三日目・水曜日

うつし世の宝玉

 静寂の中俺は、毎日その時間に起きているという習慣によって目覚める。

(ボイスアラーム、セットし忘れてた)

 枕横のデジタルフォトフレームに表示された、二次元の少女を見る。今日も変わらずに可愛い。好きなキャラクターたちの中から選び抜かれた一人の、厳選された一枚である。それはもう、当たり前に可愛い。

 彼女たち、二次元の存在は安定している。

 彼女たちを見る俺自身の状態に寄って変化はするのだが、大きくは変わらない。その安定感こそが、俺を惹き付ける大きな要因であるのだが。


 そう、変化だ。大きな変化。

 弁当の仕込みをしながら、俺は考える。

(そういえば今朝は、「今日の一枚」を決めてないな)

 現在、俺の心の中心を占めるもの。それはここ二日間ほどの急激な日常の変化だった。その中でも、舞花と出会ったは特に大きい。二次元主義者の俺が、まさか現実に期待してるっていうのか?

 なんとなく、尋には相談しづらい気がした。


 その雪島尋は、相変わらずの汚い部屋、天井に吊り下げられた空の鳥籠が影を落とす空間で、唯一の聖域のベッドに寝転んでいた。べらぼうに背が高いものの、出るとこは出ていてスタイルは良い方だ。乱れたパジャマに色気を感じないのは、尋を知りすぎているから。そして、圧倒的な『慣れ』のせいである。

「おーい、起きろー、起きろ尋っ」

 俺は知り尽くした彼女の弱いポイントを指で的確につつく。

「んっ、ちょ、やめっ。っ、はうっ」

 尋はくすぐったさに声を上げ、身をよじる。が、彼女の方も俺の起こし方には慣れているんで、なかなか目覚めるまでにはいかない。

(変化、変化ねぇ)

 例えばこのようなシチュエーション、舞花が相手だったらどうなるか。

 まず緊張して、身体を触るなんてできないはずだ。

 そもそも、彼女の寝相はどんなんだろうか。こんな風に身体をつついたとしたら、どんな声を上げるんだろうか。

 おっといかん、変な気分になりそうだぜ。

「ひゃん! っく――――――――すぅ、すぅ……」

 俺が指を離すと、瞬く間に眠りに落ちる尋。

 今日の眠りの深度を見るに、指では足りない。そう判断した俺は、鞄からハンディタイプのマッサージ機を取り出し、電源を入れた。

 

「ううう、朝から酷いよー。それ、たぶん十八禁の道具だってば」

「馬鹿言うなよ。おもっくそ健全な、健康器具だぜ」

「でもー、使い方がさあ。あんまりだよ、ううう」


 さて、奇妙な週の三日目である。

 俺を取り巻く人間模様は尋一人のときから五倍に増え、複雑化している。とはいっても、昨日は舞花以外をほぼフル無視だった。御津宮からは逃げ回り、辻先輩や松本の誘いにも応じなかった。今日もそんな感じでいこうと思う。 

 できるだけトラブルに巻き込まれず、放課後すぐに舞花に会いに行く。

 三大変人たちは普通のやつらと違って話しやすい。が、やはりそこは変人なので、トラブルに巻き込まれかねないのである。


「おはよう、うつし世の諸君。夢はちゃんと見れているかな?」

 その意味で、こいつは一番危険かもしれない。昨日は何とか回避したが、同じクラスなので完全にスルーすることはできない。戌亥光久という危険な従者もいる。

 欠席、早退魔である御津宮が、三日連続で登校してくるのは珍しい。今日も出入り口の窓からその黒ずくめの姿が見えた途端、クラスのテンションは地に落ちた。


 俺は考える。

 御津宮には絡まれないのが最善だが、絡まれたとしても下手を打って制裁というのは避けたい。幸い、今のところ気に入られてるようだが、それも過ぎればクラスを敵に回す。

(特別嫌いってわけじゃないんだが、無難に行きたいと考えると、休んでくれた方がいいんだよなー)

 とりあえず一、二限の間は直接絡まれることもなく、教室は御津宮のせいで重い空気だったものの、比較的平穏に時間は流れていった。


 しかし、三限目の体育でことは起こった。

「アハハハ! 一緒に行こうじゃないか、北原君」

 体操着に着替え、校庭を一人目指す俺に御津宮が話しかけてきたのである。着替えを必要とする体育においては、尋とバラバラにならざるを得ず、俺は一人で行動していた。

「一緒にって、御津宮さん、体操着も着てないけど」

 黒いセーラー服に黒縁メガネ、黒タイツまで履いたいつもの格好だ。どころか、文庫本まで手にして、参加しない気満々じゃねえか。


「ああ、私はいつもどおり見学さ。けれど、グラウンドには行くからね」

 さいですか。そういえば、こいつはいつも見学だよな。自称病弱だし。

「というか、ついでに君も見学したまえよ。話し相手がいなくて退屈なんだ」

 グラウンドに向かう途中、御津宮はとんでもない提案をしてきた。

「いや、それは。ちょっと」

「なに、腹が痛くなったとでも言えば問題ないさ。君と私は似た者同士、きっと体育は嫌いだろう?」

 それは確かにそうだが。


 机にただ座ってるような通常授業と違い、ペアを組んだり、チームで競ったりとコミュニケーションを必要とする体育の授業は、運動神経以前の問題で苦手である。

 とはいえ、なぁ。


「それでは足りないというなら、怪我の一つや二つしておいた方がそれっぽいかな?」

 御津宮は腕を組んで小首をかしげる。なにをするつもりだ。

「光ひ」

「いやいやいや! めっちゃ腹が痛くなってきたんで、大丈夫っす!」

 あの従者は今もどこかに潜んでいるというのか。冗談じゃない。

「アハハ、それはよかった! いや、失敬失敬、お大事に。あと、敬語は堅苦しいよ。同級生なんだし、普通の言葉でいこうじゃないか」

 くそったれ。だが、機嫌を損ねてトラブルに巻き込まれるのだけは嫌だった。


 雰囲気で体育教師が事情を察してくれたのが唯一の救いか。

 俺は御津宮と並んでグラウンドの隅に立ち、体育の風景をぼーっと眺めていた。ああ、ひときわ背の高い尋は相変わらず目立つなあ、などと、長身寝癖の幼なじみの動きを目で追ったりしていた。見学が決まってしまえば、悔しいけど楽なのは間違いなかった。俺は、御津宮の問題にひたすら答え続ける。今回に限り、解答に際し周りの目を気にする必要はない。


「文学の問題だ。私は、ミステリやホラーの類が大好きでね。ああ、今回の問題にはちゃんした答えがあるから」

 よく読書をしているイメージがあるが、その手の愛好者だったわけか。まぁイメージ通りか。っていうか、いつもの問題が『ちゃんとしてない』自覚があったのかよ。

「ミステリの女王、アガサ・クリスティー。密室の帝王、ジョン・ディクスン・カー。ミステリの真祖、エドガー・アラン・ポー。さて、私が好きなミステリ作家は誰だと思う?」

 本当に、珍しくストレートな問題だ。


「カーですかね。いや、カーかな」

 敬語を修正しつつ解答する。ぶっちゃけ、考えても分からないから三分の一の確率だ。

「フフ、残・念。正解は、江戸川乱歩」

 おい。最初三人はなんだったんだよ。

「別に私は、この三人の中で誰、なんて言ってないよ。アハハ、引っかかったね」

「汚いだろ、そりゃあ」

「まったくのノーヒントというわけじゃない。そもそも、私がよく言う『うつし世』というのは乱歩由来さ。私は作品以上に、人物として彼にシンパシーを感じている。それに、見えている選択肢が全てと思うのは早計じゃないかね」


 あ、そう。

「光久」

 って、ええ?! まるで心の中のテキトーな相槌を見透かされたかのごときタイミングで、御津宮は戌亥の名を呼ぶ。ややあって、校舎の陰から姿を現す黒づくめの従者。

「ななな、なんで!」

 頭の中をよぎる『制裁』の文字。尋から聞いた話では、御津宮に危害を加えようとした人間はもちろん、御津宮の機嫌を著しく損ねた人間もまた、この男に制裁を受けるのだとか。

「お嬢様、どうぞ」

 しかし、戌亥は俺の方になど見向きもせず、銀色の半球を持って御津宮の前に立った。これ、アレか。高級な食事とかを持ってくるときのやつ。ワガママに時と場所を選ばない御津宮らしいといえばらしいが、グラウンドにはあまりにも似つかわしくないものである。


「ありがとう。実は私、早弁というのが一度やってみたくてねえ。北原君、君も一緒にどうかな」

「ああ、い、いただきます」

 つーか、戌亥が隣にいる状況で断れるはずもない。しかし、早弁というならせめて弁当箱に入れてこいよな。

 御津宮が指を鳴らし、戌亥が半球を取り去る。その下にあったのは、

 海苔すら巻いていない、乾燥混ぜ込みわかめのおにぎりが二つ。

(えぇ――――)

「意外かね?」

「そりゃ、まぁ」

「無理もない。だが、これは特権階級だけが食すことを許される、超高級おにぎりなのさ」

 ホントかよ。俺には、人を小馬鹿にしたネタにしか思えない。

「さ、いただこうか」

 御津宮はおにぎりを手に取り、俺もそれに続く。

「あぁ、美味しいねえ。やはりこれぞ、うつし世の宝玉だよ。美味しいだろう?」

「ああ、おいしいよ」

 ただの混ぜ込みわかめのおにぎりのうまさだ。


「光久、お茶。北原君にも」

「どうぞ」

「ど、どうも」

 戌亥は、いつの間に用意したのか、暖かなお茶を淹れて差し出す。

「ふうぅ。最高だね。まさにうつし世の、至高のひとときだ」

 御津宮と俺は、おにぎりを食べて茶を啜る。少し離れたところでは体育の授業が行われている。異様なシチュエーションではあった。


「それじゃあ、私はそろそろ早退させてもらうよ。先生に、報告だけ頼めるかな」

「え? あぁ、了解」

 別に引き止める理由はない。けど、三限目で帰るのは珍しいな。

「最後に心理数学の問題を一つ。ここからアメリカまでの距離と、ここから皆のいるグラウンドまでの距離、遠いのはどっちかな? 今度はちゃんと二択だよ」

 なんとなく、どう答えてほしいのかは予測できた。

「ここから、皆のいるところまでの方が、遠い」

「フフフ、そうだね。私もそう思うよ」

 お前はそんなタマじゃねーだろ、と心の中でツッコむ。

「でも、君はまだ戻れる。大丈夫さ。それでは、また。……ああそうだ。君に大事なことを教えておくよ」


「君は、鍵の正体を知っているよ」

 意味深な言葉を残して戌井と共に去る御津宮。いつもの咳き込みとかは全くなかった。

 やっぱ、仮病じゃねぇか。

 

 ほどなくして体育は終わった。御津宮と一緒に見学という事実を背負ってしまった以上、教室の席について、尋による防壁が敷かれるまでは誰とも会いたくない。また誰かに好奇の声をかけられるかもしれない。

 俺は人気のない裏道を通って教室を目指すことにした。

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