四日目・木曜日

真相と宣言、そして告白

 重い瞼を開くと、そこには見知った姿の珍しいシチュエーションが映る。

「尋……」

 長身寝癖の幼なじみが、俺のベッドのそばに立っていた。ちゃんと制服も着ている。毎回逆パターンだ。 こんなのは、初めてかもしれない。

「今、何時だ」

「もうすぐ七時半だよー」

「そっか、俺も、早く起きないと、ヤバいな」

 身を起こそうとすると、尋は俺の額に人差し指を押し付け、それを阻害した。

「おい、なにすんだよ」

「なにすんだよ、じゃないでしょー。身体に聞いてみー。今日は休みたいって言ってるよ」

 確かに、昨日無茶したせいで身体はかなりだるい。完全に自業自得だが。

「わたしを起こすって仕事は、今日はもう必要ないんだからさ。一日ゆっくり休んじゃいなよ」

「つーか、なんだお前、自力で起きれるんじゃねえかよ」

 そうだ。尋が今いるというのは、つまりそういうことなのだ。

「朝はユウキちゃんから刺激を受けるっていうのを、身体が覚えちゃってるからねー。なんにもなかった違和感が、かえって強い刺激になったのかもね。あははー」

 ここは、尋に従った方がいいかもしれない。俺がダウンしたせいで、こいつまで遅刻するって可能性は消えたのだから。


 どのくらい寝ていたのだろうか。

 寝る前に飲んだ薬も効いたようで、身体はだいぶ楽になっていた。

 俺は身を起こし、ベッドを椅子にして座る。

 座ったままで、思わず声が漏れるほどの伸びをする。 


 二次元の結界に守られたこの部屋は、実に平和だ。

 ここ数日の慌ただしさが嘘のようで、ちょっと退屈なくらい平和である。

(さすがに、家までは来ないよなあ)

 三大変人たちも、今頃は学校だろう。

(今日はゆっくり休んで、いつもより早めに公園に行ってみようかな)

 何時ごろから舞花が来ているのか分からないが、上手くいけば彼女との時間を長くできる。

 会えないかもしれない、という不安は意識の外に押しやる。

 さて、と。

 それまで、なにをしていようか。もう一度寝るには、目が冴えすぎているし。


 そのとき、今朝の去り際に尋が残した言葉が頭をよぎった。


「時間があるんだったら、あの暗号にでもチャレンジしてみたらいいんじゃない?」


 確かに、時間を削ってまでやることではないが、今このときには丁度いい気がした。俺はノートを取り出し、欄外に記されたある数字を探し出す。


 7、34、5、3、15、15、7、29、5。

 クラスメートにして三大変人の一人、御津宮紗枝の残した暗号だ。

 体力を消費しない暇つぶしとして、俺はこいつに取り組んでみることにした。


 それから大体三十分後。

 時刻にして十二時十分頃。俺は公園に向かって走っていた。昨日眠りに落ちたときの制服のまま、着替えもせずに家を飛び出した。この時間、学校はまだ昼休みだ。


 俺が導いた暗号の答えは「ひるのこうえんまつ」。

 「昼の公園、待つ」というのが暗号の答えでなく、偶然そうなっただけならいい。

 だが、この結果が必然、暗号の正答だった場合。

 とにかくその場合は、いるはずだ。

 公園に御津宮紗枝がいるはずなのだ。

 公園という指定しかないが、俺がよく行くあの公園で間違いない。


 「昼の公園、待つ」。

 俺が混乱しているのは文章の内容以上に、そこへと至る過程だ。

 暗号の解法こそが問題なのだった。

 7、34、5、3、15、15、7、29、5。

 暗号についてネットで検索すると、すぐに「シーザー暗号」というものに行き着いた。シーザー暗号というのは非常に単純な暗号で、ある文章と、鍵の数字によって解くことができる。文章が「あ」で鍵が「1」ならば、答えは「い」。要するに文章を鍵の数字の分だけ進めて変換する暗号なのだ。

 御津宮は鍵を「今の世界を表す言葉」だと言っていた。ならば、提示された数字にその言葉を対応させれば解けるかもしれないと俺は考えた。


 しかし、今の世界を表す言葉、とはなんだろう。

 テレビも見なければ、自分に興味のあるニュースしか収集しない俺には、さっぱり分からない。たとえ時事に詳しい奴だって、この概念的な問いにたった一つの解答を導くのは難しいと思う。数字と同じ数の九文字で、今の世界を表す言葉。

 ただ、時事とか全く関係ない個人的な話でよければ一つ思いついた。

 ただ、そんなもので解けるはずがないので、遊びのつもりだった。


 思い出の少女の記憶、

 五人の女の子たちとの絡み、

 星川渚そっくりの少女、

 そういった要素から、心の中では何度も浮かんでいた言葉、

 「俺の」今の世界、現状を表す九文字。

 それは、俺がかつてドハマりしていたゲームのタイトル、「時々ときどきメモライズ」だ。


 この言葉を濁点なしで【と、き、と、き、め、も、ら、い、す】として【7、34、5、3、15、15、7、29、5】に対応させた結果が【ひ、る、の、こ、う、え、ん、ま、つ】だったのだ。


 もしも解法が正しかったなら、

 あいつは、

 御津宮紗枝は、

 ここ最近俺に起こっている「全て」を知っていることになる。

 そういえばあいつは、「君は鍵を手にしている」とも言っていたじゃないか。

 ここ数日の奇妙な日常は、わずか三十分の暗号解読で終るかもしれなかった。


 息も絶え絶えに辿り着いた公園の入り口。

 御津宮紗枝は、ベンチに腰掛け読書なんぞをしていた。

 遠目からでも分かる黒ずくめの姿は、昼の公園の明るい風景とコントラストを成していた。

 俺は息を整えながら近づいていく。御津宮の読む本のタイトルが読める位置にまで接近する。「我が夢と真実 江戸川乱歩」、分厚い文庫本だ。栞は札束ではなく、女の子らしい普通のものだった。

 御津宮は俺に気付くと本をベンチの置き、読んでいるうちにズレてきたのであろう黒縁眼鏡の位置を両手で直して頭を上げた。

「やあ」


 言いたいことが多すぎて、上手く言葉が出てこない。

「身体は大丈夫なのかい? 今日は休みだったから心配したよ」

 対して、御津宮の声は涼しげだ。

 御津宮はベンチをトントンと叩きこちらに座るよう促す。

「今日はどうしてここに来たのかな。偶然かい? それとも」

「あの暗号は、俺に対して書かれたものだったのか」

 俺は立ったまま、詰め寄るような口調で聞く。

「そうだよ。よく分かったね。私は感動を禁じ得ないよ」

 あっさりと、ややふざけた調子で返す御津宮に俺の神経は逆撫でされる。

「お前はどこまで知ってるんだ……俺のことを」

「フフ、どうかな。ただ一つ言えることは」

「目的はなんだ。どこからどこまでがお前の差し金だ! どうしてお前は俺の記憶の件について知ってる!!」

 疑問は怒声となって溢れ出す。

「お前、いったいなんなんだよ!!!」

「まぁ、落ち着きなよ。私が何者なのか、君はもう分かっているんだろう? 君の知らない、君のことを知っている人物。その可能性に心当たりはあるんじゃないかい?」

 御津宮はベンチからゆっくりと立ち上がり、距離を詰める。


「私は、君が忘れている記憶の中にいたんだよ。時々メモライズでいう『思い出の少女』というヤツさ。自分で言うのもなんだけどね」

 

 あぁ――――、

 それは、最も現実的な解答だ。

 ここ最近の日常の変化が、超常的な確率による偶然でもなく、超常的な現象による必然でもなく、誰かの手によって仕組まれていた。そう考えるなら、その誰かとして最も考えられるのは御津宮紗枝だ。なんといってもこいつは権力者である。今となっては、尋にも話していない「思い出の少女」のことを知っているという証拠もある。

 しかし依然として俺の記憶は戻っていない。本当にこいつがあの女の子なのか?


「お前はかつて、俺とこの場所で会ったことがあるっていうのか」

「そうさ。私は小学六年生の頃にここで君と出逢った。そして君から告白されたんだよ」

 嘘だろ!? と、叫びだしたい気分だった。しかし話の腰を折るわけにもいかず、それを嘘だと断言できる記憶もなかった。

「本当か? 出逢ったその日に告白するなんて、考えられない」

「一目惚れ、って可能性もあるじゃないか。まぁ、告白っていうのは正確には違っていて、告白まがいの言葉だったんだけどね」

 告白まがいの言葉。ますます意味が分からない。

「その言葉が紛い物だと気づいたのは。結構後のことさ。ある人に教えてもらってね。そいつは時々メモライズというギャルゲーの、星川渚というキャラクターに対する告白台詞だったんだ」


 星川渚だって?

 御津宮はいったん言葉を切り、脱力してあらぬ方向を向いた。その先を見ると、一匹の鳩が公園を歩いているところだった。俺はその動きを追いながら、星川渚への告白がどのような台詞で行われたのか、思い出そうとした。


「でも、当時の私はそんなことを知らない。気づかない。だけどその一言でね、心を掴まれてしまった。恋に落ちてしまったんだ。そうなったら最後、恋の重力というヤツには逆らえない。私は……堕ちていった。螺旋を描きながら、炎に焼かれながらね」

 うわごとのような言葉は、まだ続く。

 俺は語り続ける御津宮の黒い姿に視線を戻す。

「だから再び会いに行って、君が私のことを忘れてしまっていた時は本当にショックだったんだ。しかも私がよりどころにしていた君からの告白は、架空の少女に対する台詞だった。あぁ、思いだすと、本当に悲しくなる。私は狂いそうになった。真実、狂ってしまったのさ。でもなんということだろう。君はいまだになにも思い出さない。私には、どうして君があんな言葉を言ったのか、その理由を知ることすらできないんだ!」


 身に覚えのない呪詛の言葉。その中には、俺にとって意外な事実が含まれていた。

「ま、待ってくれ。俺の記憶喪失も、お前がやったんじゃないのか」

 ここまで俺の日常を操ったこいつは、てっきりその件にも関わっていると思っていた。

「違うね。君があの時私のことを覚えていてくれれば、多分こんなことにはなっていない」

「じゃあ、誰が、なんで俺は」

 俺は最近の一連の事象が、半年間の記憶喪失も含めたものだと思っていた。だが、御津宮は記憶喪失に自分は関与していないと言う。

「お前は、なんでそうなったのかを知っているのか?」

「さてね。それは言えない。ただ」


 御津宮は唇の前に人差し指を立てて見せた。沈黙のジェスチャーだろうか。

「君がそれを忘れたのは、『君の望み』に関係している。私に言えるのはそこまでだ」

 どう考えても全て知っている口ぶりだ。

「知っているなら、教えてくれ!」

 俺は御津宮に掴みかかり、肩を揺さぶる。

「――光久」

 ぼそりと御津宮が呟くと、背中に悪寒が。のどかな公園を敵意が包む。御津宮の従者たるあの男は、今もどこかで見張っているのか。


 俺は力なく手を離す。

「乱暴は駄目だよ。答えられることには答えるさ。言葉で解決しようじゃないか」

 乱れたセーラー服の襟元を直す御津宮。

 くそっ。とにかく、聞くべきことを、聞き出せる限り聞くしかない。

「なにが目的だったんだ、今回のことは」

「ああ、リアルギャルゲーのことかい? フフ、少しは楽しめたかな? そうだねぇ、目的は復讐、かな。と言っても、そんなに重い話じゃない。要するに、混乱させてやりたかったのさ。ギャルゲーからの引用によって私の人生を狂わせてしまった君をね。仕返しのドッキリみたいなものだよ。それにこうでもしないと、君は外界に興味を持たないだろう? 二次元至上主義者の君は」

 ふざけるな、という声を飲み込む。


「彼女たちは、全てお前の指示で動いていたっていうのか。今後は、どうなるんだ」

 時々メモライズが鍵だった時点で、尋、御津宮、辻先輩、松本、舞花の五人がヒロイン格だったことは間違いない。俺はその前提で話をする。

「どこからどこまでが、というのは言えないね。今後は、再び平穏な日常を楽しんでくれればいい。舞台裏が分かってしまった以上、君もノれないだろうしね。彼女たちが君に関わって来ることはなくなるよ。これにてゲームセットだ」

 という単語を聞いた瞬間、混乱のせいで今まで浮かんでこなかった恐ろしい考えが浮上する。


 ゲームセット。ならば、舞花とも会えなくなるというのか?

 初恋の相手になりそうだった彼女とも、というか、それ以前の問題がひとつあった。

「舞花も、彼女もお前に言われて俺と会っていたのか? 全ては仕込まれたものだったのか?」

 だとしたら俺は、なんという道化だろう。そんな話は聞きたくない。けど、聞かずにはいられなかった。

 俺の質問に淡々と答えていた御津宮は、ここで今までと違う反応を示した。

 前かがみになり、小刻みに震えている。


「フ、フフ、アハ…………アハハハハハハハハ――――!!」

 笑っていた。堪らないという風に。一体こいつは、なにがそんなに可笑しいのか。

「アハハ、ハハハ、いや、ごめんよごめん。決して馬鹿にしているわけじゃないんだ。私はね、嬉しいんだよ。その態度、君の行動履歴からして、やっぱり君は舞花を『選んで』くれていたわけだ。うん、素晴らしいよ! 傑作だ! 計画通りだ! アハハハハ」

 狂ったように舞い踊る御津宮。それを見て、俺の方こそ狂いたい、怒り狂いたい気分だった。

「質問に答えろよ! どうなんだ、彼女も仕込まれていたのか? そうなんだろ? そんな舞花に熱を上げていた俺がそんなにおかしいのかよ!!」

 聞きたくない。でもコケにされ続けるくらいならいっそ止めを刺してくれ。

 御津宮はピタリ、と笑いを止め、


「安心してくれたまえ」

 優しい声色だった。

「不快な気分にさせてしまってすまない。時々、自分で自分を制御できなくてね。彼女、藤堂舞花は特別だ。彼女はなにも知らない。彼女だけは無垢な状態だ。だから、彼女は君に対して嘘はついていないよ。彼女は、常に素直だし、本気だ。私とは違って」


 本当なのか。

 それは本当なのか、信じてもいいのか。

「舞花とは、今後も会えるのか?」

「いや、多分無理だ。ただこれだけは言えるよ。彼女は今まで以上の幸せを手に入れて、平和に暮らすだろう。だから君も、雪島さんと幸せになるといい。舞花を好きになってくれてありがとう、彼女に代わって感謝するよ」

 俺の、生まれかけていた希望は、潰えた。


「質問は、以上かな?」

 長い間うなだれていた俺に、御津宮は言う。疑問はまだまだある気がするが、反応を返す気力はもうなかった。

「それじゃあ、最後に私から一つ」

 好きにしてくれ。俺は投げやりに耳を傾ける。

 だが、いつまでたってもその一つは始まらなかった。


 俺は御津宮を見る。御津宮は握りこぶしを胸に当て、深呼吸を繰り返していた。

 いつもの体調不良の演技とは違い、それは本気の動作だった。

「ああ、待たせてごめん。でも、もうちょっと待って」

 不敵な発言の多い御津宮にそぐわない台詞だ。

「あぁ、心臓が落ち着かない。なんでこんなに私は度胸がないんだろう」

 胸に当てられたこぶしは、その周りの服まで握りしめて震えている。

「この前の体育の時間、最後の問題を覚えているかい? あの時私は、見学している私たちと授業を受けている彼らの間の距離について語ったよね。しかし、ああ、その距離なんて、これから私が埋めようとしている距離に比べればなんてちっぽけなものなんだろう! でも、私は踏み出さなければならない。言わなければならない。ここでそれが言えなかったら、なんのために君を、他の皆を、多くの人を巻き込んだのか分からない。あぁ、どうして私はこう、意気地なしで、回りくどくて、矮小なんだ!」


 なんだこいつは。

 なにを言ってるんだ。

 これから、なにを言おうというんだ。

 俺は目の前の黒ずくめのセーラー服姿を注視し、次なる動きを待った。

 そこからどのくらいの時間が経ったのか、

 御津宮はしっかりと俺の方を向き、姿勢を正して言った。

「北原君。ううん、ゆーくん」

 その呼び方に心臓が跳ねる。舞花と同じだった。


「私は、君のことが好きです」

 

「君のことが、ずっと前から好きでした」


 そのあとに続いた言葉を、はっきりとは覚えていない。

 

 もし、もしも私の最後のお願いを聞いてくれるなら、

 明日、ここに来てもらえますか?

 私は朝からここで待っています。

 一日、ううん、半日でいいから、

 私は君と飾らずにお話がしたい。

 だから、本当に気が向いたらでいいから、

 明日、よろしくお願いします。

 

 多分こんな感じの内容だったと思う。

 身構えた末に飛んできたのが、あまりにストレートな『告白』だったせいもあるだろう。俺は半ばうわの空でそれを聞いていた。それに、俺はいまだに御津宮が俺のことを好きだという話を信じられずにいた。

 台詞を言い終えた御津宮が全力疾走で姿を消した後も、俺はそこに立ち尽くしていた。


 そしてこの日、

 夕方になっても、

 夜になっても、

 舞花が公園に現れることはなかった。


 これにてゲームセットだ。

 御津宮の言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っていた。

 ぐるぐる、ぐるぐると。

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