32話 渋谷ソウタは、日常に戻る
ーーおかしな事件に巻き込まれてから数日後。
入院生活から解放されて、久しぶりに自分の部屋で過ごすができた。
朝目が覚めて、見慣れた天井に安心する。
俺はベッドを降りて、手早く制服に着替えた。
リビングに行くと両親は朝食中だった。
妹の姿が見えないところをみるに、まだ寝ているのだろう。
「ソウタ、体調はもう平気なの?」
「無理して学校に行かなくてもいいからな」
「大丈夫大丈夫」
心配する両親に笑顔を向け、俺は朝食を済ませ、学校へ向かった。
こうして俺の日常は戻ってきた。
以前と変わらない日々。
――しかし、二つだけ大きな変化があった。
◇
「ソウタ!」
俺が教室に入ると、友人のトオルが駆け寄ってきた。
ついでに、教室に居たクラスメイトたちの視線もこっちに集まる。
「よぉ、トオル。元気か?」
「そりゃ、こっちのセリフだこの野郎!」
俺は友人に肩を組まれ、耳元で小声で囁かれた。
「……おまえ、教団の儀式に巻き込まれて、異世界に行ってたんだって?」
「ああ、よく知ってるな」
「無事でよかった……」
「ラッキーだったよ」
トオルが呆れたように笑っているが、こいつも教団に拉致されて大変だったはずだ。
でも、今は元気そうでなによりだ。
放課後に一緒に遊びに行かないかと誘われたが「また今度な」と言って遠慮した。
「ねぇ、ソウタくん。入院って何があったの?」
「体調はもういいの?」
「今日の放課後って暇?」
クラスメイトたちから色々質問されるのをなんとか躱しつつ、クラスの端っこで読書をしている女の子に視線を向けた。
その女の子ーーアカネも俺に気づいたようで、一瞬目が合った。
が、すぐに視線は外れた。
アカネとは病院で何度も話しているので、ここで話すまでもない。
クラスメイトから放課後に遊びに誘われたが、俺は予定があると言って断った。
授業が終わり、放課後になってさて帰ろうかという時。
「ソウタくん」
後ろから呼び止められた。
子猫のようなぱちっとした瞳でこちらを見つめるのは。
「アカネ。今日はあの喫茶店で待ち合わせだよな?」
「うん、忘れてないかなって」
「覚えてるよ。昨日、電話したばっかりだろ」
「まぁ、そーなんだけど」
俺はアカネに歩幅をあわせ、ゆっくりと歩く。
「このまま一緒に行くか?」
どうせ目的地は一緒だ。
もはや待ち合わせではなくなってしまうが。
「ううん、その前に
アカネは、なんとも言えない表情で答えた。
あの子ーーユキナのことだ。
「
「私とソウタくんの学校が終わるまで、そのへんをフラフラしてるって」
「そっか……」
ユキナはあの事件以来、俺の近くに姿を現さない。
本人曰く、合わせる顔がない、ということだった。
別に俺は気にしてないんだけどな……。
「でも、今日はちゃんと連れてくるから。首に縄をつけてでも」
むん、と紐を引っ張るような仕草をするアカネに少し笑った。
「じゃあ、先に言って待ってるよ」
「うん、またあとで」
俺は手を上げて、アカネと別れた。
学校を出て、喫茶店のある森へ向かう。
アカネとの待ち合わせというのもあるが、店長さんにお礼を言うという用事もある。
結局、病院では直接お礼を言えていない。
店長さんは、命の恩人だ。
面と向かって、お礼を言いたい。
そこで、ふと思った。
(……手ぶらってのも失礼か)
何か手土産を持っていこう。
何がいいかな?
思い浮かばない。
悩んだ末、森の近くにある
ざっと店内を見て回り、無難に缶に入ったクッキーに決めた。
クッキー缶を持ってレジに行こうとした時、副店長のことを思い出した。
猫って甘いものは食べないよな?
副店長には別の品のほうがいいだろう。
何か無いかなと色々探し回っていたら、
もうこれでいいや、ということで購入した。
……クッキーより高かった。
その2つを包装してもらい、
一階の化粧品売場にある巨大な姿鏡。
そこに映っているーー
鏡に映っている自分がこちらを見ている。
その隣に、髪が長く瞳が赤い女性の姿をした人影が立っていた。
俺は鏡に近づき、小さく呼びかけた。
「神様、どうしたんですか?」
「……アノ魔女ニ、会イニ行クノカ?」
不安そうな声が、耳に届いた。
そう、あの世界から帰ってきて、もう二度と神様とは会うことは無いと思っていたら、病院で鏡を見たときに神様が映っていたのだ。
どうやら神様と俺の縁は切れていなかったらしい。
最初に見た時には、心臓が止まるかと思った。
「なんで……鏡に映ってるんですか?}
「イヤ……私ニモワカラヌ……」
「これって何かマズイことってありますかね……?」
「ウーム……オソラク私ト君ノ魂ガ繋ガッテシマッタノダロウ……。鏡ヲ通シテ会話スルダケナラ、大キナ問題ハナイハズダ」
「まあ、ならいいですけど……」
「気ニスルナ」
とのことらしい。
それ以来、たまに世間話をしている関係だ。
今では慣れてしまった。
これが1つ目の『日常の変化』。
まあ、鏡が少し見辛いくらいでそこまで生活に支障は無い。
「助けてもらったお礼を言わないといけませんから」
「私ハ殺サレナイカ……?」
どうやら神様にとって
怖かったもんなー、
「その時は、また俺から助命しますよ」
「……頼ム」
自分の肩を抱いて震えている神様の姿は、子犬のように見えた。
この神様、なんかほっとけないんだよなぁ。
ちなみに、病院の検査結果では、身体にも脳にも異常なしということだった。
だから、神様が鏡の中に視えるようになったことは誰にも言わなかった。
言うと、精神病院にぶち込まれそうな気がしたし……。
人通りは多い。
前から歩いてきた人とぶつかりそうになった。
「すいませ……」
俺が詫びる前に、その人は俺の身体を
(またか……)
俺はため息をついた。
後ろを振り向くと、ぶつかりそうになった人の姿は掻き消えていた。
どうやら、さっきの人は
二つ目の『日常の変化』。
神様の世界に行って以来、俺は幽霊が視えるようになった。
これが少し不便で、一見すると現実の人と幽霊の区別がつかない。
さっきのように普通に話しかけてしまう。
この件は、アカネにも相談しているが、見分けがつくように訓練するしか無いらしい。
難儀だ。
が、良いこともある。
幽霊が視えるということはーーユキナのことも視えるはずなのだ。
だけど、ユキナとはこっちの世界に戻ってきて以来、一度も姿を視ていない。
できれば、話をしたいのだけど……。
そんなことを考えている間に喫茶店に到着した。
赤い屋根の
相変わらず客は居ない。
俺はテラス席の一つに腰掛けた。
テーブルの上には、副店長の
「久しぶりだな、少年」
「ご無沙汰してます、
「大変な目にあったらしいじゃないか」
「そうなんですよ、店長さんに助けてもらいまして」
「名刺を受け取っていてよかったな」
「はい、アカネが店長さんに連絡してくれたみたいです」
あの時、おかしな世界に連れされてた俺を助けるために俺のスマホケースに挟んであった、
電話番号を聞いていてよかった。
本当に、間一髪だった。
「いらっしゃいませ」
気がつくと、すぐ隣に中性的な美形の店員さんが立っていた。
さっきまで間違いなく誰も居なかったはずだが、この突然現れるのも慣れた。
「コーヒーをください。あと店長さんって居ますか?」
「ホットコーヒーですね。それと残念ながら、店長は今日は不在です」
「いつも不在、の間違いだろう」
店員さんの言葉に、横から茶々を入れる
でも、そっか……。
なら、会えるまで通おう。
それはそうとして、食べ物には賞味期限がある。
「これを店長さんに渡してもらえますか? お世話になったお礼です」
店員さんに丁寧に包装された
「クッキー、ですか」
「お、鰹節か。いいやつだな」
なんでお二人は、中身が見えないのに分かるんだろう。
「コーヒーは、少々お待ち下さい。こちらの品はありがとうございます」
そう言って、店員さんは店の中に消えていった。
普通ならここから10分ほど待たされるはずだが……
「お待たせしました」
30秒も経たずに、店員さんがお盆にコーヒーを載せて戻ってきた。
相変わらず、反則的な早さだ。
これできちんとした手順で、淹れられているというのだから魔法でも使われたのかと思う。
……いや、実際使っているんだろうなぁ。
なんせ、
俺の目の前に、コーヒーと
「あの……これは?」
「お、流石は弟子くん。気が利くな」
「折角なのでクッキーも開けてみました」
「これは店長さんや店員さんに食べてもらいたいんですけど」
「いいんですよ、お店をほったらかしにしている店長なんですから」
美人の店員さんは涼しい顔だ。
うーん、でも俺が食べてしまうのも間違っている気がする。
「じゃあ、店員さんも一緒に食べませんか? コーヒー代は俺が出しますから」
「え?」
俺の言葉が意外だったのか、店員さんがきょとんとした。
たしか
ならば店員さんにもお礼をせねば。
「いえ、……今は業務中なので」
「いいじゃないか、少年以外の客はいないんだ。客の金でコーヒーが飲めるんだ。ありがたくおごって貰っておけ」
「いいんでしょうか……?」
「副店長が良いと言っている」
そう言えば、
「コーヒー淹れてきますね」
店員さんは少し軽い足取りでパタパタと店のほうへ向かった。
ちょっと、嬉しそうだ。
すぐに店員さんは、コーヒーを持って現れた。
店員さんは俺の正面の椅子に座った。
俺は砂糖もミルクも入れず、コーヒーを一口すすった。
……ああ、美味い。
「本当にお客さんは、美味しそうに飲んでくれますね」
美形の店員さんがにっこりと微笑んだ。
その笑顔に当てられ、少し照れた俺はもう一度コーヒーカップを口元に運んだ。
……結局、この店員さんは女性なのか、男性なのか?
どっちなんだろう。
「弟子くん。少年は、君の性別が気になるそうだぞ」
「ぶっ!」
コーヒーを吹き出しそうになった。
「
なんで俺の考えがわかるんだ。
「えぇ……お客さん、そんなこと考えてたんですか?」
「実は、前々から気になってまして」
店員さんがジト目で、小さくため息をついた。
ちょっと気まずい。
「お客さん、僕の名前は三咲レンです」
「レンさん……」
店員さんに似合っている名前だ。
そうか、レンさんていう名前なのか。
店長さんの
「弟子よ、はっきり言わんから誤解が解けていないぞ。少年は君を女だと思っている」
「え? レンさんって女の子の名前ですよね?」
「違いますよ! 僕は男です! なんで女だと思うんですか!?」
おお……店員さんは男の子だった。
店員さんーーレンさんがぷんぷん怒っている。
こんなに可愛いのに、男なのか……。
世の中わからんなぁ。
それから、しばらく三人で雑談をした。
「そういえば、今日は他に誰か来ないのか?」
うにゃぁ、とあくびをしている。
「アカネが来ますよ。でも、店長が居ないんじゃお礼が言えませんね」
「ああ、赤羽家の女の子ですね。ソウタさんの彼女なんでしたっけ?」
お互い自己紹介をしたあとの
どうやらおしゃべりは好きらしい。
「ええ、アカネは彼女ですね。あと、幽霊の女の子――ユキナと一緒に来ます」
「……幽霊の女の子は君の元カノだったか。随分とモテるな」
「えっ!? そうなんですか、今カノと元カノが一緒に来るんですか!? どんな状況なんです?」
黒猫さんがぼそっと言った発言を、
この子、恋愛話が好きなのか?
その時だった。
「ソウタくん、お待たせ」
待ち合わせ相手がやってきた。
そちらを振り返ると、ボブ・ショートの可愛らしい女の子と、その隣に長髪の美少女の幽霊が並んでいる。
俺の瞳は、東雲ユキナの姿がはっきりと映っていた。
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