共有する空白と、揺れる心
夕暮れの、さびれた公園に辿り着く。
昨日の一件から、馴染んだ場所がまるで異界への扉のように感じる。
俺は緊張を持ってその入り口に立つ。つってもまぁ、そこは結局公園なわけで、異界への扉とはいってもすでに開放されている。
そして、俺の視線の先には、今日もいた。
時メモのヒロイン星川渚――――とよく似た格好の彼女、藤堂舞花が、昨日と同じようにベンチに腰かけていた。流れ星をイメージした髪飾り、前髪を左右に分け、首元でセミロングを結んだ髪形。服は昨日と違うものだったが、渚の私服パターン2と酷似している。間違いなく、舞花だった。
幻じゃ、なかったんだ。
「あ、ゆーくんじゃないですか。こんにちは。あっ、もうこんばんはの方がいいかなあ」
吸い寄せられるように歩を進めていた俺に気付き、舞花は朗らかに声をかけてきた。
ああ。やっぱり彼女はいい。
星川渚じみたルックスというのは単に興味のきっかけでしかなく、彼女の持つ雰囲気が(それも星川渚のキャラ性と似てはいるのだが)、不思議と俺を和ませるのだ。三次元人でありながら、苦手意識を感じさせない。
「どうも、こんばんは」
俺は、舞花の座るベンチの直前で立ち止まり、夜の挨拶を選択した。
「今日は、どうしたんです?」
君と会うために来た、なんて台詞はさすがに言えない。
「いや、別に。というか、この公園に寄るのは俺の日課なんだ」
と言いつつ、頭に上ってきた疑問を俺は口にする。
「舞花は、どうしてここに?」
俺は今まで何度もここを訪れているが、舞花と会ったのは昨日、今日だけだ。彼女はなんらかの用があって来ているのだろう。
「お兄ちゃんを、待ってるんです」
出た、お兄ちゃん。
「あたしはほら、記憶もあいまいだし一人で行動すると危ないから。お兄ちゃんが用事終わって、合流できるまで、ここで」
兄はなぜ、そのような舞花を公園で待たせているのか。おそらくここがほとんど人の来ない公園であることを加味してのことだとは思うが、外で一人でなんて、無防備すぎやしないか。少しの違和感と共に、多大なる背徳感、それに伴う昂揚感が背筋をぞわぞわと駆け上がる。俺は今、そのような舞花と二人きりなのだ。
「お兄さんは、昨日もそうだったけど、こっちに来る前には電話してくるの?」
「はい。きっかり十分前に。色々と正確な人なんですよ」
この確認は重要だ。この確認によって、俺は着信というアラームのなるギリギリまで彼女と楽しめることになった。兄からしたら不審者もしくは悪い虫となるであろう俺は、見つかる前に退散するのが吉だ。
「そういや、お兄さんには、俺と会ったこととか話したりした?」
そういや、この確認をするのを忘れていたぜ。
すると舞花は、柔らかな笑い声を上げた。
「話しましたよ。そしたらお兄ちゃん、あんまり怪しい男の人とは関わるなって、真剣な感じで言うんですよ。笑っちゃいません?」
いや、至極まともな事だと思うぞ。兄は正しい。
舞花は、人差し指を唇の下に当て、
「だって、ねぇ、ゆーくんが怪しい人なわけ、ないじゃないですか」
と、あまりにも隙だらけの発言をした。
俺はその言葉に脳天を殴られ、思考が溶けていく。ああ、なんて純粋で無邪気なんだこの娘は、そんで世間知らずで可愛らしいんだ。普通ならこんな甘々なセリフ、なにかウラがあると思う(ほとんど他人と会話しない俺なので、現実で聞いたことはないが)。けど、舞花の場合、全ての発言にウラがないように思える。全て本心からの言葉に聞こえる。そこが彼女の最大の魅力なのだ。
「そうですよね? ゆーくん」
怪しい人ではないか、との確認。正直自信がない。
確かに俺は現実の上では臆病者で、悪いことというのはできないタチだ。でも二次元的妄想の中じゃ、君みたいな子にとても説明できないような、変態、鬼畜的な思考もする男だぜ?
「あたし、思ったんです」
俺の沈黙をどう取ったのか、舞花は一人話を続ける。
「ここに来たのは、ゆーくんと出会うためだったんじゃないか、って」
根拠のない『いい人断言』からの、『運命感』のコンビネーション、だと?!
脳みそがぐわんぐわん揺れる。俺のただでさえ溶けかけた思考が、みるみる蒸発していく。身体が熱い。
普通ならそんなことを言われても簡単には信じられないだろう。出会って間もない男になに言ってんだよこいつ、と思うかもしれない。が、舞花の発言は心からのものに聞こえるのだ。
この甘々な展開。俺にはとても無理だが、イケイケの男だったらキスの一つぐらい迫るんじゃなかろうか。かくいう俺も、二次元妄想上では舞花とのそういう展開を、現在高速思考中である。
心臓が過剰な運動を繰り返し、手に汗を握る。
舞花の俺に対する根拠のない信頼は、一体なんなのだろう。誰にでもそうなのか、兄以外でまともに話した初めての男性が俺だったという『雛鳥効果』なのか、それとも舞花が言うように、俺と彼女にはやはり『なにか』があるのか。
「あれ、ゆーくん大丈夫ですか? ぼーっとしちゃって」
舞花の呼びかけにハッと夢から醒めたような感じになる俺。
昨日同様、完全に不審者だった。
その後俺は、舞花の隣に座って色々な話をした。
流石に尋とのようにマニアックな話はできないが、逆に言えば、付き合いの長い尋とではできない初々しさの残る会話が、新鮮で面白かった。こんな体験は、本当にいつ以来か。それに、彼女は純粋すぎるという点では変わっているが、いわゆる変人ではない。とてもいい子だ。この点も、三大変人たちから逃げ切ってきた俺にとって、オアシスのような感じである。
気づけば夕暮れは夜の闇へと変じていた。楽しいときが経つのは早い。
「お兄さんって、どんな人?」
これも一応聞いておくか。
舞花は、嬉しそうに語る。
「そうですねえ、お兄ちゃんは、すごくいいお兄ちゃんだと思います。背が高くて、格好良くて、なんでも知ってて、優しくて」
「そうなんだ、へぇ。あ、学校は? 舞花は学校、どこに行ってるの?」
のろけモードに入られそうだったので、俺は慌てて話題の転換を図る。
「あっ、それは」
さっきまでテンポよく進んでいた会話が途切れる。舞花のテンションが少し下がったことは、鈍い俺にすら理解できた。
「あの、あたし、学校には、行ってないんです――――」
「えっ」
思わず漏れてしまった驚きの声を悔いるも、それを取り返す言葉が思いつかない。
「その、ごめんなさい」
「いやいや! 謝ることはないよ!! 俺の方こそ、嫌なこと聞いちゃってごめん」
それだけはなんとか言えた。本心だ。
しかし、舞花はなぜ学校に行っていないのだろう。例えば人付き合いが苦手なようにも、不健康そうにも見えないのだが。
「この話は終わりにしよう! ホント、気にしないで」
気にはなったが、聞くべきではない。
俺は恐る恐る舞花の様子を見る。うつむきがちで、膝上に乗せられた両手はきつく握られている。今の俺の言葉が届いているのかどうか、正直怪しい感じだ。
と、舞花はいきなりに頭を上げた。
「実は、あたしが学校に行けてないのは、記憶に障害があるせいなんです」
記憶に、障害?
「あたしには、十二歳くらいまでの記憶がないんです。今でも、ところどころ記憶がおかしくなってて。お兄ちゃんに助けてもらわないと、とてもやっていけないから」
一心に話し続ける舞花を、俺は手で制す。
「ゆーくん……」
「嫌なことを言わせちゃってごめん。もう、言わなくてもいいから」
舞花は、身体から力を抜いて再びうつむく。
「でも、俺は舞花がそのことを話してくれて嬉しかったよ」
「えっ?」
話し辛いであろう自分の秘密を打ち明けてくれたこと。嬉しい理由には、それもある。だがもう一つ、これはなんと言ったらいいのか、そう、運命的な偶然とでも言うのか。舞花の記憶障害の話を聞いてもあまり焦らなかったのは、その話を聞いた瞬間、えもいわれぬ不思議な感覚に包まれたからだった。
「実は俺にも、そういうのがあるんだ」
彼女に比べたらひどく些細だが、時メモをプレイして以降の約半年間の記憶の喪失。
「そして、笑われるかもしれないけど。最近その一部を思い出して、その内容っていうのが」
まるでラブコメ、ギャルゲーなんぞにありがちな「思い出の少女」の出現。そして、俺が記憶を失う付近でプレイしていた「時々メモライズ」における「公園の少女」、星川渚にそっくりな君と出逢った。
「だから、俺が昨日君に声をかけたのは」
君が二次元キャラとよく似た格好をしていたから、というだけではなく、俺が君を探していたからなんだ。そして、ふたりは記憶の空白という奇跡的な共通点を持っていた。記憶の空白という本来忌むべきものが、今は俺たちを繋ぐ絆のように思える。
などと、さすがにそこまでストレートには言えなかったが、俺は舞花に、今感じている不思議な多幸感を、昨日は話せなかった俺の「思い出の少女」事情と共に語っていた。
「――――ふふ、あはは。なんだかあたしたち、出来すぎな感じ、ですね」
舞花は笑う。そこには明るさが戻っていた。
「俺は君に比べたら大したことはないけど、思い出したいことが思い出せない辛さとか、普通のヤツに比べたら少しは分かると思うんだ」
「ありがとうございます、ゆーくん」
それから少しして、兄からの着信があった。舞花の話によれば兄の到着まできっかり十分。話せるのはあと五分ほどか。
「舞花は、記憶のなくなっているところについて、なにか少しでも覚えてないの?」
「残念ですけど、全然覚えてないんです」
「そうなんだ。大変だね」
舞花は柔らかな笑い声と共に、
「でも、あたしはあたしがゆーくんの思い出の少女さんだったらいいなあ、って思ってるんです。だから、違っているんだとしたら、思い出さない方がいいかもしれませんね」
柔らかな笑い声で、とんでもないことを言う。
「とにかく、あたしはあんまり自分のそういう部分を気にしてませんから。お兄ちゃんはよくしてくれるし、ゆーくんも相手してくれますし。だから、ゆーくんも自分の記憶の件とか、思いつめないでくださいね。大丈夫ですよ、きっと」
強いなあ。
強いし、いい娘だ。
そして、「大丈夫ですよ、きっと」というのは星川渚の口癖でもあった。
夜の帳が降りた帰り道を一人歩く。
俺は結構、夜が好きだ。夜は日頃感じる三次元への恐怖が、なぜか少し薄まる気がする。
(藤堂舞花、か)
出逢ってから二日目にして、俺は彼女のことが相当気になりかけていた。正直、かなりはっきりとした好意を覚えている。
彼女はいったい何者なのだろうか。
どうして無自覚に星川渚じみた格好や言葉遣いをするのか。
どうして俺と彼女は記憶に障害を持っているのか。
その二つの事柄を繋ぐのは、時々メモライズというギャルゲー。舞花と尋と三大変人を含めた五人は、数も属性も時メモのヒロインと一致している。
俺が時メモをプレイしてからの、半年間の記憶の空白になにがあったのか。
なにがあったにせよ、今の現状と無関係とは思えなかった。
だが今の俺は、それ以上に、
二日目でここまで仲良くなれた舞花と、
明日はどこまで仲良くなれるのだろうとの期待に、胸を膨らませていた。
これは、現実では俺に縁がないと思っていた恋愛感情というやつかもしれない。
時間確認でスマホを見ると、ロック画面の壁紙が、メモアプリに書いた文章のスクリーンショットになっていた。
【尋の家に飯を作りに行く】
自分で残したメモながら、一気に現実に戻された気分だった。
「はぁー、あいかわらずシチューはおいしーねえ」
素人に毛の生えた程度の料理人ではあるが、シチューやカレーにはこだわりがある。肉はバラ肉をたっぷりと入れること、シチューのイモはジャガイモではなく里芋を使うことだ。
「この里芋のまろみが、たまんないよねー」
これは母から伝わったもので、家族間の付き合いもあった尋はすでにこの色に染まっている。
俺は尋からの帰宅メールが来るまでに自宅でシチューを仕込んでおき、鍋を持って雪島家にやって来ていた。
「たーんと食えい。んで、どうだ。練習の方は?」
バレー部の助っ人として駆り出されるというイレギュラー。ここ数年で、尋がどうなっているのか分からない時間がここまで多いのは久しぶりだ。普通の奴らなら、気にもしないんだろうけど。
「大変だよー。さみしいよう。ユウキちゃんも、ちょっとは見に来てよー」
「いや、でもなぁ。なんか恥ずかしいじゃねぇか」
「ぶー、ぶー」
いつもと違う、バレー部スタイルの尋を見たい気もしたが……っと、変な意味じゃないぞ。二次元的に体操着は好きだがな。
「そういえばさ」
手にしたレンゲに具を目いっぱい乗せて、尋は言う。
「水瀬先輩には、会いに行ったのー?」
ちょっとビクっ、としてしまったかもしれない。
「行かなかったよ。行かないって言ったろ」
他にも、松本からの依頼もあったわけだが。その二つは無視した。
尋はレンゲの先を口に放り込み、むぐむぐとシチューを飲み込む。しばしの沈黙。
「あはは、確かに言ってたねえ」
シチューの甘い息を吐きながら、尋は笑う。
「じゃあ、今日はそのまま帰ったんだ」
続く質問は、いや、半ば断言するようなその言葉は、俺の背筋をひやりとさせた。
「あ、ああ。帰って、疲れてるだろうお前のために、そいつを作ってたんだよ」
「えへへ、ありがとー。わたしったら、果報者だねえ」
俺の態度は、変じゃなかったろうか。もちろん俺の言葉に嘘はない。だが、そのまま家まで帰ったわけではないのだ。舞花と会っている。今食べているシチューは、圧力鍋を用いて調理時間を大幅に短縮したものだ。はは、なんのアリバイ工作だよ。
夕食を食べ終えて、ちょっと遊んで、その間ずっと、心の片隅に小さな罪悪感があった。
罪悪感? いや、これは。
なにを恐れているんだ俺は、この幼なじみ相手に。
そもそも、俺が舞花に会いに行ったりする出発点は、記憶の空白の解消にある。尋に対して、記憶が戻っているなんて嘘をつかなくても済むように、二人の世界観にズレがないようにするためである。
つまり、なぁ。
やましいことは、なにもないぞ。
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