五.果てのない旅(三)

 翌朝、食事の片付けを終えたナユタを連れて、サラディンはふたたび町に向かった。コロニーのゲートをくぐってすぐに車を停め、ナユタの歩調にあわせながら閑散とした昼の市場を抜けて昨日の酒場に向かう。

「どこに行くの」

「会わせたい男がいる」

 サラディンに手をひかれたナユタは不安げだ。ナランとアルタンに会った時のことを思い出していると気づき、大丈夫だ、とサラディンが言った。

「今日会うのは悪いやつじゃない」

 ナユタはニカブの奥でうなずき、サラディンの大きな手を握りしめた。

 酒場に行くと、グリアンがすでにテーブル席で待っていた。バーテンダーの姿は見えない。

「あとは鍵を裏口のポストに入れておけばいいってさ」

「ありがたい」

 椅子をひきながら、サラディンはナユタを顧みた。

「この子だ。今はナユタと呼んでいるが。ナユタ、こいつはグリアン。俺の仲間——友人だ。元の名前をこの男に教えてやってくれないか」

 ナユタはサラディンに促されて椅子に座り、消え入るような声で、こんにちは、と挨拶した。

「スヴェトラーナです」

「過去から来たんだって?」

 ナユタは首をかしげた。

「よくわかりません。でも、そうみたい」

「この子が暮らしていたという地域に行ってみたんだが、まったくの廃墟で、何百年も人が暮らした様子がない」

 そうか、とうなずいて、グリアンはナユタに問いかけた。

「なんていう町から来たのかな」

「イルクーツク」

 グリアンは紙の手帳を広げ、最後のページに印刷された世界地図を示した。

「どのあたりだい」

 ナユタは、バイカル湖のほとりを指さした。なるほど、とグリアンがうなずいた。

「このあたりは、もう1000年くらい、誰も住んでいないと思うな」

「1000年」

 ナユタが驚いて声を上げた。

「君の生年月日は?」

「1970年、5月17日」

「グレゴリオ暦だね」

 ナユタは首をかしげた。自分の使っていた暦の名前がわからない。

「たぶんそうだと思う。そうすると、いまは君が生まれてから1500年くらい経ってることになるな」

 ぽかんとするナユタに、グリアンはゆっくりと語る。

「はっきりとはわかってないんだけど、君が生まれて500年くらいあとに、地球からオゾン層が消えたんだ」

「オゾン層」

「地球を紫外線から守る、布団みたいなものだよ」

「雲のこと?」

「うーん。雲は水滴でできているが、オゾン層は目に見えない。だが、地上を覆っているという点では、まあ雲みたいなものだ」

 グリアンはにこりと笑った。

「それがなくなって、よくない紫外線がたくさん地球に降り注ぐようになって、特に紫外線が強かった南半球の動物はほぼ死に絶えた。人間もね」

 目を丸くするナユタに、グリアンは言葉を続ける。

「君の暮らしていた地域の人たちも大勢が亡くなった。君たちの人種は、紫外線に弱い肌をしていたんだ。もともと太陽の少ない地域だからね」

 ナユタはうなずく。うなずきながら、この世界の人の肌が一様に浅黒いことを考えていた。髪の色は様々なのに、肌の色は一緒。あれはペルシャの人だからじゃなくて、そういう人しか生き残れなかったのか。

「ここは、ペルシャじゃないの?」

「ぺ?」

「ええと」

 単語が通じない。物語はわかるかしら。

「空を飛ぶ絨毯があるところ」

「ああ、古い物語だね」

 グリアンが笑う。

「そうか、みんなの服装や砂漠を見て、そう思ったのかな。その物語の舞台はもっと南だ。その地域も被害がひどかった。砂漠は照り返しが強いからね。サラディンたちがうろついているのは、主にウィグル、やモンゴル」

このあたりだね、と地図を示しながら、国も、君が生まれたころとは違うんだ、とグリアンは言った。

「君が生まれたころは、世界にたくさん国があっただろう」

 ナユタがうなずく。

「今は、世界は一つの政府が管理してる。以前の国は行政区になってるんだ」

「アメリカとも?」

「そうか、君の時代は冷戦時代かな」

 グリアンがふたたび笑った。

「今、君は何歳?」

「11歳」

「そうか。じゃあAD1981年までは過去の世界にいたことになるな」

 となると、とグリアンは首をかしげた。

「君のいた国はたぶんその10年後くらいに体制を変えて、カスピ海沿岸などでは多くの地域が独立した。アメリカとも仲直りをしたはずだ」

「そうなの」

 ナユタはため息をついた。あまりにも違いすぎる。いろんなことが。

「それから何度も何度も、いろんな国や地域で戦争が繰り返されて、国の数や形も時代によって変わっていった。そうして、君が生まれてから500年くらい経ったところで、さっき言ったようにオゾン層が消えて、人類はあやうく滅びかけた。でもなんとか建物の中で生き残って、協力して紫外線から身を守る方法を編み出した。そして生き残った人たちが新しい政府を作った。それが500年くらい前のことだ。君のいた時代は、こんなに曇りの日ばかりじゃなかっただろう」

 ナユタはうなずく。そうなのだ。この世界に来てから、晴れた日を見たことがない。

「この世界では、人工衛星を使って人工的に雲と遮蔽層を作り出し、かろうじて建物の中でなら生きられる程度に紫外線を遮っているんだよ」

「だから、外に出ると叱られるのね」

「そうさ。紫外線を浴び続けたらよくない。皮膚に病気ができて、それが原因で死ぬ人も多い。まして君は肌が弱いと思うから、それは気を付けたほうがいいね」

 ナユタはうなずいた。すこし、いろんなことが明快になったような気がした。同時に、自分は本当に未来に来たのだ、と思った。スヴェトラーナだったころに想像した未来とはずいぶん違う。未来はもっと明るく単純に、ひたすらに前進し、発展していくのだと思っていた。

「ナユタ」

 サラディンの声に、ナユタは顔を上げた。

「もし不愉快じゃなかったら、グリアンに顔を見せてやってくれないか。この男は医者だから、怖いことはしない」

 ナユタは少しためらったが、うなずくとニカブを外した。グリアンの目に一瞬だけ好奇の光が宿ったが、彼はすぐにそれを消し、医師の目で瞳や皮膚をじっと見た。

「外に出る時はゴーグルをしているね」

 ナユタがうなずく。

「絶対に裸眼で外に出たら駄目だよ。下手をすると目が見えなくなる。皮膚も紫外線に弱そうだから、気をつけたほうがいい」

 そう言って、なるほどね、とグリアンはうなずいた。

「君に会うまでは信じられなかったけど、やっぱり現代に生きる我々とは違う気がする。どうやら君は本当に過去から来たようだね」

 見せてくれてありがとう、とナユタに笑いかけ、グリアンはサラディンのほうを向いた。

「この世にはいろんな不思議があるな」

「まったくだ」

「聡い子だ。たぶんこの子は、いろんなことを理解できる能力を持っていると思う。大事に育てたらいいよ」

「もちろんだ」

 二人は、そう言いながら互いのタブレットを交換した。

「今後は、僕が来なくても情報が入りやすくなる手段を考えておく。とりあえずはノルマン氏の回答がもらえ次第、連絡をもらえるとありがたい」

「わかった」

「その時までに、メンデル博士とも効率のいい連絡手段のことを相談してみよう。ノルマン氏にも知恵をもらえるとありがたい」

「伝えておく」

 うなずいて、サラディンはじゃあな、と言うと立ち上がり、ニカブを被り直したナユタを連れて裏口から店を出た。

「今日のことは、みんなには秘密だ。もしなにか聞かれたら、散歩に付き合わされたと言っておけ」

 サラディンに言われて、ナユタはこくりとうなずいた。

 旅だ、とナユタは思った。

 これは、時を超えた長い長い旅なのだ。

 旅の果てには、なにがあるのだろう。いつかこの旅が終わったら、家族に会えるのだろうか。それとも学校の先生が言ったように天国などなくて、死んだら土にかえるだけなんだろうか。だとしたら、家族も友達も、とうに土に返ってしまった。


 もう、だれもいない。

 自分はなぜここに来たのだろう。知らない世界で、何をすればいいんだろう。もう、誰もいないというのに。


 我知らず、ナユタはサラディンのおおきな左手を握りしめた。市場へ荷物を運ぶコンテナが二人の横を通り過ぎる。灯の消えた昼間のアーケードの装飾が、冷たい風に揺れている。あと二日で新年だ。イルクーツクでは、家族で静かに年を越した。この世界の新年はどんなふうだろう。

 無言で並んで歩く二人の頭上から、雪がまた、ちらついてきた。

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