機械的精神
しかし、いつもと違う道を通るという俺の判断は失敗だった。
「す、すいません」
俺は、曲がり角の先からやってきた三年生の男子生徒と衝突してしまったのだ。一目見て、不良だと判断できるような髪形の奴だ。どう考えても、クラスメートから質問責めを受けるより厄介な状況だ。
そいつは俺の謝罪なんぞに耳を貸さず、聞き取りづらい暴言を吐きながら胸倉を掴んでくる。
予想通りとはいえ、おい、言葉通じねえのかよ。全然痛かねえはずだろ。だいいち、お互い様だろうが。という心の中の威勢とは裏腹に、俺はスミマセンと謝罪を繰り返す。
だが、こいつにとっては幸、俺にとっては不幸、ここは裏道である。胸倉を掴む力が強くなり、空いている片方の手は握り拳を形作る。俺は、恐怖に目を閉じる。
最低だ。対人の恐怖、暴力の恐怖を兼ね備えるこういう奴らは、本当に滅べばいい。俺の中で、話の分かる漢気のあるヤンキーなんてのは、創作上の幻獣に分類されている。
俺は走馬灯のように、昔何度かよく分からない理由でこの手の輩に絡まれたことを思い出す。いずれも一過性で、そいつらが継続して手出しをしてくることはなかったが。
今回は、どうなっちまうんだろう。
思考を外に飛ばし、理不尽な一撃を俺が覚悟したその時、
「キミのその行為は、非理論的だ」
自動音声のように淡々とした声が聞こえた。
俺は眼を開ける。男子生徒が振り返る。その先には、
「彼は謝罪している。キミが彼を殴る理由はない」
巨大なシルバーのヘッドフォンを着けた辻先輩がいた。これからグラウンドに出るところなのか、体操着を着ていたが、相変わらずのヘッドフォンであった。
男子生徒は辻先輩を威嚇する、瞬間、俺の身体にかかっていた力がゼロになった。
ひゅっ、と。空気を切る音。
それは合気道というやつなのか。男子生徒は音もなく空中に浮かび上がる。俺を殴ろうとしていた拳は一瞬で距離を詰めた辻先輩の手に掴まれていた。男子生徒はしかし、どこも打ち付けることもなく見事着地する。
「今はまだ未遂。僕がキミを攻撃するのは非理論的な行いとなる。だが、引かねばどうなるか、理解できるだろう」
男子生徒は、辻先輩の精密な力加減によって着地させられたのだった。叩きつけることも、空中の無防備な相手に攻撃を繰り出すこともできたというのに。
それは、圧倒的な実力差のなせる業だった。
無言で震えていた男子生徒は、恐怖に叫びながら俺がやって来た方向へ消えて行った。
「北原悠樹君、キミは大丈夫だったかい」
大丈夫、とは言えない。数分の間の急展開に、心が追い付いていなかった。
「その、本当に、ありがとう……ございます」
俺はなんとか感謝の言葉を絞り出す。
「礼には及ばないよ。僕はプログラムに従っているだけだからね」
「はぁ。そういえば、俺、先輩の前で名乗りましたっけ」
辻先輩はロード中、とばかりに沈黙する。
「全校生徒のデータは、入力されているからね」
ここは笑うところなのだろうか、しかし笑いを待っている風はない。辻先輩は本当に、学内の不道徳を狩るロボットとでも言うのだろうか。
「先輩は、人間ではないんですか?」
ストレートに聞いてみる。
「機械で出来ている、ロボットなんですか」
自分でも馬鹿な質問だと思う。でも、辻先輩がそのように取れる言動や振る舞いをしているのは、事実だ。だが体操着のハーフパンツから覗く太腿、制服の時よりも鮮明になった大き目の胸のラインなどは、どう考えても人間の女の子の身体だ。これは、人間と寸分違わぬ機械のボディだとでも言うのだろうか。もしも、万が一、百億万分の一でそんなオーバーテックが存在しようものならば、俺の世界観は完全に崩れ去る。その際には、今週の時メモじみた状況が俺の脳が世界に影響を与えた結果であるとか、そういうファンタジーな解答を真面目に考えてしまうだろう。
だが、ここは現実だ。そうだろ?
「僕は、ヒトよりも『そういうもの』に近い。残念ながら、身体はまだヒトの肉体だけどね。だからコレは、最新の技術でヒトと寸分違わぬ見た目、感触、機能を完全に再現した有機的なボディだとでも思ってくれればいい。僕はそう考えている」
なにを言っているんだこの人は。しかし今の発言。身体が人だというのは、自分が人間だと認めたってことじゃないのか。
あと、その台詞。二次元的な妄想脳で考えると、人の機能を完全に再現した有機的ボディというのは、なんか妙にエロい気がする。
「僕にとって一番重要なのは、精神が『機械的』であることだ」
続けて辻先輩の言った言葉は、よく意味が分からなかった。機械の時点で精神はないだろう。肉体がヒトの時点で機械ではないだろう。なのに、精神が機械的? それは一体どういうことだ。
「少し、過去のことを話そうか」
俺の疑問をセンサーが感知したのか、辻先輩は語りだす。
「僕は、いや……かつての辻水瀬はイジメを受けていた」
初耳だった。尋からの情報に、その話はない。
辻先輩がこういう風になる前、二か月ほど休学していたことは聞いていたが、イジメを受けていたのか。
「君がさっき絡まれていたような連中を中心としたグループに目をつけられてね。周りの人間も、多くは参加し、よくて傍観という状況だった」
悲惨な過去を、他人事のように淡々と語る。
「大変だったん、ですね」
そんなことしか、俺は言えなかった。
「その頃の僕は、『命令に従わなければいけない』、でも『痛いのは嫌だ』という、矛盾の中にいた。その矛盾を満たす存在として、機械に、ロボットになりたいと願うようになった」
淡々と、あくまで淡々と。
「そして――――すまない。この調子でいくと、キミは次の授業に遅れる計算になる。もう、行くといい」
この前も遅刻してしまうことを心配していた。遅れることも不道徳、というわけか。
「嫌なことを思い出させてしまってすみませんでした。最後に一つ、いいですか」
「なんだい」
「そのヘッドフォン、やっぱりロボットのパーツみたいってことで着けているんですか」
暗い話題からの転換として選択した質問は、少し失礼なものになってしまったかもしれない。だが、彼女がヒトの肉体を自覚していると分かった今、その巨大なシルバーのヘッドフォンは、そういう狙いにしか映らないのだった。
「それもある。でも、それ以上にこれは僕にとって重要なパーツなんだ。これを着けていることで、僕は機械的精神を得ることができる。これを狙ってくる人間がいたら、僕にとって最上級の敵と認識される」
怖い。間違ってもヘッドフォンには触れないようにしよう。
「変身アイテム、ってことですか。すごいですね、完全にヒーローだ」
「いや、そんないいものじゃないよ。それに、アイテムに頼っている時点で僕はまだまださ。僕は本物を知っている」
本物のヒーロー、ということだろうか。
とにもかくにも、辻先輩のおかげで俺は無事教室に戻ることが出来た。俺にとっては間違いなくヒーローである。
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