五日目・金曜日

止められない変化と、崩壊の序曲

 今までなんの抵抗も感じずに捻れていた雪島家のドアノブが、今日は異常に重い。

 布団の中、頭の中では尋への懺悔が繰り返し、俺の心を占めていた。

 尋と会うのが、恐ろしい。

 でも、昨日の一件をこじらせて、彼女との関係が壊れてしまうのはもっと恐ろしかった。

 ドアの前で三十分は葛藤し、いつもに比べて相当遅く雪島家に入っていった。


「あれ、いない?」

 身構えていた分、思わず声が出た。

 二階の尋の部屋に行くも、主は不在だった。

 混沌とした空間と、天井に吊り下げられた鳥籠の落とす影だけが昨日のままだった。

 あいつ、一体どこへ。

 部屋を出て二階を散策するが、尋の姿はない。一階へと駆け下り、再び尋の姿を探す。


「ユウキちゃん?」

 と、台所の方から尋の声が聞こえた。

 俺はそこで、世にも珍しい光景を見た。

 尋が一人で起きて料理をしていたのである。


「もう、そんなに驚くことないじゃない。わたしだって、たまには一人でお料理くらいするよー?」

 言葉を失った俺に、尋が苦笑しながら話しかけてくれる。

 目頭が熱くなった。

「今日は、ユウキちゃんが来てくれないかと思ったからさ。珍しく早起きして頑張ってみました。ま、あんまり眠れなかったってのはあるんだけどねー」

「お、俺もよく眠れなかったんだ。その、遅くなってごめん」

 俺は尋が用意した朝食を、一緒に頂くことになった。お互い昨日の一件には触れず、穏やかに流れる時。


 ああ、幸せっていうのはこういうものかもしれない。

 ベタな話だけど、失いかけて気づくってのは本当なんだと気付く。


「で、どうするの? 今日は朝から待ってるんでしょ、彼女が」

 昨日、御津宮が俺に言った話。朝から公園で待っている、という件を持ち出して尋は言った。冗談のようなノリで言ってくれた。


「行かねえよ。学生は学業第一だろ」

 少し間をおいて、俺も軽い感じで返す。返すことができた。

 ありがとう、尋。


 軽い口調ではあったが、俺の「行かない」という気持ちは真剣だった。

 御津宮がどうした。俺の過去がどうした。舞花はもういなくなってしまった。

 尋が全くの無関係かどうかは、どうでもよくなっていた。今も変わらずにあるこの幸せを、どうして裏切ることができるだろう。


「彼女も可哀想にねえ、一日くらい行ってあげればいいんじゃないの?」

「だから彼女でもねーし、行かねえよ」



 そして、教室に到着する。

 世にも珍しく四日連続で来ていた御津宮が休んだ。教室は、歓喜に沸いた。

 あいつはやっぱり、公園にいるんだろうか。

 御津宮の欠席がトリガーとでもいうように、その日は穏やかだった。辻先輩や松本の気配もなく、ゆるやかに午前中は過ぎて行った。

 ゲームセット。だとすれば、彼女たちと学校で会うことはもうないのかもしれない。


 尋とは、いつもより口数は少ないものの、良好な関係が保たれている。「あんまり喋ってないけど、雪島さんと喧嘩でもした?」などと失礼なことを聞く奴もいたが、軽く流しておいた。こちとら、じっくりと幸せをかみしめてるところなんだよ。


 昼休み。

 二次元のことも特に考えず、ぼうっとしていたからだろうか。いつもは聞き流す教室の喧騒の、内容が耳に入ってきた。

 ようやく休んだ、御津宮に対する罵詈雑言だった。


「目障りだ」

「ウザい」

「学校に来るな」

「長くないんなら、とっとと死ね」

「死ぬ前にとち狂って、金をバラ撒いてくれ」

 

 あいつ、こんなにも嫌われていたのか。

 完全に自業自得とはいえ、耳が痛い。それは、酷く言われている相手が、俺に告白してくれた女の子だからそう感じるのだろうか。

 御津宮は、今も公園で俺を待ち続けているのだろうか。


 ああ、くそ。

 俺はもう、心を動かされないと決めたんじゃないのかよ。

「ユウキちゃん? どうかしたの」

 俺の葛藤を見抜き、尋が声をかけてくる。流石は俺の幼なじみだ。

 多分、嘘を言ったってバレるんだろうな。そう思った俺は、心の中に浮かんだ疑問を口にしていた。

「結局、あいつの、御津宮の病気って嘘だったのかな」

 俺に対してワケの分からないゲームを仕掛けてきた御津宮。

 病気持ちで、先が長くないという設定。

 最後のお願い、という彼女自身の言葉。

 それらの要素が絡み合い、こういう言葉となって口に出た。


 尋は反応を返さなかった。

 無視してくれるなら、それでいい。

 ただの優柔不断野郎の独り言だ。気になったからって、行動に出るわけでもないんだから。


 尋は無言だった。

 少し長すぎるかな、と思うくらいの沈黙の後、


「はぁ――――」

 深い溜息が、尋の口から漏れた。そして、

「知りたい? ユウキちゃん」

 と言った。


 なんだって?

 その声は、いつもの尋と決定的に違っていた。

「気になるんだよね。やっぱり君は変わってしまった。君の心は、外の世界に向いてしまった。もう、手遅れ。だったら、徹底的に壊してやる」

「なんだよ、お前。なにを言ってるんだよ」

 昼休みのざわついた教室。

 他の人間は、この尋の変化に気付いていなかった。


「全部教えてあげるよ。ユウキちゃんの知りたいこと、全部。今更嫌がったって駄目だからね? 昨日あんなに知りたいって言ってたんだから。全部教えてあげる。その代わり」

 尋は、俺の腕を掴み、席から立たせる。そして、間を置いて一言。

「その代わり、泣いちゃ駄目だよ?」



 弁当を食べることもなく、尋に連れられてやってきたのは無人の美術室だ。

 俺は適当な椅子に座らされ、尋は誰かにメールを打っていた。

「誰に、誰に連絡してるんだ」

 混乱で頭が回らない俺は、場当たり的な質問をする、

「水瀬先輩と、さくらちゃん、だよ」

「知り合い、だったのか?」

 連絡先を知っているほどの。

「もちろん、、だよー」

 冗談っぽく言って、尋はスマホを仕舞う。

「さて、と」

 こちらを向く。

「わたしは今まで、君にたくさん嘘を吐いてきました。ごめんね? けど、それは君が望んだことでもあったんだよ? だけど、君がどうしても知りたいって言うから、教えてあげる。世の中には、知らない方がいいこともあるって教えてあげるね」

 そういって、長身寝癖の幼なじみは聞いたこともないような笑い声を上げた。

 

 なんだよ。

 どうしちまったんだよ、尋。

 お前、なにも知らないって言ってたじゃないか。

 それがどうして、お前がいればいいって思ったときになって、

 今さら、なにを言い出すつもりなんだよ――――。

 

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