七.雲と太陽(七)
シンディ・スミスは、幼少期から写真が好きだった。10歳の誕生日、両親に願って初めて自分のカメラを手にして以来、暇さえあればファインダーを覗いていた。家族を撮影した作品が、学生コンクールで入賞したこともあった。
長じるにつれ、身近な被写体では物足りなくなった。クラウディメンテナンサーをしていた叔父のエイドリアンが、地上に降りたあと砂漠を放浪していると知ったのは、父の口を通してだ。父は叔父を「才能があるのにもったいない」と蔑んだが、シンディはその生き方に心ひかれた。「砂漠」の画像を検索すると、雄大な風景が次々にあがってくる。自分もこんな作品を撮って暮らしたい。憧れが募った。
父に、叔父のもとに行きたいといった。馬鹿なことを考えるなと反対された。だが諦めることができず、シンディはこっそり父のタブレットを盗み見て、叔父に連絡を取った。なかなか返事が来なかったが、何度かメールを送るうち、サウスチャイナの画廊から連絡が来た。叔父は直接連絡をすることができないので、代理で返信したという。その画廊の写真に、衝撃を受けた。広大な砂漠をシャープに切り取る作風。その「BAT」という名の写真家が叔父と行動を共にしていると知り、どうしても行きたい、と思った。何度も画廊を経由してやり取りを繰り返し、大学を卒業すると家を出てキャラバンに加わった。
叔父は本名を捨て、オマールと名乗っていた。リーダーはサラディン。ほかにサムスンとロベルトという二人のフォトグラファー、それに、やたら年の離れたオマールの妻スアードが、「BAT」のメンバーだった。
シンディが夢中になった写真は、ほとんどがサラディンの作品だった。サラディンの研ぎ澄まされた世界観は、三人の中でも別格だ。シンディはサラディンを崇拝し、その作風を自分のものにすることに熱中した。サラディンの視点で世界を見ると、まるで世界の見え方が変わる。それが自分の作品に反映していくことが、嬉しかった。
だが、そうやって発表したシンディの作品は、なかなか売れなかった。
次第に仲間が増えていく。どの仲間の作品も強烈な個性を持っており、それぞれ固定のファンがついていくが、自分にはそういったファンがない。
通信手段を持たないシンディは、たまにコロニーに行ってはネットサーフィンのできるカフェに行き、画廊で自分の作品の販売状況を検索する。風景写真はさっぱりだが、コロニーで撮影する市場や建造物の写真はぽつぽつと売れていた。自分には、風景作品が向いていないのかもしれない、と思い始めたころ、ナユタに出会った。
透き通るような白い肌。整った顔立ち。太陽の光を思わせる金の髪。シンディは、被写体としてのナユタに夢中になった。誰にも気づかれないように用心しながら、シンディはチャンスがあるたびナユタのポートレートを撮影し、作品にしてエージェントに送った。だが販売実績が来てみると、自分の作品は一枚も売れていない。あの被写体が売れないはずはない、と不思議に思ってコロニーに入り、画廊のBAT作品を検索すると、ナユタの写真は出品されていなかった。エージェントに問い合わせると、「人物が特定できる写真は売らずに廃棄しろとボスから言われている」という返事だった。失望した。
たしかに自分はメンバーになるときにそう誓った。キャラバンのメンバーを被写体にすることは厳禁と。だが、せっかく自分の美を表現できる素材が目の前にあるというのに、それを世に問うことが許されないのは苦しかった。
とは言え、そのことをサラディンに面と向かって言うことはためらわれた。もしナユタの存在が世間に知られたら、大変な騒動になることもわかっていたから。
結局、俺はここまでなのか。
憧れだったサラディンが、次第に目の前に立ちふさがる巨岩のように思えてきた。
鬱屈とした思いが重なっていたある日、画廊にアクセスすると、エージェントからシンディあてに連絡が入っていた。
「あなたの写真に大変興味を示している客がいる。手持ちの作品があれば送ってほしい。ただし、ボスとの約束があるから人物の写真は出せない」
風景やコロニーの写真を送ると、エージェントを経由して絶賛のメールが送られてきた。嬉しさのあまり、添付された相手のメールアドレスにフリーメールのアカウントを取って謝意を伝えると、次からはそのアカウントあてに連絡が入って来るようになった。
「あなたは、ソロで活動したほうがいいのでは」
そう言われて、そうかもしれない、と思った。そして、サラディンには告げず、密かに相手のすすめる別のエージェントと契約をした。本当はナユタの写真を出したかったが、さすがにそれはためらわれ、風景や市場を撮影した今までの作品を送ってみた。BATとして発表していた時は仲間の影に隠れていた写真が、今度は次々と売れていく。シンディは有頂天になった。俺は、本当はこうやって活動するべきだった。BATの作品として期待されていたものを撮影することはできないが、俺は、シンディ・スミスとしてなら世間に認めてもらえる。
「あなたのボスは、あなたの才能を恐れているのでは」
と、新しいエージェントは言った。そうかもしれない、と思った。だから、俺の作品が売れないようにしていたんだ。現にBATを離れればこうやって評価が得られる。俺は騙されていたんだ。
「ボスは、反社会的な活動に従事している」
と言われた。そう言われれば、そうかもしれない、と思った。だから住民カードもタブレットも捨てさせられたのだ。
「あなたは、優れた写真家であると同時に、社会をただす人物になれる」
と言われた。
「あなたなら、世界を救える」
次第に、それが正義だと思うようになった。
サラディンの行動を監視するよう言われて、タブレットを渡された。それからは、サラディンがコロニーに行くたび後をつけるようになった。報告すると、ボスの行く先々でスーリア党に行きあたると言われた。やはり、反社会的な活動をしていたんだ。だから、俺が正当な評価を得て売れるのが怖かったんだ。シンディは、サラディンの諜報に夢中になった。
ある日、オマールに呼び止められ、サラディンの後を追えない日があった。それ以来、何かとオマールがつきまとってくるので役目を果たせない日が続く。悶々とした日々。
そんなある日、サラディンが、ウランバートル近くに着いたらしばらくそこに滞在する、と仲間に告げた。
「紫外線量が下がって撮影の時間が増えてきた。むやみに移動するよりも、たまには少し一か所にとどまって活動してみるのもいいと思う」
シンディは、エージェントに連絡した。
「ボスは、しばらくウランバートル近くに滞在するようです」
「何か企んでいるのかもしれないな」
相手は、シンディに会いたいと言った。ウランバートルに着いた夜、シンディはコロニーの酒場で待ち合わせをして、初めてメールの相手と顔を合わせた。相手はシンディに小型の発信機を手渡した。
「これをボスの車につけておくといい。そうすれば、君が動けなくてもボスの行動がこちらにわかるようになる」
シンディは、それを引き受けた。サラディンは反社会的な行動をしているのだから、監視されるのは当然だ。サラディンがそれを改めればいい話なんだ。
憎しみと、憧れ。
シンディは、サラディンに認められたかった。そうすれば、自分はまた屈託なく一緒に旅ができる。俺がこんなことをしているのは、サラディンのせいだ。サラディンが俺を認めてくれないのが悪い。
そしてシンディは、皆が寝静まっている最中に、サラディンの車の車底へ発信機をつけた。
ウランバートルを出発したサラディンとグリアンは、雨の中荒れ地を走り続けた。最初は順調と思われたが、昼過ぎになって、前方から太陽信仰の長い車列がやってくるのが見えた。
「時間泥棒が来たな」
仕方ない、と舌打ちして、サラディンは道路から外れて道を譲った。
「ノルマン氏は、あそこにいるのか」
「いや」
サラディンが首を振り、怪訝な顔でグリアンを見た。
「なんでそう思ったんだ」
「グエン博士が、ノルマン氏は太陽信仰の信者に紛れ込んでいると言っていたから」
「ああ、そうか」
あそこじゃない、と言って、サラディンは薄く笑った。
「もう少し、現実的な暮らしをしている」
「そうか」
車列は延々と、地平線の端から端まで続いている。車が通り過ぎるたびに轍が深くなるせいか、車列の飛ばす水しぶきが次第に二人の車までかかってくるようになった。雨は、止みそうもない。
「雲が晴れたら、この連中はどうするんだろうな」
「さあな」
祈りがかなえられたことに喜び、天に感謝して、それからどうするのか。
「何のために祈るのかによるだろう」
サラディンがつぶやいた。
「自分が太陽を欲しくて祈っている奴なら、祈りが天に通じて満足するんだろうが、世界のために祈ってやってると考えている連中は、きっとまた別のことを祈りたくなるだろうからな」
「連中の祈りのせいで晴れるわけじゃないんだけどな」
グリアンがつぶやく。
「祈りのおかげで晴れたと思われるのも、なんだかしゃくだな」
「そう思いたい奴には思わせておけばいいのさ」
サラディンが皮肉な笑みを浮かべた。
「コロニーにもいるだろう。祈ったことで動いた気になったり、自分のおかげで世界が平和を保ってると考えたりしている連中が」
「いるね」
「そういう連中は、それしかできないんだから、憐れんでおけばいい。こちらの邪魔さえしなければな」
そう言って、サラディンはカフェインの入ったドリンクを口にした。車列はまだ続いている。
「それにしてもすごい人数だな」
「キャラバンでいちばん多いのは太陽信者だ。こういう集団が、大きいところで3つはある」
ボトルのキャップを閉めながら、サラディンが言った。
「細かいのは、ちょっと数えきれないな」
太陽信者はコロニーにもいるが、最初に広めた教祖がゴビの出身だからなのか、本山をゴビとするところが多い。陸続きの近場ならともかく、遠方からコロニーを離れて旅をするのは簡単ではないから、各コロニーに分教会があり、多くの人々はそこで祈りを捧げる。まれに熱心な信者が、コロニーを捨ててゴビに入り、砂漠を周回しながら太陽祭を待つ。それが離合集散し、一部が大集団になった。
「つくづく、ふしぎな光景だな」
車列を眺めながら、グリアンがつぶやいた。
「こういう集団に属する連中の心理状態というのも面白そうだ。次の研究材料にしようかな」
「いい考えだ」
サラディンがうなずいた。
「砂漠で暮らしてると、ここから逃げてくる連中に出会うことがある。話を聞くと、かなりえげつない集団もあるらしい。そうと知りながら逃げようとしない連中が大勢いる。そういう連中が目を覚ますような研究ができたら、いい働きになるかもしれない」
「そういう心理状態はよくあるね」
グリアンがうなずく。
「太陽を欲しがりながら、雲の下にいることで安心するのと一緒さ」
「なるほどな」
なんにしても、とサラディンは運転席に座ったまま伸びをした。
「俺たちは、祈るより考えるほうが性に合ってる」
「まったくだ」
長い長い車列が通り過ぎたのは、先頭車両に遭遇してから一時間半後。すでに時計は15時を過ぎていた。
「時間を食った」
サラディンが、スピードを上げる。荒れた砂漠の道をひた走りに走って、空が完全に暮れるころ、二人はタバントルコイの炭鉱跡に着いた。廃墟の片隅にテントを張って一泊し、翌朝ふたたび地図と地形で位置を確認し、車を走らせる。なだらかな山地と荒れ地が交互に現れる、
「あそこだ」
サラディンが言って、速度を落とした。道を外れて荒れ地をゆっくりと進むと、蜃気楼と見えたのはちいさな湖水。その湖畔に、ちいさなドーム。近づくと、反射板のような素材でカムフラージュされた建物とわかる。
カムフラージュの中のスペースに車を入れて、サラディンはコンテナのような四角い建物の前に立ち、タブレットの電源を入れて操作した。電子音とともに入り口のロックが解除された。
「ここを使うのは本意じゃなかったが、仕方ない」
「ノルマン氏は、あとから来るのか」
あとをついてきたグリアンの言葉に、サラディンが振り返る。
「意外と鈍いんだな、グリアン」
そして、ターバンを取ると、にやりと笑った。
「ノルマンは、ずっとあんたと一緒にいた」
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