踊り場の捕食者
九死に一生を得た俺は、フワフワ、ソワソワして落ち着けずにいた。
と同時に、心の中にはなんとも言えぬモヤモヤが渦巻いていた。月曜日、俺は行く先々で三大変人とエンカウントした。そして今日、御津宮に絡まれた直後、辻先輩に助けられた。
今にして思えば、さっきのアレは不良がメインだったのではなく、「辻水瀬のイベント」が俺に起こったのではないかと考えてしまう―。ああ、この救いがたきギャルゲー脳よ。
ここは現実だ。クールになれ北原悠樹。自意識過剰もたいがいにしろ。
「ユウキちゃん、だいじょうぶー? なんていうか、雰囲気が死んでるよ」
のっけから御津宮がいないという平和な四限が終わって、尋が話しかけてくる。俺はクールダウンどころか完全にダウンしていた。
「お、おう。色々と、あってな」
さっき不良に絡まれかけた一件で、急激に体調が悪化した気もする。
「ま、まあ、お昼はゆっくり休みなよ。ね」
「ああ」
とは返事したものの、昼休みも休めないという悪い予感しかなかった。
月曜日通りなら、まだ残っているのだ。
「ひどいっすよ先輩様! 昨日はどーしてさくらちゃんに放置プレイを強要したんすか。この天才美少女の誘いを二度も断るなんて、先輩様は自分を特別ななにかと思ってるんじゃないでしょうねぇ!」
昼休み、わざわざ教室までやって来て、目の前で肩とポニーテールを震わせている松本さくらは、前会ったときと同じく巨大な蜘蛛描かれたのエプロンを着用していた。それ、美術室以外でも着てるのかよ?!
「え、松本さくらちゃん? あの松本さくらちゃんだよね!」
三大変人の中で唯一学外でも有名であり、テレビにも出たことがあるらしい松本を見て、一人で弁当をつついていた尋がテンションを上げる。教室もざわついているようだった。
「はあい、そーでぇす。天才美少女アーティスト、廃墟に潜む蜘蛛、現代に蘇ったアラクネーこと、松本さくらちゃんですっ」
誰にともなくピースをする真性の馬鹿である。
「その、ごめん。モデルの件、協力したいとは思うんだけど、こっちも色々あってさ」
しっくりくる言い訳など思いつかず、口からは赤点以下の回答。言葉の終わりには即座に『逆効果だったかも』という後悔が続く。
「あーもう! 信じらんないっすよ! 先輩様の色々なんて関係ないっす。相対的にゼロと近似できるんで。いいですか? さくらちゃんの芸術のに贄となれるチャンスなんですよ、億単位積んだってなれない奴はなれないんすよ!!」
億とか、とんでもないことを言う。新進気鋭のアーティストがそこまで稼いでねーだろ。
「仕方ないから、実力行使っす」
不穏なことを言う。
と、いきなり松本は俺の手首を掴み、教室の外へ連れ出した。小柄で細身だが力は強い。芸術に邁進するアクティブさのなせる業か。俺たちは一塊の物体となってズンズンと進み、一階と二階を繋ぐ階段の踊り場で止まった。
俺は踊り場の壁と松本にサンドイッチされる形で立たされる。どん! という大きい音。鬼気迫る壁ドン。壁に押し付けた手の先には小型のスケッチブックがあった。
「な、なにを」
松本は残った手でエンピツをくるくる回す。とても悪い予感がする。
「仕方ないから、ここに蜘蛛の巣を張ることにするっす。先輩様にはここで死んでもらいます」
言うや否や松本は、壁を台替わりに猛烈なスピードでスケッチを開始する。すると、必然的にスケッチブックと松本の距離は縮まり、ただでさえ近かった俺と松本の距離はほとんどゼロになった。彼女の体重の何割かが、俺に押し付けられる。
「ちょ、マズいって!」
静止の声をかき消す勢いでシュッ、シュッと高速でスケッチブックをコスるような音が聞こえる。同時に、弾むような、どこか熱を持った松本の声。
「はぁはぁ、どんな感じっすかあ? 先輩様は、天才美少女さくらちゃんの巣にかかった獲物。現在、捕食されてる真っ最中っすよお」
モチーフ=獲物。スケッチ=捕食。うん、清々しいくらいの上から目線だ。
松本がスケッチブック上で手を動かすたび、そこと繋がる身体も動く。俺と密着した柔肉が小刻みに振動を続ける。止めろ、お前が美少女かどうか二次元至上主義者の俺にはいまいちピンとこないが、こんだけ色々押し付けられたら、悲しくも三次元人として生まれたサガが!
「『食べられる』ってえ、なあんかエロいと思いません? 先輩様の全部をさくらちゃんが食べて、ごっくんして、一つになっちゃうんすよお。欠片も残しません。さくらちゃんが捉えた先輩のイデアを、残さず描写してあげますからねえ♪ あ、ちなみに『死んでもらう』って言い回しには、この捕食の意味も含まれてるんっすよ」
どうでもいい。どうでもいいからアニメ声っぽい、甘ったるい感じで挑発的な台詞言うの勘弁して。そんでとっとと解放してくれ。誰かに見られたら抱き合ってるようにしか思われねぇ!
「松本さんっ! こんなの、人に見られたらやばいから!」
「はぁ? 先輩様、正気っすか。天才美少女さくらちゃんの芸術行為が、そんなこと程度で止まるわけがないでしょう。先輩様も男なら、ヒト様の目なんて気にせず、潔く食べられちゃってください。さあ、ラストスパート、イキますよお」
卑猥な意味にしか聞こえないフィニッシュ宣言。それに伴い熱く乱れる息遣い。直に伝わる体温と振動。
シュッ、シュッ、シュ、シュシュシュッ!
鉛筆を持つ松本の手の動きも早くなる。
くそ、畜生、チクショォ――――――――ッ!!!
「にゃははははっ、名誉の戦死、ありがとうございましたっす。これはいい幽霊が描けそうです。ま、天才美少女さくらちゃんは、作品完成までの間は美術室にいますんで、是非是非どうぞお。さすがにこの時間だけじゃ完全に食べ切れなかった感もあるんで、歓迎するっすよ♪」
捕食を終えてツヤツヤと生気を増す松本。食われた俺に、生気はもちろんない。
「あのさ、松本さん」
すぐにでも立ち去りたい気持ちはあった。だが、ここまで付き合わされたからには、聞いておきたいことがある。
「はい? なんすか」
「松本さんって、なんでこの学校に来たの。別に美術で有名な高校ってわけでもないし、他に選択肢は色々あったんじゃないの」
なぜかこの自称天才美少女は俺に目をつけ、こうして絡んでくるわけだが、その前提には彼女がこの学校を選んだという事実が存在する。それが少し気になっていた。
「えー、理由っすかあ」
「差支えなかったら、だけど」
「ま、復讐っすね」
「え」
俺がその一言に混乱しているうちに、松本は蜘蛛がデザインされたスケッチブックを小脇に抱え、短めのポニーテールを揺らしながら一階へと消えていった。もしかして復讐、って言ってたのか? 俺はよく分からないまま、ひとり二階へと向かう。
疲労で、一段一段がキツかった。
ほら、やっぱり。今日も三大変人全員と当たっちまった。
フラグ。イベント。見えないなにかに包囲されているように感じる。これはただの、自意識過剰な被害妄想に過ぎないのだろうか?
「ねえねえ! 北原君ってさ。あの松本さくらと知り合い? どーいう関係!?」
教室までの廊下を行く俺に、死体に鞭打つような生徒の声が。ったく、有名人と関わってたからって、急に俺に声なんかかけんなよ。これだからミーハーは。
「別に、たまたま美術室に行ったら目ぇ付けられただけ。天才様の考えは分かんないよ」
俺は逃げるように、会話を打ち切って席に戻った。ここまでくれば、あとは尋がなんとかしてくれる。
机に突っ伏す。視界を闇に染める。疲労と眠気がどっと押し寄せる。
昼休み以降、俺はほとんど寝ているような感じだった。
尋が堰き止めてくれたのだろう、ありがたいこといに、眠りを妨げるぶしつけなインタビューとかは来なかった。
「じゃあ、ユウキちゃん。かなり疲れてるみたいだし、早く休みなよー。今日は別に、差し入れとかいいからさ」
「ああ。悪いな、そうなるかも」
情けない話だが、普通の人間でも疲れそうな一日。俺の精神は相当に削られている。
「気にしないで、わたしなんか、いつも迷惑かけてるし」
放課後。尋はそう言い残し、体育館へと入っていった。長身寝癖の幼なじみの後姿を見送りながら、俺は申し訳なく思う。ここ数日は、明らかに俺の方が世話になっている。
できるだけトラブルに巻き込まれず、放課後すぐに舞花に会いに行く。
この目標を掲げたそばから、三大変人絡みのトラブルの連続だった。本当に疲れた。
(やっぱり、複数の個性的な女の子に絡まれるなんて展開は、現実では疲れることだな)
しかし、とにかく放課後である。俺はなんとか、自由な時間に辿り着いたのだ。
さて、今日の放課後選択肢はどうするか。
①【頑張っている尋を、応援してやろう】
②【三限で帰った御津宮が気になる。御津宮の家を探そう】
③【辻先輩のメカニズムを知りたい。屋上に行こう】
④【松本に、キレイに捕食されてスッキリしてくるか】
⑤【舞花、頼む。今日も公園にいてくれ!】
もち、ろん、⑤に決まっている。①は疲れてるのになんで来るんだと諭されてしまいそうだし、②、③、④はまぁ、気になるっちゃあ気になるけど……。
ここは現実だ。
そして、俺の身は一つだ。
家に真っ直ぐ帰るという選択肢もあるにはあったが、
俺は疲れた体を引きずってでも、舞花に癒されたいと思っていた。
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