記憶の空白と、思い出の少女

 さて、昼休みも終わり、午後の授業も半分は「こんなキャラどうよ?」という落書きをノートに書いて過ごし、放課後となる。ちなみに今日書いていたのは、ゴスロリ服を着た関西弁の小っちゃいお姉やん、である。俺の中ではいいミスマッチだと思う。


「帰るか」

「うん、そうしよー」

 俺が呟き、尋が同意する。


 二人の帰り道。

 相変わらず会話は二次元の妄想、もしくは二次元コンテンツのレビュー、パロネタ。そこに学校の話や世間のニュースが入り込む余地はまるでない。


「知的でクールな少年風の、弟みたいな妹キャラを思いついた。どう思う?」

「いーんじゃない? もちろん一人称は『僕』で兄の呼び方は『兄さん』だよね」

「おうとも! ならば彼女は巨乳か貧乳か!?」

「わたしは巨乳派。そんな雰囲気を装うならサラシを巻いた隠れ巨乳でしょ、ルックス的にはそれで巨乳も貧乳もいける」

「すばらしぃ! だが、俺は貧乳派かもな。そのルックスは女性らしさの薄さからくるコンプレックスの裏返し。鏡の前で胸に詰め物をしている様を兄に見つかるというのはどうよ。瞬間的な絵ではあるが、巨乳ルックスはそれで代用できる」

「あははー、うん。さすがはヘンタイ」

 もちろん、二次元の話だ。


 例えばこの会話なんて、誰かが聞いたら、アホかこいつらとでも思うんだろう。でも、身内ノリってのは大抵そんなものだ。特に俺と尋の場合、昔からずうっと一緒にいて、同じ記憶を「共有」する二人だ。二人のやり取りを喩えるなら、変化球や剛速球を連発しても取り漏らすことのないキャッチボールといったところか。そしてそんなことばかりを続けているうちに俺は、いつしか他人とのキャッチボールがひどく苦手になっていた。しようとさえ思わなくなっていった。一番なんでも話せて一番楽しい相手がずっと傍にいたからである。


 つまり、俺が対人恐怖症になった原因の一つは、雪島尋という存在にもある。

 尋ひとりがいれば問題ない。そう思ったら、他の人間が「問題」になってしまったのだ。


「どーしたの、ユウキちゃん。止まっちゃって」

 少し前を行く尋の長身が、夕暮れの地面に影法師を作っている。俺より歩幅が広い尋は、いつも少し先を歩いているのだ。

「いや、べつに」

 確かに俺は、こいつ以外の他人と接することが恐ろしい。でも、別にいいさ。

 他の大勢の人間と秤にかけても上回る――――そんな相手が既にいるってのは、いくらか歪んだ在り方だったとしても、プラスに決まっている。俺は毎日こいつの世話を焼きながらも、毎日それ以上のものを返されているのだ。

 そんなクサいこと、本人には絶対言わないけどな。

 

 俺たちは互いの家の境まで来て、以心伝心で今日はそのままそれぞれの家に帰ることとなった。週の半分くらいは、どちらかの家に寄ってだらだらとマンガやアニメを見たり、妄想力を使った遊びなどをしている。

 俺は尋が玄関に消えるのを見送ると、自宅には帰らず、ある場所を目指す。尋の家に寄らないとき、俺は帰宅前に高確率でそこに向かう。

 やって来たのは、人気のない公園だ。人が少ないというのは俺にとってはメリットである。

 さて、俺がこの公園に寄る理由はちょっと普通じゃない。

 もしも人に説明するとしたら、どこから話すべきか……。

 まずは俺自身が抱える記憶障害についてだろう。

 

 俺には、小学六年から中学に上がるまでの約半年の記憶がない。

 その空白の前に覚えているのは、【時々メモライズ】というギャルゲー(恋愛シミュレーションゲーム)にのめり込んでいたということ。その頃までの自分は、尋以外との人間とも少しは話していた気もする。だが、空白の後では既に現在に近い二次元狂いとなっていて、尋以外の他人とのコミュニケーションをほとんど取らなくなっていた。他人からは強烈な苦手意識を感じるようになった。


 対人恐怖症について、二次元と尋が理由であると推測するしかないのは、この記憶喪失のためである。

 この間に一体なにがあったのか。もちろん尋や両親には聞いた。でも、特別なことはなかったらしい。記憶喪失の前の流れのまま時メモに異常なほどのめり込んで、二次元にどっぷりハマって、結果として今のようになっていったのだと言う。


 その話を聞いても俺は思い出せない。

 そして、覚えてないことが気持ち悪いというのもあったが、なにより尋と記憶を共有できていないというのが嫌だった。だって、尋がおかしそうに語る俺の半年間の様子を、自分自身はさっぱり思い出せないっていう、それが嫌だった。

 もちろん、必死で思い出そうとした。だが、記憶の空白について考えをめぐらすと頭痛に苛まれ、どうにも思考が先に進まない。


 そこからどのくらい粘ったのかは、正直忘れちまった。まぁ、一年以上はあっただろうな。俺はその頭痛や、何度試みても思い出せないというストレスに負け、諦めた。尋には表向き戻ったように振舞い、なるべくその時期の話題にならないように会話を誘導した。尋の世話を焼いたり、尋と遊んだりしていく中で、俺は記憶喪失のことをあまり意識することもなくなり、日々は当たり障りなく過ぎて行ったのだ。


 しかし、だ。

 ごく最近になって、俺は思い出した。

 俺の失われた記憶に違いないと実感できる情景を、頭の中に見たのだ。

 確か夢の中で、だったと思う。その情景は、


 俺が夕暮れのこの場所でひとりの女の子と出会い、なにか約束を交わしたというものだ。

 

 記憶の内容自体は、そこまで特殊じゃない。だが、このことは俺を惹き付けた。不鮮明な記憶の中に女の子が浮かび上がるなんて、まるでそう、ラブコメとかでよくある「思い出の少女ネタ」だ。詳細が思い出せないあたりも、まさにそれ。しかも、俺が記憶を失う前にやっていた時メモにも同様のエピソードはあって、舞台は同じ夕暮れの公園だ。

 言うまでもなくこの情景は三次元仕様である。二次元の妄想ではない。


 とにかくまぁ、この「思い出の少女」の件を受けて、俺はものすごく久しぶりに自身の記憶の空白を埋めようと頑張り始めたわけさ。今のところ、「なにか追加で思い出さないかなー」と、ここでダラダラするくらいだけど。

 失われた半年間の記憶を取り戻せば、尋との共有は完璧になる。そうすりゃ、あいつと何の隠し事もせずに話すことができるようになるんだ。


 結局、公園の景色が夕暮れから宵闇に転じても、特になにかを思い出すことはなかった。

 いつも通りといえばいつも通り。焦ることはないさ。

 俺はベンチから立ち上がり、出口を目指す。公園と道路の境を抜ける瞬間、ひどく馬鹿馬鹿しい妄想が頭に浮かんできた。


 「二次元とはあくまでイメージで、創作の世界の人物が実際にああいう姿をしているわけはない」とは、他でもない、俺が尋に言った言葉だ。だとしたら、もしかしたら、見た目は三次元の思い出の少女は、実はこの世界の存在ではなく本当にあちら側の――――……なんてな、はは、有り得ねぇ。

 けど、もしも現実が時メモと重なるならば、主人公と同じ高校二年の俺は、もうじき思い出の少女を想起させる「誰か」と再会することになる。

 

 俺は両手で自身の頬をぴしゃりと叩く。

 しっかりしろ、北原悠樹。

 ここは現実だ。


 以上が俺の基本的な日常。

 二次元に溺れ、現実では幼なじみ位としかマトモに会話しない。

 なんて日々が、もうここ数年間は続いている。

 ギャルゲー風に喩えるなら、既に「雪島尋ルート」に入っているという感じである。

 とはいえ、尋への「好き」は恋愛感情というわけでもなく、俺はいまだに恋というものの経験がない。対人恐怖症の俺が、そんな感情を抱き得る相手がいるとしたら、それはやはりこの幼なじみになるのだろうか。


 一週間の精神を削る学校生活を終えると、土日はもっぱら二次元に費やされる。

 アニメを見たりマンガを読んだり、ゲームをしたり画像を集めたり、そんな感じで脳内に蓄積させた二次元情報を分析して、まとめてみたり。これは別に現実逃避ってわけじゃない。三次元嫌いの俺が次の一週間を無事に過ごすための精神的な武装。つまり、現実に真っ向勝負を挑んでいるのだ。



 ******



 さて、名残惜しくも休日は終わりを告げる。

 三次元と関わらざるを得ない一週間が、また始まる。

 どうか来週も、現実世界を無事に凌げますように。

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