最後の一片、約束の時

「まったく。色々と手間取りましたよ。さぁ、今日の治療のお時間です」

「おい、待てよ!」

 その治療とやらに行かせたら、御津宮の人格は消えてしまうかもしれない。俺の静止に、光久は一瞬こちらを向く。あいにくと表情はよく分からないが、視線は感じる。凍りついた空気が、肌を切り裂くくらいに鋭さを増す。

 光久はわざとらしく溜息を一つ。

「学校を抜け出し、一部の生徒にあることないことを吹聴し、傍目から見ても錯乱している。あなたにも『治療』が必要ですか?」

 御津宮の身体が小刻みに震えている。光久の奴は今、どんな表情をしているっていうんだ。

 御津宮の震えは徐々に大きくなり、そして、


「くくく……あはは、あっはははは!!」

 なぜか笑い出した。

「いやいや、そう怖がらせちゃいけないよ光久。確かに彼は、私が消えるなんていうわけのわからないことを言って、私を怖がらせようとしていたよ。なにか私に恨みでもあるのかねぇ? でもどっちみち私は長くないし、たとえ今消えるとしても全然怖くない。全て彼の空回りさ。だから、さっさと行こうよ。彼は正直、君が関わるようなレベルじゃないよ、光久」

 つい先ほどまでとは打って変わった、いつもの教室でのテンション。

「そうですか。では、参りましょうか」

 なんだ、御津宮のこの変わりようは。まさか、俺を遠ざけることで危険な目に遭わせまいと? 


 だとしたら、とんだ大馬鹿野郎だ。俺のさっきの言葉を聞いてなかったのか。

 光久はゆっくりと御津宮に近づいてくる。

 終わりなのか。これでもう終わりなのか。終わらせていいのか。

 俺にできることは、ないのか。

 そのとき、

 

 断片的な記憶の破片が、一つの絵を形作る。

 尋の話を聞いた時から胸にくすぶっていたある疑問。言葉にできるほどのレベルにも至っていなかったものの、答えが出た。


「待てよ! この黒づくめの中二病野郎」

 俺は考えに至ると同時に、声を上げていた。

「それは私のことですか」

「ちょ、ちょっと君。馬鹿な真似は止めたまえよ。光久を侮辱することは私に対しての侮辱でもある。そんな向う見ずな腐った性根は『修正』されてしまうよ? これは優しい私からの警告だ。しかし私は、仏の顔ほど余裕を見てはいないよ」

 ああ、そうだな。実は割と心優しい御津宮様からの警告だ。台詞はいつもの調子だが、声はすげぇビビっている感じだった。実際、人格の上書き云々の研究をしている天才マッドサイエンティストなら、人格破壊なんてお手のものなのかもしれない。壊すのは作るのよりもはるかに簡単だしな。これ以上でしゃばるのはヤバいからガチで止めておけと。


 やっぱりそんなに俺は頼りないかい?

 そりゃあ、そうだよな。今まで散々いいように操られてきた傀儡みてぇな男だったんだから。何一ついいとこなかったもんなあ。だけどよ。そんな奴だから分かったことってのもあるんだぜ。

 だいいち、皆が戦ったっていうのに俺だけがやらないワケにはいかねぇんだよ。


「お前しかいねぇだろうが、ヤブ医者。医者なのに中二病の患者とは笑わせるぜ」

「いい加減にしないと、死ぬより辛い目に遭わせるよ!」

 御津宮が泣くように叫び声を上げる。

 悪いな。せっかくの心遣いを。けど俺はもう後には引きさがれない。

 お前がそこまで怯える光久に、このゲームマスターにどこまで一石を投じられるか試すまではな。正直なところを言うと、あらゆる人間からいいようにやられっぱなしで、道化で、臆病者で、このままじゃいくら俺でも収まりがつかねぇんだよ!

「中二病も、ヤブ医者も気に入らねぇってんなら、呼び方を変えるぜ」

「いったいなんなのですか」

 呆れたような光久の声。


「『お兄ちゃん』ってのは、どうだ?」

「えっ?」

 御津宮は疑問の声。光久は声にこそ出さないが、俺にでも分かるくらいに動揺が見て取れた。ビンゴだ。そしてやっぱり御津宮には隠してやがったか。

「今、なんと」

「だから、お兄ちゃん、だよ。お兄ちゃん。あんたは、兄貴なんだろう? あの子の。舞花の」


 そもそも、舞花の兄とはなんだったのだろう。

 後発の人格である舞花に実の兄などいるはずがない。

 尋から聞いた御津宮の身の上話にも、兄妹の話などは出てこなかった。

 ならば舞花の兄とはなんなのか? そう思った時、俺が至った結論。

 兄とは舞花の監視者である。


 では、貴重な研究対象であり、御津宮と表裏一体でもある舞花を監視する適任者とは、誰なのか。そのポジションの重要度的な意味からも適任という意味からも、一人しかいない。この研究の中心者であり、今回のゲームの実質的なゲームマスター。ゲーム内の役割が御津宮の執事のようなものである戌亥光久。彼女が常に連絡を取っていた相手。しかも医者が職業だという『お兄ちゃん』はこの男しかいない。


 それはつい先ほど、尋から全ての真実を聞き終えた頭の中にぼんやりと浮かんでいたもの。今この段になって、ようやく思考として落とし込めたことだった。

 これは舞花と接触を持ち、尋からゲームの裏側を聞かされた俺にしか気付けないことだ。

「あいつ、言ってたぜ。イケメンで自慢の兄貴だってなぁ。くく。残念ながらイケメンなのかどうか、俺はよくわかんねぇけどな。あんたもご存じの通り」

 俺は光久をなじる。空気を通じて手ごたえを感じる。御津宮は困惑している風だ。つまり知らない。光久は自分が舞花の兄として過ごしていたことを、きっと誰にも話していないのだ。秘密にしていることを暴かれるのは、なぁ、嫌なもんだろう?


「意味が、分かりませんね」

「あんた、多分シスコンだろう。重度の。紹介してやろうか? お医者さんを」

 光久は答えず、御津宮ではなく俺の方に向かう。おっと、実力行使かい。

 だけどこんな言葉責めは切り札じゃあない。

 あんたの計画をぶっ潰すのは、ここからだ。

 俺は隣の御津宮の手を取り、彼女と向き合う。

「きゃっ」

 突然のことで生まれた女の子らしい悲鳴。その一瞬に、俺はありったけの声量をぶち込んだ。


「起きろぉおおおおおぉ――――!! 舞花あぁあああぁ――――――っ!!!」

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