾン層の再生に期待をしていることはよく知っている。それを望まない者もいない。俺だって、もしオゾン層が復活して、太陽のもとで暮らせるのならそうしたい」
だが、とビルは表情をあらためた。
「国家の資産へ、民意を待たず手をつけるのは、犯罪行為だ。これは」
ビルは三人を見渡した。
「これは、テロリズムだ」
カルロスとテヤンがうなずいた。
タイジは混乱した。ビルの言葉はもっともだ。だが、もしこのプロジェクトがオゾン層の再生を意図したものだとしたら、それは、それこそが自分の思い描き、手をつける前に諦めてしまったプロジェクトに違いない。
正しいことが正しくない。正しくないことが正しい。
自分は——なにかをどこかで間違えてしまったのではないか。
タイジの掌に、どっと汗が噴き出た。
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