六.世界のなりたち(二)

 12月に入ると、一行は西に進路を変え、移動の速度を上げた。砂礫の多い大地は延々と同じ風景を厚い灰色の雲の下に描き、しばしばナユタは、おなじところをぐるぐると巡っているのではないか、という錯覚に襲われた。

「初めて来る場所のはずなのに、毎日昨日と同じように見えるのはどうしてなのかな」

 凍えるような冷たい風の中、かじかむ手を息で温めながら食器をしまっていたナユタがつぶやくと、ほんとうね、とナランも笑った。

「私も、こんな遠くまで来るのは初めてだけど、最近はもう、生まれた時からこの風景しか見ていなかったような心地になっているわ」

「みんな、よく飽きないね」

「ゴビ砂漠っていうんだ」

 畳んだテーブルを車に積みながら、エメリクが教えてくれた。

「あと二日くらいで山地に入るから、もう少しの辛抱だ。といっても、またゴラン高原も似たような風景だけどね」

 その日の夕暮れ、一行は出発してすぐ、進行方向から来る長い長い車列に出会った。一行は車列に道を譲り、長い時間をかけて見送った。

「あれはなに?」

 助手席に座っていたナユタが尋ねると、運転席のロベルトが

「太陽信仰の信者たちだよ」

 と答えた。

「太陽がないのに信仰するの」

「ないから、信じるのさ」

 欲しいから、とロベルトは言った。

 信者たちは、ぐるぐるとゴビ砂漠を巡って、太陽祭を待っている。最初はちいさな車列だったものが次第に長くなり、今ではちいさなコロニー一つ分くらいの集団になっているという。

「一度太陽祭に出会うと、それで列を離れて故郷に戻る人もいるけど、出会えることは稀だから、増える一方だね」

「それって、祈りが届いてないってことじゃないの」

「そんな可哀そうなこと、いうもんじゃないよ」

 ロベルトに苦笑されて、ナユタは首をすくめた。

 不思議な世界だ。

 車列の最後尾を見送りながら、ナユタは思った。昼夜を問わず、ただ太陽だけを求めて灰色の雲の下、どこまでも続く砂漠を移動する人々の群れは、無機質な色彩の世界の陰影をより暗く縁取っているように思える。

「俺たちだって、似たようなものさ」

 ターバンからはみ出た赤毛を引っ張りながら、ロベルトは車の天井を見上げた。

「あてもなく太陽を探してるって点ではね。見つけて祈るか、見つけて写真にして金に換えるかの差だもん」

「そうか」

 ふたたび走りだした車の窓に映る自分の影を見るともなしに眺めながら、サラディンはどうしてこんな暮らしをしているのだろう、とナユタは思った。

 政治に興味を持ち、自らその活動に時間を捧げているらしいサラディンが、町の暮らしを離れて砂漠を放浪していることが、ひどく不思議に思えた。

「ロベルトは、どうしてキャラバンに入ったの」

 ナユタに問われて、ロベルトは前を向いたまま、うーん、と首をかしげた。

「サラディンたちの写真が好きだったのと、コロニーの暮らしが嫌だったのと、両方かな」

「コロニーの暮らしは嫌?」

「窮屈だった」

 おそらくこのキャラバンの中でナユタとタンブルを除けば一番若いロベルトは、遠くを見るような目になった。

「このあたりのコロニーはわりと風通しがいいような気がするけど、僕が生まれ育ったところは、なんていうか。みんながみんなを見張っているような感じがしたな」

 細かい氷の粒がフロントガラスに降りかかり、ワイパーが始動した。

「みんな、タブレットに溢れる情報を気にしてて、自分たちと違う暮らしをしてるやつがいないか見張ってる感じ。うまく言えないけど」

「ふうん」

 スターリンの時代みたいなものかしら、とナユタは思った。

「あのころは、毎日息をしてるだけで疲れるって感じだったな」

「サラディンとはどうして知り合ったの」

「BATのエージェントのところに自分の写真を送って、弟子入りしたいって頼んだんだ」

 ロベルトが笑う。

「今思うとすごい迷惑だったと思うけど、毎日写真を送って、毎日頼んだんだ」

 どうしても一緒に旅をしたい、コロニーの外の風景を撮りたい。そう書き添えて写真を送り続けた高校生に根負けして、エージェントが初めてロベルトに返信したのは、最初のメールから半年後。そこからさらに懇願を重ね、サラディンの「本気なら自力で12月にウルムチへ来い。ただし来るなら住民カードとタブレットはその場で捨ててもらう」という言葉をエージェントが取り次いでくれた。

「それで、高校を中退して夜の街で仕事して、三か月でお金をためてウルムチに行ったんだ」

 エージェント経由でウルムチに向かうことを告げ、年末の町で出会ったサラディンは開口一番、

「まさか本当に来るとはな」

 と言った。ロベルトが住民カードとタブレットを手渡すと、諦めた様子でため息をつき、なら一緒に来い、と言ってくれた。五年前のことだ。

「どのみち、義理の父と異父兄弟の家で暮らすのも肩身が狭かった。高校を中退したときも、母ですら何も言わなかったくらい関係は薄かった。そういう、しがらみがないっていう意味では、家を出るのは楽だったね」

 前を走るサラディンの車の尾灯が水滴にけむる。

「みんな、そうやって来たの」

「よく知らないけど、サラディンと最初からいたのは、たぶんオマールだけだと思うよ」

 なら、サラディンは誰かについてきたのではなく、自ら進んで砂漠の暮らしを選んだことになる。

「サラディンは、どうして砂漠に来たのかしら」

「さあねえ」

 ロベルトは首をかしげた。

「僕は聞いたことがない。ナユタが直接聞いてごらん」

 デフロスターのスイッチを入れながら、ロベルトは言葉を続ける。

「僕は、BATの仲間になる時、メンバーの詮索は一切しないってサラディンと約束したんだ。でも、ナユタになら話してくれるんじゃないかな」


 長い長い砂漠を抜けると、道はつづら折りの上り坂となり、やがてふたたび平らな平原に出る。それを何度か繰り返すと、やがて枯草に覆われた草原を、荒れた太い道がどこまでもまっすぐに抜ける台地が開けた。

「草が生えているところもあるのね」

 砂礫の土地ばかりを見ていたナユタには、珍しい光景だった。

 五日ほどかけて広い広い大地を抜けると、久しぶりに大きなコロニーが近づいてきた。一行は枯草の中にテントを張り、二晩をかけて積めるだけの物資を積み込んだ。三日目の夕刻、食事を終えたサムスンとサラディンは、ライトの下で地図を見ながらルートを慎重に検討している。

「また砂漠に入るの?」

 テントの撤収を手伝いながらナユタがオマールに問うと、オマールは首を振った。

「もう砂漠はないな。ただ、ここから先は、コロニーを選ばないと入れなくなる」

「どうして」

「検問が厳しい」

 ウィグル行政区周辺はキャラバンに寛容で、出入りも自由に近かったが、ここからはそうはいかないのだという。

「ナユタも、車の中にいてもニカブを被ってたほうがいいぞ。警察の奴らは遠慮なく中をのぞいてくるからな」

 うん、とうなずいたナユタの後ろで、サラディンがメンバーに声をかけた。

「じゃあ、出発だ。ここからは俺が先導する。ナユタ、今日は俺の隣を頼む。

「はぁい」

 サラディンと一緒になるのは久しぶりだ。しかも先頭車両の助手席は任務重大。ナユタは、頼りにされているような気持ちがして誇らしかった。ナビゲーションシステムを慎重にセットして、サラディンがオート操作を指示すると、車はゆっくりと走り出した。車列は全部で5台。後の車は、サラディンの車両を追うようにナビをセットしているはずだ。

「ここから、どこに行くの」

「カスピ海だ」

 ナユタの問いに、サラディンが答える。

 カスピ海、と聞いて、ナユタの胸がきゅん、とうずいた。学校の地図で見たおおきな湖は、ソヴィエトの南端。まだ一度も訪れたことはないが、故郷に帰るような思いがする。

「広いんでしょ」

「らしいな。俺も初めてだ」

 サラディンはフロントガラスの向こうの闇を眺めて、何事か思いを巡らせている。

「ねえ」

 ナユタが声をかけると、サラディンは、ん、とナユタに視線を向けた。

「サラディンは、どうしてキャラバンになったの」

 ナユタの問いかけに、サラディンは薄く笑った。

「そういえば、話が途中になっていたな」

 カフェインの入ったドリンクをボトルから飲んで、さてどこから話そうか、とサラディンはつぶやいた。

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