29話 渋谷ソウタは、神と対面する

 

 ――最初に現れたのは『手』だった。


 黒い水たまりの中から、様々などす黒い色の手が伸びてきた。

 クスクスという嗤い声が聞こえる。

 背中の汗が止まらないのは、生暖かい空気のせいだけではないはずだ。

 

 うねうねと気味の悪い動きをする手が地面を掴む。

 そして、ゆっくりと巨大な物体が姿を現した。

 

 全身がアメーバのようなそれは、表現できない形をしていたが強いて挙げるなら『巨大なヒキガエル』だった。 

 これが……、こんなものが神様?


 それをじっと見つめていると、心臓の動悸が早まり、呼吸が苦しくなったきた。

 落ち着け……。

 俺は、古武術の精神統一法を使って、無理やり心を静めた。

 俺は隣にいるアカネに話しかけた。


「アカネ、召喚魔法には成功したのかな?」

「な、……な、に……これ?」

 ひと目でわかるほど、アカネの顔は真っ青だった。

 尋常な様子ではない。


「アカネ、落ち着け。ずっと見るな」

「う、うん。ありがとう……ソウタくん」

 俺はアカネの震える肩を抱き寄せた。

 ついでに他の緑ローブの人たちの様子も確認する。


「おお……神よ……」

「我らを……お救いください……」

「……………」

 皆、跪いてその大きな物体に祈りをささげている。

 これは……どうなんだ?

 彼ら的には、儀式が成功したんだろうか?


 俺は魔方陣の端ギリギリに立っているユキナに声をかけた。


「ユキナ、このあとはどうするんだ?」

「…………」

 返事は無かった。


「おーい、ユキ……え?」

「…………」

 顔を覗き込むと、ユキナが白目を剥いて気絶していた。


「お、おい! ユキナ!」

 俺が慌てて肩を抱きとめようとするが、手をすり抜けてしまう。

 駄目だ、幽霊のユキナを触れない。


「アカネ! 来てくれっ!」

「……ソウタくん、どうしたの?」

 まだ青い顔のアカネがこちらにやってきてくれた。


「ユキナの様子が変なんだ」

「おーい、ユキナちゃーん?」

 アカネがユキナの身体を揺すった。

 おお、アカネは幽霊に触ることができるのか。

 流石は魔法使い。 

 気絶しているユキナが、意識を取り戻した。


「うーん、カエル怖い……カエル怖い……」

 ユキナがぶつぶつ言うのが聞こえ、俺とアカネは顔を見合わせた。


「そういえばユキナって……」

「カエルが大の苦手だね……」

 怖いもの知らずなユキナだが、唯一弱点があった。


 幼い頃、田舎に遊びに行った時に田んぼに落ちて、そこに運悪く大量のカエルがいたんだそうだ。

 そのカエルたちが、ユキナの服の中に入ってきて気絶したんだとか。

 それ以来、どんな小さなカエルであってもユキナはカエルを見ただけで逃げ出してしまう。


 俺は改めて、魔方陣の中央にどん! と座っている怪物を眺める。

 おかしな色をしていたり、手のような触手があったりと、色々ツッコミどころは多いが、強いて言えば姿形は全長3メートル位ある巨大なカエルである。

 苦手な人なら卒倒するのもわかるか……。

 というか俺もちょっと、気持ち悪い。


「ユキナちゃん、しっかり」

「はっ! 私は一体……キャー!!」

 アカネに呼ばれたユキナが、目の前のカエルかみさまを目にして、慌ててアカネの背中に隠れた。

 ……一応、ユキナが召喚したってことだろうに。

 こんなに怯えて失礼じゃないのだろうか?


 その時、緑のローブを着た人がふらふらと『神様』のところにやってきた。


「神様……どうか、死んだ我が子を生き返らせてください。これがあの子の灰です……」

 すがるような声で、その女性は言った。

 醜悪な姿の『神様』は、何も反応しない。


「あの……神様……?」

 女性が戸惑ったように言葉を続ける。

 その時だった。


 がばっ、と神様の口が開きそこから凄いスピードで舌が女の人を絡めとった。

「き」

 悲鳴を上げる間もなく、緑のローブを着た女性は神様の口の中に吸い込まれていった。


「「「「「「「え」」」」」」」

 俺も含め、その場に居た全員があっけにとられる。

 今、……?


 おいおい……。

 やっぱりこいつ、絶対神様じゃないだろ。

「ユキナ、アカネ逃げよう」

 という言葉を発する前に、「おぎゃー」という甲高い声が倉庫内に響き渡った。 


 気が付くと、さっきの女の人が立っていた辺りで赤ちゃんが泣いていた。

 も、もしかしてさっきの女の人の子供なんだろうか?

 でも、赤子だけが生き返ってもどうしようも無い。

 そして、何よりも……。


「ねぇ、あの子って……」

「えっと、人間の赤ちゃん……なのかな?」

 アカネとユキナが自信なさげに言うのもわかった。

 泣き声は赤子のそれだが、姿形はおおよそまともではなかった。

 

 肌はよくわからない色で、目や鼻が無く、口だけが顔についている。

 最初は、勢いよく泣いていた子の声が徐々に聞こえなくなり、最後は形を保てず崩れていった。

 これ、……生き返ってないんじゃ……。


 この様子を見て、神様にお願いに行こうとする者は誰も居ない。

 そりゃそうだ。

 でも、どーするんだ? このあと。


「ユキナちゃん、帰喚の呪文はわかる……?」

 アカネがぼそっと呟いた。

 

「う、うん……教わってるよ。でも、私が勝手に返しちゃっていいのかな……?」

 ユキナが不安げに周りを見回す。

 緑のローブを着た人達は、皆戸惑い立ち尽くしている。

 何を悠長な。


「おい! 指導者は誰だ! この神様にお願いをするなら、早くしろ! 用が無いなら帰ってもらえ!」

 彼らは恐らく皆、俺より年配だったが丁寧な言葉を紡ぐ余裕がなかった。

 が、返事はない。

 皆何も言わず、暗い表情で俯いている。

 長い時間をかけて準備をしてきた結果が、この様で受け入れられないのだろうか……。


「うわあああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 絶叫が響いた。

 別の緑ローブの人が、化物かみさまに飲み込まれた。 


「ユキナ、こいつを元の世界に戻せ!」

「う、うん。わかったよ、ソウちゃん」

 ユキナは悔しげな表情で、応え「XXXXXXXXXXXXX」聞き取れない発音で叫んだ。


 すると、化物がこちらを、ユキナのほうを向いた。


「ひいぃぃー!」

 ユキナはアカネの後ろに隠れた。

 そんなにカエルの姿の化物が怖いか……。


「ソウタくん、様子が変だよ」

「ああ、神様が帰ってくれないな……」

 ユキナの『帰喚の呪文』が発動しない。

 



 ……足ラヌ……魂ガ……




「今、何か聞こえた気が」

「うん、私にも聞こえた」

 この化物の声なんだろうか。




 ――……魂ヲ……




 再び声が聞こえた。

 人間の喉からは絶対に発声できないような、それは目の前の化物かみさまから発せられているのだと気づいた。


「魂……?」 

 どういう意味だ?


「か、帰れないんだ……生贄が足りなかった……」

「帰るための魔力マナが無いんだ……」

 緑ローブの人たちの中から、誰かが言った。 

 おいおい……そんな馬鹿な……。


「に、逃げろー!」

 誰かが叫ぶと同時に、蜘蛛の子を散らすように緑ローブの人たちが逃げ出した。


「ぎゃあああああああ!」

「っああああ!」

「た、助け」

 それを次々に、化物が呑み込んでいく。

 

(地獄絵図か……?)

 

 俺とアカネは、ゆっくりと後ろに下がる。

 化物は、逃げる人たちを優先して襲っているようだ。

 もしくは、動く者に反応しているかのような……。


「アカネ……何か方法は無いか? あの化物を何とかする手は」

「この儀式のことは警察に通報してあるから、そろそろ魔術師と一緒に来るはずだけど……」

「そんなのんびりしている暇はなさそうだけどな」

 次々に、緑ローブの人たちは飲み込まれている。


「あとは、召喚の媒介になってる魔法石を壊せば、『神様』は現世との繋がりが消えて、ここに留まれなくなるかもしれないけど……」

 アカネの視線の方向には、神様の巨体しか見えない。

 恐らくはその身体の足元にあるのだろう。


「ち、近づけないよ。近づいたら、私たちも食べられちゃうよ……」

 ユキナが悲痛な声を上げた。


 確かにそうだろう。

 魔法石を壊すには、化物をどかさないといけない。

 だが、相手は神様。

 俺は魔法なんてものは使えない、ただの一般人。

 このままだと、アカネとユキナも危ない。

 二人に何かあるのだけは、避けないといけない。


 昨年のクリスマスに、事故で失った恋人ユキナ

 昨日、付き合い始めたばかりの恋人アカネ

 俺は二人の前に立った。


「アカネちゃんとソウちゃんは逃げて……。私が呼んじゃったんだから、責任取らなきゃ……」

 ユキナが震える声で告げた。


「ユキナちゃん、怖いんでしょ……。ソウタくんと逃げて。私は警察と魔術師が来るまで、ここに居ないといけないから」

 そう言うアカネの声にも、動揺が混じっている。

 

 まだ、倉庫の中には緑ローブの人たちが大勢いる。

 気になるのは、何故か化物が俺たちを襲って来ないことだ。

 それと、化物の身体から50cmほどの球体が、ぽろぽろと零れ落ちている。

 ……何だあれは?

 まさか化物の卵とか……、勘弁してくれよ。


 その時、化物がこっちを見た。

 じぃっと、こちらに視線を向けている。

 もっとはやく逃げておくべきだった。



 ――魔女ノ……魂ヲ……



 

 化物がユキナとアカネを凝視して、何かを言っている。

 魔女……?


「私が……魔法使いだから……」 

 アカネが震える声で呟いた。

 魔法使いだから、その魂が欲しいと。


「わ、私も今は魔法使いなんだよねー……ははっ」

 ユキナが泣きそうな声で言った。

 どうやら、二人は化物かみさまに目をつけられてしまったらしい。


 ユキナは苦手なカエルに足が竦んでいる。

 幽霊なのに、足ってのは変な話だが……。

 

 アカネは運動神経が良くない。

 きっと逃げ切れないだろう。


 ……俺は小さく深呼吸した。


「ユキナ、アカネ」

 俺は二人の名前を呼んだ。


「ソウちゃん?」

「ソウタくん?」

 二人は俺の呼びかけに、怪訝な声を上げた。


「元気でな」

「待っ!」

「え?」

 俺の意図に気付いたユキナと、まだわかっていないアカネ。

 二人に引き止められる前に、俺は化物に向かって駆け出していった。


 ぎょろりと、化物の身体中に埋まっている目玉がこちらを向く。

 百を超える視線にさらされながら、奴の攻撃は大きな口から伸びてくる舌だけだ。

 がばっと、化物が口を開いた。

 そして、弾丸のような勢いで長い舌が俺を捕らえようと迫る。


 

 ――古武術・回避



 俺はそれをギリギリで躱す。

 が、問題はここからだ。

 化け物の舌は、発射したあとに引き戻す動作を行う。

 つまり、二回攻撃だ。

 長く伸びた舌が、化物の元に戻りながら俺を絡め取ろうと迫ってくる。



 ――古武術・受け流し



 俺は後ろから迫る巨大な舌を、再びギリギリで躱した。

 数ミリ差で、制服が触れ破れていた。

 危なかった……。 

 だけど、凌いだ。

 これで、化物の攻撃は無いはずだ。


 ズズズズ…… と化物の身体から、幾本もの腕が伸びてくる。

 それはさながら軟体動物のようにぐにゃぐにゃと曲がりながら、俺を捕まえようと迫ってきた。

 回避は……できない。

 さっきの受け流しで、体勢を崩している。

 躱す動きがとれない。


 化物の身体から生えている腕は、俺の10㎝の距離まで迫っている。

 俺は直感を信じて、前に

 背中の上を化物の腕が通過していくのを感じる。

  

 顔面が地面すれすれだが、残った足で地面を蹴った。

 耳元で風切り音が鳴った。

 俺の背中ギリギリを、化物の腕がかすめていく。


 カツン、と何かが床とぶつかる音が聞こえた。

 俺のスマートフォンが地面に落ちた。

 が、拾う暇は無い。

 すぐ目の前に化物の身体がある。


 手の届く距離――俺の攻撃範囲に到達した。

 

 一秒で、体勢を整え構える。

 使う技は『発勁』。

 俺が師匠から習った最も強い技。


 もっとも、目の前の化物かみさまには何の効果もないだろう。

 魔法なんてものはさっぱりわからないが、それでも目の前の存在の出鱈目さは肌で感じた。 

 これは人間が何とかできる存在ではない。


 だから、狙うは化物かみさまの足元にある魔法石。

 醜悪な巨体に隠され見えないが、まだあるはずだ。

 俺の『発勁』を使えば、化物の身体を通過して魔法石だけを攻撃できるはずだ。

 

 師匠は昔、空気を振動させて十メートル先の相手を倒していた。

「発勁の応用技『遠当て』っつーんだ。便利だろ? ほら、ソウタもやってみろ」

「できるか!」

 そんな会話をしたことを思い出す。

 

 だけど、今はやるしかない。

 他に方法を知らない。

 


 ――古武術・発勁



 俺は正拳突きで、化物の身体を貫いた。

 ぐしゃりと、拳が砕けるのを感じる。

 遠当ては一方的にこちらの攻撃を当てる飛び道具ではない。

 こちらが殴った分だけ、反作用の力を受ける。

 魔法石のような鉱石を、全力で殴ったのだ。

 拳がただで済むはずが無い。

 でも……


(手ごたえがあった……、魔法石は砕けた)

 拳と引き換えに、俺は化物かみさまを召喚する魔法石を壊すことができた。


 ――ウア……アア……ア……ア………………


 悲し気な声が響く。

 化物かみさまの巨体が、ゆっくりと黒い沼に沈んでいく。

 よかった……。

 もう、帰ってくれ。

 呼び出して悪かったな。

 ほっと、一息ついたその時、俺の身体に沢山の黒い腕が巻き付いてきた。

 げっ!?


「ソウちゃん!」

「ソウタくん、逃げて!」

「くっ!」

 ユキナとアカネに言われるまでもなく、俺は逃れようともがいたが次々に化物の腕が俺の身体を掴み、離さない。

 

 化物かみさまの身体は、既に半分くらい黒い沼の中に沈んでいる。

 そして、俺の足も一緒に引きずり込まれていた。

 本能的な恐怖が全身を駆けぬけた。 

 マズイマズイマズイマズイ。

 このままでは、俺まで一緒に引き込まれてしまう。

 だが、身体を全く動かせない。

 絶望が、心を侵食した。


 その時、後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 足音はアカネだ。

 そして、足音は無いがこちらに向かってくるユキナ。


 俺は振り返り、二人の顔を見た。

 ああ、よかった。

 俺は二人を守れたんだ。

 二人とも泣きそうな顔をしている。



 だから、俺はから元気で微笑んだ。



 そして――――深淵に飲み込まれた。

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