四.発火石(二)
宇宙ステーションにおいて、クルー二名を逮捕。容疑は国家安全法違反。クラウディのプログラムを改竄しようとした罪。
政府の発表に、世界中の人々が釘付けになった。
人類への害意をもってクラウディシステムを改変しようとした宇宙飛行士の存在に、人々は衝撃を受け、戦慄した。もしクラウディが破壊されたら、人類はこんどこそ破滅してしまう。
マスコミや自称マスコミによって、二人の生い立ちや家族構成、二人がSNSにアップした写真やコメントが様々なツールを使って流された。嫌が応にも市民の好奇心は
同時に、政府への非難の声も高まった。人類の命を守るシステムの運用現場に危険な人物が紛れ込んだことは大問題である、と。それに対して、大統領は自ら陳謝した。そして、二度とこのようなことがないよう厳密な調査を進め、対策をとることを国民に約した。
緊急国会が招集され、与野党の合意により、クラウディメンテナンサーが宇宙ステーションに出発する際は、テロリズムに対する親和性などの思想的チェックを厳格にすること、航空センターでの半年間の訓練期間は、外部との連絡は取れないようにすることが、航宙安全管理法に新しく定められた。唯一スーリア党だけが、職業選択の自由に思想をからめるのは不適切である、と自党サイトで反論したが、泡沫政党の意見が国会で顧みられることはなかった。
人類が注目する中、カリフォルニアのヴァンデンバーグ空軍基地で二人の取り調べが開始された。カリフォルニア医科大学の心理学者によって二人の心理検査が行われ、心神耗弱などはなく、審理可能という結果が報告された。二人は容疑を否認する。政府は、それらの情報を逐一発表し、その報道に国民はさらに熱中する。
世界が異様な熱気に囚われる中、スーリア党幹部たちは対応についての協議を繰り返した。技術者たちは、自分たちのしてきたことを開示するのはいまだと主張した。
「いま開示すれば、オゾン層の成長を見守りたいという人々も出てくるはずだ。ここはすべてオープンにして民意を問う時だ」
それに対し、広報部はためらいを示した。民意によらず人類を守るシステムに手を加えたのは事実である。それを国民がどう受けとめるか。そして、現段階でこの事件に関して、政府側からはスーリア党の関与が語られていない。先にこちらからそれを開示することがよいのかどうか。
ふたつの意見の間で、グオは行動を迷った。それが、傍目にはスーリア党が沈黙を守っているように見えた。そうしてスーリア党幹部が対応を迷っている間に、事態は次々と進展していった。
アンとジョージは、それぞれ個別に取り調べを受けている。最初は、二人とも容疑をすべて否認した。自分たちは地球に害意を持ってはいないし、クラウディメンテナンサーとしてのミッションに忠実に従っていただけだと主張した。実際、二人は政府から与えられた役割以外のなにも行ってはいない。二人の影のミッションはあくまで現状監視であり、プログラムにもシステムにも、一切手は付けていなかった。
だが、クラウディメンテナンサーを志願したきっかけについて問われると、二人とも言いよどんでしまう。熟練の調査官が交代で、緩急をつけて二人に問いかけていく。
「あなたが無罪を主張するなら、すべてを話してくれないといけないわ」
二週目にアンを担当した年配の女性調査官は、静かな口調で説得した。
「このままでは、あなたは地球を滅ぼそうとした悪人になってしまう。あなたの目を見ればそうじゃないことはわかる。だから、本当のことを話してほしいの」
アンの唇が震えた。それまでの尋問に疲れ果てていたアンの心に、調査官の言葉が沁みた。
「私は」
アンは何度か言いかけては思いとどまった。どこまで、どう話せば、ここまでシステムを作り上げてきた人たちに迷惑をかけずに済むのだろう。
「かわいそうに。あなたたちは利用されたのよ」
「利用された」
「だって、このことはあなたが一人で思いついたわけじゃないでしょう?クラウディに搭載されたシステムの改変は、少なくとも二年前から始まっていたことがわかっているのよ。ならば、仲間がいるでしょう」
調査官は、クラウディに関する詳しい情報をアンに対して開示した。開示される情報は、アンの知識と一致しているものと異なるものがある。アンは不安になった。アンの理解の中で、クラウディシステムは完成していた。ただ、それを動かすのはまだ時期ではなく、政府に知られては困ることだから、自分は他のプログラマーがそれを見抜かないように守ればいいのだと聞かされていた。調査官は、そのシステムは未完成であり、まだ安全性が低いから始動できずにいるのだと言った。そして、思いやり深い声でふたたび、かわいそうに、と言うと、アンの目を見た。
「本当にシステムが完成しているなら、すぐに始動させるはずよ。時間がたてばたつほど露見する確率が高くなるんだもの。なによりも。ほんとうの仲間ならあなたたちが逮捕されたときにあなたを庇うはずよ。なのに、誰もあなたを庇わないでしょう。あなたは捨て石にされたのよ」
よく考えてね、と言って調査官は退出し、アンは拘留所に戻された。アンは激しく動揺した。外の様子はまったくわからないが、世界中が自分たちに注目していることは別の調査官から聞かされている。家族がどうしているのかも気がかりだった。
そして、なによりもアンは、このまま自分が地球と人類に対する罪人とされてしまうことが我慢ならなかった。白い雲にくるまれた美しい地球。その地球を害する人間と断罪されることは、どうしても承服できない。
「誰もあなたを庇わない」
という調査官の言葉が、脳内をリフレインする。自分は騙されたのかもしれない、とアンは思った。そして、会ったこともない人物を信じて大罪を犯そうとした自分の愚かさに、泣いた。
翌日、アンは赤い目をして調査官の前に座った。
「すべてお話しします」
調査官はうなずいた。
「よく、決心してくれたわ。あなたの行動が、地球を救うのよ」
前後して、ジョージもクラウディメンテナンサーとなった経緯を話し始めた。アンとジョージは別々にメンテナンサーを志願したこと。ジョージはメンテナンサーになってからスーリアの活動を知ったこと、アンは最初からスーリア党の願いを実現するためにメンテナンサーをめざしたことが、調書に書き加えられた。
二人の自白により、あるオンラインゲームの中に秘密のチャットルームがあることが判明し、公安はひそかにそこを監視対象に加えた。
「ルームに出入りする奴らを泳がせたまま、そいつらの身元調査を急げ。そいつらと別のところで関わる奴らを追いかけろ。それと、念のために、二人の調査に関わった民間人もすべて調べろ」
ジョセフの命令により、捜査官たちは、地球に送還されて以降の二人に関わった民間人すべて、警備員から給食配ぜん人に至るまでの身元調査を進めた。そして、心理検査官の行動歴を見て、首を傾げた。
「このドクター、ずいぶん世界中をうろついているんだな」
「集団記憶の専門家だというから、フィールドワークだろう」
ところが、航空利用歴をたどると、行動歴がグリアンのアクセス記録に一致した。しかも複数のタブレットを使っている可能性がある。捜査官たちは色めき立った。
「見つけたぞ、グリアン」
カリフォルニア医科大学の教授、タサキ・リョウに「情報管理法違反」の容疑で逮捕状が出された。NC474年4月26日のことである。
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