首脳会談
いよいよ月曜日からゲーム開始という開戦前日の日曜日。私は紗枝に呼び出されていた。しかも、早朝。朝に弱いのは演技の時も多いが、決して強くはない。
私は、ゲームでは藤堂舞花の場所となる公園に辿り着く。ベンチには紗枝が一人座っていた。光久も、他のヒロインたちの姿もない。
紗枝は私に気付くと、右手を振って微笑んだ。日曜だというのに、黒のセーラー服だった。
「やあ。来てくれてありがとう」
「他の連中はどうしたの? さっさと終わらせたいんだけど」
私は紗枝の隣に、ぶっきらぼうに腰を下ろす。他の人間がいるときはある程度抑えているが、たまに紗枝と二人で話すときにはこういう喧嘩腰が定着していた。
「今日は君と私の二人だけの会談さ。光久も待機してはいないから、安心してくれたまえ」
こいつと二人で話? こっちは顔も見たくないというのに。一体なんの用件なのか。
「いきなり呼び出して、本当にごめんよ。あと一時間もすれば光久は戻ってくるだろうし、ゲームが始まればより監視は強まるだろう。だから、今しか君と二人で話をする機会はないと思ったんだ」
不機嫌な私の表情をうかがい、遠慮がちに言う。時間がないならさっさと話せばいいのに。
「君には、全て知ってもらうべきだと思う。それすら、私のわがままかもしれないけど。あ、これ、ひとつどうだい?」
紗枝が箱から出してきたのは、海苔の巻いていない混ぜ込みわかめのおにぎりだった。
一瞬構えたが、流石になにか盛っていることはないだろうと思った。私をどうこうしたいなら、あの男に頼んでいつでもできるはずだ。まぁ食べ物に罪はない。私は無言でそれを受け取る。
「お嬢様にしちゃあ、えらく質素な朝食じゃない」
「まぁねぇ、なにせ私はお嬢様なんかじゃないからね。実際はドが付くくらいの庶民だよ。にしても、混ぜ込みわかめのふりかけって最高だと思わないかい?これさえあれば、ごはんがいくらでもいけるよ」
私はおにぎりを咀嚼しながら、紗枝が本当はお嬢様でないという事実に「ああやっぱり」と感じていた。
「……続きは?」
「ああ、脱線してしまったね。とにかく私は本当のお嬢様じゃない。学校で好き勝手に振舞っても許されたり、こんなゲームを実行したりする権力は、私にはない」
「つまり、光久が黒幕ってこと?」
紗枝は狂言回し。実際に色々と動いているのはあの男だ。
「流石、話が早いね。そうさ、権力を持っているのは彼の方。彼は、なんというか現実に存在するブラ〇ク・ジャック先生みたいな人さ」
「ちょっと、それ、冗談じゃなくて?」
突然出てきた黒い医者に、私は思わずツッコむ。
「うん。冗談でも、なんでもないのさ」
紗枝はそういう反応を予期していたようで、さらりと返す。
「彼は表には出てこない天才医。資産もかなりあるらしい。替えの利かない天才医ということで、権力者たちの手綱も握っているという話さ。けど、人体に関してほとんど知り尽くした彼は、人の身体を診ることには飽いてしまった」
戌亥光久。御津宮紗枝の隣に現れる黒衣の男。紗枝のことを「お嬢様」と呼んでいるために、多くの人間は彼を従者だと思っていた。だが実際には医者と患者の関係だったのだ。紗枝の話が本当なら、光久はまるでマンガやアニメの登場人物だ。世界のどこかには、やはりそんなイカれた人間がいるということなのか。
「彼の興味は人の精神の領域へ。特に最近熱心に研究しているのが『精神構造のアップデート』」
「精神構造の、アップデート、って。どういうこと?」
「うん。簡単に言うと、理想の自分を目指して精神構造を上書きしていくってこと。精神構造とは、つまり人格。彼はこの研究を『多重人格者における優性人格の定着法』と題していた。『生きたまま生まれ変われる方法』とも呼んでいた」
紗枝は私の空の手に、新たなおにぎりを乗せる。私はロボットみたいに自動的な動きで、それを口に運んでいく。思考が追い付かない。
「彼は探していたんだ。大きな心的外傷なしに、自らの願望のみで理想に沿った人格を作れる人間を。もし、意識の裏側で自分が望むような理想の人格を育てられたなら……そしてその人格を主人格、いや唯一の人格として選択、定着化させることができるなら、それはまさに精神構造のアップデート、生まれ変わりの法。人は自分自身の性質、業から、自分自身であるが故に逃れられない。ならば無意識のブラックボックスを有効利用し、知らずの内に別のより良いものになってしまえ、というわけさ」
「それ、本当なの? 信じ難い話だわ。だいいち、それは医者のすることなの」
元の人格の、人権は、意思は?
「彼の主張によれば正当な医療行為さ。彼の考えでは、そもそも人の精神そのものが病気だというんだ。私たちが認識している精神病などはそのパターンの一つでしかない。つまり、私たちの、性格も個性も、精神という病気の病状というわけさ」
理解はできる。かなりの極論である。
「この精神という病気こそが全ての根源。その病状を正すことができれば、愚かな行いは生まれず、無駄な傷病は起こらず、結果として何よりの治療となる。そこから出発して、彼は理想人格のアップデートという方法に辿り着いた。飛び過ぎていて、今のところ全く注目されてはいないけどね」
私は口をぽかんと開けて、言葉を失っていた。ブッ飛んでいる。正気の沙汰ではない。
「その、願望で人格を作れる人間ってのが、あんたなの」
紗枝は、わずかに照れくさそうに頬を掻く。
「一応、そういうことらしいね。昔、私はゆーくん……北原君に思わせぶりなことを言われて、彼に恋をしてしまった。でも、再び会いに行ったとき彼はまったく私のことを覚えていなかった。そして、隣には君がいて私の入り込む余地は全くなかった。なによりショックだったのは、私が心の拠り所としていた彼の言葉が、星川渚というキャラクターに対する言葉だったってことさ」
その事実を教えたのは私だ。酷い言い方をしたのも私だ。だが、紗枝には責めるようなそぶりはなかった。
私と悠樹が鳥籠を作る前後に挟まれた紗枝は、タイミングが悪かったのだ。流石にあのときは、もっとマシな追い返し方があったと思う。一応、反省はしている。そういう意味では、私も彼女の病気の立役者なのかもしれなかった。
「私は性格がよくなくて友達はほとんどいなかったし、両親との仲も良くなかった。本当、好きな本を読んで幻影の城で遊ぶしか能のない子供だった。作り笑いをして、自分の寂しさを誤魔化していたんだ。だから、あんな優しい言葉をかけられたのは、生まれて初めてだったんだ。それが架空の台詞だと知ったときは、本当にショックだったよ。やっぱり私みたいに性格の悪い奴じゃ駄目なんだってね。その言葉に相応しい、星川渚みたいな女の子になりたいって思うようになった。時メモもプレイして、星川渚について調べ続けた。そして――――」
「舞花が、出てきた?」
「……うん。私は、精神科に連れて行かれ、診断を受けた。そこからしばらく病院に通っていたら、いつの間にか担当医が変わっていたんだ」
その人物が、戌亥光久。
「私の診断記録をどこで目にしたのか、光久は私の前に現れた。既に理論は完成していたみたいで、あとは条件に会った被験者を探すだけだったらしい」
大した心的外傷なにし、か。
願望で人格を作り出すことのできる被験者。
光久にとって、少女の失恋の痛みは大した心的外傷ではないということだ。
「光久は両親にこう言ったみたいだ。『娘さんの症状は非常に珍しく、治療自体に学術的な価値を伴う』と。『医療費はこちらが全て負担する。研究を兼ねた治療の協力費も支払う。だから、娘さんをしばらくこちらに預けてもらえないか』ってね」
両親にとっては、願ってもない話だ。自分たちでは手に負えない、二重人格の娘。彼女を引き取って、治療してもらえて、金まで手に入るなんて。……正直、彼らを責めることはできない。だが、娘としては……自分が売られたと思ってしまうだろう。
それから、紗枝は簡潔に研究に協力した日々を語った。
中学校にも行けず、よく分からない施設で毎日過ごしたこと。
両親も含め、誰も会いに来てくれなかったこと。
北原悠樹の存在をずっと考え続けていたこと。
それだけが希望だったこと。
「こういう生活が、普通なら中学に通っているであろう間ずっと続いたんだ。そうして、舞花の人格が安定してきたのが、高校生の年齢になるくらいだった。もうあとは光久の理論を実行に移すだけ。私は最後の猶予期間として、高校に通えることになった。望んだ行先は、知っての通り、彼のいる高校さ」
そこから先のことは知っている。昨年の秋頃に転校してきた変人。病欠気味で、学校に来ても半日以上いることがない女生徒。黒衣の男を伴った正体不明のお嬢様だ。今にして思えば、教室全体に向けての意味不明な発言も、周りに関心を持たない悠樹の意識に、自分をという存在を残すための手段だったのだろう。
「光久のやりたいことというのは、後発の人格、今回で言えば舞花を主人格として固定するということなんでしょう? このゲームが、重要な働きをするってことでいいのよね?」
現実でギャルゲーのような展開を再現するという、大掛かりなゲーム。茶番。その必然性。
いよいよ話は現在の時間軸へ、核心へと迫る。
私が緊張感を伴って紗枝に迫ると、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「いやいや、ゲームと光久の理論はなんの関係もないんだ。このゲームは私の……ただのわがままなんだ、その、ごめん」
紗枝は頭を、深々と下げる。
「はぁ?」
強烈なカウンターだった。頭がくらくらする。
紗枝は慌てて捕捉した。
「話の順序が悪かった。申し訳ない。久のやろうとしている精神構造アップデートの方法は、小難しくて私には説明できないんだ。詳しく知っているわけでもないしさ。ただ、一つだけわかることがある」
紗枝は、懐疑的な私の顔を見つめて言う。
「彼の目指すところは、精神構造のアップデート。主人格の入れ替わりとか、統合のバランスとか、生易しいものではないんだ。上書きさ。上書きされたら、元の人格というものは完全に消え去る。新たな人格を捻出するにあたり忌避された自分は、この世からなくなるんだよ」
自分はもう長くはない。クラス中を相手に行っていた言葉は、本当だったのだ。
「だから、このゲームは私の最後のわがまま。ほら、アレだよ。一家心中の前に美味しいものを食べに行こうってやつさ。光久は消えゆく私の抵抗を減らしたいというわけなんだ」
いい思いをさせてやるから、精神の死を受け入れろ、と。
「光久は言った。今までの協力のお礼に、なにかしてほしいことはないか、って。だから私は、もう一度北原君と話す機会を、彼に私を見つけてもらう機会を作ったんだ。彼の興味を引くようにギャルゲー風でね!」
紗枝はしばらく間を置いたのち、一人で拍手をして微笑んだ。話に区切りがついたということなのだろうか。
「質問があれば、どうぞ」
思うことは多々ある。というか、私はいまだに紗枝の話を信じることができていない。
もしも私が紗枝の立場だったら、望みをかなえられる状況でこんな回りくどいやり方を選ぶなんてことは考えられない。が、それは考えても栓のないこと。回りくどいこと、素直でないことが彼女の性格なのだろう。ならば、舞花はまっすぐな、素直な性格なのだろうか。
「さくらと、水瀬先輩は?」
二人は、なぜ紗枝に協力していたのか。
「ああ、彼女たちは私が数合わせのヒロイン候補を探しているとき、トラブっていた彼女たちを助けたことに恩を感じてくれてね。もちろん、光久の力を使って助けたわけだけど」
時メモの体を成すための、数合わせ。さしずめ雇われヒロインか。
私は紗枝の方を見ず、公園の小さな青色の滑り台を眺めながら質問を続けた。
「あんたは、いつごろ消えるの」
「多分、明日から始まる一週間のゲームが終わったあたりじゃないかな。邪魔者は消えるから、安心してよ」
「そう……」
私は薄く目を閉じて、質問を続ける。
「光久の計画は、被験者に知られると都合が悪いと思うんだけど、なんであんたはそれを知っているの」
「偶然、計画に関する資料や、手記を見てしまったんだ。そこからは、私の周りで交わされる会話の裏の意味が分かるようになって、ね」
完璧超人も、つまらないミスをしたものだ。
「あんたは、このゲームでどうなれば満足なの」
「ゲームを行えた時点で満足、かな。要は、自分の最期に審判の機会が欲しかっただけだし。まぁ、彼が私に気付いてくれて、彼とゆっくりお話ができれば最高かな」
私は目を開ける。公園に一羽の鴉が舞い降りて、ひょこひょこと機敏な動作で歩き回っていた。
「舞花は、あんたにとってどういう存在なの」
「んん、難しいね。私が浸食されていくようで最初は怖かったけど、今はそこまででもないかな。なんとなく、ぼんやりとだけど彼女の心みたいなのを感じられるときがあるんだ。……彼女は、私とは違ってとてもいい子だよ。素直だし、世界を愛している。あんな風に生きられたらと、思う。自分が望んだ人格なんだから当たり前かもしれないけど、生まれ変わる相手としては申し分ないよ」
「今までの話に、嘘偽りはない?」
「ないよ。けど、信じてもらえないかもしれないっていう覚悟はしてる」
「そう。疑問は尽きないけど、まぁいいわ。じゃあ最後に一つ」
「どうぞ」
私は、少しの間言葉を溜めた。
自分が消えるという話をしているのに、平然としているこの女――――御津宮紗枝の目をしっかりと見て、溜めた言葉をゆっくり吐き出す。
「どうして、私にその話をしたの?」
私がそれを口にした瞬間、紗枝の表情には変化があった。
自分がなくなるという話を、微笑を浮かべながら語り続けていた少女の顔は、ひどく寂しそうな、悲しそうな、泣き出しそうなものになっていた。
「私は別にあんたと仲良くない。むしろ、険悪な仲でしょう。他に話すべき相手がいそうなもんだけど」
「うん、うん。そうだよね。そう思うよねえ。だけど、だからこそ君なんだ」
紗枝は身体を完全に私に向ける。ベンチに手をつき、身体を乗り出す。
「ごめん」
深々と頭を下げる。
今までの紗枝とはまるで違う、弱々しい声だった。
声と身体が、微かに震えていた。
「君の大切な場所を荒らしてしまって、本当にごめん。でも、できるなら、私は君と友達になりたい。私たちは、分かり合えるところが多いと思うんだ」
その語りに、いつもの不遜な口調の影はない。今にも泣きだしそうな感じだった。
「私はずっと、人間嫌いだった。どうしてかも分からないほど昔から。正直、生きていても楽しくなかった。けど、北原君のことが好きになってから、夢を見ることができて、少し変われた。それがたとえ馬鹿馬鹿しい勘違いだったとしても、私は救われた。希望というヤツが持てたんだ。光久の手記を目にして、もう自分が長くないと知ってから、私が私でいられなくなると知ってから思いついた今回のゲーム、バカな計画。ヒロインを集めて、会議とは名ばかりの集まりを催して、お喋りして。でもこれが結構楽しかった。これで最期だと思うからかもしれないけど。北原君はもちろん、さくらちゃんも、水瀬さんも、舞花も、自分を消すかもしれない光久であっても、感謝してるんだ。皆からすれば、迷惑極まりない話だったと思うけどね。だから、もう私に心残りなんてほとんどない。唯一あるとすれば、それは」
私の目を見る、その瞳が潤んだような気がした。
「君と仲の悪いまま、終わること、かな」
「……馬鹿ね、あんたは。大馬鹿だわ」
私は深く溜息をついた。自分でもよく分からないなにかが、吐き出されていく。
こいつは、ある男に入れ込んだせいで貴重な時間を浪費した、私とよく似た馬鹿女だ。
「とりあえ、おにぎりはおいしかったわ。ごちそうさま」
私は紗枝から目を逸らし、ぶっきらぼうに言う。
「良かった。気に入ってもらえて、本当に良かった。ありがとう」
紗枝が私に話した内容は、言葉だけでは到底信じることのできないものだ。
私にとって真偽を判断する要素は、私と悠樹のことを調べ上げたり、私を脅迫してゲームに参加させようとした権力の臭いでしかない。いや、それだけだったらお嬢様の道楽ということでも説明はつく。結局のところ、見るべきところは一つ。
紗枝の、垣間見えた涙。
それを信じるか信じないかということだけ。
「思ったんだけど、君はこのゲームを機会に一度鳥籠を破壊したらいいんじゃないかい?」
「はぁ? なに言ってんのよ」
「いや、悪い意味じゃなくてさ。鳥籠の維持は君にとっても大変だと思うんだよ。だから、一度彼に全ての真実を話して、その上でより一層に離れられなくするという手もアリなんじゃないかな。上手くいけば、君の気苦労も減っての一石二鳥。十八禁的な、酒池肉林の花園が待っているかもしれないよ? フフフ」
「うっさいわね。殺すわよ」
私はこの女に対する敵意の言葉を、ようやく冗談として言うことができていた。
その後、鳥籠に関する自身の苦労話を、悠樹への愚痴を、私は紗枝に向かって話し続けた。
彼女は嬉しそうに、相槌を打ちながらそれを聞いていた。
私がしおらしい紗枝を見たのはこの日が最初で最後。その後はずっと、イカれたお嬢様の姿しか見ていない。
そしてゲームの最終日、彼女は今、公園で悠樹を待っている。
それは御津宮紗枝の、御津宮紗枝としての人生最後の望みなのだ。
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