夢と日常

世話焼きの幼なじみの女の子? そんなものは幻想である

 脳髄の片隅に押し込められた記憶は、行き場を失い、煮詰められ、立体感をもって形を持つ。

 ここは夢の中だ。

 まるで胎児の夢。忘れてはいけない、大事なこと。


 夕暮れの公園に女の子がいる。自分と同じぐらいだと思う。根拠はない。

 女の子は泣いていた。表情はよくわからなかったけど、そう感じた。

 ゲームとよく似たなシチュエーションだった。

 だから僕は、台詞を言った。


 それは、どう考えても自分のような子供には早すぎる愛の告白のようなものだ。当時の僕は、その言葉の持つ意味なんて半分も理解してはいなくて、そのシーンのゲームの盛り上がりと、泣き止んで笑ってくれるヒロインが好きだっただけだ。

 ただ、女の子の方は早熟だった。僕より深く、僕が使った台詞の意味を理解していたのだと、今はそう思う。


 結果として、女の子はヒロインと同じように、泣き止んで笑った。


「ねぇ、ゆーくん。私、また君に会いに来てもいい?」

「うん。もちろんだよ」


 そして僕たちは、約束をした。



 ****** 



 無意識の闇。

 暗い海に沈んだ記憶の泡は、意識という海面から出る前にいつも消えてしまう。

 しかし、なぜか、このときに限って、

 その泡は、海上に頭を出し、

 世界を、視た。



 ******



「起きてください、起きてください」

 穏やかな眠りを覚ますのは、穏やかな声。

 ゆっくりと目を開き、隣を見る。そこには柔らかな笑みを浮かべた少女がいた。

 おはよう、と目で挨拶を送り、俺はゆっくりと身体を起こす。片手で少女を引き寄せ、大きな二つの目を、小さな鼻を、口を見つめる。うん。君は今日も変わらずに可愛いね。

 これが現在高校二年生の俺、北原悠樹きたはらゆうきのいつもの寝覚めだ。


 さて、と。

 俺は「二次元イラストの少女」を写したデジタルフォトフレームを元の位置に戻し、完全に布団から出る。キャラクターのボイスで設定してあるアラームを解除する。先ほどの彼女とのやり取りは、俺の脳内世界で展開されていたものである。

 ここは現実だ。

 そして現実に俺を起こしてくれる女の子などいやしない。

 

 俺は朝の日課として、大判の写真アルバムを手に取りパラパラとめくる。適当なところで止め、その中から「今日の一枚」を選ぶ。これは二次元の女の子をL判の写真用紙に印刷したもので、実際の写真ではない。家にあるアルバムの中身は、すべてこのような至高の二次元画像と替えてある。当然ながら部屋に飾られているポスターやカレンダーの絵も二次元。俺のお気に入りのキャラクターを作品問わずに集め、自作したコラ画像を用いている。


 自分で言うのもなんだが、二次元オタクというか、もはや二次元中毒者だと思う。

 その度合いに比例するかのごとく、三次元、現実は大の苦手である。

 が、悲しいことに学校には行かなきゃならない。


 現在一人暮らしの俺は一人で早起きし、毎日弁当の仕込みをする。

 弁当が完成したら、そいつを鞄に詰め込みつつ、教科書等の忘れ物がないかを入念にチェック。さて、これで学校に必要なものはあと一つだけだ。その一つこそが、現実嫌いの俺が現実の学校生活をストレスなく送るために必要なものであり、そして準備に最も時間を食うものなのである。

 

 家を出て、向かうは右隣の家。合鍵を使って扉を開け、無言で静まり返った家の中を進み、二階の一室を目指す。部屋に入ると、電灯がつけっぱなしになっていた。昨日もそうだった。またあれこれやっているうちに寝てしまったのだろう。部屋の中にはマンガやアニメ雑誌、フィギュア、爬虫類等のリアルな生物模型、電子機器などが積み重なり、混沌を形作っている。天井には空の鳥籠が吊り下げられ、影を落としている。そしてこの空間の主は、混沌を免れた唯一の聖域、ベッドの上にいた。


「っん、ぅうん……」


 聞く人が聞けば悩ましげとも取れるかもしれない声、俺にとってはもはやなにも感じるところのない寝息。どんな寝相をしていたのか、布団やシーツは台風が通り過ぎた後のように乱れに乱れ、着ている薄緑色のパジャマも同時に乱れ、色んなところの肌が露出している。その姿に色香を感じる人もいるのかもしれないが、俺はピクリとも反応しないし、全てを「だらしない」の一言で片づけてしまえる――――そんな少女こそが俺の幼なじみ、雪島尋ゆきしまひろである。


 現実に俺を起こしてくれる女の子などいやしない。だが俺はこいつを起こし、始業までに学校へ連れて行かなければならないのだ。

「尋、起きろ! 尋っ」

「すぅ、すー」

 まずはジャブ。肩を揺さぶり大声をかけるも、まるで効いていない。

「もう、あと十分も余裕がねえよ! 遅刻するぞ、遅刻っ」

 続いて、耳元で虚偽の言葉をささやくコンビネーション。実際にはまだまだ余裕を見ているのだが、どうだ、遅刻で立たされるのは嫌だろう?

「んぅ、あと、ごじゅっ、ぷん」

 おいおいおいおい、ベタな寝言の十倍の時間じゃねえか。

 毎日毎日起こしに来る俺の苦労もつゆ知らず、むにゃむにゃと寝返りを打つ尋。いい度胸だ。心ン中の火打石がカチンと鳴って、俺の中の嗜虐性に火を着ける。


 俺は鞄の中から冷えた野菜ジュースの缶を取り出す。気持ちよさそうに上下する尋の腹部、その左側面、めくれたパジャマから覗くわき腹に狙いを澄ます。

「ひぁうん! っ、あ、はぅっ!!」

 冷えたスチール缶が、尋のわき腹に直に押し付けられている。敏感な部分を、冷たさと衝撃の二重のショックで浸食された尋は、堪らず声を上げる。身をよじって逃げようとする。そうはさせるか。俺は尋の動きに合わせて肌から離れないよう缶を転がす。その度、新たな肌が冷たさに侵され、尋は身悶えた。

「っは、あん。それ、らめぇ!」

 自分を襲う異物を跳ねのけようと、寝ぼけながらに尋は手を出す。が、その手は空を切る。

 遅いぜ、遅い。既にそれはお前の、首筋に。

「っん、んむうぅ――――?!」


 事情を知らない人が聞いたら高確率で通報されるであろうエロゲ―のような悲鳴が止んで、部屋にはわざとらしく鼻を鳴らす音が響いていた。ベッドの上で尋が、よよよとばかりに泣き崩れの真似をしている。

「うう、ぐすっ、ひどいよーユウキちゃん。もうちょっと優しくしてくれても」

「アホ抜かせ。この場合の優しさは学校に間に合わせてやることだ。責めのハードさ=優しさ、だろ」

「でも、心臓麻痺して、別の意味で眠りについたらどーするのー」

「はっ! 命の危機を感じるなら、言葉の時点で起きられるように進化することだな。一人で起きられるように……なんて高望みはしねぇからよ。せいぜい頑張るこった」

 俺は尋の抗議を一笑に付す。


 しばらく唸っていた尋だが、諦めたのかようやくパジャマのボタンに手をかけ始めた。俺は尋に背を向け、その場に腰を下ろす。背後で着替えが始まっても俺が部屋から出ない理由は、俺がいなくなった瞬間に二度寝しやがったことが何度となくあったからである。それでも人からすれば、着替え中の女の子の部屋に男がいるのはおかしいと思うかもしれない。だがそんな外様の意見が通用するような、男女間の常識が適用されるような関係ではないのである。そもそも、そんなことを言いだしたらノックもなしに部屋に入ったり、起こすためとはいえ無遠慮に身体を触ったりしてる時点でアウトだしな。


 尋がパジャマを脱ぎ、制服を着る際の衣擦れの音を背に受けながら、俺は先程の野菜ジュースをちびちびと飲んでいた。


「お待たせー。終わったよー、着替え」


 立ち上がり振り向くと、ブレザータイプの制服をやや窮屈そうに着た尋が、二年生であることを示す赤色のネクタイ(一年青、三年緑)を付けていた。寝癖でところどころ跳ねたセミロングに少し届かない程度の髪は、いつもどおり、前髪を大雑把に掻き分けるだけでセットを終えるのだろう。ちなみにブレザーが窮屈そう、とはいっても尋は別に太っているわけではない。


 俺は尋を、

 尋は長身なのだ。それも並々ならぬ。俺の身長は170ちょっとだが、さらにそこから10センチほど高い。だから、スタイルは決して悪くないのだが、全体的にビッグサイズなのである。窮屈になるので、ブレザーのボタンやブラウスの第一ボタンは留めていないし、スカートは標準の位置でもミニスカ気味に見える。見慣れた、特徴的な姿だ。


 俺は尋より身長の高い女性をまだ見たことがない。ゆえにこの長身寝癖の幼なじみは、学校内や雑踏の中において離れていてもすぐに見つけることができる。ギャルゲーの幼なじみのテンプレートたる「世話焼きの幼なじみ」とはまるで対極の、「世話焼かせの幼なじみ」である尋にとって、「見つけやすさ」というのは実にありがたいステータスである。


 一階に降り、俺は朝食の準備にかかる。二度寝防止のために、尋も一緒に下に降ろす。


 平日の俺の朝食は、雪島家で二人分を作り、尋と食べるのが普通だ。俺の両親は仕事で県外に行っていて、尋の両親も、共働きや夜勤などのからみで家にいなかったり寝ていたりすることが多い。そこで俺が尋を起こし、朝食を作る役を買って出ている。現在一人暮らしの俺は尋の両親になにかと世話になっており、この役割には、その恩返しの意味もある。まぁ、「雪島家の食材をいつでも好きに使っていい」との条件が、食費の節約=二次元への投資拡大となっているのも、無視できない理由なんだけどな。


 スクランブルエッグにウィンナーのボイル、サバの水煮入りの味噌汁を、尋は瞬時に平らげる。尋が二杯目のおかわりを終えても俺はまだ食べている。こんだけ食っちゃ寝食っちゃ寝してりゃあデカくもなるわな。起こしたり飯を作ったりと、今のところ俺ばっかりが役割を負ってる感が否めないが、そこは大丈夫。ちゃあんとこいつにも役どころはあるのだ。


 その尋の役割こそが、俺の学校生活に必要不可欠なものなのである。

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