集うヒロイン、真相の深層

 ひどく冷たい、尋の声。

 俺は、人の顔が、ワカラナイ。

 そもそも、顔。顔って。顔、だって?


 俺は長年、その言葉を、概念を、意識に上らせまいとしていたことに気付く。現実世界において顔というのは、俺にとっての禁句。脳内の辞書から削除された概念だったのだ。


 ああ、そうか。そうなんだ。

 その事実を直視しないように、二次元の世界だけを考えていた。写真も見ない、テレビも見ない。現実で付き合う人間は、長い付き合いから雰囲気で判断可能な、長身寝癖という分かりやすい特徴を持った尋だけに限定して。

 でも、これって。尋がすべてを知っていた上で、俺にそれを悟らせないようにふるまっていたんだとしたら。世話を焼かれていたのは、俺の方じゃないか。思えば、俺は尋の世話を焼きながら、歩幅の広いこの幼なじみの後ろをいつもついていっていた。そういえば、尋の部屋の天井にかけてあった空の鳥籠。アレを見かけたのは記憶喪失以降だった気がする。その意味とは、つまり。

 今この瞬間、北原悠樹のアイデンティティは、崩壊した。

 俺は、飼い慣らされた鳥だったのだ。


「うぁああァあっっ!!」

 俺はここが学校だということも忘れて、絶叫する。

「静かにして。関係ない人が来ちゃうよ?」

 叫びはすぐに、尋の手によって塞き止められる。俺が叫びだすことを分かっていたような俊敏な動きだった。


 俺の口を塞いだまま、尋はゆっくりと距離を詰める。俺は尋の手の中で呻く、もがく。

「ユウキちゃん、落ち着いて、ね?」

 ゼロ距離。女の子の身体の柔らかさを感じることのできる距離。口を塞ぐ手がなければ、キスしてしまうようなところまで尋は近づき、俺になだれかかり、あやすように言った。

「このゲームのヒロインには条件があるの。それはユウキちゃんがその人だとすぐに判別できること。そうじゃないと、ユウキちゃんの中で対象として認識されないからね。ユウキちゃんが会った女の子たちは、皆顔が分からなくても判別できるようなシンボルを着けていたよね? それに特徴的なキャラクターや口調もしてたでしょ。だから他の、誰だかわからない人間に比べて、苦手意識を持たずに話すことができた」


 紗枝の黒ずくめ、電波系キャラ。

 水瀬のヘッドフォン、僕キャラ。

 さくらの蜘蛛のエプロン、~っすキャラ。

 時メモ2のコスプレじみた舞花の格好、公園で出会うという限定的シチュエーション。

 寝癖と背の高さ、長い付き合いで遠くからでも見つけることのできる、幼なじみの尋。


 時メモのヒロインたちと属性、数が同じなこの五人は、確かに顔など見なくても容易に特定できる。それは、顔で判別できない俺でも、会う度にそいつだと分かるということだ。三大変人については、事前の情報も尋から聞いていたので、初対面でもそいつだと分かるようになっていた。全ては、俺のための措置だったのだ。


「ユウキちゃんはねえ、二次元を愛し三次元を軽視するっていう自分の主義によって、『人の顔が判別できない』という自分の性質を誤魔化していたんだよ。アイドルとか、三次元における可愛さはよく分かんないって言ってたよねぇ。本当はもっと根源的な話なのにね? 二次元しかまともに判別できないだけなのにねぇ。ほとんど唯一の話し相手であるわたしは、そんなユウキちゃんの世界観に同調し、フォローする。君が致命的な矛盾を抱えて真実に至りそうになった日の夜は、枕元で『問題ない』、『気にしなくていい』って何度も何度も刷り込んであげてたんだよ? あははははははは! わたしが毎朝眠かった理由、少しは理解してくれたかなあ?!」


 笑う、尋は嗤う。

 これだけ近くにあるのに、寝癖の、背が非常に高い彼女の、中心部の「顔」だけはよく分からない。御津宮も辻先輩も松本も舞花も、思い出そうとして思い出せるのは服装や髪形だけだった。顔はよく分からないのだった。そもそも、三次元において、顔で人を判断するという考え自体がなかったのだ。

 だが、なによりも恐ろしいのは、尋の豹変。

 俺が拠り所にしていた日常が、ガラガラと音を立てて崩れていく。俺が壊れていく。

 ああ、やっぱり現実なんかには目もくれず、二次元に浸っていればよかったんだ。記憶の空白なんて、気にするべきじゃなかったんだ。

 

「お疲れ様っすー。しっかし、一体なんなんですかね。もうほとんどゲームも終わったっつーのにあたしらが招集されるなんて」

「なにか、非常事態? それにしても、学校内で打ち合わせ、なんて」

「つか、今回の話。あたしら必要あったんすかねぇ。結局あのヒト、自分からは一回も会いに来てくんなかったですし」


 途中で出くわしたのか、松本と辻先輩は同時に現れた。会話の内容が、尋の話の真実性を証明していた。

 それを見ている俺は、尋によって掃除用具入れの中に閉じ込められている。二人を判別できているのは、蜘蛛柄のエプロン、巨大なシルバーのヘッドフォン、特徴的な口調のおかけである。この場に三人いる女性の顔の差異は、ほとんど見えてこない。

「あれ、紗枝さんまだ来てないんすねー。でも、なんで今日に限って尋さんが招集かけたんスか?」

「ああ、それはね」

 言って尋は、掃除用具入れの扉を思い切り開け放った。中に入っていた俺が松本と辻先輩の目に晒される。二人は同時に息を飲む。

「これは、どういうこと……っ!」

「なんでここに先輩が? こりゃあまずいっすよ! 契約違反じゃないですか!」

 二人の動揺をよそに、尋は告げた。

「これで役者はそろったみたいだねー。それじゃ、いってみよー。第一回から最終回、『エンディング破壊工作超絶会議』を、ね」


「なぜ、今更キミはそんな真似を!」

 辻先輩が尋に掴みかかる。が、一瞬にして二、三歩後ずさった。

「あはは、流石。反応が早いねー。ま、本当に使うつもりなんてないけど」

 尋の手には、いつのまにかスタンガンらしきものが握られていた。

「お前、なんでそんなものを」

「はっ、ユウキちゃんがそれを言うとはねぇ。ま、鳥の世話をするのも楽じゃないってこと。顔を覚えられない、覚えようっていう気もない君は、知らず知らずにトラブルを引っ張って来るからね。なにかした覚えたはないのに突然絡まれたこととか、あるでしょ?」

「ちょ、そんなとこまでバラしちゃってるんすか!」

 尋はスタンガンのスイッチを入れる。青白い光と、嫌な音。


「二人とも、わたしの話を聞いてくれるかな?」

 尋のただならぬ雰囲気に、松本は完全にビビっている。辻先輩は、自分よりリーチがあり凶器を手にした尋に、なかなか近づけずにいるようだった。

「二人は御津宮さんに恩義があるんだよねえ? それでこのゲームに協力している」

 返答はない。

「否定しないってことは、当たらずとも遠からずってことでいいよね。じゃあさ、その御津宮さんがもうすぐ、って言ったら、どうする?」


 場の緊張が、さらに高まる。

 もうすぐこの世からいなくなる、というの自体は御津宮がよく口にしていたことだ。だが、御津宮の病気は精神性のものだ。少なくとも「余命いくばく」というものではない。とすれば、尋の発言はどういう意味なのか。

「彼女の言葉を信じるなら、ここから話す内容はこの場で私だけが知っていることになる。会議でも話されなかった、このゲーム、計画の本当の意味。聞いてくれるよね?」

 室内が無言で満たされる。

 尋は、ゆっくりと語り始めた。

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