二日目・火曜日

放課後の選択肢

 結論から言うと、俺の対人恐怖症は全くよくなってなどいなかった。

 

 朝の校門にひしめき合う大量の三次元人。

 嫌な、ああ、嫌な感じ。やはり彼らを見ると、俺はどうにも肩身が狭く、精神をすり減らす。強烈な苦手意識を感じて、動きが硬くなる。昨日はたまたま、遅刻ギリギリの時間だったために彼らを見なかっただけだ。教室だったら、俺の席は前の方なのでクラスメートの多くは視界に入らないし、ノートと睨めっこしでもていれば彼らを意識することもない。が、校門付近での登校ラッシュや、全員集合の行事なんかはなりキツイ。それを乗り切るためにも、朝に「今日の一枚」を選んだりして、二次元式の精神武装を行っているのだ。


 そうだ。この当校風景を、二次元的な女子高生の当校風景のイラストに脳内で置き換えるのはどうだろう。二次元JKはいい、制服は最高だ。って、流石にそこまで脳内変換できるんなら毎日苦労はしねぇよな。

 そうこうしているうち、俺より歩幅の広い尋はどんどんと先に行き、前を歩く人の塊に溶け込んでしまう。一瞬だけ不安がよぎるが、大丈夫。あの長身寝癖の幼なじみは、離れていても、人ごみの中でもすぐに見つけることができるのだ。

 俺は小走りになって尋へと駆け寄る。


 二人で玄関を潜り、下足箱へ。

「おっ、と」

「どーしたの、ユウキちゃん」

「いや、なんかこんなのが入ってんだけど」

 俺の下足箱の中には、折りたたまれた紙片が入っていた。

「ラブレター、にしては簡素すぎるね。なんなのかな」

 尋の疑問に促され、俺は紙片を広げていく。B5サイズの紙には、こう印字されていた。


【僕は、屋上にいる。昨日の話の続きをしたければ、いつでも来られたし。  辻水瀬】


「わあ、水瀬先輩からの呼び出しだ」

 いやいや、そういう言い方されるとマジに怖いからやめれ。昨日の話って、ああ、辻先輩は本当にロボットなんですか、的なやつか。律儀な人(?)である。

「行くの?」

「いや、多分行かねーな。強制じゃないみたいだし」

 ちょっとは気になるけど、怖いし面倒臭い。


 しかしアレだな。昨日の松本の「依頼」に続き、この辻先輩の「提案」。どうもこの二人とは一時の遭遇だけで完全に繋がりが切れたわけではないようだ。それは今後の俺の行動次第なのだが。なんか、本当にちょっとギャルゲーじみてきたかもしれない。

 ギャルゲーだとしたら、ヒロインの数といい属性といい、星川渚そっくりの舞花といい、まるで時メモだ。時メモなら主人公は「思い出の少女」を探す。


 教室に着くと、尋は俺のスポークスマンという役割を果たすため、自分の机にやって来るクラスメート相手の情報収集に努めていた。俺は大抵、尋がそうしている間は机に突っ伏して寝た体勢でいる――――と、俺の肩をつつくなじみの感触。

「別に今日は、これといって有用な情報はないみない」

「サンキュ」

 顔を上げないで、礼だけ言う。

「あ、そうだ。藤堂舞花って子、アルバム探したけどいなかったよ。中学のも見たんだけど」

「おう、悪いな」

 なんとなく予感はしていたが、いなかったか。


「御機嫌よう、うつし世の諸君。気分はどうだい? 今日も今日とて、楽しもうじゃないか」

 御津宮の黒ずくめのセーラー服姿が現れると、教室全体が溜息のような空気に包まれる

 俺はクラスの多くがそうするように、御津宮が着席するまでの動作を眺めていた。

(ああ、やっぱり)

 御津宮を観察して、俺は確信する。俺が常日頃感じる三次元人への苦手意識が、御津宮からはあまり感じられないのだった。昨日、直接会話をしてみて気付いた。今までは、変人具合から御津宮を忌避していたため気づかなかったのだ。

 昨日の、辻先輩、松本、舞花との会話の感覚も反芻してみる。

 うん。御津宮以外の三人も同様で、他の三次元人に比べて苦手意識が薄かったと思う。

 昨日、尋以外の多くの人間と会話できたことにより、対人恐怖症が治ったのではないかと感じた俺。しかし実際は違っていて、昨日新たに出会い、会話する運びとなった人間がことごとくなぜか話しやすい者たちだったのだ。

 どういうことなんだろう、これは。

 考えているうちに、始業の鐘が鳴った。


「なぁ、尋」

 一時限目を消費しても答えに至らなかった俺は、当然ながら最も話しやすい尋に尋ねる。

「どしたの、ユウキちゃん」

「いやさ、昨日俺は、辻先輩とか、御津宮とかと話したじゃないか。実は、美術部に寄ったときに松本とも出くわしちまったんだけど」

「え? さくらちゃんとも会ったの?! すごいねー、この学校の三大……有名人をコンプリートじゃない、昨日一日で」

 御津宮に聞かれることを警戒してか、三大変人を三大有名人と変換する尋。

「ああ、驚くべき偶然だよな。んで、本題はここからなんだが。実はさ、意外と話せたんだよな。ほら、俺は人とコミュニケーションとんのがすげえ苦手じゃんか。それで、一風変わった有名人ともなると、余計に緊張しちまうと思ってたんだよ。けど思ったより、というか、普通のやつよりも話しやすかったんだよな。なんでだと思うよ?」

「あー、確かに。割とフツーに話せてたかもね。三次元人嫌いのユウキちゃんにしちゃ、珍しいよねー」

 長身寝癖の幼なじみはうんうんと頷き、そして少し考え込む。


「そーだねぇ、アレじゃない? やっぱり。彼女たちが二次元キャラみたいだからじゃないの?」

「いや、でも二次元と三次元は」

 尋は俺の持論を掌で遮り、

「まあまあ、それは知ってるけどさ。要するに、彼女たちはキャラがハッキリしてるってことだよ。だから、現実の流行りとか知らなくて、会話経験も少ないユウキちゃんでも、話をしやすかったんだと思うよ。そういう個性的な子達の相手は、ギャルゲーで散々イメージトレーニングしてるでしょ?」

 ああ、なるほど。

 ただでさえ対人恐怖症な俺だが、テレビとかも全く見ず時事や流行にも疎いので、話を合わせることもできないのだ。そういう点において、三大変人たちは一般的な事を口にしない分、話しやすかったのかもしれない。

 

 尋の言葉にひとまず納得した俺は、昨日一日にして広がった俺の中の人物相関図をイラスト付きでノートに書いていた。もちろん、このイラストはあくまでもイメージ。決して二次と三次をごっちゃにしてるわけじゃない。思考を楽しむための、ちょっとした工夫さ。


 そして二時限目の大方を消費し、力作が完成した。

 御津宮は白抜きの瞳に小さい黒目の中心点を添えたドライな眼、口角を釣り上げた笑いはまさに厨キャラの表情だ。尋は寝癖を可愛くデフォルメし、黒で塗りつぶした瞳に光を添え、口を小さく開けて天然っぽい印象に。辻先輩はギャルゲー風の平行眼で小さく口を閉じ、不思議ちゃんな印象、髪は白抜きで銀髪をイメージ。松本はマンガ的に言えば可愛いモブキャラ、それ故に美少女っぷりが際立つポニーテール娘。舞花はまんま星川渚のファンアート、儚げな中にも芯の強さを秘めた眼と表情を再現(当社比)という具合に。


 我ながら、なかなかの力作である。二次元に落とし込むと全員が可愛く見えるから素晴らしい。こうしたイラストを見ていると、この全員と話した俺が、まるでギャルゲーの主人公かのように思えてくる。

 

「うつし世の諸君に、ここで問題だ」

 その休み時間。御津宮は「不確定物理学」とやらの問題を話し始めた。

「地球に長い長い糸がついていると仮定しよう。宇宙のある点に繋がれた、巨大な振り子だと考えるのさ。その場合」

 悦に入って語る御津宮を背に、俺はそっと教室を出る。こういうとき、出入り口から近く御津宮からは遠いこの位置はありがたい。二日連続で当てられたりしたら、たまんねぇぜ。

 そうして、始業の鐘が鳴るタイミングで教室に舞い戻った俺は、以降も御津宮の挙動に注視し、スルーしていった。


「……うぐ、けほっ、うぐぐ」

 四限目。多くの人間にとっての福音、御津宮のわざとらしい咳声が響く。

 御津宮は教師に早退の旨を告げ、教師はそれを快諾。教室後方の出入り口が開き、戌亥が姿を現す。戌亥に支えられてよろよろとオーバーなアクションで教室の外に出た御津宮は、

「はぁ……はぁ、う、うつし世の皆、私はひとまず先に帰るけれど、皆は私の分までしっかりと授業を受けていてください。っぜぇ、ぜぇ……アハハハ、そうだ! 私の置き土産は、暗号には取り組んでもらえたかな。鍵は『今の世界を表す言葉』だよ!」

 そう言って、戌亥と共に教室から姿を消す。

 暗号ねえ。俺は、黒板の上部中ほどに書かれた数列を見る。


 7、34、5、3、15、15、7、29、5、か。


 昼休み。

 俺は教室で尋と弁当を食べ、そこから動かないという、いつも通りの選択をした。

 屋上に行けば辻先輩が、美術室に行けば松本がいるかもしれないが、だからなんだという話。君子危うきに近寄らずだ。

「ねぇねぇ、昨日の一万円ってさ、なんに使うの?」

 突然話しかけてくるクラスの女子。

 く、教室にいたらいたで面倒くせぇな。クラスの突撃リポーター役か。

「いや、その、特には決まってはないけど」

 あの五人と違って、やはりやりづらい。口が上手く回らない。


「はいはい、ごめんねー。ユウキちゃん今、調子悪いから。話はわたしが聞くよー」

 尋が割って入ってくれる。ナイスだ、今後もそんな感じで頼むわ。

 情けない話ではあるが、それでも心の平穏は保たなければならないのだ。

 

 そんな調子で放課後になり、体育館の入り口に俺と尋は立っていた。

「うう、ぐすっ。じゃあねえ、ユウキちゃん」

「ああ、達者でな。帰ってきたら、ごちそうを用意しておくからよ」

 さりげなく死亡フラグを立てながら、俺はバレー部の練習へと向かう尋を見送る。ここから先は、流石に部外者すぎて入れねぇよな。


 さて、この放課後という自由時間。ギャルゲーならば高確率で選択肢が出現するところだ。

 俺は脳内で現状に即した選択肢を考えてみる。


 ①【やっぱり尋の練習を見に行こう】

 ②【御津宮の家でも探してみるか】

 ③【屋上に行って、辻先輩に話を聞こう】

 ④【美術室に行って、松本に協力してやるか】

 ⑤【今日も公園に、舞花はいるんだろうか】


 うん、瞬間的に②、③、④は消えるな。まぁ、②、③については「謎」という点では興味がないこともない。④は、絵を描く人間として協力してやりたい気持ちがないこともない。だが、それは俺がギャルゲーの主人公のように、選択肢を選び直せるなら選ぶかもしれないってレベル。ここは現実だ。選択の機会は一度きり。①は、応援してやりたい気持ちはあるけど、さっきも思ったように障壁が高い。

 残るは⑤だ。


 というか、まぁ、茶番は止めておくか。

 元より俺の心は決まっていたのだ。

 俺はあの子にもう一度会いたかったのだ。

 思い出の少女の件もあるが、それとは別に、単純に舞花と会って話がしたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る