逢魔が刻、辞世の天女
校門の近くでしばらくうろうろしていると、ポケットが震えた。スマホを取り出して確認する。尋からのメッセージが入っていた。
【今日は結構遅くなりそうだから、さきに帰ってて】
【別に、待ってるけど?】
【だいじょーぶ。それよりさきに帰ってから、なにかわたしにおいしーもの作っててほしいな】
尋を一人で返すのはちょっと不安だが、それはさすがに過保護だし、見くびりすぎかな。
【了解。なんかあったらすぐ呼べよ】
【あんがと】
俺はスマホをポケットに突っ込み、学校の外へと歩き出す。
さあ、どうしよう。
身体も心も、慣れぬコミュニケーションの連続で疲れている。学校の三大変人全員に絡まれるという悪夢。だがそれは、確率的に言い換えればミラクルでもある。
だから俺は、最近の慣例に従って公園に向かうことにした。
今日はおかしな日だ。もしかしたらあの場所にも、なにかがあるのかもしれない。
「ほしかわ、なぎさ」
俺はその名前を思わず口にして、公園の入り口で立ち尽くしていた。
なんで、なんで
わが目を疑い、擦って、再び見開く。やっぱり視線の先には、遠くベンチの上には、いる。
流れ星をデザインしたヘアピンを用いて前髪を左右に分け、セミロングくらいの髪を首元でまとめている。詳しい服のジャンルは分からないけど、上半身を覆う白っぽいシンプルな服や、黒いスカートの感じは、彼女の私服と酷似していた。
俺は渚と知り合いではないけど、彼女の色々な特徴を詳しく知っている。そして、彼女はここにいるはずがないことを知っていた。
なぜなら星川渚は、この世界の人間じゃない。
二次元世界の、キャラクターだ。
俺が記憶喪失の直前にプレイしていた時々メモにおけるヒロインの一人で、主人公が昔、公園で約束を交わした少女なのである。ゲーム内での彼女との出会いも、まさに夕暮れの公園だった。
つまり、なんと表現すればいいのだろう。星川渚というのは、現実に存在するはずのない架空のキャラクターでありながら、もしも今の俺が「そういうもの」と出会うとするならば彼女が最も妥当だという、そんな存在なのである。
待て待て、落ち着け。ここは現実だ。想像、妄想は非理論的でいい、自由でいい。だが、現実では理論的な思考を忘れるな。答えは一つしかないだろう。
星川渚の、そう、コスプレだ。
俺は深呼吸して、もう一回ベンチに座る彼女を見た。その姿は確かに渚によく似ている。だけど、よく見ろ、二次元ではなく三次元じゃないか。俺は当たり前のことに至る。遠目に見たのと、夕陽の魔術の相乗効果。これらが、俺に二次とも三次ともつかぬ幻影を見せていたのだ。逢魔が刻って恐ろしいんだな。
そうだ、声をかけてみよう。
俺は公園に足を踏み入れる。
極度の人見知りであるこの俺が、人助けとか以外で進んでコミュニケーションを取ろうとするなんて、信じられない。けど、無理もないだろ? こんな俺にとって出来すぎた状況は、流石に無視できない。
変人たち相手とはいえ、過去最大のコミュニケーションの成果を上げたんだ。やればできるはずだ。
足はついにベンチのすぐそばまで俺を運び、気づいた彼女が顔を上げる。
後には引けなくなる。
「あ、あの、そのコスプレ、めっちゃ決まってますね」
しまった。
挨拶もなしになにを言ってるんだ俺は。
俺のしくじりを肯定するかの如く気まずさが充満する。
ややって、
「はぃ?」
彼女は素っ頓狂な声を上げた。
そしてこう続けた。
「あのー、コスプレって、どういうことですか」
俺は困惑する。彼女も困惑している。どうやら、いきなりのコスプレ発言が失礼だったというより、俺の言葉の意味が本当に分かっていないような感じである。
だが、装飾品まで再現したこの姿はコスプレ以外に考えにくい。一体どういうことだ。
ああ! そうか、つまり彼女は役に入り込んでいるんだ。だとしたら失礼なことを言ってしまったものだ。
「ああ、ごめん。コスプレってのは気にしないで。えーと、星川、渚さんですよね?」
これは先程の非礼を覆す、最高クラスの賛辞だ。実際、彼女は喋り方の雰囲気といい、外見以外も星川渚によく似ていた。
「あの、人違いじゃないですか?」
彼女は、怪訝そうな声を出す。
「あたし、星川渚っていう名前じゃないですよ。
ど、どういうことだ。星川渚の格好と似た雰囲気を持ちながら、コスプレでもなく、名前も違う彼女は一体何者なんだ。コスプレイヤーならシラを切る理由が分からないし、偶然の一致にしては似過ぎている。出現場所までそっくりだなんて。
「ええっと、あなたは誰ですか? あたしとどこかで会ったこと、ありましたっけ」
困ったような、苦笑するような彼女の声にハッとして、俺は今更ながらに気付いた。本当に星川渚のことを知らないのであれば、的外れの問いを続ける俺は完全に不審者だった。
「えっと、これが、その子の絵、なんですね?」
不審と取られる声のかけ方をしてしまったワケを、俺は馬鹿正直に話した。つまり、ギャルゲーの登場人物にそっくりだったから、という話だ。他に上手い嘘を思いつけなかったとはいえ、話していくにつれ、やっぱり適当な嘘八百の方がマシではないかという気がしてきた。
藤堂舞花と名乗った少女は今、俺が証拠品として提出したネット上の星川渚の画像を見つめている。
はたして次に放たれる言葉は、一体どのような罵倒か。仮に言葉は抑えていたとしても、嫌悪や軽蔑、侮辱の空気が噴出しやしないか。三次元の女子についておよそ良いイメージを持たない俺は、死刑宣告を待つような気分で沈黙を過ごす。どのくらいの時間が経過しただろうか。藤堂は、手にしていた俺のスマホをゆっくりと差し出してきた。
「ホントに、よく似てますね。不思議だなあ」
藤堂の声は、明るかった。そこに、俺が今までの二次元至上主義者の生活にて幾度も感じてきた「嫌な」響きはない。
「コスプレっていうのは、そのキャラクターの格好をして、なり切ることなんですよね。で、この星川渚ちゃんっていうのは、ゲームのキャラだと。確かギャルゲー、でしたっけ。ギャルゲーってどんなゲームなんですか」
まくしたてるように話す藤堂の様子からは、好奇心が見て取れた。彼女はこの不思議な偶然の一致を、どこか楽しんでいるようだ。
俺はその様子に面食らい、安堵して、それから一回咳払いして語り始めた。
「言葉でイメージしてもらうのは難しいかな。ちょっとこれを見てくれる?」
百聞は一見に如かず。俺はスマホにインストールしてあるギャルゲーのアプリを起動してみせた。藤堂は、俺のイメージする普通の三次元女子なら躊躇うくらいに身体を寄せ、画面を覗き込む。無邪気というか、無防備というか。
タイトル画面、俺は「LOAD」を選択して適当なセーブデータを呼び出す。
「おおっ」
画面が切り替わり、そこには駅前の背景と、ポニーテールのヒロインが映し出された。
「ギャルゲー。他にも、恋愛シミュレーションゲームとか、アドベンチャーゲームとか、ノベルゲームとか色々な呼び方で似たような感じのものがあるんだけど、基本的にはこういった『立ち絵』とテキストで話が進んでいくんだ。今、この女の子と主人公が駅前で会ったところ」
テキスト表示には【小百合:ごめん、待った―?】とある。俺はタップしテキストを進める。
【孝志:ちょっと前に着いたとこ、全然待ってないよ】
「この絵の女の子が小百合で、孝志ってのがゲームの主人公ね」
「へぇ、でも、孝志君は絵がないんですね」
「ああ、それはこの画面が孝志視点だからだよ。自分の姿は、鏡でもなきゃ見えないでしょ」
「確かに、なるほど。ここ駅前ですよね。小百合ちゃんと孝志くんだけしかいないんですか?」
彼女はこの手のゲームや、様々なゲームの合間にあるこういった形式の会話パートを全く見たことがないのだろう。
「いや、大勢いるにはいる。けれどそういうモブキャラには立ち絵がないのさ。何十人といる人間をいちいち描いていたらキリがないしね。作り手側の事情だよ」
モブキャラ=メインキャラクター以外の登場人物だと説明しておく。
「いるけど、見えてない」
「そう。マンガやアニメならそういった人達もちゃんと描くけど、ギャルゲーで立ち絵があるのはメインキャラやサブキャラだけなんだ。モブキャラには立ち絵がない」
「うーん。なるほど、変わってますね」
「そうかな」
俺は呼吸をするようにこの形式に慣れているため、なんの違和感もない。
画面をタップ。立ち絵が『標準』から『笑顔』に切り替わる。
「おおっ、表情が変わった!」
藤堂はそれだけのことでびっくりし、声を上げた。オーバーとも取れるアクションだが、演技ではなく自然体な感じがする。
「ひとキャラにつき十数枚ある立ち絵で、喜怒哀楽を表すんだ」
これがいい、これが素晴らしいと俺は考える。『毎度同じ絵で飽きる』という意見もあるだろうが、俺は違う。逆に言えば立ち絵さえ気に入ってしまえば、そこには作画崩れのないユートピアが現出するし、脳内に立ち絵を一式入れることにより、キャラのスムーズな脳内展開が可能となる。立ち絵は毎回見るが故に脳に焼きつきやすく、これも二次元中毒の俺にとってはメリットである。
タップして進めていくと、
【ダグドナルドでハンバーガーを食べよう】
【やっぱり米! 芦ノ屋で牛丼だ】
【ちょっと高いけど、イタリアンに行こうか】
と、昼食について三つの選択肢が現れた。
「これは?」
「選択肢さ。どれを選ぶかで、後々の展開が変わっていくんだ」
俺は「イタリアン」を選択して、連続タップで会話を飛ばす。画面が暗転し、次いでパスタを食す小百合のCGが表示された。
「あ、絵が変わった!」
はしゃぐような藤堂の声。
「ときたま、こういうCGが挿入されるわけ。今の場合だと、他二つの選択肢ではCGが、イラストが見れないんだ」
とまぁ、大体こんなものかな。俺はアプリを閉じる。
「あれ、もう終わっちゃうんですか?」
「まぁ、説明はこんなもんだし。これ以上見てても別に面白くないと思うし」
「面白かったのに」
まるで、小さな子供みたいな純粋さだ。
「えっと、今の中に、星川渚ちゃんもいるんですか?」
「いや、ここにはいないよ。別のゲームの中に、彼女はいる」
そして、なぜか星川渚とそっくりな君がここにいる。
「なるほど。それでゆーくんは、あたしが渚ちゃんみたいな恰好をしてたのが気になった、と」
「ああ、そうなんだよ」
普通の人ならふざけた話だと思うだろう。しかし藤堂は、笑うことなく頷いてくれた。
でも、本当はそれだけじゃない。嘘はついてないけど、まだ話してないことがある。その点も含めると、俺の考えというのはより一層ふざけた話になる。
俺を下の名前で、しかも既に愛称で呼ぶ藤堂。普通の人なら引きかねない話をむしろ楽しそうに聞いてくれた藤堂、いや舞花になら、俺は聞いてほしいとさえ思っていた。今日初めて出逢った三次元女子に、信じられないことではあるが俺は好意というものを抱いていた。
「ぼーっとして、どうかしたんですか? ゆーくん」
「いや、なんでもないよ」
だが、彼女とのやり取りに心地よさを感じているがゆえに、ここから先は言い出せなかった。『思い出の少女』の件を聞いたら、流石に彼女も俺に引くかもしれない。現実と妄想の区別がつかない男だと思われるかもしれない。それは嫌だった。
「なにか、悩んでるんですか?」
考え込む俺に声をかけた後、夕暮れから夜に移り変わる景色を背に舞花は笑った。
「きっと大丈夫ですよ。なんとかなります」
思いつめた顔をしていたらしい俺への励まし。けど、俺はその言葉にぞくりとした。
だって、「きっと大丈夫ですよ」は星川渚の口癖だ。
星川渚とよく似た彼女がそう言うのは……ただの偶然なのか?
最初見出逢ったときと同様、現実と非現実の境が分からなくなっていく。
やっぱり君は、
「あっ」
携帯が鳴り、舞花は電話に出る。ガラケーだった。
「お兄ちゃんからだ」
兄が、いたのか。
その事実と、先ほどのデフォルトと思わしき着信音で、俺は現実に引き戻される。
舞花は電話口で短いやり取りをして、俺に向き直った。
「もうすぐ、お兄ちゃんが迎えに来るみたいです」
「そ、そうなんだ。じゃあ、俺はこの辺で」
舞花のことは気がかりだが、兄と会ってはマズイ気がした。二次元では大抵『兄=シスコン』であるというイメージのせいだろう。見つかったら半殺しにされるかもしれない。今の俺は、大事な妹にズケズケと話しかけている男以外の何物でもない。
でも、その前にこれだけは聞いておきたかった。
「あの、変なこと聞くんだけどさ。俺たち、昔に会ったこととか、ないよね。たとえば、この場所とかでさ」
「うーん。ごめんなさい、覚えてないです」
舞花は少し沈んだ調子になった後、
「けど、会ってるかもしれないですよね。忘れてるだけで」
と朗らかに言った。俺も、そうだったらいいなと思った。
星川渚は時メモのヒロインの中でも、尖った個性のないキャラクターだ。
無邪気で、素直で、けれど芯には強さを持った女の子。
いつも笑顔を絶やさない女の子。
公園で出会う、主人公の良き相談相手。
ギャルゲーのキャラクターとしては少し地味で、人気もそんなに上の方ではなかったと思う。
しかし現実的に考えると、二次元的には『少し地味』くらいがかえって『理想的』なんじゃないだろうか。
舞花に別れを告げ、公園を出て一人歩く。尋以外の人間で別れるのが惜しいと思ったのは、初めてかもしれない。
「――――っ」
夢だったのかもしれない。そんな予感に襲われて、堪らなくなって俺は急いで公園へと引き返す。
入り口から園内を見る。
そこにはもう誰もいなかった。
景色は完全に闇に沈んでいて、まるで黒いカーテンに閉め切られてしまっているようだった。
「む、ユウキちゃん。これ手作りじゃないね。おいしいからいいけど」
うっ、その通りだ。
俺がバレー部の助っ人練習で疲れた尋への差し入れを自作できなかったのは、舞花の一件のインパクトでそれを忘れていたからだ。尋から『家付いたよー、超疲れた』とのメールを受けて思い出し、大急ぎで近くのコンビニでスイーツを買い、雪島宅に馳せ参じたわけである。別の器に入れるという策が、尋には通じなかったようで。
「わたしが汗を流している間に、ギャルゲーにでも夢中になってたのかなー?」
違う。ギャルゲーみたいな場面には遭遇していたのだが、流石に言えない。俺自身、あの夢のような体験を、はっきりとした現実としては認めかねていた。
俺たちはその後、お気に入りの歌とお気に入りのアニメ、ゲームなどのオープニング動画(音量ゼロ)を組み合わせてみて、そのシンクロ率を競う「即興MAD」遊びを行った。一通り遊んだあと、俺は尋にさりげなく聞いてみた。
「あのさ、藤堂舞花っていう子、小学校にいたっけ? もしくは、近所に」
「あれー、どしたのユウキちゃん。三次元に目覚めちゃったの?」
「ちげーよ。なんかそういう名前の子がいたかもって、ふと頭をよぎってな。勘違いかもしれないが気になったんだよ」
俺と違って社交的な尋ならば、覚えているかもしれない。
「んー、いなかったと思うなあ。そんな名前の子。アルバムでも持ってこようか?」
「いや、遠慮しておくよ。つか、悪いんだけどさ尋。アルバムとか名簿で藤堂舞花って子がいるかどうか、確認してくれないか」
俺は三次元嫌いで、現実を封じ込めた写真も嫌いだ。
「はいはい、りょーかいです」
自宅に帰るなり、ベッドに倒れ込む。
今日はひどく疲れた。
ここ数年はほとんど尋一人としか会話をしてこなかった俺が、かつてないほど多くの人間と長時間のコミュニケーションを取ったのである。全員が女子で、その数は五人。
幼なじみ、同級生、先輩、後輩、学外の少女――――って、あれ? これ、時メモのヒロインと数や構成と一緒じゃないか? 星川渚そっくりの舞花といい、どうなってんだこれは。
偶然の一致にしては出来すぎている。
偶然じゃないとしたらなんだ?
とはいえ、考えて答えが出るはずもない。
まぁ、それはともかくとして。今日は意外と話せてたよな、俺。
今までの経験則から、尋以外の三次元人には苦手意識を感じるものと決めつけていたが、舞花にはそれがなかった。というか、三大変人たちについても、変人ゆえに振り回される感はあったが、それはなかった気がする。いつ以来だろう、こんなに他人と話をしたのは。
もしかすると俺の対人恐怖症は、知らず知らずのうちに改善してきているのかもしれない。
そんな希望的観測とともに、俺は眠りについた。
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