終曲、そして虹の選択へ

 何秒くらい経ったのだろう。腕の中で、彼女が暴れ出す。

 俺は身体を、唇を彼女から離す。

「ぷはっ! う、うああ……っ!! なんで、なんで私はゆーくんとキスしてるの?!?!」

 それは御津宮だった。

 混乱で多少声が上擦っているものの、彼女は舞花ではなく御津宮紗枝だった。


「御津宮。分かるか?」


 慌てふためく御津宮に、俺は自身の動揺を押し殺して質問する。質問を繰り返す。今の御津宮の状態は、はたしてどうなっているのか。

 何度目かの問いかけでで御津宮はようやく落ち着き、

「ああ、分かる、分かるよ。舞花は、私と一つになった。君はそのために、その、キスをした。けど、それは舞花に対して……なんだよね。私とは、ノーカン、でしょ」

 御津宮は、寂しそうに笑った。


 あんな一瞬の出来事にもかかわらず、ちゃんと記憶が繋がっている。共有している。驚きだ。

 ホントにこいつ、すごいな。というか、普通にヤバいな。

 光久が興味を持ったというのも、頷ける。


「なんか、一つになったっていう感覚は、あるのか?」

「まぁ。なんとなくは、ね」

「そうか」

「その結果は、今後の検査で確かめられるでしょう」


 光久だった。尋に座られ、うつ伏せになったまま喋っている。その声はかつての光久に近い冷静なものに戻っていた。

「雪島様、そろそろどいていただけると有り難いのですが」

「んー、どうしよーかなぁ。もう変なことはしない?」

「心配せずとも、荒っぽい真似はしませんよ。私と舞花の間に残っているのはもう、彼女の約束を守るということだけですからね。仮に彼女が残っていたとしても、もう知られてしまった以上、どうにもなりません。私は私の理論について折れたつもりはありませんが、御津宮紗枝については手を引きますよ」

 その言葉を信じたのか、尋はよいしょと腰を上げる。

 俺たちはもちろん、当の本人さえもなんとなくしかわかっていない変化。しかし、舞花とも御津宮とも長い時間を一緒に過ごしてきたであろうこの男には、決定的な変化が分かるのかもしれない。


「ふふ、お嬢様、あなたにはもうなんの権限もありません。ゲームは終わったのです。あなたには普通の、退屈な人生というものをプレゼントしましょう。もっとも、楽にとはいかないでしょうがね。あなたはそのキャラクターで敵を作り過ぎた」

 去り際、光久はそんなことを言った。

「それでもいいよ。その、本当にありがとう、お兄ちゃん」

 御津宮は思わず口を押える。今の「呼び方」は、無意識に出たものらしかった。

 光久は足を止め、複雑な感情のこもった溜息をつく。

「検査等の予定ついては、追って連絡します」

 そして、今度こそ退場した。


 御津宮の口から出た「お兄ちゃん」という言葉は、二人の統合を証明するようなものだった。俺はその結果に口元を緩めた。でも、なぜか同時に涙腺も緩んで、視界が歪んでしまった。

 

 考えてみれば当たり前だ。

 俺は初恋の相手を自分で消してしまったのだから、これが悲しくないわけがない。けれど、ここで泣いていることを悟られたら、皆の努力に、光久の引き際に、なにより舞花の献身に、俺は報いることができないんだ。


 涙を零すまいと無言で必死になっている俺の肩をつつく、馴染みの感触があった。

「ユウキちゃん、お疲れ様ー。よく、頑張ったね」

 全部分かっていると言わんばかりの、本当にありがたい幼なじみの労いだった。


「それじゃあ、わたしは学校に戻るねー。ユウキちゃんの早退には、適当な理由付けておくから。あと、さくらちゃんや水瀬先輩からは無事だって連絡もらってるから」

「そうか。本当に、よかった」

「ばいばい、お二人さん。また、学校でねー」

 こうして、尋も学校に戻っていった。


 昼の河原には、俺と御津宮だけが取り残される。

 俺たちは無言だった。

 思うところが多すぎて、どう言葉を発していいのか分からない状況だった。

 その中で、俺は今回の一連の出来事がどういう話だったのかを考え続けていた。

 

 そして、一つの結論に至る。

 この話は、ある一人の人間に妄執する人間たちの物語だったのだ。


 俺は尋に。

 尋は俺に。

 御津宮は俺に。

 光久は舞花に。


 その一人が自分にとって重要すぎて、まるで他に求めるべき世界などないとでも言うような者たちの織り成す、【恋愛ゲーム症候群】とでも言うべき物語だ。


 誰かを想うことはもちろん大切だ。だがそのせいで他の人間を、他の可能性というのを消してしまう必要はなかったのだ。知っている人間も、まだ知らないこれから出会う人間も。

 他人というのは可能性で、他人と関わるということは良くも悪くも可能性の拡大だ。松本、辻先輩、尋、モブ子。彼女たちに助けられたことで、俺はそう考えるようになっていた。


 ようやく、ゆっくりと、鼓動が落ち着いていく。

 それにしても、本当に激動の一週間だった。

 特に、今日。尋の独白からの一、二時間の密度は、俺が今まで体験したこともないような濃いものだった。突然訪れたギャルゲーのような日常は、ふたを開けてみればSFじみた陰謀だった――――なんて、誰かに話したってきっと信じてもらえない。多分、こんな滅茶苦茶な体験はもう一生ないだろうと思う。


 でも、ここから先のことは、また質が違う。

 今、俺と一緒に生きている数え切れない登場人物たち。誰がメインになるかなんて分かりゃしない。どう転ぶかもまるで分からない。無限の選択肢とその結果によっては、この一週間とは別の意味でスリリングになっていくと思う。

 そうしていくべきなんだと思う。


「なぁ、御津宮」

 反応はない。

「なぁ……紗枝」

 御津宮紗枝が、紗枝が弾かれたように顔を上げる。

 よかった。勇気を出して名前呼びした甲斐があった。

「なに? ゆーくん」

「俺はさ、エンディング厨なんだ」

「は? それ、どういう意味」


 紗枝は心底分からないという声を出す。ちょっと面白い。

「アニメとか、映画とか、ギャルゲーとか、そういうので流れるスタッフロールが大好きなんだ。スタッフロールの入るタイミングっていうのはマジで重要だ。つまりは物語の切り方さ」

 今感じている、この気分が、ただなんとなくの終わりを迎えるのが嫌だった。どこかで、なにか一つの区切りを付けておきたいと思ったのだ。そしてその瞬間には、こいつにも立ち会ってもらいたい。

「つーわけで、お前が締めてくれよ」

「えっ? つまり?」

「なんか、このゲームっていうか、一連の出来事についてのまとめ的な発言をしてくれよ。主催者らしくさ。得意だろ。いつもの、教室での調子でいいからさ」

「あ、あれは別に素ってわけじゃ」

 御津宮はしばらく不服そうにしていたが、やがて諦めたように腕を組んで押し黙った。真剣に考えてくれているようだった。もしかしたら教室での電波発言も熟慮の上で言っていたのかもしれない。だとしたら微笑ましい話だ。

「お前の台詞が終わったら、俺がエンディングに相応しい最高の曲をかけるからよ。そいつを一緒に聞いてくれ」


 「エンディングの、スタッフロール画面でかかったら最高だ」という趣旨の曲選びは、尋とよくやった「エンディング幻想」という遊びだ。他の人間にこのノリが伝わるかは分からないが、これも新たなる一歩だ。御津宮が額に指を当てて悩んでいるうちに、俺はスマホの中からエンディング幻想でも至高の一曲を選び、セットする。

 これが、今回のエンディングにして、これからのオープニングテーマだ。


 紗枝があーでもない、こーでもないと呻っている間、俺は少しだけ今後のことを考える。

 はたして紗枝はあのクラスに戻ってくるのだろうか。だとしたら、俺は全力で彼女を守ってやらなければならない。もしかしたら、いやきっと、尋も味方になってくれるだろう。その尋とも本音で話がしたい。あいつは俺が想っている以上にとんでもないやつで、怖いくらいに面白い。今まで迷惑をかけ通しだったことについても、時間をかけて取り戻していこうと思う。


 辻先輩や松本、雇われヒロインたちにもしっかりと礼を言って、ゲーム中じゃ避けまくってしまったことを詫びて、色々と話がしてみたい。ゲームの関係者を集めて、謝礼と喋り場の機会を兼ねて、打ち上げみたい場を設けるのはどうだろう。それもかなり面白そうだ。なんて言って、俺は絶対に緊張するに決まっているんだけどな。


 あとはもちろん、モブ子こと森山伸子。彼女をはじめとして、今まで無視していたクラスメートや、全然関わりのなかった人間も。俺が壊れてしまってから疎遠になっていた両親とも。


 舞花については……今後も紗枝の中に彼女のことを探してしまったりもするだろう。紗枝も舞花も、本当に一人の人間なんだと思えるまで。


 とにかく俺は、今までは考えもしなかった選択肢を思い描き、実行してみよう。それこそが、紗枝に生きろと言った俺の、舞花に退いてもらった俺の、やるべきことなのだ。

 実際そう上手くは行かないのだろう。

 理想と現実の距離は果てしなく遠いのだろう。

 でも、その間でもがく一本道の中に、無限の、夢幻の選択肢を思い浮かべて進むことは、決して悪いことじゃないはずだ。俺たちが今日勝ち取ったのはそういう、人によってはごくごく当たり前の、実質的にはなんでもないようなことなのである。



 そうして、

 たっぷりと時間が経って、

 辺りが夕焼けに染まる頃、

 まだ紗枝のままでいる彼女は、意を決したように口を開いた。

「待たせてごめん。じゃあ……その、行くね? 笑わないでよね」

「ああ、頼むよ」


 紗枝はスイッチが入ったように、羽ばたくような身振りで語り始める。

 その堂々たる振る舞いに、俺は内心拍手を送る。残念ながら彼女の表情はよく分からないけれど、きっと晴れやかな顔をしているはずだ。


「今この瞬間をもって我々を支配していた『物語』は燃え落ちた! ここから先は君と私の第二の誕生、否、第二の選択の始まり。そこにはもう分かりやすい道筋などない。一本道の、しかし選択肢は無限のルートを我々は行こう! そして我々はもう、自分の作り出した物語だけに縛られることはない。ここから先には上手い具合の起承転結も、気の利いた伏線も、固定された登場人物もない。面白いときも、退屈なときもあるだろう。一体全体どうなるのかは分からない。話としては正直、見れたものではないかもしれない。だが、それでいい!」


 紗枝は天を掴むように右手を伸ばし、その手を今度は俺の方に差し出した。

「なぜならば」

 俺も右手を差し出す。二人の手が、重なる。


「我々の生きる世界は、であるがゆえに――――」


 そう、

 ここから先に、はない。









(了)

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虹の選択~恋愛ゲーム症候群~ 野良ガエル @nora_gaeru

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