一日目・月曜日
鉄人Mとの遭遇
「んぅん、すぅ、すー」
穏やかな寝息を立てる尋は今、穏やかならぬ格好になっている。
身体には電源コード等の紐類が巻きつき、不自然な体勢で固定されている。パジャマと背肌の間には異物が入り込み、不自然に盛り上がっている。エトセトラエトセトラ。まるでこの世の地獄。それを作り出したのは他でもない俺なのだが。
「馬鹿な! なぜ、なぜ起きない」
仮に今起きたとして、朝飯を食っている時間は既にない。もう十分も経てば遅刻が確定してしまう。尋を置いて学校に行けばいいだろう、って? そりゃ無理だ。二次元至上主義者で三次元嫌いの俺が学校生活を無難に過ごすためには、雪島尋はなによりも忘れてはならないものなのだ。尋は、下手をすればずっと眠っていそうだし。くそ、どうする。どうすりゃいい。
大声、揺さぶりは当然として、電源コード等によるソフト緊縛や、昨日と同じ野菜ジュースの缶を背中に直接入れるとか、かなりギリギリなことをしてきたつもりだ。尋はそのつど悲鳴を上げるも、なぜだか起きるまでには至らず、穏やかな寝息に戻るのだった。
今日の眠りの強度は、俺が今までの経験則から得たレベルをはるかに超えていた。これが水準になるとしたら、北原悠樹の日常を大きく揺るがす事件である。いや、そんなことよりもまずはどうやって尋を起こすかだ。
俺はあと、なにをすればいい。
これ以上、なにをしでかせばいいってんだ?
「んん、むにゃむにゃ」
ゆったりとした寝息とは対照的に、時計の音がやけにせわしなく感じる。俺はたまらなくなって、考えてもない次の手を探すように鞄の中をまさぐった。すると、
「ふあぁ、おはよ、ユウキちゃん。って、あれ? なんか動きづら、変な感じ」
自分のあられもない状況を意識する尋の第一声は、マラソン大会通学路編スタートの合図となった。
「はぁ、はあっ。クソが、待てや、尋!」
二次元の世界に浸る俺が三次元の鍛錬をしようはずもない。久々の全力疾走は、ものの三分もしないうちに呼吸地獄を作り出した。いつもは何人か目にする他生徒の姿もなく、絶望感に一層拍車がかかる。
「ユウキちゃーん、はやく、はやく! 間に合わないよー」
だがそもそもの元凶は、長身寝癖の幼なじみは、俺より広い歩幅と食っちゃ寝によって蓄えた体力でどんどんと先に行く。なんという恩知らず。だが、ほとばしる殺意は全く以て加速に寄与してくれない。
それでもなんとか、尋の姿だけは見失うまいと走りに走った結果、スマホの時計表示をチラ見する限りにおいて、ギリギリ間に合いそうな域には達していた。
前を走る尋が、学校への最後の曲がり角を曲がる。よし、俺もスパートを、
「きゃああっっ」
かけようとした瞬間、向こうから尋の悲鳴が。まさか急ぎ過ぎて車にでも轢かれたか!!?
俺は頭を真っ白にして、曲がり角を曲がった。
「尋! 大丈夫かっ」
しかし真っ白な思考に飛び込んだ映像は、予想と違ったものだった。それは立ち尽くす尋と、うつ伏せに倒れる一人の女生徒だった。
想像とは逆の事態。
こいつ、事故を起こしやがった。
尋が無事だった安堵も束の間、寒気が俺の背中を駆け巡る。この状況、尋が女生徒を轢いてしまったのだ。全然太ってはいないとはいえ、180センチ近くもある長身の、あのスピードによる突進を受けて無事とは思えない。現にほら、ピクリとも動かないじゃないか。
「ユウキちゃーん。どうしよ、どうしよう」
「と、とりあえず状態を見るんだよ! 下手すりゃ救急車だ。尋、早く!」
落ち着け、落ち着け俺。こういうときはとりあえず二次元平面上の二ーソックスの食い込み曲線の問題を考えて落ち着くんだ。
鼓動を確かめたり、人工呼吸なんて話にはならないだろうが、女生徒の安否を確認するには女生徒が適しているだろう。なにより、俺は尋以外の女子とほとんど話したことがないのだ。
俺にせかされ、尋が倒れた女生徒に駆け寄る。尋が声を掛け、手を差し出すと、女生徒はその手を借りることなくゆっくりと立ち上がった。
それはどことなく違和感を感じる動きだった。倒れたところから起き上がろうとすれば出るはずの、力を込める時の息遣いとか、衝撃を受けた後のふらつく様子とかがまるでないのである。すーっ、と。機械的、自動的とでもいうのか。尋も面食らったのか、おどおどしている。
続けて目についたのは緑色のネクタイ(三年生、先輩だ)、そして、ふわりと緩やかにカールしたショートカットを包む、巨大なシルバーのヘッドフォン。そこまでいって、さっきの機械的な雰囲気も合わさって、俺の中でこの女生徒についてある仮説が生まれた。
「あ、あのー、もしかして、
女生徒と向かい合う尋が、俺の思考と同じ答えを口に出す。
彼女は無言だった。ロード中、とでも表示されそうな沈黙があって、
「そうだよ。僕は、辻水瀬だ」
熱のない声が、正解を告げた。
やはり彼女は学内三大変人の一人。辻水瀬だったのだ。そういえば現実だとなかなかに厳しい僕キャラだった。
「先程の『攻撃』。キミ達は、僕の『敵』なのかい」
彼女は、少年のような口調で浮世離れしたことを言う。
「い、いえっ、わたしたちは違います! その、悪気はなくてっ」
全部尋からの受け売りだが、彼女は最初から変人だったわけではない。
去年の冬、二ヶ月ほどの休学をした辻水瀬。彼女は再び学校に来たとき、大きなヘッドフォンを着けており、このようなキャラになっていたのだという。ただ、変わったのはキャラだけではない。それを示す驚くべき出来事が、復学後の初日に起こったのだった。それは、この学校の不良グループを一人で全員病院送りにしたという、およそ信じ難い話である。この学校の不良のレベルはたかが知れているそうだが、それでもどう考えてもエマージェンシーだ。
彼女は休学中、どこぞの悪の組織にでも改造を受けたのだろうか? ともかく、そんな辻水瀬に俺たちは、『敵』と認識されかけているのだった。
「おい尋! とっととそのドデカい図体を縮めて土下座するんだよ!」
こうなれば恥も外聞もない。とにかく謝って、ひたすら下手に出て、相手の敵意を削がなければならない。そのためには、加害者である尋が可哀想に思えてくるぐらいの演出が必要だ。
「ちょ、ユウキちゃん? ひあっ」
俺は尋の頭に手を乗せ、ぐいぐいと下に押す。
「いやー、スミマセン辻先輩。こいつ、こんなデカさなもんで、ぶつかったとき、かなりの衝撃だったでしょう。なにせこの質量×スピードが破壊力ですからね。どこか破損したんじゃないですか?」
「この質量て、わたしはそんなに重くなっ、わぷっ」
おめーは黙ってろ、と尋の頭を押さえつける。さあ、この無理やり謝罪を気の毒に思ったなら俺たちを見逃してくれ。そして「破損したか」との問いには、なにかと否定したがる人間のサガでもって「大丈夫」と言ってくれ(人間だよな?)。尋以外とはまともに言葉も交わしてこなかった俺の、咄嗟の思いつきコミュニケーション。はたして効くか、否か。
「キミ」
先輩は首だけ回して俺の方を向く。
「は、はいっ!」
やばい、まさか矛先が俺に? なんかミスったか? 冷たい汗が背中に滲み出す。
「そこの彼女とは気安い仲のようだけど……それでも女の子に対して『デカい』なんて言葉を使うものじゃないよ」
「は、はぁ。分り、ました」
そこかよ、と心の中でツッコみ、俺は気の抜けた返事をしてしまう。この人、意外と紳士だ。
「僕のセンサーは反応しなかった。キミ達は、敵じゃないみたいだ。誤認しかけて、すまなかった。特に破損もないから、気に病む必要はない」
センサーって。ここは笑うところなんだろうか。しかし辻先輩に笑いを待っている風はない。
「わーい、水瀬先輩ありがとー!」
尋はものすごい勢いで辻先輩にハグしようと駆け寄る。辻先輩はそれをスッと躱し、
「いや、そういうのはいいから」
「えー」
尋め、さっきぶつかったばかりなのに全く懲りてねぇな。
そういえば、
「あの、先輩にとっての『敵』ってどういうヤツなんですか」
今後出会う機会もないだろうが、万が一にも地雷を踏まないために聞いておきたいことだった。
「そうだね。僕に直接危害を加える存在。もしくは、僕のセンサーに引っかかる存在、かな。キミ達は前者の要件を満たしそうだった。けれど、偶然の事故だと結論付けられた。一応、後者の可能性も調べてみたけど、問題ないレベルだった」
「調べたって、その、センサーってやつですか? どんなだとセンサーに引っかかるんです」
「簡単なことだよ。非行、不道徳な行い、そういうことをすると引っかかる」
なんだよ、それじゃあまるで辻先輩は、
「水瀬先輩って、まるで正義の味方みたいですねっ。かっこいい!」
尋は再び辻先輩に抱きつこうとする。先輩はヒラリと避ける。
「いや、コレはそんなに高尚なものじゃないよ」
「その、先輩は噂にある通り、本当に改造手術でも受けてアンドロイドにでもなったんですか?」
ここは現実だ。そんな馬鹿なことはない。が、そんな振る舞いをしている当の先輩は、この馬鹿な問いになんと答えるのだろうか。俺は自分でもなぜかよく分からないが、この人(?)との会話を続けようとしていた。
「その答えを説明していると、残念ながらキミ達は遅刻する計算になる。もう、行くべき時間だ。話の続きは、別の機会にでも」
と言うその声は、なぜか後方から聞こえた。
俺は驚愕して振り返る。辻先輩は学校とは別の方向に歩み去るところだった。大きなシルバーのヘッドフォンを着けた後姿が徐々に小さくなっていく。いつの間にか背後を取られていたという、バトル漫画とかでよく見るアレだ。
これは彼女の気配が希薄なことや、俺の注意力散漫を加味しても信じ難いことで、辻先輩が俺たちの曲がってきた角に消えるのを見送った後、俺は静かに身震いした。
辻水瀬は只者じゃない。
学校の不良を一人で倒したというのも、きっと事実に違いない。
「ユウキちゃん、早く行こ? ホントに遅刻しちゃう」
この恐ろしさが分からないのか、尋の声は意外と落ち着いていた。能天気なヤツだ。
やっぱり戦闘能力の高い女子なんて、二次元ならともかく三次元では怖いだけだ。まぁ、接点を持ってしまったのはアレだが、とりあえず敵と認識されなくて本当によかった。
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