隠し要素

 全ての記憶を取り戻した俺は、一人で、全力で走っていた。

 もうすぐ、公園の入り口が見える。

 暗号の答えと共に、半信半疑で公園を目指したときとは違う。

 今は確信を持って、御津宮紗枝という俺が勘違いをさせてしまった少女に会うために、公園を目指していた。


「……あ、れ?」

 しかし、辿り着いた先で俺は放心する。

 公園に、御津宮の姿がなかったのだ。


 朝から待っているとしたら、もう相当な待ちぼうけとなる。普通ならとっくに姿を消していてもおかしくはない。だが、自意識過剰というわけじゃないが、俺一人のためにここまで様々な策を弄したあの御津宮が、自分の望みを叶える最後の機会を、途中で放り投げるはずがないと思えた。尋の話によれば、舞花に変わるまでは時間があるはずだった。


 俺は馬鹿みたいに誰もいない公園をぐるぐる回る。当然、それでなにが起こるわけでもない。

 が、回っているうちにある考えが頭に浮かぶ。悪い方の。

 光久だ。おそらく光久が、ここにいた御津宮に連絡を入れて他の場所に向かわせたのだ。それだけなら、御津宮はそこまで怪しむこともないだろう。しかし、御津宮が公園にいないという事実は、他に探す当てを持たない俺たちにとっては絶望的な話なのだ。俺は御津宮が拉致され俺たちと会えなくなるという可能性を示唆したが、会えなくするだけならこんな簡単なことでよかったのだ。


 御津宮はここにいない。俺は一刻も早く御津宮と会わなければならない。

 公園の次は、どこを探す?

 公園を出た後、

 東西南北、

 360度四方、

 一体どこへ向かう? 指針は一切ない。


 そうこうしているうちに光久が、あるいは光久の手の者が俺たちを確保しに来るだろう。

 皆の頑張りが、水泡に帰す。

 そして、なにひとつ言葉をかけられないまま、御津宮紗枝は、消える。

 今日ここで待つという、最後のお願いを聞いてもらえなかったことに、深く悲しんでいなくなるかもしれない。


「く、そぉっ!!」

 俺は叫ぶ。絶望的な状況に。

 目の前を歩いていた鳩が愛想を尽かして飛び立った。

 物言わぬ遊具が、声を押し殺して笑っている。

 やみくもに探すくらいなら、公園で帰りを待っていた方がいくらかマシじゃないのか。それすら掌の上か。畜生、ちくしょうちくしょう、


「御津宮……」


「あのー」

 誰かの声が、背中に張り付けられる。

 俺は驚いて反射的に振り向く。まさか。

 だがそこに立っていたのは御津宮――――ではなく、知らない女生徒だった。

 ネクタイの色から、同じ学年だと分かる。セミロングの髪をした、取り立てて大きな特徴のない女の子だった。「人の顔が分からない」という避け続けてきた事実と直面してしまった今、かつてのような強烈な苦手意識は感じられない。


「大丈夫? 北原君」

 女生徒は心配そうな声で聞く。きっとそれほどの酷い顔をしていたのだろう。しかし、彼女は誰だ? 俺を知っているということは、クラスメートか。だがあいにく、俺は今まで他人をまともに見てこなかった。彼女が誰なのか、悪いが覚えていない。


 待てよ?

 今は、昼休み。この公園に生徒がいるなんて普通ないことだ。

「君は、どうしてここに?」

「え? あぁ、そ、それは」

 女生徒は口ごもる。

「北原君が雪島さんと、あんまりにも必死な顔で飛び出してくから気になってさ。どこ行くのかなー、って」

 ついてきたというわけか。全然気づかなかった。


「あのさ、北原君」

「な、なに?」

「その、北原君って、もしかして御津宮さんと付き合ってるの?」


「はぁ?!」


 突然なにを、なにを言い出すんだこの子は。

「いや、付き合ってるとか、全然そんなことはないけど」

「ホントに? だって体育のときとか二人で仲良く話してたりしてたじゃん。今日も、雪島さんとなんか修羅場みたいになってて、それで、一人でここに来て。さっきも『御津宮』って呟いてたよね」


 うわ。全部見られてたとか、死ぬほど恥ずかしい。

「それは、色々とあって話せないんだけど、御津宮を探してたんだよ。あいつ今、すごくヤバイことになってて」

「え、そうなの? 全然そんな風には見えなかったんだけど」

 女生徒は、意外そうに言った。


 だが、まるで今見てきたように言うその言葉こそ、俺には意外だった。

「ここに来る途中、道の下に河原があるじゃん。御津宮さん、のんびりと散歩してたよ。全然危なそうには見えなかったんだけど」

 女生徒は、とんでもないことを口にしていた。それは俺が今、最も望んでいた情報だった。

「それ、本当かっ!!」

「ホントだよ。なんで嘘吐かなきゃなんないの。あー、でも、しまったなあ。そんなに知りたいことだったんなら、もっと駆け引きすればよかったかも」

 掴みかかるように言う俺に、呆れ気味な女生徒。


 そうか。皆の頑張りは無駄じゃなかったんだ。

 おそらく光久は、できるだけ紗枝を動かしたくはなかったのだ。だが、俺たちを取り逃がしたために、そうせざるを得なくなった。

 実際は、俺がここに着くころ御津宮はもっと遠くに行っているはずだったのだろう。しかし、皆の導きで予想以上に早くここに至ることができた俺は、遠くに行く途中の御津宮とすれ違うこととなったのだ。さらに、視野狭窄になっていた俺は気づかなかったが、俺の後を追う謎の女生徒がそのことに気付いてくれた。追い風は、吹いている!


「ありがとう! ありがとう!! 君は、最高の恩人だ」

「はぁ、よく、わかんないけど」

 戸惑う女生徒。二人の間の絶対的なテンション差。

「今は急ぐけど、こんどしっかりと礼をさせてくれ! あ、そうだ。名前を教えてよ」

 恩人、飛んで救世主じみた女生徒。なぜか俺の後をつけ、御津宮のことを意識し、目ざとく見つけてくれたこの女の子は誰なんだ。こんな奇跡みたいな偶然があるものなのか。こんな神がかったことが。

 しかし、俺が圧倒的な感謝を込めた問いに、なぜか女生徒は不機嫌な様子になった。身体が小刻みに震えている。かなり鈍い俺ですら、その怒りを感じ取れた。


「信じらんない」

 女生徒はぽつりとこぼし、

 そして爆発した。

「いい加減にしてよね! 確かに今までは北原君とはほとんど絡みがなかったけどさぁ、今週は何度も会ってるじゃん。私、同じクラスの森山伸子! 先週の金曜日、君に鍵を拾ってもらってから何度も声をかけてるのにものすごく素っ気ないし。雪島さんといないときは御津宮さんや一年の松本さんとも一緒にいるしさ。あんまり冷たいからまさか私のこと忘れてるんじゃ……って思ってたけど、まさか本当なの?! 冗談でしょ?!」


 「もりやまのぶこ」と名乗った少女の激しい怒りは、しかし俺には届かなかった。

 俺の心は、森山の言葉を聞いた瞬間に別の地平に飛んでいたからだ。


 意識の彼方で、繋がるものがあった。

 鍵を拾った。確かにそんなこともあった。もうずいぶんと昔の出来事のように感じる。

 俺は人の顔がよく分からない。加えて少し前までの俺は、病的なまでに周りを見ていなかった。そして、御津宮紗枝と藤堂舞花。同じ顔の二人を完全な別人だと思っていた。


 だったら、この大きな特徴のない少女。俺に何度も会っていたというクラスメイトを、一人の人間だと判別できずに、別々の人間として考えていたとしてもおかしくない。事実そうだったからこそ、俺は彼女のことを一切意識していなかった。どうでもいい他人、有象無象。人生におけるモブキャラとして分類していたのだ。ギャルゲーで言うなら、状態か。注意深く思い出してみれば、何度も俺に声をかけてきた「誰か」は、こんな感じの女生徒だった気もする。


「ぷ、くく、ははははは」

 ネジが飛ぶってこういうことか。笑いが、溢れてくる。こいつは傑作だった。この、誰のシナリオにも含まれていなかった流れに、俺は腹を抱えていた。

「ちょ、なに笑ってんのよ!」

 ここは現実だ。この世界は誰がメインで誰がモブなんて、本当は分からないんだ。どう転ぶか分からない。そういうものだったんだ。

 全ては俺の思い込み、勘違い。かつて、仲の良い幼なじみの尋を判別できなかったことにショックを受けて絶望した俺の、さっきこのゲームに関わった皆の協力を以てしても御津宮に会えなかったとき、あっさり絶望しそうになった俺の――――それは、尋に意識をいじられる以前の問題だったんだ。


「はははは、あっははははははは!!!」


 この70億以上の人間がいる世界で、まるで自分が創った物語の登場人物しかいないように考え、そいつらとしか関わろうとしない。選択肢は非常に少なく、立ち絵の見えるキャラクターは数えるほど、その他大勢はほとんど意識の外で、立ち絵のない状態だ。

 舞花にギャルゲーのことを説明したとき、彼女はメインキャラ以外に立ち絵のないことを不思議がっていたじゃないか。そうだ、この「自分の世界の構成要素を極めて狭く考える」という視野狭窄こそが、俺の根源的な病だったんだ。だから、尋と同じ世界が見えないと知って、絶望して立ち上がれなくなった。まるで、そこで世界が終わってしまったかのように。

 相貌失認は、結局俺のそういう面を引き出すトリガーに過ぎなかったのだ。

 そういう症状を抱えながらも、頑張って生きている人たちは沢山いるのに。


 ならば、おれのこの根源の病をなんと言えばいいのだろう。

 答えはもう……決まっていた。今回の事態に即するなら、それは「ギャルゲー病」とでも言うべきだ。

 アニメ、漫画、ゲーム、小説だって、描かれていないだけでメインキャラ以外に無数の人間がいるんだ。現実なら、そんなのは当たり前、より顕著じゃないか。だって描かれるもなにも、そこにいるんだ。

 だってのに、俺は。俺ってやつは! まるでそんな奴らを存在しないもののように扱っていただなんて!!


「くく、ふふふ」

 もういいだろう。そろそろ笑いを収めよう。このままずっと笑っていたいところだが、俺にはやらなきゃならないことがある。御津宮に会って、具体的になにを言うかは決まってなかったんだが、たった今決まったよ。

「なぁ、森山」

「な、なに?!」

 ああ、気持ち悪がられてんなぁ。無理もないか。

 シリアスから一転して笑い転げた俺の姿は、さぞかし挙動不審だったことだろう。

「俺は、人の顔ってのがよく分からない。うまく判別できないんだ。その、ごめんな。今まで素っ気なくしちまって。お前のこと、毎回どこかの誰かさんだと思っちまってたんだ」

「えっ」

「俺、今度会ってもお前のことわかんないかもしれないけど、それでも声をかけてくれよ。じゃあ、俺は行くけど、お前は遅れずに教室に戻ってくれ。本当にありがとうな。また会おうぜ、!!」

「はぁ? ちょっと待って、私、伸子――――」


 知ってるさ。でも、君に対する親しみと愛と敬意と感謝を乗せて、今までの俺への皮肉も込めて、失礼ながらあえてこう呼ばせてもらうぜ。


 光久ですら見逃したこのゲームの隠しキャラ、森山伸子。

 略して「モブ子」と!

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